2023年12月23日土曜日

臨時増刊号:クリスマスを読む

 次回更新 1/12


クリスマスを読む  佐藤りえ 》読む

SNS発:俳句のアドベントカレンダー 佐藤りえ 》読む


■特選記事

【新連載】伝統の風景――林翔を通してみる戦後伝統俳句

 1.伝統について 筑紫磐井 》読む

【連載】大関博美『極限状況を刻む俳句 ソ連抑留者・満州引揚げ者の証言に学ぶ』を読む⑥ 一人の俳句の書き手・読み手として 黒岩徳将 》読む

【渡部有紀子句集『山羊の乳』を読みたい】⑯ 生き物への眼差し 笠原小百合 》読む
インデックス

句集歌集逍遙 岡田由季句集『中くらゐの町』/佐藤りえ 》読む

【豊里友行句集『母よ』を読みたい】② 豊里友行句集『母よ』書評 石原昌光 》読む






筑紫磐井著『女帝たちの万葉集』(角川学芸出版)

新元号「令和」の典拠となった『萬葉集』。その成立に貢献した斉明・持統・元明・元正の4人の女帝、「春山の〈萬〉花の艶と秋山の千〈葉〉の彩を競へ」の天智天皇の詔を受けた額田王等の秘話を満載する、俳人初めての万葉集研究。平成22年刊/2,190円。お求めの際は、筆者までご連絡ください。 

クリスマスを読む  佐藤りえ

 1.歳時記の「クリスマス」を読む

クリスマスは俳句においてどのように受容、詠まれてきたのか。とりあえずうちにある一番古い歳時記「俳諧歳時記」(改造社)冬の部を見る。分類は「宗教」。明治神宮祭宇賀祭出雲大社新嘗祭などと同じ分類になっている。ちなみに神の留守酉の市達磨忌柊挿すも「宗教」の部に入っている。昭和22年発行の本なので、すでに姿を消してしまった祭事もあるのかもしれないが、それにしても見たことも聞いたことも無い祭の名前が盛大に並ぶ。

たとえば「どやどや祭」。大阪四天王寺で1月14日に行われるのだそう。

空つ風に齒を喰ひしばりながら、締込み一貫の壮漢数百名が紅白に分かれスクラムを組んで壮烈な肉弾戦を演じ、六時禮講堂に飾られた午王の護符を奪ひ合うのである。(中略)この護符は穀物の害蟲除けといはれてゐる。(引用一部漢字は新字とした)

この祭りは現在も続いていて、一般的な呼称は「どやどや」になっているらしい。

ほかに「大原雑魚寝」は京都・大原の江文神社で昔あった行事で、古事にならって節分の夜、神社の拝殿に夜参籠通夜したこと、とか。防犯上の事情などもあり、現在は行われていない。

前置きが長くなった。クリスマスの例句は13、解説はその発祥と伝来の解釈、感想、といった趣だ。

(前略)キリストの生地パレスチナの十二月は雨季の最中で、羊が野外にある事はない筈であるから季節違ひであるけれども、五世紀の頃から異教の風習がとけ込んで、此の日をキリスト降誕節として守るやうになつたといふことである。

傍題は降誕祭・クリスマス・トリー・聖樹。引用文の後サンタクロースが聖ニコラウスを「なまり伝えた」と記す。末尾にそれぞれの例句を一句引く。

 雪かかり星かゞやける聖樹かな 青邨


虚子編「新歳時記 増訂版」(三省堂)は昭和26年の改訂とのことで、少し内容が進行(?)している。この集は月別の掲載で分類がない。掲載位置としては人事っぽい。例句は6句、傍題は降誕祭、聖誕節

(前略)クリスマス・ツリーが飾られ、又各百貨店等ではクリスマス贈答品を売り、家庭でも子供達へサンタ・クロースの伝説に因んだ贈物をしたりする。

宗教的な行事から家庭行事、社会行事へじわっと拡大移行しているのが感じられるような記述だ。

 雪道や降誕祭の窓明り 久女


合本俳句歳時記 新版」(角川書店)は昭和49年発行。分類は行事。傍題は降誕祭・聖誕節・聖樹・聖菓。例句は20句と大幅に増えている。三省堂の新歳時記はコンパクトなので勝手が違うとはいえ、この割合増は季語として人気が出ていたことの証左ともいえるのか。

前夜をクリスマス・イブ(または聖夜)といって、子供たちはサンタ・クロースの贈物を入れる靴下を、ベッドの脚につるして寝る。(中略)贈りものやクリスマス・カードの贈答、家庭ではクリスマス・ツリーを飾る。これを聖樹という。(中略)異教徒の日本人も、大騒ぎをし、デパートや商店、カフェ、キャバレーなども聖樹を飾る。

プレゼントを入れる靴下についての記述が見える。「大騒ぎ」の語句によってワイワイやることが普通なのだ、と実感される。クリスマスイブのことが特に解説されているのも特徴的だ。ツリーが装飾として本格的に商業化し、どこに飾ってあっても違和感がなくなりだしたのもこの頃だろうか。

