2018年12月28日金曜日

第104号

※次回更新 1/11

「兜太と未来俳句のための研究フォーラム」アルバム

※壇上全体・会場風景写真を追加しました(12/28)

【100号記念】

特集『俳句帖五句選』
その1(飯田冬眞・浅沼璞・内村恭子)》読む
その2(神谷波・五島高資・小沢麻結)》読む
その3(坂間恒子・岸本尚毅・加藤知子)》読む
その4(木村オサム・近江文代・曾根毅)》読む
その5(田中葉月・北川美美)》読む
その6(小野裕三・ 西村麒麟・ 田中葉月・ 渕上信子)》読む
その7(五島高資・ 水岩瞳・ 仙田洋子・ 松下カロ)》読む

■平成俳句帖(毎金曜日更新)  》読む

秋興帖
第八(12/14)依光正樹・依光陽子・浅沼 璞・佐藤りえ
第九(12/21)小沢麻結・西村麒麟・大関のどか・水岩瞳
第十(12/28)五島高資・青木百舌鳥・池田澄子・真矢ひろみ・井口時男・筑紫磐井


【読みきり】
たとえ僕らの骨が諸刃の刃だとしても ~竹岡一郎句集「けものの苗」を読んで~
豊里友行  》読む

■連載

【新連載】葉月第1句集『子音』を読みたい1 
無題/藤田踏青  》読む

寒極光・虜囚の詠~シベリア抑留体験者の俳句を読む~② のどか  》読む

思い出すことなど(4)「BLOG俳句空間―戦後俳句を読むー」の創刊 (吉村毬子と小津夜景の記憶)/北川美美  》読む

麻乃第2句集『るん』を読みたい6
繊細と大胆の先に/杉山久子  》読む

大井恒行の日々彼是 随時更新中!  》読む

句集歌集逍遙  『兜太 TOTA』vol.1/佐藤りえ  》読む



■Recent entries

【抜粋】〈「WEP俳句通信」105号〉
朝日俳壇新選者――高山れおな(人物紹介) 筑紫磐井  》読む

第5回 詩歌トライアスロン募集について

眠兎第1句集『御意』を読みたい
インデックスページ    》読む

麒麟第2句集『鴨』を読みたい
インデックスページ    》読む
10.『鴨』――その付合的注釈   浅沼 璞  》読む

前衛から見た子規の覚書/筑紫磐井
インデックスページ    》読む

「WEP俳句通信」 抜粋記事  》見てみる

およそ日刊俳句新空間  》読む
…(今までの執筆者)竹岡一郎・青山茂根・今泉礼奈・佐藤りえ・依光陽子・黒岩徳将・仮屋賢一・北川美美・大塚凱・宮﨑莉々香・柳本々々・渡邉美保 …
12月の執筆者 (渡邉美保

俳句新空間を読む  》読む
…(主な執筆者)小野裕三・もてきまり・大塚凱・網野月を・前北かおる・東影喜子





豈61号 発売中!購入は邑書林まで

—筑紫磐井最新編著—
虚子は戦後俳句をどう読んだか
埋もれていた「玉藻」研究座談会
深夜叢書社刊
ISBN 978-4-88032-447-0 ¥2700
アマゾン紀伊國屋ウェブストア他発売中


「兜太 TOTA」創刊号
アマゾン藤原書店他発売中

〈新連載〉【葉月第1句集『子音』を読みたい】1 無題  藤田踏青

  ――句集『子音』 田中葉月・著 発行所・ふらんす堂――

 作者は現代俳句協会会員・九州俳句作家協会会員・「豈」同人で、この句集が第一句集となる。あとがきに「世界最短詩とも言われる俳句とは何だろう。私にとって俳句とは心をキャンパスにして描く絵のようなもの。まだまだ思うに任せないのが現実だが、なぜか大抵言葉が遅れてくるような気がする。その奇妙な時間のずれが不思議な感覚となって快い。」とあり、その時間のずれが新鮮な世界の表出となっている。
 構成は春夏秋冬の原則に則っており、季節それぞれに洒落たカラー名が付与されている。

(SPRING BLUE)より
  回転ドア春愁ぽとり産み落とす
  春の日をあつめて痒しマンホール

 回転ドアやマンホールに情意を託した手法である。しかも春愁を産み落とすという行為や、春の日に痒みを覚えるといった、シュールな皮膚感覚は女性ならではのものなのではないであろうか。

  大陸のゆつくりうごく春のキリン
 ゆっくりうごくのは大陸であり、春のキリンという二重構造の作品。そう言った意味から、前意からは壮大な大陸移動説といった時空間が、後意からは系統発生といった形態の進化の歴史も窺える。

  ふらここの響くは子音ばかりなり
 ふらここという言葉から子音から紫苑や師恩を思い浮かべた。紫苑からはかつての女学生時代の思い出などを、師恩からは子音と母音との関係から学窓への視線と受け取ったのだが。

(SUMMER ORANGE)より
  夏の月梯子掛けても知らぬふり
  とりあへずグッドデザイン大賞天道虫

 両句共に無感覚の感動のような表情をしている。そして夏の月と梯子、グッドデザイン大賞と天道虫との取り合せは意表を突いており、ウイットのきいた句である。

  虹生まるわが体内の自由席
 この自由席は未来や希望を含んだ自由な生き方のベクトルを示しているのでは無いであろうか。まさに「虹」はその先にある憧れの対象のようにも思われる。

  青い鳥そつと来て去るハンモック
 誰しもにとって、青い鳥とは日常に於ける不在の象徴のようなものであろう。誰もいないハンモックが静かに揺れている様(さま)に何故か優しさと淋しさとが入り混じっている感覚が認められる。

(FALL GOLD)より
  銃口は風の隙間に鶏頭花
  半音のかすかにずれる鰯雲

 鶏頭花も鰯雲も、その存在感は風の隙間や空のかすかなずれに脅かされているようだ。そして鶏頭花はその朱色が血に見まごう故に銃口に対峙されているのであろう。また、空の無音の中にもかすかな半音がずれの擦過音のごとく感じ取られたのでもあろう。

  南瓜煮るふつつかものにございます
  ポニーテール爽やかに影きりにけり

 時にこのようなライトヴァース的な作品に出会い、微笑まれる。南瓜を煮る行為は単なる田舎的な謂いではなく、凡人としての優しさを示唆してもいる。そしてポニーテールが風では無く影をきる、という所作の潔さも爽快感を際立たせている。

