2018年12月7日金曜日

思い出すことなど(3)「詩客」のあたり / 北川美美


「詩客」は、2011年4月に創刊された。

現代詩・短歌・俳句(川柳含む)の総合サイトだが、「詩型の垣根は超えられるか」ということを確かスローガンに掲げていた。
※詩客サイト参照(

私自身は「詩客」で<戦後俳句を読む>という18人の筆者として連載が始まるという初々しい気持ちだったのだが筆者の中には被災のために連載継続が実質的に困難になり連載を降りた方もいらした。

現在も当サイトと連携し「詩客」は続いているが、2011年4月創刊の「詩客」約1年の記憶を辿ってみたい。創刊時「詩客」では高山さんの「<日めくり詩歌>俳句篇」が人気を博した。深夜に数回分届く完全な原稿が印象に残る。

人気サイトだった清水哲男さんの「増殖する歳時記」に次ぐ日替わり記事に、誰の句が取り上げられるのかと期待が集まった。右句・左句で勝敗の軍配をあげるのは【歌合せ】の歴史があるが、選句眼を持つ高山さんならではの企画だが、季題や型など各回のテーマは俳句という詩型を考えるに重要なキーになった。2017年刊行の山田耕司さん句集『不純』中に<山田耕司VS山田耕司>というコーナーがあったが、詩客での日めくり詩歌を思い出した。


詩客での俳句作品依頼も高山さんが担当した。時に高橋龍などのネットと無縁の俳句評論の翁のような作品も掲載されバラエティに富んでいた。当初より、筑紫・高山両氏は俳句作品掲載に関しては積極的ではなかったが、どうしても作品は欠かせないという森川氏におされた雰囲気だった。作品は「週刊俳句」という老舗に譲りたいという考えだったようだ。

俳句時評の執筆者の健筆ぶりも印象深い。 外山一機、山田耕司、松本てふ子、湊圭史、中村安伸、冨田拓也、どの筆者も奮闘していただいた。 高山さんの人選だった。時評だけではなくいろいろな筆者がこぞって書いてくださった。「高山さんに依頼されるとどうしてもぎゃふんと言わせたくて頑張るんですよね」とおっしゃっていた方がいらした。論客に論客が集まる。

更に、御中虫さんの評論が人気を博した。そのやりとりについて、筑紫さんがスピカに記録を挙げている。 筑紫さん経由で伝わる御中虫さんの雰囲気は、気遣いのあるとても常識的な方だとういう印象があった。 

詩客はサイト運営とともにシンポジウムを重視する傾向があった。シンポジウムを開くことも譲れないという森川氏の意向があったが、森川氏の構想に無償協力することに、私自身がストレスになりはじめていた。

詩客内にて開始した<戦後俳句を読む>は、今までにない書き手による今までにない戦後俳句、ということが筑紫さんの企画で、当初は本当に18人もいたのだ。私の<三橋敏雄『眞神』を誤読する>もここがはじまりだ。その18人の中で、唯一、計画にそって連載完了されたのは、土肥あき子さんの<稲垣きくの論>だった。
※詩客 土肥あき子 稲垣きくの論 》参照


「詩客」が1年を経過しない間にそれぞれの分野(詩・短歌・俳句)の記事量が多くなり、サイト管理を担っていた詩人のイタヅカマコトさんが抜け、北川ひとりになったことが引き金となり、負担が大きすぎ詩型の越境が恨めくなっていった。実行委員はたくさん集まったが誰もサイト管理を無償でやります、という人はいなかった。

それを機に筑紫さんの提案にて各詩歌の分野別にサイトを立ち上げ、それをひとつにまとめたらどうだろうか、と交渉してくださり、実現したのが、現在のサイトの原型、「BLOG俳句空間―戦後俳句を読むー」という形で2013年1月にスタートした。






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