 美容室せまくてクリスマスツリー 下田実花


カラー図説 日本大歳時記」(講談社)は昭和56年発行。分類は行事で、仲冬とされている。傍題はキリスト降誕祭・降誕祭・聖誕祭・聖樹・クリスマスイヴ・聖夜・聖夜劇・クリスマスカード・クリスマスキャロル・聖菓・御降誕節。例句は41。大歳時記なのでさすがに多い。

(前略)季語も定着しつつあるように、信者で無い人達の間にもその習慣は一般的となり、子供達にとっては、プレゼントを貰える日、クリスマスケーキが食べられる日と化してしまった感じがある。

この解説ではさらに出島ではオランダ冬至と呼ばれていた、などの記述もある。別個に聖胎節・待降節・聖ザビエルの日・聖ヨハネの日なども立項されている点も大歳時記ならでは。(ただし「御降誕節は、十二月二十五日から二月二日までの四十日間をいう」は四旬節のことではあるまいか。この時期を降誕節と呼ぶのだろうか。)

 聖夜餐スープ平らに運び来し 山口誓子


角川春樹編 現代俳句歳時記」(ハルキ文庫)は平成9年発行。宗教の分類がありそこに含まれる。傍題は降誕祭・聖誕節・聖夜・聖樹・聖歌・聖菓・クリスマス・イブ。例句は44(!)。この歳時記は例句の数に非常に偏りがあり、多いものは1ページ以上に及ぶのだが、クリスマスは「雪」の50句についで2番目ぐらいに多い(例句の数の基準がよくわからない。雑炊、猪鍋が18もあるのは何故なのか、等々)。

(前略)今日では聖樹を飾り、ケーキを食べ、子供たちに人気のサンタクロースが登場し、プレゼントを交換する歓楽的風習が一般化した。

分類上は宗教だが、もはや「たのしい行事」として一般化した、ということがはっきり記されている。プレゼント交換は子供のクリスマス会などのことを指すのだろうけど、筆者も大人になってからやったことがある。もうサンタから靴下に入れられていなくても、その日に渡し渡されるのがクリスマスプレゼントなのだ、という同意があると見なされている。

 雪を来し靴と踊りぬクリスマス 山口波津女


ほんの5冊の歳時記を比較しただけとはいえ、解説が由来・意味合いから社会的動向・行動のディテールへと変化しているのが明らかであった。宗教行事であることは押さえつつ、一般には宴を催す契機として扱われ、俳句で詠まれる内容、情景も大勢は後者である。傍題の数がわりあい短期間に増加しているのは、付帯した名詞・別称が加えられているからで、新季語についてまわる議論に反して、この鷹揚さは実は特殊なことなのではないか、と感じた。


2.クリスマスの佳句を読む

 クリスマス妻のかなしみいつしか持ち 桂信子

複数の歳時記で例句として採用されている。クリスマスを飲んで帰らぬ夫を待つ妻の句か、と読むとザ・昭和な句に見えてしまう。句集「月光」収録の、戦前、思いがけず早くに夫を亡くす以前に書かれた句であることを知ると、この句の「妻のかなしみ」は平均的な詠嘆を表層的にすくったものではない、ごく短い幸せに含まれていたのかもしれないことが思われ、ツーンとなる。句意は変わらず、待ちぼうけ、あるいは忙殺され、楽しんでる余裕なんざない、ということであるけれど、その「かなしみ」は甘味の中に1%含まれた塩味だったのかもしれない。


 おでん喰ふ聖樹に遠き檻の中 角川春樹

作者にしか書けない句。来歴は調べてみればすぐにわかると思うので割愛する。「檻の中」が誇張やなにかの喩ではないことがはっきり活きていて、「おでん」「聖樹」の季重なりをうっかり見過ごしてしまいそうになる。


 へろへろとワンタンすするクリスマス 秋元不死男

筆者は自句に「ひとりだけ餅食べてゐるクリスマス」というのを以前作ったが、こちらはワンタンをすすっている。「へろへろ」はワンタンの質感にもかかっているが、酔漢となった作者のさまかもしれず、ますます好感が感ぜられる。作者には他に「飛ぶさまで止る聖夜の赤木馬」という句もある。こちらはメリーゴーランドの木馬か、オーナメントを見たのだろうか。「不死男の句は漢方薬の入った飴のような味わいがある」とは中井英夫の言である、まったく同意する。


 チルチルもミチルも帰れクリスマス 竹久夢二

メーテルリンクの童話劇「青い鳥」の主人公、チルチルとミチルに「帰れ」と告げている。クリスマスだから家に帰りなさい、と言っているように読めるのだが、「どこ」から家に帰るのか。

初見の頃、チルチルとミチルが夢の中で出会った老婆に頼まれて巡る国々の途上で、もういいから、お家へ帰りなさい、と諭しているのだろうかと思った。今は、話の続き、ふたりが夢から覚めた後、お隣の病気の娘に青い鳥を与える場面なのではないかと思っている。

その理由は、この句が、夢二が結核を患い、富士見高原療養所に入院した時期に書かれたものだから。作者晩年の一句である。

夢から覚めた兄妹は世界が幸せに見えて、お隣の娘にもその幸せを分け与えよう、と鳥を連れて訪ねていった。夢二は自分のもとに現れた幻の兄妹に「帰れ」と言っているのではないか。夢想的に過ぎる読み方かもしれないが、この切ない後味が残る句に境涯を見ることは、いけないことではないと思う。