(WINTER BLACK)より
  この辺り鳥獣戯画のクリスマス
  葱白し七つの大罪ほぼ犯し

 イロニーな視点を持った句柄である。聖なるクリスマスが鳥獣戯画的な遊びとなってしまっている現代風俗への揶揄。そして葱という一般の人間を暗示する存在も元々は白い面を持っていたにも関わらず、誰しも七つの大罪を避けることが出来ないという現実への自悔など、人間苦のような表情を包含している作品である。

  マスクしてみな美しき手術台
 マスクや手術台に対してのこの様な感覚、視点は新鮮である。全てを委ねる相手・対象はみな美しく見える存在なのであろう。

  風花す銀紙ほどのやさしさに
 風花は雪片ゆえに儚い存在なのだが、そのキラキラした光景を「銀紙ほどの」と表現した現代感覚に魅入りる。そしてその箔の薄さがやさしさにも通じている。
 素材という対象に新しさを求めるのではなく、感覚の世界に新しさを求めた句集であると感じた。

寒極光・虜囚の詠~シベリア抑留体験者の俳句を読む~②  のどか

 Ⅱ シベリア抑留への歴史
 今も地球の何処かで、多くの紛争が起こっている。それは、民族自決のため、宗教をめぐって、国と国との利益のためにと、背景は様々である。
 そして私たち人類は、戦争のための武器や化学兵器、原子爆弾により、罪の無い人々を殺戮し加害者となり、同時に被害者を生み出し、悲しい歴史を繰り返してきた。
 ここでは、私の取材したシベリア抑留の体験者の話をお伝えする前に、その背景となった歴史について学んだことを紹介する。西暦には和暦を()で併記する。
 帝政ロシアが倒されたロシア革命後の1918年(大正7年)、日本はイギリスやアメリカとともに、反革命軍を支持するためソ連領内に出兵した。 
この参戦には、三元老のうち出兵に反対する山縣有朋と出兵に賛成する出兵九博士による「出兵論」なども出され、国内の世論も賛否両論に分かれた。これに対して歌人の与謝野晶子は、『横浜貿易新報』1918年(大正7年)に、「ドイツの東進を法外に誇大して、ドイツの脅威を防ぐために出兵するというのは大義名分にならない、私たち国民は、決してこのような『積極的自衛策』の口実に眩惑されてはならないと諭したという。(『シベリア出兵~近代日本の忘れられた七年戦争』麻田雅文著)

 1918年(大正7年)シベリア出兵開始(日・英陸戦隊、ウラジオストークに上陸開始、ソビエト政権に対する干渉戦争を行った。1922年(大正11年)まで残り、北樺太には、1925年(大正14年)まで駐屯した。(『シベリア抑留関係略史』:シベリア抑留者支援・記録センター)

 ロシア革命の苦しい時期に干渉戦争を挑んだ日本への恨みは、深く残っているという。7年間に及ぶシベリア出兵については、『シベリア出兵~近代日本の忘れられた七年戦争~麻田雅文著』に詳しく書かれている。           

 時を経て、1932年(昭和7年)、中国清朝最後の皇帝溥儀を執政に迎え満州国が建国され、満州への移民政策が始まった。同時に締結された「日満議定書」によって、満州国の国防は関東軍が担当することになった。その満州国とソ連、ソ連の同盟国であるモンゴルの間では、国境紛争が絶えなかった。1937年(昭和12年)に日中戦争が始まると、これまでの移民計画が困難となり、1938年(昭和13年)15歳から19歳までの青少年を中心にした、「満蒙開拓青少年義勇軍」が制度化された。

 1939年(昭和14年)12月に日本と満州帝国が発表した、《満州開拓政策基本要綱》の
中の「基本方針」において、満州開拓の目的が示されている。
 満州開拓政策は、日満両国の一体的重要国策として、東亜新秩序建設のための道義的
大陸政策の拠点を培養確立することを目途とし、特に日本内地人開拓民を中核として、各種開拓民並びに原住民の調和を図り、日満不可分の強化、民族協和の達成、国防力の増強及び産業の振興を記し、かねての農村の更生発展に資することを目的とする。
 満州開拓政策の目的に照らし、小川津根子(元帝京大学教授)は、次のようなかくされたねらいがあったと6点を挙げている。(要約を抜粋する。)
① 満州国の治安維持確立に協力すること~移民の四割が反満抗日軍(匪賊)の活動が活発な地域に配置され、関東軍の討伐の肩代わりをさせた。
② 対ソ戦上の関東軍の補助協力にあたること~移民の五割がソ満国境最前線地帯に配備され、関東軍の軍事補助者として有事に備えた。
③ 満鉄沿線・重要河川の沿線・軍用鉄道を守る
④ 満州重工業地帯の防衛
⑤ 大和民族を中心とした「五族協和」の実を上げる。
⑥ 国内の社会不安を和らげるため農村経済更生計画に開拓移民を組み入れた。
(『大陸の花嫁からの手紙』後藤和雄著)
 五族協和とは、日本人、朝鮮人、満州人、蒙古人、漢人の協和と西欧列強の武力による侵略に対し、東洋の徳「王道」による理想郷を歌ったものである。

 一方、日中戦争が泥沼化し、対英米関係も悪化して閉塞感のある日本と、西はドイツ
東は日本との二面作戦を避けたいソ連は、1941年(昭和16年)4月13日、5年間にわたる日ソ中立条約を締結した。同6月22日ドイツ軍がソ連侵攻。この国際情勢の変化を受けて、日本政府と軍部は、7月2日に天皇陛下が臨席する「御前会議」を開き「情勢の推移に伴う帝国国策要綱」を決定し独ソ戦が日本に有利に働いた場合はソ連と戦うことを決めた。この決定に基づき、陸軍は対ソ連戦準備のために満州に展開する関東軍を70万人に増強した。名目は、「関東軍特種演習」(関特演)という演習だった。ドイツの侵攻は日本が期待したほど進まなかった。参謀本部は、ソ連への侵攻をいったん諦めた。(『シベリア抑留―未完の悲劇』栗原俊雄著) 

 1945年(昭和20年)2月4日ルーズベルト、チャーチル、スターリンによるヤルタ会談において対独ソ戦後処理及びソ連の対日参戦を決定。同4月5日ソ連は、日ソ中立条約の不延長を通告した。
 しかし、一年間は有効だったので国際法上明らかな条約違反である。同5月7日ドイツ軍は無条件降伏をする。当時、日本軍は、満州に駐屯していた関東軍を戦況の悪化する南方戦線に送っていたため、同7月5日関東軍の兵力増強の必要から、大本営は満州の在留邦人に「根こそぎ動員」をかける。(『シベリア抑留関係略史』:シベリア抑留者支援・記録センター)
 1945年(昭和20年)夏、関東軍は18歳から45歳までの在満邦人男子約20万人を召集。召集令状には、「各自必ず武器となる出刃包丁類及びビール瓶2本を携帯すべし」と記されていたという。出刃包丁は、棒の先に付けて槍の代わりに、ビール瓶は、火炎瓶として使うために。(『シベリア抑留~未完の悲劇~』栗原俊雄著)
 同8月6日アメリカにより広島へ原爆投下。8月8日ソ連は日本へ宣戦布告。8月9日零時ソ連軍の侵攻が始まったのである。

