電線の多きこの町蝶生まる
昨日から今日になる時髪洗ふ
蝶が生れる瞬間も髪を洗っている時間もこの世のあらゆる活動の中ではあっという間にかき消されてしまいそうなものだが、こうしてひそやかに掬い上げられて句となったものを読むと、自分もそんな時間をいとおしく思っていることに気づかされる。
出会ふ度翳を濃くする桜かな
たましひは鳩のかたちや花は葉に
繊細に詠まれているが、研ぎ澄まされてきりきりしているのとは違う、軽やかさがある。
一方こんな句も
家族とも裸族ともなり冷奴
出目金も和金も同じ人が買ふ
爽やかや腹立つ人が隣の座
一句目、家の中ではほとんど裸のような格好でうろうろしていられる関係。二句目、金魚を買う人を傍から見ていて気付いた可笑しさ。三句目、反りの合わない相手と隣席になってしまった時の残念な感じとそれを半分楽しもうとしている肯定感が絶妙。
大胆な切り取りで背景の広がるこれらの句は口誦性も高い。前面に出てこないさっぱりとしたユーモアも魅力だ。
血痕の残るホームや初電車
首塚に向き合ふデスク大西日
穏やかに見える日常の中に死の気配は確かにあるということを乾いた視線で提示されると、そこには可笑しみも漂う。
そんな視線は家族を詠むときにも表れて、
蛇苺血の濃き順に並びをり
夏シャツや背中に父の憑いてくる
「憑いてくる」が背負うさまざまな感情に、読者である私は哀しくも可笑しくて、失礼ながら「クスッ」と笑ってしまう。
家族を詠んだ句の中でもひときわ心に残る句がある。
母留守の家に麦茶を作り置く
取り立てて発見があるわけでもない、どうということもない日常の動作を詠んだ句なのだが、ここには積み重ねてきた家族の時間があり、今を家族とともに生きている生活の確かな手触りがある。
大夕焼ここは私の要らぬ場所
我々が我になる時冬花火
小春日や今がどんどん流れをり
これらの句に、自分の居場所でやるべき仕事をしつつ、更なる広やかな世界を思う人の姿を垣間見る。それは寂しさを伴いつつどこか懐かしいもののような気もするのだ。
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