 いくたびも刃が通る聖菓の中心 津田清子

クリスマスケーキを切り分けている景か。丸いケーキを切るには、中心をはずれぬよう、対角線状に何度もナイフを入れる。そのいたましさにふと気づいてしまった。「いたましさ」と書くとちょっと仰々しい。もっとドライに、あるいは酷に景を切り取っている、句そのものも句材をスパッと切っているのか。


 天に星地に反吐クリスマス前夜 西島麦南

クリスマスだから、という理由を得る以前に、年末は忘年会の類いがある。酔っ払いは12月24日以前も以後もあらわれる。ゆえにこの句の「反吐」は直接クリスマスとは関係ないのかもしれぬ。クリスマス・イブの深更、冬晴れの星空を眺めつつ、足元にも気をつけて歩かないとね…という、なんだか身に覚えのある景だ。対句の小気味よいリズムと句跨がりのせいか、今しも大書してそのへんに貼っておきたい一句である。


2023年12月8日金曜日

第216号

            次回更新 12/22


SNS発:俳句のアドベントカレンダー 佐藤りえ 》読む

豈66号発行! 》読む

■令和俳句帖(毎金曜日更新) 》読む

令和五年夏興帖
第一(10/13)仲寒蟬・辻村麻乃・仙田洋子
第二(10/21)坂間恒子・杉山久子
第三(10/27)竹岡一郎・木村オサム・ふけとしこ・山本敏倖
第四(11/3)岸本尚毅・小林かんな・瀬戸優理子
第五(11/10)神谷波・松下カロ・加藤知子
第六(11/17)小沢麻結・浅沼 璞・望月士郎・曾根 毅
第七(12/8)冨岡和秀・花尻万博・青木百舌鳥

■ 俳句評論講座  》目次を読む

■ 第40回皐月句会(8月)[速報] 》読む

■大井恒行の日々彼是 随時更新中!※URL変更 》読む

俳句新空間第18号 発行※NEW!

■連載

【抜粋】〈俳句四季10月号〉俳壇観測249 前衛の軌跡と終焉——澤好摩と岸本マチ子(後編)

筑紫磐井 》読む

【新連載】伝統の風景――林翔を通してみる戦後伝統俳句
 1.伝統について 筑紫磐井 》読む

【連載】大関博美『極限状況を刻む俳句 ソ連抑留者・満州引揚げ者の証言に学ぶ』を読む⑥ 一人の俳句の書き手・読み手として 黒岩徳将 》読む

【渡部有紀子句集『山羊の乳』を読みたい】⑯ 生き物への眼差し 笠原小百合 》読む
インデックス

【連載通信】ほたる通信 Ⅲ(40) ふけとしこ 》読む

英国Haiku便り[in Japan](41) 小野裕三 》読む

句集歌集逍遙 岡田由季句集『中くらゐの町』/佐藤りえ 》読む

【豊里友行句集『母よ』を読みたい】② 豊里友行句集『母よ』書評 石原昌光 》読む

北川美美俳句全集32 》読む

澤田和弥論集成(第16回) 》読む


■Recent entries

中村猛虎第一句集『紅の挽歌』を読みたい インデックス

篠崎央子第一句集『火の貌』を読みたい インデックス

中西夕紀第四句集『くれなゐ』を読みたい インデックス

渡邊美保第一句集『櫛買ひに』を読みたい インデックス

なつはづき第一句集『ぴったりの箱』を読みたい インデックス

ふけとしこ第5句集『眠たい羊』を読みたい インデックス

加藤知子第三句集『たかざれき』を読みたい

眞矢ひろみ第一句集『箱庭の夜』を読みたい インデックス

葉月第一句集『子音』を読みたい インデックス

佐藤りえ句集『景色』を読みたい インデックス

眠兎第1句集『御意』を読みたい インデックス

麒麟第2句集『鴨』を読みたい インデックス

麻乃第二句集『るん』を読みたい インデックス

前衛から見た子規の覚書/筑紫磐井 インデックス

寒極光・虜囚の詠~シベリア抑留体験者の俳句を読む~㉜ のどか 》読む

およそ日刊俳句新空間 》読む
…(今までの執筆者)竹岡一郎・青山茂根・今泉礼奈・佐藤りえ・依光陽子・黒岩徳将・仮屋賢一・北川美美・大塚凱・宮﨑莉々香・柳本々々・渡邉美保 …
10月の執筆者(渡邉美保)

俳句新空間を読む 》読む
…(主な執筆者)小野裕三・もてきまり・大塚凱・網野月を・前北かおる・東影喜子




筑紫磐井著『女帝たちの万葉集』(角川学芸出版)

新元号「令和」の典拠となった『萬葉集』。その成立に貢献した斉明・持統・元明・元正の4人の女帝、「春山の〈萬〉花の艶と秋山の千〈葉〉の彩を競へ」の天智天皇の詔を受けた額田王等の秘話を満載する、俳人初めての万葉集研究。平成22年刊/2,190円。お求めの際は、筆者までご連絡ください。 

【抜粋】〈俳句四季10月号〉俳壇観測249 前衛の軌跡と終焉——澤好摩と岸本マチ子(後編) 筑紫磐井

(前略)