【麻乃第2句集『るん』を読みたい】6 繊細と大胆の先に  杉山久子

 電線の多きこの町蝶生まる
 昨日から今日になる時髪洗ふ


 蝶が生れる瞬間も髪を洗っている時間もこの世のあらゆる活動の中ではあっという間にかき消されてしまいそうなものだが、こうしてひそやかに掬い上げられて句となったものを読むと、自分もそんな時間をいとおしく思っていることに気づかされる。

 出会ふ度翳を濃くする桜かな
 たましひは鳩のかたちや花は葉に


繊細に詠まれているが、研ぎ澄まされてきりきりしているのとは違う、軽やかさがある。

 一方こんな句も

 家族とも裸族ともなり冷奴
 出目金も和金も同じ人が買ふ
 爽やかや腹立つ人が隣の座

 
 一句目、家の中ではほとんど裸のような格好でうろうろしていられる関係。二句目、金魚を買う人を傍から見ていて気付いた可笑しさ。三句目、反りの合わない相手と隣席になってしまった時の残念な感じとそれを半分楽しもうとしている肯定感が絶妙。
 大胆な切り取りで背景の広がるこれらの句は口誦性も高い。前面に出てこないさっぱりとしたユーモアも魅力だ。

 血痕の残るホームや初電車
 首塚に向き合ふデスク大西日


 穏やかに見える日常の中に死の気配は確かにあるということを乾いた視線で提示されると、そこには可笑しみも漂う。
 そんな視線は家族を詠むときにも表れて、
 
 蛇苺血の濃き順に並びをり
 夏シャツや背中に父の憑いてくる


 「憑いてくる」が背負うさまざまな感情に、読者である私は哀しくも可笑しくて、失礼ながら「クスッ」と笑ってしまう。
 家族を詠んだ句の中でもひときわ心に残る句がある。

 母留守の家に麦茶を作り置く

 取り立てて発見があるわけでもない、どうということもない日常の動作を詠んだ句なのだが、ここには積み重ねてきた家族の時間があり、今を家族とともに生きている生活の確かな手触りがある。

 大夕焼ここは私の要らぬ場所
 我々が我になる時冬花火
 小春日や今がどんどん流れをり


 これらの句に、自分の居場所でやるべき仕事をしつつ、更なる広やかな世界を思う人の姿を垣間見る。それは寂しさを伴いつつどこか懐かしいもののような気もするのだ。

【「BLOG俳句新空間」100号記念】特集『俳句帖5句選』その7


五島高資

蛇口から水のふくらむ二月かな
朝へ出る道のうねりや竹の秋
五次元の寄せるみぎはや時計草
富士山の艫綱を解く夕焼かな
寝過ごしてひとり降り立つ銀河かな


水岩瞳

戦争に使はれし日々花に問ふ
行方知れずの君は十五のままで朱夏
    無言館
風死せり絵筆の声を今に聴く
少年にアメリカの匂ひ夜のプール
ただ灼けて有刺鉄線続きをり


仙田洋子

煬帝の運河の上をつばくらめ
春闌けて絶滅近き鳥けもの
地図濡れてニュルンベルクの緑雨かな
秋の蝶翅を閉ぢては傾きぬ
冬の川うすぼんやりと日を浮かべ


松下カロ

百人の男うつむく鳥帰る     2017・春興帖
ハンカチに包みそのまま忘れけり 2017・夏興帖
勾玉はゼリービーンズ十三夜   2017・秋興帖
廃駅が鯨の中で燃えてゐる    2017・冬興帖
沈黙は吹雪に似たるチェロソナタ 2017・歳旦帖

【読みきり】「たとえ僕らの骨が諸刃の刃だとしても ~竹岡一郎句集「けものの苗」を読んで~」豊里友行

 竹岡一郎句集「けものの苗」を何度も読み込む。
 戦争を突き詰めていうなら戦争を構築する世界の社会全体のみんなが悪いと私は、思う。
 どんなに社会の一人が戦争の種を萌えだすのを食い止めようとしても社会全体の海原が、その方向へと動き出さない事には、戦争は食い止められないのではないか。
 例えるなら海の波ひとつのベクトルは無数に違うのだが、非戦の風を起こすには、やはり竹岡一郎のこの句にある僕の加害者意識を自覚することからしか始まらないのではなないか。
 私には、竹岡一郎俳句に、とても共鳴し、心が震える句がある。
 「僕の骨から要るだけの弾は萌ゆ」など。
 私たちは、「僕の骨」を意識しているだろうか。
 私たちは、私たちの無自覚さが、戦争を芽生えさせる。
 私たちは、私たちの無関心さが、ミサイルや弾丸を繁殖させる。
 人間に必要な、要るだけの弾は萌える。
 竹岡は云う。
 「なつかしいものは、いつだって惨たらしい。産土も人間も積み上がった惨たらしさを抱えて、だからこそ、その惨たらしさを焼き尽くし、なつかしさを遠く離れ、生き変わり死に変わりを超えて、立ちたい。」(あとがきより)。
 その作者の立つ視座は、何処に芽生えているのか。
 産土とは、うぶすな。
 その人の生まれた土地や育まれた環境を指していると私は解釈してみる。
 私たちは、自己の根っ子や人間さえ否定していかなければならないのか。
 人類の愚行である戦争や軍隊、原発、環境破壊、核の時代をどのように食い止めるか。
 人間の愚行は、私たち人間によって悔いあらためるしかないのではないか。
 現代人の情報化社会や文明の迅速に大量の選択が枝葉を伸ばし、快適さは無尽蔵に増幅する。
 私たちは、やがて想像力の翼を捥がれ、他者への痛みを忘れがちになる。
 竹岡一郎俳句には、無痛の思考停止した現代人や身体感覚の麻痺する数値世界に生きながらも戦争への批評眼を内蔵している。
 批評する刃は自己に向きながらも諸刃の刃として他者にも向けられている。
 大概の俳句においては、社会に対して傍観者の視座が大量生産されている。
 人類は、どこかで血や肉を超えて呼び合って地球家族としての僕らの骨を自覚する必要があるのではないか。
  人間は、憎しみの連鎖を断ち、僕らの骨の痛みを知る。
  私は、俳人たちが心の通い合う地球を創造することができると信じたい。
 そんな作者の視座は平穏ではないかもしれない。
  新たな俳句の地平線を手繰り寄せるように、のたうち廻り這いつくばって生涯をかけて、その答えを新たな俳句によって問い続けている。


【最終回】思い出すことなど(4)「BLOG俳句空間―戦後俳句を読むー」の創刊 (吉村毬子と小津夜景の記憶)/ 北川美美



現在の俳句新空間の前身「BLOG俳句空間―戦後俳句を読むー」は2013年1月に静かに創刊した。

「詩客」からの引き続きの形で<戦後俳句を読む>を中心にサイトを構築していくイメージでスタートした。作品掲載については考えていなかったということに近く、新年刊行に合わせて新年の句を募集してみようということで筑紫さん企画で<歳旦帖>を掲載。<戦後俳句を読む>の執筆者メンバーや筑紫・北川の呼び掛けで句を募り新年の巻物としてふさわしい雅やかな雰囲気になった。

歳旦帖以外の個人作品を掲載するにあたっては、管理・運営の面で長続きしないのでは、という懸念があり筑紫さんは乗る気ではなかった。刊行記念として当初作品依頼を北川が行ったが(「風狂帖」として句帖にそろえる名称)、やはり筑紫さんの予想通り依頼を続けるには困難が多く頓挫してしまった。ご寄稿いただいた方々にはお礼申し上げる。

ブログはその後、<歳旦帖>を主力作品として継続し、それを紙媒体としたい、という筑紫さんの構想を実行に移した。紙媒体は2013年創刊から5年間が経過し、2018年12月にて10号を迎えた(年二回刊行・購入の場合は邑書林へ)。60名近い参加者の作品集なので自分の作品が目立たないのは嫌だ、と参加を断られるケースもあるのだが(公募はしていない)それはそれなりに、紙媒体にすると多くの作品の中でも際立つ作品、魅かれる作品というのがあり、見る側としては、紙媒体になってからこそ新しい風景が見いだせる刊行物であると思う。 

ブログ(「BLOG俳句空間―戦後俳句を読むー」)が10号を迎えた頃、筑紫さんが俳人協会評論賞(『伝統の探求〈題詠文学論〉』, ウエップ)を受賞され2013年3月5日に授賞式に参加した。筑紫さんの短期句会「題詠句会」のメンバー有志の協力に加え本井英さん、西村麒麟さんの参加もあり二次会として新宿・サムライにて行われた。 

記念句会 
サムライでの様子

そのサムライの会場に参加したのが吉村毬子さん(2017年7月19日没)だ。吉村さんは、北川がすでに開始していた連載「三橋敏雄『真神』を誤読する」に影響され、自分も中村苑子論を書いてみたいと思った、とおっしゃっていた。

中村苑子から直接指導を受けた直弟子で、晩年の苑子がとても気にかけていた逸材だったようだ(福田葉子さん談)。 サムライ以降吉村さんからお便りを頂くようになった。

昨年2017年の吉村さんの訃報から一年以上過ぎ、改めて彼女の作品を再読してみると、詩に憑りつかれ、詩に翻弄され、自ら魑魅魍魎の世界に引き込まれていった感がある。

中村苑子論は掲載の回を重ねていくうち、吉村さん本人から訂正の電話が入るようになり「どうしても電話でなければならない。」と少しずつ狂的になっていった。メール入稿が前提のウェブマガジンなのだが、吉村さんの事情で御自身でテキスト原稿が作成できず、LOTUSはじめ吉村さんをサポートする方々により入稿が成立していた。

彼女自身の入稿はひとりでは出来なかったのだが、彼女はその間に第一句集『手毬唄』を刊行し、鑑賞の執筆依頼を各方面に依頼し、ブログに掲載してほしいと彼女の要望に逐次筑紫さんが対応していた。いうなれば、現在当ブログの句集鑑賞のシリーズは吉村毬子セルフプロデュースがはじまりだったのではないか。大井さんのブログに吉村毬子孤独死、という訃報記事があったのだが、多くの方のサポートを得られた彼女は、決して俳句の面では孤独ではなかったように思う。なので俳句においてはこれからも作品は死なないだろう。

留鳥も移民の耳も芒原 吉村毬子 
『手毬唄』以降 Lotus 2017年発表 



吉村さんの作品傾向は、昭和50年代くらいの情念的ものが漂っていた気がする。考えると、9月28日に急逝した渚ようこ(歌手)もはじまりはポップスだったが次第に情念的な歌に傾倒していった。大本義幸さん(2018年10月18日没)の生前のお手紙に「渚と友達ならばリクエストしてほしいことがある」というのだ。<背徳の昼メロ「雨に咲く花」>を渚にカバーしてほしいと書いてあった。それを渚に告げることも虚しく渚までも天空の人になってしまった。 なにか突然に昭和も平成も一気に幕を下ろした感がある。吉村さん、大本さん、そして友人の渚の逝去を悼む。2018年のこの師走に淋しい感情が込み上げてくる。

死者たちは悲しみを残し、当然、水を打ったように静かだ。時にこの世に佇み、言の葉が水に浮かんでは消える呪術めいたもののように思えてくる。


※吉村毬子さん第一句集『手毬唄』(2014年文学の森)版元で購入可能。(文学の森にて2017年電話確認)。またLOTUS38号では吉村さん追悼特集号が組まれている。情報元:同人誌LOTUSのブログ 

※大井さんブログでの吉村毬子記事
吉村毬子「水底のものらに抱かれ流し雛」(「LOTUS」第38号より)吉村毬子 「手毬唄」についての記事 

***
吉村毬子さんと同時期に、小津夜景さんとのやりとりがあった。
小津さんは、2016年に第一句集を刊行され、田中裕明賞を受賞。そして今年2018年には漢詩エッセイの書籍が刊行となり、現在俳句総合誌はもちろん新聞、雑誌などで活躍中である。この二人、明暗がこのサイトで分かれたような印象すらある。

小津さんは2014年に豈が募集した攝津幸彦記念賞受賞において準賞を受賞された。賞の主催である豈が年一回ペースの発行のため、当ブログで受賞者の紹介を先行することになり、正賞、準賞の受賞者全員に連絡をとったことがはじまりだった。受賞者の中でとても積極的だったのが当初より小津さんだった。最初にいただいた返信は「作品でお世話になりたい。」とご自身のビジョンを明確に持っていた印象がある。なので関さんなどがいわれてるふわふわした感じということとは少し異なる。

小津さんは、プロフィール(作者紹介として私の担当記事は記載している)に「無所属」と記されていて、それに纏わるエピソードが思い出される。小津さんはすでに活動の場としていた週刊俳句にて「フランス在住の小津さん」と紹介されていた。