岸本マチ子と沖縄

 澤氏に引き続くように、沖縄の俳人岸本マチ子が7月29日亡くなった。88歳であった。「形象」「天籟通信」「海程」「頂点」「豈」に所属し、「WA」を創刊した。句集に『一角獣』『残波岬』『ジャックナイフ』『うりずん』『縄文地帯』『曼殊沙華』『通りゃんせ』『鶏頭』があり現代俳句協会賞を受賞している。

 しかし岸本氏は普通の俳人と違った怒涛のような生涯を送っている。もともと群馬県伊勢崎市の織元の娘として生まれたが、親の希望で7歳まで男の子として育てられたという。戦中は伊勢崎の空襲で被災、玉音放送も聞いたという。戦後、中央大学に入学し、フェンシングで関東学生選手権に優勝、文武両道の人だった。卒業を控え、沖縄出身の同級生と結婚、学割(!)で沖縄に渡航するが軍政時代から民政府時代の混乱に遭遇。後に琉球放送に入社、退職後フリーのアナウンサーと同時に雑貨卸業を続ける。この間ベトナム戦争、コザ騒動、沖縄日本復帰を経験。『与那国幻歌』『コザ 中の町ブルース』をはじめ多くの詩集を出し、山之口獏賞、小熊秀雄賞、地球賞等を受賞。評伝『海の旅――篠原鳳作の遠景』『吉岡禅寺洞の軌跡』があり、また晩年は沖縄県現代俳句協会編『沖縄歳時記』を中心となって刊行した。生涯沖縄にこだわり続けた作家であった。

 岸本氏の詩の代表作「サシバ」(サシバは春から日本に渡来する鷹の一種で長距離に亘る移動を行う。絶滅危惧種となっている)の中で書いている「あざやかに生きることも/あざやかな女になることもやめた女は/今胸の中に一羽のサシバを飼っている」は岸本マチ子そのものを描いているような気がする。


鞭のごと女しなえり春の雷  『一角獣』

尾をたらす首里正殿の夏木霊 『うりずん』

渺々と大鷲が飛ぶ雲がとぶ  『縄文地帯』

曼殊沙華ふところに咲くテロの街 『曼殊沙華』

かつて色町とくにかげろうひじり橋 『通りゃんせ』

白萩ゆれ夢の中までどどどと兵 『鶏頭』


新連載・伝統の風景――林翔を通してみる戦後伝統俳句 1.伝統について  筑紫磐井

 平成21年(2009年)に亡くなった林翔の全句集が11月に刊行された。林翔は、能村登四郎、藤田湘子と並んで馬酔木の戦後の三羽ガラスと呼ばれた作家であり、特に盟友登四郎が主宰する「沖」の創刊に当たり、水原秋櫻子からの要請で編集長を勤めた人である。この初期の「沖」は伝統派の中では積極的に発言する雑誌として注目を浴びたが、その中心を担ったのが林翔であった。先日、出版を語る会でご息女の吉川朝子氏から林翔全作品使用のご了解をいただいたので、「伝統の風景――林翔を通してみる戦後伝統俳句」を始めてみることとしたい。

 今回連載を始める理由は、抽象的な俳句史がふえてきており、その根拠となるディテールとそれを結ぶ理論の検証がややおろそかになっているように感じるからだ。例えば、伝統と言えば、有季定型、反前衛と条件反射的に語られるようだが、そう単純に行くものではない。人によっても時期によっても大きなブレがあるはずである。それを包摂して、理論を考えるべきであろう。そうした考察に比較的林翔は向いているように思うのである。

    *

 今般『林翔全句集』の編集にかかわったが、その過程で多くの資料を渉猟し、林翔の評論、随筆及びその編集に伝統俳句の戦後問題が凝縮している感じを受けた。もちろん、戦後の代表的伝統俳句作家として、飯田龍太、森澄雄がいるのだが、彼らの俳句に対する発言は分かりやすいとは言えない。「俳句は無名がいい」「一瞬に永遠を言いとめる大きな遊び」等は有名であるが、だからと言って龍太、澄雄の作句の主張がすべて分かるものではない。社会性俳句に於ける兜太、欣一の主張「俳句は態度」「社会主義的イデオロギー」、前衛俳句における造型俳句論はこれを読むだけで彼らの作品はおぼろげながら浮かび上がる。しかし伝統俳句についてはこうした主張がよくわからないのだ。

 前衛俳句からの伝統批判はいくらでも見ることができるが、伝統俳句からの自らのアリバイ証明が見えてこないから信仰の表白のようになってしまうのだ。しかし、能村登四郎や林翔はかなりはっきり伝統の論拠を述べている。追ってこれらを見てゆきたいが、その前に林翔のこんな発言を見ておきたい。


 今井豊が40年も前に発行していた雑誌に「獏」がある。短詩型文学機関誌と銘打った雑誌で、多くの若手が作品を発表していた。第33号(1984年4月号)にこんな記事が載っている。「全国俳人50氏へのアンケート」(第8号からの復刻。時期不明だが5年程前か)。