受賞作を先行でブログにて紹介しようとプロフィールをお伺いしたところ(応募時には氏名、年齢、住所、電話番号をお伺いしている。)、小津さんが「無所属」、もうお一人が空欄 という回答だったため質問をしてみた。「慣習的には、生年や出生地、在住地などを書かれる方が多いですが、ご回答のままでよろしいですか。」といま振り返ると野暮な質問をした。もうお一人の方は受賞されたもののご自身のご事情からご自分のことは語りたくないようだった。小津さんからの返信は「他人が言うのは構わないですがフランス在住ということを自分から言うつもりはありません。経歴に住んでいるところを書かなければいけないのでしょうか?」と作家としてのスタイルがすでにあり、妙な言い方になるが、プロっぽい印象があった(俳句はだいたい素人なのか、といわれると実も蓋もないが)。なので、「小津夜景」という筆名以前になんらかの執筆活動されていたのか…、という想像が働かざる負えなかった。もしくは、フランス在住も筆名もすべて架空なのかもという想像も働いた。

住んでいる場所や背景なんて本当はどうでもよくて作品が第一なのだ。しかし俳句は短すぎるので見知らぬ作者はまず背景を知りたくなる。句集を後ろから開くような経験が読者の皆様にもあるのではないだろうか。なので自己紹介として作家のある背景としてのことを書くことが慣習となっているのではないかと思う。小津さんの第一句集に「フランス在住」ということはどこにも記されていなかった。しかし読者やメディアの小津さんへの興味は「フランス在住」ということが強調されていった。

では、小津さんがご自身でフランスと言わないのであればこちらが言うべきなのだろうか、と小津さんの連載が数回始まった頃、面白くもない「ニース風サラダ」の作り方を「あとがき」に書き、お茶を濁したことがある。それを書いた後、ニースは魚介類がもちろんイケるだろうね、と想像し、マルセイユにある魚介スープ専門店chez FonFonとかいうレストランを日本のテレビ番組のレポートで見たことを思い出した。テルミドールのスープだった。2011年に10年ぶりの渡英でのテルミドールスープが忘れられず、テレビで見たchez FonFonの一皿がとてつもなく美味しそうで、そのためだけにソビエトから来たひとりの金髪女性が映っていた。そこで日本で似たスープの缶詰はないのかと探してみたところ阿寒湖のザリガニのスープを探し当て阿寒湖漁業組合に発注した。ザリガニが日本ではテルミドールの代物として扱われていることを欧米人は貧しく思えるのだろうか。どうだザリガニだ、となんだか誇らしかった。

ニース風サラダがどんなものなのかを「あとがき」に書いたのは2014年4月25日のなので、ザリガニスープの缶詰は4年間未開封のままだ。しかし、何故か有効期限が過ぎても捨てられない。多分それは缶詰のテルミドールの絵(それは確かにザリガニが描かれているのだが)と缶全体のデザインが気に入ったのだ。未開封のままシュールストレミングになっているかもしれない。

…とフランス、といってもこれは食だが、時に饒舌になるのはフランスというお国柄が原因なんだろうか。フランスはある意味、人を興奮させるところがある。


現在の小津さんはフランス在住ということをご自身で書かれているようだ。フランスが小津さんの代名詞になっている印象がある。異国で日本語を書くことは大変なのではと思うのだが、塩野七生、岸恵子、石井好子という前例もあり、俳句をきっかけに文化人として活躍される予感もある。

当ブログで小津さんが連載をされた頃から5年以上経過した。

吉村毬子と小津夜景、<戦後俳句を読む>誌上ではクロスしていたことになるが、明暗を分けるこの二人、吉村さんの作品が増えることは当然ありえない。小津さんはこれからも多くの読者を驚かしていくのだろう。

「BLOG俳句空間―戦後俳句を読むー」は、2014年9月に終刊し、翌10月から「BLOG俳句新空間」という名称となった。「BLOG俳句新空間」という名称でのサイトが100号を迎え100号記念だということになる。

この連載は100号に関する長い長い前書であり且つあとがきである。


100号記念として連載にしてほしい、という筑紫さんの依頼により当初1回で終わるはずが(4)までお付き合いいただいた。8年間を思い出しつつ、考えることは多かった。


読者の皆様、参加された皆様、ご協力賜った皆様に感謝いたします。
ありがとうございました。

(了)






句集歌集逍遙 『兜太 TOTA』vol.1/佐藤りえ

2018年最後の回は雑誌『兜太 TOTA』の寸感としたい。先日行われた「兜太と未来は行くのための研究フォーラム」も拝聴したが、パネリスト各人の発言がどれも充実し、大きなテーブルに大皿料理がどんどん並ぶ、といったなかなか凄まじい様相を呈していた。「兜太」を媒介として諸問題が噴出した、という感もあった。
今回は『兜太 TOTA』から特に筆者の興味の惹かれた項目をピックアップして記すこととする。

*金子兜太 生インタビュー(1)
黒田杏子・井口時男・坂本宮尾・筑紫磐井に藤原書店社長・藤原良雄を加えた5人が聞き手となり、熊谷の兜太邸「熊猫荘」で行われたインタビューの書き起こし。
生育歴順となる俳句初心の「成層圏」の話題に始まり、戦争、石田波郷について、秩父についてなど多岐にわたる話題が取り上げられている。
内容については既に世に出ているトピックもあるが、村上一郎の話題や、トラック島での俳句のその後、波郷・草田男についてなどを本人の肉声として読むことであらためて感興があった。“ドストエフスキーと柔道”は何か象徴的なエピソードとも思える。

*誰にも見えなかった近・現代俳句史——虚子の時代と兜太の時代/筑紫磐井
近・現代俳句史を方法論の推移を中心にひもとく文章。
「配合論」と「音調論」、「配合法」と「思案法」、「諷詠派」と「表現派」、「詞」の詩学と「辞」の詩学、そして「造形俳句論」に至る兜太の思考を整理していく。
ホトトギスを中心に据えた「人のながれ」による歴史ではない、方法論の反駁に焦点をあてた整理は、今後の昭和・平成の俳論・方法論の再検証にとっても重要な視点である。
歴史とは現在からの絶えざる問い直しであり、こうした視点がその新たな呼び水となるのではないだろうか。

*兜太と珊太郎——月光仮面のように/坂本宮尾
兜太が「成層圏」に参加するきっかけとなった人物・出口珊太郎についての項。
本稿に詳しいが、出口珊太郎は星新一の父・星一の庶子として生まれ、旧制水戸高校で兜太と出会う。
「成層圏」初期の事情、成層圏東京句会のことなど、珊太郎自身の句をまじえ、背景が丁寧且つ精緻に綴られている。この文章を読んで筆者はすっかり出口珊太郎のファンになってしまった。
戦前戦中の青年が俳句に関わるということ、その実態を鮮やかな筆致が描き出していて大変興味深いものである。もっと長い尺で読みたい一文だった。


『兜太 TOTA』vol.1(藤原書店)2018年9月刊

2018年12月25日火曜日

麻乃第2句集『るん』を読みたい インデックス


1 風の伽藍    中村安伸  》読む
2 辻村麻乃句集『るん』を読む    堺谷真人  》読む
3 玉の質感    宮崎斗士  》読む
4 「るん」に心を研ぎ澄ます   仲 寒蟬  》読む
5 無題   五島高資  》読む
6 繊細と大胆の先に    杉山久子  》読む
7 識と無意識と    川越歌澄  》読む
8 「ルンルン♡」ではなくて  近恵  》読む
9 辻村麻乃句集『るん』の世界 星の王子さまなんていない  市堀玉宗  》読む
10 アニムス    叶裕  》読む
11 句集『るん』祈りと希望の心象 干野風来子  》読む
12 赤コーナー 天宮風牙  》読む
13 『るん』句集を読んで 歌代美遥  》読む
14 「娘てふ」母と娘の距離感 なつはづき  》読む
15 「るん」の風 木村リュウジ  》読む
16 「こころのかたち」  近澤有孝  》読む
17 無意識の作品化、俳句のフレームを超えて 山野邉茂  》読む


2018年12月7日金曜日

第103号

※次回更新 12/28

「兜太と未来俳句のための研究フォーラム」アルバム


【100号記念】

特集『俳句帖五句選』
その1(飯田冬眞・浅沼璞・内村恭子)》読む
その2(神谷波・五島高資・小沢麻結)》読む
その3(坂間恒子・岸本尚毅・加藤知子)》読む
その4(木村オサム・近江文代・曾根毅)》読む
その5(田中葉月・北川美美)》読む
その6(小野裕三・ 西村麒麟・ 田中葉月・ 渕上信子)》読む

■平成俳句帖(毎金曜日更新)  》読む

秋興帖
第六(11/30)北川美美・花尻万博・神谷 波・家登みろく
第七(12/7)飯田冬眞・望月士郎・中村猛虎・下坂速穂・岬光世

■連載

【新連載】寒極光・虜囚の詠~シベリア抑留体験者の俳句を読む~① のどか  》読む

思い出すことなど(3)「詩客」のあたり/北川美美  》読む

麻乃第2句集『るん』を読みたい5
無題/五島高資  》読む

【抜粋】〈「WEP俳句通信」105号〉
朝日俳壇新選者――高山れおな(人物紹介) 筑紫磐井  》読む

大井恒行の日々彼是 随時更新中!  》読む

句集歌集逍遙  竹岡一郎『けものの苗』/佐藤りえ  》読む



■Recent entries

俳句甲子園今昔/筑紫磐井  》読む

山本周五郎と虚子/筑紫磐井  》読む

第5回 詩歌トライアスロン募集について

眠兎第1句集『御意』を読みたい
インデックスページ    》読む

麒麟第2句集『鴨』を読みたい
インデックスページ    》読む
10.『鴨』――その付合的注釈   浅沼 璞  》読む

前衛から見た子規の覚書/筑紫磐井
インデックスページ    》読む

「WEP俳句通信」 抜粋記事  》見てみる

およそ日刊俳句新空間  》読む
…(今までの執筆者)竹岡一郎・青山茂根・今泉礼奈・佐藤りえ・依光陽子・黒岩徳将・仮屋賢一・北川美美・大塚凱・宮﨑莉々香・柳本々々・渡邉美保 …
12月の執筆者 (渡邉美保

俳句新空間を読む  》読む
…(主な執筆者)小野裕三・もてきまり・大塚凱・網野月を・前北かおる・東影喜子





豈61号 発売中!購入は邑書林まで

—筑紫磐井最新編著—
虚子は戦後俳句をどう読んだか
埋もれていた「玉藻」研究座談会
深夜叢書社刊
ISBN 978-4-88032-447-0 ¥2700
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「兜太 TOTA」創刊号
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新連載/寒極光・虜囚の詠~シベリア抑留体験者の俳句を読む~① のどか


 ~寒さに凍えたものほど太陽の暖かさを感じる。人生の悩みをくぐった者ほど生命の尊さを知る。~ウォルター・ホイットマン(1819~1892年/アメリカ)

目次(予定)
第1章 シベリア抑留への歴史と抑留体験者の話
第2章 シベリア抑留俳句を読む
第3章 戦後七〇年を経ての抑留俳句
第4章 満州開拓と引き上げの俳句
第5章 シベリア抑留俳句・満州開拓と引き上げの俳句を読んで