問。あなたが作句されるときに季語はどう扱われますか。

問。将来の俳句に於いて季語はどういう位置を占めると思いますか。

問。無季俳句を認めませんか。またその理由。


林翔はこんな回答を寄せている。

➀季語は必ず入れている(歳時記にない語でも季感があれば使うことがある)。

➁現在と変わりはないと思う。

③認める(季語はあった方がよいが、絶対なものではない)


 伝統派と目される長谷川双魚、阿波野青畝、岡田日郎、森田峠、岸田稚魚が③について、「認めない」と答えている中で、林翔はかなり踏み込んでいる。伝統派に属すると言っても、理論的で、立場に固執しないのが林翔の特色であった。

      *

 こんな林翔が、「沖」の編集長として行った最初の企画が「シリーズ伝統俳句研究」である。毎号、部外執筆者等に伝統俳句の考察を行わせている。例を挙げて見よう。伝統、前衛にこだわらず執筆者を選んでおり、なかなか豪華な顔ぶれである。


【シリーズ伝統俳句研究】

伝統俳句の悪路 能村登四郎(46年2月)

伝統と私 飯島晴子(46年6月)

若年と晩年――蛇笏俳句に於ける伝統の一方向 福田甲子雄(46年7月)

伝統的視点の再検討 川崎三郎(46年8月)

新しきもの、伝統 林翔(46年9月)

伝統俳句の新しい行き方 有働亨(46年10月)

現代俳句に於ける伝統の変革 岡田日郎(46年11月)

伝統俳句と女流俳人 柴田白葉女(46年12月)


 当時総合誌も盛んに伝統特集を行っていた。一種の伝統ルネッサンスの時代であったと言えるかもしれない。これらと伍し、またはさきがけ、前衛に負けない伝統を生み出そうとしていたようにも見える。


➀伝統と前衛・交点を探る(座談会)俳句研究 45年3月~4月

➁俳句の伝統(特集)俳句研究 46年5月

③俳句の伝統と現代(特集)俳句研究 46年8月

④伝統俳句の系譜(特集)俳句研究 47年7月

⑤伝統と前衛――同じ世代の側から(座談会)俳句48年1月

⑥現代俳句の問題点――俳句伝統の終末・物と言葉など 俳句研究 50年4月


 まさにこれらと競い合うように沖における伝統研究が行われていたのである(沖では、これに続き「シリーズ現代俳句の諸問題」「心象風景」「イメージ研究」が行われたが、いずれも「伝統俳句研究」の延長にあるテーマであった)。

       *

 実を言えば林翔はかなり早くから伝統論を展開していたのである。世の中が伝統で騒ぎ始めるずっと前に伝統論を執筆している。前衛俳句が猖獗を極め、伝統俳句がすっかり意気消沈している時代の伝統論である。


〇硬質の抒情――伝統俳句の道 南風 36年1月

〇伝統の克服 南風 37年5月

〇伝統俳句の道 南風 43年3月


 我々は単純に伝統、――あるいは前衛に対する伝統を語ってしまっているが、林翔を手掛かりに腰を据えた伝統を考える必要があるのではないか。


(第1回なので意気込んで少し重苦しいテーマを選んでしまった。今後の連載に当たっては、もう少し軽やかな林翔の発言も取り上げることができると思う。)

林翔全句集(コールサック社)

【連載】大関博美『極限状況を刻む俳句 ソ連抑留者・満州引揚げ者の証言に学ぶ』を読む⑥ 一人の俳句の書き手・読み手として 黒岩徳将

 大関博美『極限状況を刻む 俳句 ソ連抑留者・満州引揚者の証言に学ぶ』(以下『極限状況を刻む俳句』)はシベリア抑留の過酷な体験を生き延びた父がいたという個人的な背景を起点として執筆された。大関は「僭越なことだが、抑留者の父を持った子どもの使命として、父を含めた抑留者たちの語り得ぬ言葉を掘り起こし、少しでもソ連(シベリア)抑留者たちの実相とその思いを後世に伝えていきたい」と希望し、現代日本社会全体の問題として提起している。大関の父は「これといった表現手段を持たな」かったとある。積極的に語ろうとしなかった父の体験を間接的にでも理解しようとする目的も含めて、平和記念資料館にて父の足跡を資料から知り、抑留体験者の話を聞き、資料収集によりシベリア抑留・満州引き上げという歴史的事件の詳細を掘り下げて理解しようとしている。大関は「みな違う抑留体験があり、戦後の生き方も様々」であることを理解しつつ、抑留体験を伝える作品のうち、俳句を中心にとりあげて「ソ連(シベリア)体験や満州引き上げを体験した方々の、過酷な境遇を生き延びた思いを刻んだ俳句を読むことにより、作者たちの内面世界を理解し」ようと作品解釈・鑑賞している。第三章「ソ連(シベリア)抑留俳句を読む」では、大関自身が俳句経験者であるという特性が活かされ、抑留者の俳句の読解と作品の背景を掛け合わせて記した文章が、読者の一句の理解を促進する効果を成し得ていると考えた。


占守に戦車死闘すとのみ濃霧濃霧 小田保(『続シベリア俘虜記』)