第1章 シベリア抑留への歴史と抑留体験者の話

Ⅰ はじめに

 父がシベリア抑留の体験者であることに、気付いたのは、高校3年生。初恋の先輩の影響で、社会批判に関心を持ち始めた頃だった。先輩は、思春期の若者をターゲットにした民主青年同盟の活動に傾倒し、東京である政党のボランティアをしながら自立を目指していた。
 その頃の私は、その先輩との文通や、ラジオの深夜放送等の影響で生意気な事を言っていた。インターネットメールやライン等ない時代なのである。
 そんな私を見かねて父は、「社会主義の国に憧れているようだが、自由のある国が良いと思うよ。社会主義の国で暮らしたことがあるが、一生懸命働いても働いても搾取されたし、その国の人達も幸せでは無いようにみえた。今の日本では、頑張って働いたら働いた分を自分で手にすることができる。」と話してくれた。
 その話を深く理解することも無く、それきりになり、私は進学して家を離れた。
 社会人に成り、嫁に行き、初めて身籠り、帯祝いに父が来てくれた日の翌日、病院からすぐに来てほしいと呼び出された。
病院に着くと息を引き取ったばかりでまだ温もりの残る父が、ベッドに横たわっていた。享年60歳であった。
 父は、農業と酪農をして生業を立て、家族を養ってくれたがシベリア抑留のことを子どもに話すことは無く、毎日冗談を言って人を笑わせるような明るい人であった。
 もっと長生きしてくれたら、シベリア抑留の話を聞かせてもらうことが出来たかも知れないと思うと心残りである。
 子育てが一段落し、インターネットでシベリア抑留の事を調べ始めたのは、三年前になる。
 現在(平成30年)、戦後73年の時が流れ、大正14年生まれの父も生きていれば、93歳である。当時19歳~20歳で徴兵された若者も齢90歳を迎え、砂時計の砂は落ち切ろうとしている。満蒙開拓青少年義勇軍で満州の開拓民になった方は、もう少し若い。
 シベリア抑留を調べ始めた時に出会った、1冊の抑留俳句選集『シベリア俘虜記』(昭和60年刊行)。小田保氏(海程)が戦後40年目に戦争体験や抑留体験の風化を危惧して、編纂した句文集である。 
 その後の資料収集にて、俳人協会の図書室で、『続シベリア俘虜記』平成元年8月15日刊行)にも出会うことが出来た。
 それに関連する俳句集を集める一方で、シベリア抑留体験者の話を伺うため、新宿にある「平和祈念展示資料館」や「戦場体験放映保存の会」で行われる、語り部の会へ足を運んだ。
 シベリア抑留とは、第2次世界大戦の末期に戦争が終結したにも関わらず、約57万5000人の日本人がシベリアを始めとする、旧ソ連(1922年から1991年まで存在した、マルクスレーニン主義を掲げたソビエト連邦共産党による一党制の社会主義国家)やモンゴルの酷寒の地において、乏しい食料と劣悪な生活環境の中で過酷な強制労働に従事させられたことを言い、寒さと食料の不足などにより約5万5000人が亡くなったとされている(『戦後強制抑留シベリアからの手紙』平和祈念展示資料館作成)。
 抑留中の俳句は、日本語の本や資料が没収されたことや、帰還の際に持っているのが見つかると帰還が遅れるとの心配から焼き捨てられ、俳句を暗記したり、当時の新聞の余白に書き込み紙縒りにし衣類に縫い込み持ち帰ったり、二重袋にしたリュックに隠して持ち帰ったりされた物の他、帰国後に当時を思い出して詠まれたものが殆どである。
 戦後73年を経て、戦争体験者の貴重な体験を次の世代に伝える事が、難しく課題となる中で、小田保氏が残した、『シベリア俘虜記』『続シベリア俘虜記』は、とても貴重な資料であり、その功績は大きい。
 ここでは、シベリア抑留体験者の話と抑留俳句を読むことで、シベリア抑留を追体験し
するとともに、極限状態で俳句は抑留者をどう支えたのかという視点から俳句の持つ力を確かめていきたい。

〈抜粋〉「WEP俳句通信」105 特別寄稿 朝日俳壇新選者――高山れおな(人物紹介)筑紫磐井

朝日俳壇の歴史
  終戦後の朝日俳壇は高浜虚子の単独選が続いたが、虚子の急逝により、1959年4月19日から高浜年尾・星野立子の共選に改まった。ただしこれは、新しい構想の下に新たな選者を委嘱するまでの間という条件付きであった。
 やがて、三選者時代となり、59年5月3日から中村草田男・星野立子・石田波郷(波郷没後は加藤楸邨70年~)の選が始まる。これは、いち早く朝日歌壇において、結城哀草果の没後に始めた三選者方式にならったものであった。
 ついで、全国の投稿を一堂に集めた四選者時代が始まる。70年9月19日から中村草田男・山口誓子・星野立子・加藤楸邨の四氏共選が行われるのである。
 虚子以後の民主的な三選者、四選者時代の系譜をたどってみると、朝日俳壇はまさに俳句史そのものだ。数字は在任した年(西暦)、()内は主宰する雑誌である。結社を持たない選者は、飴山實と高山れおなしかいないから朝日といえども新聞俳壇は結社を念頭においていたことが分かる。

①星野立子(玉藻)59~70→高浜年尾(ホトトギス)72~79→大野林火(浜)80~82→稲畑汀子(ホトトギス)82~
②中村草田男(萬緑)59~83→安住敦(春灯)84~86→金子兜太(海程)86~18→高山れおな18~

③石田波郷(鶴)59~69→加藤楸邨(寒雷)70~93→飴山實93~00→長谷川櫂(古志)00~
④山口誓子(天狼)70~94→川崎展宏(貂)94~06→大串章(百鳥)07~

 この系譜から幾つかのことが分かる。それは、間に多少曖昧な人選も入る(大野、安住)が明確な系譜があることである。一つはホトトギスの系譜(①)であり、もう一つは現代俳句の系譜(②)である。前者は高浜虚子から始まった血縁によるホトトギス王国であり、後者は、社会性俳句や前衛俳句の系譜といってもよいかも知れない。朝日俳壇においては、この対立する原理で人選が行われ、俳壇を啓蒙してきたと言ってよいであろう。この二つの系譜に比べ他の系譜(③④)はそれほどはっきりした傾向はない。

 注目したいのは、現代俳句の系譜であり、中村草田男ー金子兜太ー高山れおなで示そうとする系譜である。もちろんこれを系譜というのは乱暴である。昭和三〇年代、いたるところで、草田男は兜太を批判し、最後は卓袱台返しのようにして現代俳句協会から反兜太派を率いて俳人協会を作ってしまったのだ。にもかかわらず、その行動原理は不思議な程一致し、特に兜太の方は自分の先人として草田男をかかげ、師事した楸邨とは別に俳句の恩人として語っている。そしてこれは、兜太とれおなについても言え、兜太がれおなにそれ程好意を持っていたわけではないだろうが、角川書店の唯一の兜太読本『金子兜太の世界』で兜太が「金子兜太論」を書かせたのは、坪内稔典、筑紫磐井、仁平勝、そして最年少の高山れおなの四人しかいなかった。このメンバーを選んだ兜太は、顔ぶれを見る限り、自分の忠実な弟子・模倣者でなく、批判者によってこそ正しい評価が生まれると考えていたらしい。実際この時の高山の「命なりけり――金子兜太の俳句的行き方」は名品であったと思う。

 余談になるが、かつて私が兜太の前で、自作の

 老人は青年の敵 強き敵 筑紫磐井

の句を披露したら怪訝な顔をされたが、この句の「老人」は草田男でありまた兜太である、「青年」も兜太であり、れおなのような青年である、老人はいつも強すぎて困ったものだと解説したら、大いに気に入ってくれたのである。歴史はいつも繰り返すのである。
 さて、高山れおなが朝日俳壇の新しい選者となったことを不思議に思う人がいるようだが、私はこれに何の不思議も感じていない。いささか妄想めいたところがあるが、私の考えを述べてみよう。朝日俳壇は、戦後、虚子以来の伝統的な俳句の系譜(①)を温存させる一方で、社会性や思想性を常に意識した系譜(②)をつくり出していた。俳句は伝統文芸であると同時に、現代文学でなければならないという意識があった。これは、俳壇の社会学的分析である(歌壇では大野道夫がこれに類した研究を行っている)。もちろん正しいかどうかは分からない。

 従って、朝日俳壇においては、金子兜太の後任は前衛的傾向の作家でなければならなかった。特に現在のアベ政権が続く限りは兜太に匹敵する社会性や前衛性が存在しなければ朝日新聞のアイデンティティが保たれない。その一方で、かつて長谷川櫂が四〇代後半で選者になったように、求められたのは四〇~五〇歳の作家であった。この二つの基準が結びついたときに、高山れおな以外のいかなる人材も選者として存在しないことは多くの人に納得できることであった。四〇代の前衛作家などそうどこにでも転がっているものではないのである。
(以下略)

 ※詳しくは「WEP俳句通信」 105号をお読み下さい。

句集歌集逍遙 竹岡一郎『けものの苗』/佐藤りえ

『けものの苗』は竹岡一郎氏の第三句集。装画および挿画のクリーチャーたちはご息女の手によるものという。これら名も無き正体不明な多彩な生き物たちが、句集全体をふさわしく彩っている。

話を少し脇道へ遣るとして、映画「ブレードランナー」的な、繁栄栄華の後に待っているのは清潔な、完璧に整理・管理された世界ではなく、猥雑で雑多な「ゴミ溜め」のような世界である、という近未来感は二〇世紀的な感覚であり、またモダニズムの徒花としての指向、終末感覚だったと個人的に思っている。
「けものの苗」の世界はそういった混沌に近しくありながら、土俗的な事象も取り込まれ、さらに有機物と無機物の別もなく、生死の境界、彼岸と此岸の境界、神とそれ以外の境界すら曖昧な、全方向での総力戦と呼びたい様相を呈している。

 咒を誦(ず)せば磯巾着の絞まり出す「蛭の履歴」
 洞窟や太き触手の元気な朱夏「無垢といふこと」
 北極を溶かし続くは鯤(こん)の息「無垢といふこと」
 澪照らし合ふや鵜舟とうつほ舟「バチあたり兄さん」
 大蟹が自重に砕けつつ這へる「なべてあの世の僕の梨」


一句目は陰陽師や術者のようなものを思い浮かべればよいのだろうか。文言を唱えられ苦悶するのは磯巾着である。二句目、夏天のもと、洞窟からなにかの触手が溢れんばかりに湧き蠢いている。とても元気なのだという。三句目、「鯤」は古代中国の想像上の大魚。北方の海に生息するとされる、その息が氷河を溶かしている。四句目、「うつほ舟」は丸木をくりぬいて作られた舟のことをいうが、多くは女性が乗せて流された舟として古典に登場するものである。そんな舟と鵜飼いの舟が互いの水脈を手燭で照らし合うという、かなしく、且つコケティッシュな情景だ。五句目、大きさゆえに重力に逆らえず自壊しながら這う蟹。生き物と呼ぶには酷いところを簡潔に書いている。

皆それぞれの暴力性にさらされながら、必死に生きている。必死というほかない描写の連続に目眩が誘われるが、どうにもこれは遠い世界のことを言っているのでもなく、想像に遊んでいるのでもない。アニミズムと締めくくってしまうのは、それも違う気がする。ここでいう「世界全体」には河童、人魚、狐などのあやかしから戦争も兵器も議事堂も、地獄などの他界も平等に含まれ、渾然としているのだろう、というよりほかはない。

 僕なる黝(くろ)い穴へ白鳥矢継ぎ早「極私的十三歳」
 喉に狐火つまらせ今日もまだ人だ


そんな無常の世間において、「僕」はどうやら「黝い穴」や狐の子(「狐わらし」という章がある)など、末端、異端として存在しているものとして自覚されている。掲句二句目など、人でいることの韜晦がにじんでいる。この世の現状はある種「人間至上主義」とも呼べる状態だと筆者は思うのだが、「僕」はそうした驕りからは遠い、どちらかといえば無力な存在として提示されているのが興味深い。

 雷を共に怖がるひと欲しい「ラヴラヴフランケンシュタイン」
 まづ臠(ししむら)つぎに霊(たま)容れ冷蔵庫
 極北に空く冷蔵庫 次の進化


フランケンシュタインを主題とした章から引いた。一句目、つねに怖がられる存在であるフランケンシュタインの、切ない内面が吐露されている。二句目、死体を材料として作られたため、腐敗を忌避するためには冷蔵庫に保管されなければならない。地面の下と冷蔵庫、温度はともかく、より冷えているのはどちらだろうか。三句目はフランケンシュタインが逃亡した「空の冷蔵庫」に続き「次の進化」が提示されている。人造人間がさらに進化したとして、それはどんなものになるだろう。

 殴られすぎて音楽になる雪か「極私的十三歳」

集中から、筆者がもっとも好きな句をひいた。「殴られすぎて」、拳をふるわれる回数が多くて、殴打音がリズミカルだった、というふうに句意を取ることも可能であるが(その場合結句の「雪」が俳句的な「私」の代替物とも読めるが)、「私」が雪に降り込められているさまと読むと、途端に花鳥諷詠となり、実体を排した句として読むと、強固な前衛句として「立つ」ものである。

作者はあとがきを「(前略)その惨たらしさを焼き尽くし、なつかしさを遠く離れ、生き変わり死に変わりを超えて、立ちたい。」と締めくくっている。集中には見事に「立つ」句があらわれている。唯一無二の錬成を繰り広げる作者の立句を、今後も注視していきたい。


 月の裏では王たちを氷責
 長夜の手招き遮断機が上がらない
 夕虹も腕もねぢられるためにあつた
 木耳のはばたく音に囲まるる
 革命は蛸である神はまだ無い
 鮫の背骨が折れてることは言はないで
 天井に包丁吊つて冴えて安心
 すき焼きに戦後の夢が煮詰まりぬ
 吹き飛ばされた四肢べつべつに花へ這ふ
 心臓がとろけて桜しか見えぬ
 舟として地獄に灯る夏布団
 春昼をさまよふロバのパン屋かな



『けものの苗』ふらんす堂/2018年10月刊

「兜太と未来俳句のための研究フォーラム」アルバム


11月17日に開催された「兜太と未来俳句のための研究フォーラム」、当日の写真です。
※壇上全体、会場風景写真を追加しました(12/28)

開会にあたり中村和弘様(現代俳句協会会長)よりご挨拶をいただきました。


中村和弘

第一部・基調講演





井口時男

坂本宮尾

橋本榮治
横澤放川

第二部・兜太俳句と外国語





木村聡雄(司会)


董振華


木内徹


堀田季何

第3部・『新撰21』から9年




筑紫磐井(司会)


高山れおな


関悦史


柳生正名


江田浩司


福田若之


黒田杏子

黒田杏子(雑誌「兜太 TOTA」編集主幹)より、閉会の挨拶がありました

会場風景