 たとえば小田のこの句について、『シベリア俘虜記』に小田が記した随筆が抜粋して追加されている(戦記についての出典は定かではないと大関註あり)。占守島に上陸開始したソ連軍の止まない進撃に苦戦し、濃霧のために主力部隊の来援が遅れる事態があったことが付記されることで「濃霧濃霧」の繰り返しの切迫感の意義が強調されるように思われる。


死にし友の虱がわれを責むるかな 黒谷星音

 大関評に「抑留一年目の冬、作業大隊五〇〇名のうちの半数が亡くなり二〇〇名余となり、残った者は絶望の日々を送った」とある。労働苦を背負った死者から、寄生していた虱が離れる映像的おぞましさが「責むる」の壮絶さを強調する。


 俳人が句会にて選をするとき、一句だけを読むことで読者に景・状況・作者の感情などの情報がわかりやすく伝達されるかどうかを評価軸の尺度におくことは一般に多いだろう。作者の名が付され、シベリア抑留者であることを前提にして上記の句に向き合う時の読み解きとは、読者側のスタンスを句会と変えなくてはならないのではという問いが頭にちらつく。また、違う観点から捉えると、俳人が一句を読むときに、景・状況・作者の状況を「読めない」と感じることにより付帯する情報を取得し、時代や事件の背景をより深く知ろうとすることができるということを多くの句から感じられた。それほどに戦争を生の体験として持つ先輩世代と筆者との距離は遠い。遠いからこそ、本書序章にて記されている、旧満州で生まれ、句文集を出版した『遠きふるさと』の著者天川悦子氏が大関氏に「世代の違う貴方が、私たちの体験した戦争をどのように思うのか、楽しみ。思い切りやってみなさい」と言ったエピソードは、本書の戦争非「体験」読者にとっても他人事ではないということを痛感する。体験し得ないからこそ情報を得にいくことの重みを大関氏に教えていただいた。

 終盤の「全章のまとめとして」には、俳句や句座が当時、そしてその後の俳句作者の人生にどのように影響したか、その「働き」について大関が仮説立てし、シベリア抑留・満州引き上げの検証を、現代社会問題である阪神淡路大震災・東日本大震災・ウクライナ侵攻に敷衍している。「働き」といっても合理主義に基づいたものではなく、抑留者の中には命や尊厳を繋いでいくために俳句が手綱になった人がいたことを噛み締め、俳人生活と社会生活を捉え直したい。また、本書にも紹介されている抑留者が選択した他ジャンルの表現形式と比較して「なぜ俳句なのか」「俳句だからこそできることは何か」を問い続けることも一俳句作者としては必要なことのように思う。

 本書記載の直接的な内容からは外れてしまうのだが、本書を読み、筆者は自身の師系の流れに位置付けられるシベリア抑留経験者の俳句について読み直すべきだと考えた。昭和32年に「寒雷」入会、昭和50年に「椎」を創刊している原田喬は昭和20年に応召、終戦と共にソ連捕虜となり、23年にシベリアより帰還。第一句集『落葉松』に次の句がある。


シベリアにて二句

凍死体運ぶ力もなくなりぬ

雀烏われらみな生き解氷期

 死体を運び続けてきたからこそその力の失せ具合にやるせなさでは済まされない苦々しさがある。


固く封じてレーニン全集曝書せず

 本は自宅にあるが開く対象にはできないことに並並ならぬ苦しさを感じる。


次の句は喬の「これからの私の俳句」というエッセイに収録されている。


生くるは飢うることあかあかとペチカ燃ゆ(昭二一)

 私はその頃シベリアに抑留されていた。それは満三年間だった。紙も鉛筆もなかった。私はただつぶやいては自分に言ってきかせた。私の抒情の甘さは今日に至るまで私の本質であることを変えていないが、この句はその原型であると思う。飢えて死ぬというきびしさをまともに追求せず、飢えている自分を傍観している放心状態を、ペチカという言葉が持つ異国情緒の中で歌っている。これは歌うは訴うという本来の力を持ってはいない。(「寒雷」1973.9)


 喬は、シベリア抑留体験が俳句になるときに作者が何を求めたか、そして俳句を結晶化させるときに作者として何を求めるのか、何に格闘しているのか上記文章からうかがえる。自句自解は句の持つ力を作者自身が信じられていないから行うのはよろしくないという意見があると思う。ただ、このエッセイは、散文で述懐するしか、自身の中でけりをつけることはできなかったのかもしれない喬の心中を思った。何より抑留体験を材にした自句を叩くというストイックさに、喬が体験を自己の俳句に昇華させるためにもがいていたことがわかる。「沖縄タイムス」(2023,9,5)の『極限状況を刻む俳句』書評では「俘虜死んで置いた眼鏡に故国(くに)凍る 小田保」「棒のごとき屍なりし凍土盛る 黒谷星音」を引用し、「死や凍結が文芸としての比喩ではなく、現実の風景だった」ことを指摘している。これは現代俳句でも重要な論点だと筆者は考える。2023,10,18に現代俳句協会事業部が公開しているYouTube動画「いまさら俳句第四回 「前衛俳句の手法は現代でも有効か?」」において、後藤章は川名大に現代と切り結ぶときの手段としての暗喩の可能性を問うている。川名は「喩えるものと喩えられるものが完全にイコールになってしまうと喩えられるものが広がっていかない」「一句全体でもってメタファーになっていないと効果が出ない」と断じ、金子兜太の句の好作として「我が湖あり日陰真暗な虎があり」を挙げ、心の中の思いとか性情を表している」「精神的な世界の中で虎が潜んでいる」と、比喩の対象を御し難い存在として捉えると広がりがある」述べている。川名の捉え方で考えると「死や凍結が文芸としての比喩ではなく、現実の風景だった」として作られた句は文芸的価値に乏しいとみるのだろうか。また、喬の言う「歌うは訴う」は川名が価値を置く暗喩の力と重なり合う部分があるのかどうかということも筆者は即時判断できない。

 「寒雷」1999.9の原田喬追悼特集にて九鬼あきゑが遺句五十句を抄出しており、次の句が最後に記されている。


流氷やわが音楽はその中より 喬(『長流』にもあり)


 大須賀花は同号にて「この流氷は厳寒のシベリア抑留時代のものと想像するが、先生の胸にはいつも流氷があり続けたのではないかと思う。」と鑑賞している。原田氏から直接話を聞いたことのない筆者としては、この「流氷」の一語をもって原田喬の句業をシベリア時代のイメージを被せて飲み込むことに躊躇いを覚える。「音楽」を創作表現の比喩として捉えるとき、ここに俳句作者の込めた思いと読者の解釈鑑賞に齟齬が生まれる可能性があり、その齟齬を齟齬のまま飲み込んだときに何が生まれるのかということに注意はしながら味読するべきかと思う。


【渡部有紀子句集『山羊の乳』を読みたい】⑯ 生き物への眼差し 笠原小百合

  渡部有紀子さんが第一句集『山羊の乳』を上梓された。

 有紀子さんとは俳人協会の若手句会、若手部の各句会(名称は似ているが全くの別句会である)でご一緒しており、その並外れた観察眼と鑑賞力にいつも感服しきっている。

 有紀子さんのその強い眼差しに、俳句の道を進む者の意志を感じていた。

 その眼差しは『山羊の乳』にも如実に表れているように思う。


朝焼や桶の底打つ山羊の乳

子と歩む名月見ゆるところまで


 一句目。力強い写生句である。「朝焼」の眩さ、神々しさの中、「桶の底」を弾けんとばかりに強く打つ「山羊の乳」を搾る手にも自然と力がこもる。まるで神聖なる儀式のようなワンシーンだ。写生に徹底することの底力を見せてくれる一句である。

 二句目。慈しみに満ちあふれた句である。何より先に湧き出る子を愛しむ気持を上五に置くという句の作りが秀逸だ。それも「名月」を求めてのことであれば、尚更愛しさは増す。十五夜に願いをこめて、お子さんとの大切な時間を切り取られている。


 筆者が興味を抱いたのは、俳人・渡部有紀子の詠む生き物の句だった。

 筆者自身が生き物、動物への思いを大切にしていることもあり、他の俳人の詠みぶりがどうしても気になってしまう。

 以下、「山羊の乳」より生き物を詠んだ4句を取り上げ、鑑賞していきたい。


つばめつばめ駅舎に海の色曳いて


 駅舎にすっと一瞬、つばめが通り過ぎる。その軌跡が「海の色曳いて」いたように見えたという句。つばめのちょっと澄ましたような表情が浮かぶ。

 海よりやって来たつばめが海の色を一緒に連れてきたという把握に相応しいのは、海の近くの駅舎か、遠く離れた駅舎か。けれどきっとそんなことは些末な問題でしかない。作者に馴染み深い鎌倉方面の駅とも読めるし、大都会の東京駅として読んでもまた味わい深い。読み手側によって世界の広がり方の変化する楽しさに「つばめつばめ」のリフレインも加わり、海の明るさに包まれる心地になる。


水鳥の身動ぎもせず弥撒の朝


 一句を貫く厳かな空気は、ひんやりとした朝の気配を思わせる。「身動ぎもせず」という措辞は何を示しているのか。写生だけでは収まりきらない感情がそこには見えるように思う。静寂にも様々な種類があり、掲句は厳粛で美しい静寂の景を描いているのだと感じた。「弥撒」という一語により、静寂がより引き立つ。


移されて金魚吐きたる泡一つ


 よくご覧になられているなと、うっとりとした溜息の漏れた句である。上五「移されて」が特に巧みで、省略が効いている。金魚がぽっと泡を一つ吐いただけで、こんなに豊かな気持になれる表現が出来る人がいるということに驚いた。金魚のその存在の優雅さも伝わってくる。凛と気高い、孤高すら感じる金魚は、一体何を思っているのだろう。


宮古馬高く嘶き稲光


 「宮古馬」は宮古島に生息している野生の馬のこと。「嘶き」「稲光」の韻の重厚感は、読み手にその土地への思いを馳せる手助けをしてくれる。宮古馬が高く嘶いて、それがきっかけとなり稲光が起こったように読めるが、そこに因果関係はない。たまたま高く嘶いたときに、稲光が見えたのだ。まるで俳句の神様からの天啓のような句だと感じた。

 以上の句を読んでいく中で、有紀子さんは生き物という対象を非常に客観的に捉えていると感じた。生き物との一線を越えない。それは生き物への敬意の表れ。むやみに近寄ろうとしない。生き物たちの領域へ勝手に侵入しない。ずかずかとつい乗り込んでしまう筆者にとって大いなる学びとなった。有紀子さんの他者を思いやる姿勢は、動物相手でも人間相手でも変わらない。



【執筆者プロフィール】
笠原小百合(かさはらさゆり)
1984年生まれ。栃木県出身。埼玉県在住。
2017年作句開始、田俳句会入会。水田光雄主宰に師事。2023年、第9回田賞受賞。俳人協会会員。


SNS発:俳句のアドベントカレンダー  佐藤りえ

  SNS「X(旧:Twitter)」上で「俳句のアドベントカレンダー」企画が進行中である。

企画といっても、何らかの団体、グループが運営したり、募集をしているわけではない。「X」をプラットフォームとして、そこにアカウントを持つもの同士が共通のハッシュタグ #俳句アドベントカレンダー を共有して書き込みをする、自主的なイベントである。

アドベントカレンダーとは、本来は待降節の期間、一日ひとつずつ窓を開けていくカレンダーのことを指す。窓の中には写真、イラスト、詩の一節などが印字されている。紙に印刷された窓を切り開くタイプのものから、近年では引き出し型、ツリー型などさまざまな形態のものがあり、中にお菓子やおもちゃを入れて取り出す、娯楽として用いられることも多い。


インターネット上でのアドベントカレンダー企画は2010年代ごろより各種行われているようだが、「俳句」と銘打ったものが登場したのは近年のことのようだ。

調べた範囲で最も古いものは2017年、プロジェクト管理ツール「Backlog」内のアドベントカレンダー企画で「Backlogあるある俳句」が株式会社テンタス・小泉智洋によって発表された。


 プロジェクト名前が似てきてよくわからん/小泉智洋

 重複課題お互いリンクだどっち元?

など、どちらかといえば川柳的なあるあるネタが披露された。

2018年にはウェブサイト「note」のアドベントカレンダー企画内で内橋可奈子による「クリスマスについてスケッチを」が書かれた。これはクリスマスについての日常エッセイに俳句が織り込まれたものである。


 おはなしのひとになりたいクリスマス/内橋可奈子

 クリスマス剥がせよ膜のようなもの

などの作品が見える。


上記2点は企画内の一角に俳句が含まれているものだが、現在「X」上で行われている 俳句アドベントカレンダー は一人が12月1日から25日まで、1日1句を投稿し続ける「ひとりアドベントカレンダー」興行である。

こちらは2020年12月2日の箱森裕美のこのつぶやきに端を発している。



 ひとつひとつ磨いて起こす聖樹の実/箱森裕美

西川火尖、柊月子らが参加、2020年のカレンダーは数人規模でおひらきとなった。



翌年2021年は写真、イラストなどを添える者も現れ、参加者は増加。年号つきの #俳句のアドベントカレンダー2021 ハッシュタグも登場した。岡村知昭・松本てふこ・ばんかおりらも参加、1日から25日まで「完走」したものは1枚画像にまとめて公開する流れもできてきた。



かくいう筆者も2022年に参戦、毎日イラストレーションを添えて投稿、折句で頭文字を並べると短歌になる、ということをやりました。



「X」は無料登録ユーザーはひとつの書き込みに対して140文字の字数制限がある。ひとつの記事・コメントが短いことからか、アドベントカレンダーに限らず俳句・短歌をつぶやく者がもともと数多く存在する。

アドベントカレンダー企画はそうしたプラットフォームの性格を活用、時節に沿ったお祭り感のある催しとなっている。

「降誕節」「クリスマス」は冬の季語ゆえ、それを詠み込めば即冬の句となる、という目に見えてはっきりした題詠ともいえる。もっともアドベント内は冬の事物を詠み込んだ句が多い。クリスマスしばりで作句をするものではなく、毎日コツコツ詠み続けることがこの催しの真骨頂といえるだろう。

SNSはかつての掲示板や2ちゃん(現:5ch)に比べ「場を共有している」実感が掴みにくい場でもある。ハッシュタグを共有することで連帯を示す、参加意志を表明することはできるが、どのぐらいの人が同時に参加しているか、自分の書いたものをどのぐらいの人が見ているか、といった全体像を把握するのが困難な仕組みになっている。そういう意味からすると、これらの投句は刹那的な取り組みにも見える。
季節行事とは、しかし、そもそもそういうものかもしれない。時間的制約が最優先の枠組みとしてあり、それを過ぎたら、行きて帰らぬ、さてその空には銀色に、蜘蛛の巣が光り輝いてゐた。というように、さっと流れていくのが美点ともいえよう。


今年もすでに #俳句のアドベントカレンダー2023 が始まっている。

表記に若干ゆれがあり、「#俳句のアドベントカレンダー」「#俳句のアドベントカレンダー2023」「#俳句アドベントカレンダー」などハッシュタグ検索でたどれば、参加者の書き込みがずらりと表示される。

クリスマス当日に向けて昂ぶるものもいれば、淡々と日常的な冬の情景を詠む者もいる。

多様な冬の句作風景を目の当たりにしてみてはいかがだろうか。

(文中敬称略)