2024年7月26日金曜日

第230号

              次回更新 8/23



兜太・汀子・狩行について 筑紫磐井 》読む

【広告】『語りたい龍太 伝えたい龍太——20人の証言』 》読む


■令和俳句帖(毎金曜日更新) 》読む

令和六年春興帖
第一(6/21)辻村麻乃・豊里友行・川崎果連・仲寒蟬・仙田洋子
第二(6/28)小野裕三・水岩瞳・中西夕紀・神谷波・坂間恒子・山本敏倖・加藤知子
第三(7/12)岸本尚毅・浜脇不如帰・冨岡和秀・杉山久子・松下カロ・木村オサム
第四(7/19)小林かんな・ふけとしこ・眞矢ひろみ・望月士郎・鷲津誠次・曾根毅
第五(7/26)花尻万博・早瀬恵子・大井恒行・竹岡一郎


令和六年歳旦帖
第一(5/25)辻村麻乃・豊里友行・川崎果連・仲寒蟬・仙田洋子
第二(5/31)小野裕三・水岩瞳・神谷波
第三(6/8)山本敏倖・岸本尚毅・浜脇不如帰・冨岡和秀
第四(6/14)杉山久子・木村オサム・小林かんな・ふけとしこ
第五(6/21)眞矢ひろみ・望月士郎・曾根毅
第六(6/28)花尻万博・早瀬恵子・大井恒行
第七(7/12)竹岡一郎

■ 俳句評論講座  》目次を読む

■ 第48回皐月句会(4月)[速報] 》読む

■大井恒行の日々彼是 随時更新中!※URL変更 》読む

俳句新空間第19号 発行※NEW!

■連載

【連載通信】ほたる通信 Ⅲ(48) ふけとしこ 》読む

【鑑賞】豊里友行の俳句集の花めぐり12 大井恒行句集『水月伝』 》読む

【抜粋】〈俳句四季3月号〉俳壇観測254 終刊と新刊と――「青麗」・「あかり」・「いぶき」と「窓」(続)

筑紫磐井 》読む

英国Haiku便り[in Japan](47) 小野裕三 》読む

【新連載】伝統の風景――林翔を通してみる戦後伝統俳句

 7.梅若忌 筑紫磐井 》読む

【豊里友行句集『母よ』を読みたい】③ 豊里友行句集『母よ』より 小松風写 選句 》読む

句集歌集逍遙 筑紫磐井『戦後俳句史nouveau1945-2023——三協会統合論』/佐藤りえ 》読む

【連載】大関博美『極限状況を刻む俳句 ソ連抑留者・満州引揚げ者の証言に学ぶ』を読む⑥ 一人の俳句の書き手・読み手として 黒岩徳将 》読む

【渡部有紀子句集『山羊の乳』を読みたい】⑯ 生き物への眼差し 笠原小百合 》読む
インデックス

北川美美俳句全集32 》読む

澤田和弥論集成(第16回) 》読む

およそ日刊俳句新空間 》読む

…(今までの執筆者)竹岡一郎・青山茂根・今泉礼奈・佐藤りえ・依光陽子・黒岩徳将・仮屋賢一・北川美美・大塚凱・宮﨑莉々香・柳本々々・渡邉美保 …
7月の執筆者(渡邉美保)

■Recent entries

中村猛虎第一句集『紅の挽歌』を読みたい インデックス

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中西夕紀第四句集『くれなゐ』を読みたい インデックス

渡邊美保第一句集『櫛買ひに』を読みたい インデックス

なつはづき第一句集『ぴったりの箱』を読みたい インデックス

ふけとしこ第5句集『眠たい羊』を読みたい インデックス

加藤知子第三句集『たかざれき』を読みたい

眞矢ひろみ第一句集『箱庭の夜』を読みたい インデックス

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麒麟第2句集『鴨』を読みたい インデックス

麻乃第二句集『るん』を読みたい インデックス

前衛から見た子規の覚書/筑紫磐井 インデックス

寒極光・虜囚の詠~シベリア抑留体験者の俳句を読む~㉜ のどか 》読む

俳句新空間を読む 》読む
…(主な執筆者)小野裕三・もてきまり・大塚凱・網野月を・前北かおる・東影喜子




筑紫磐井著『女帝たちの万葉集』(角川学芸出版)

新元号「令和」の典拠となった『萬葉集』。その成立に貢献した斉明・持統・元明・元正の4人の女帝、「春山の〈萬〉花の艶と秋山の千〈葉〉の彩を競へ」の天智天皇の詔を受けた額田王等の秘話を満載する、俳人初めての万葉集研究。平成22年刊/2,190円。お求めの際は、筆者までご連絡ください。

兜太・汀子・狩行について  筑紫磐井

 鷹羽狩行の急逝によっていくつかの雑誌では鷹羽狩行特集が行われるようだ。私自身、鷹羽狩行の死去に対していく編かの追悼論を書いている。しかしこれはあくまで鷹羽狩行という一人の作家に対する回顧である。

 鷹羽狩行が時代を画した作家だとすれば、時代の中で鷹羽狩行がどのような立ち位置にあったかを論じなければならないだろう。特に他の作家たちとの関係において狩行の位置づけが行われてしかるべきだ。残念ながら同時代論としてこうした比較評論は今まであまりされなかった。これはむしろこれからの課題となるであろう。

 ただこうした中で、斜視的な視点からであるが、20年前に「俳句界」2004年12月号が不思議な特集をおこなっている。特集「愛を込めて贈る、俳句界人物論 俳壇のドン 兜太・汀子・狩行――その言行と作品についての考察」である。ここでは兜太・汀子・狩行を21世紀初頭の俳壇のドンと位置付けている。当時兜太は現代俳句協会名誉会長、汀子は日本伝統俳句協会会長、狩行は俳人協会会長(汀子・狩行もその後名誉会長になっている)であるからその後も長く3協会のトップに君臨していたわけである。こうした見方は、あまり文学的ではないが、世俗的にはわかりやすい指標である。そして兜太・汀子・狩行という並べ方は、様々な議論があると思うが、狩行の立ち位置を示すうえで一つの見方であることは否定できない。

 私自身、前衛俳句・伝統心象俳句の終焉後は表現史で画される時代ではなく、俳壇史(協会とジャーナリズムの歴史)でしか表せない時代だと考えているから、この特集には共感するところもある。何より、この5月に狩行が亡くなったことにより、「俳句界」が設定した3人の俳壇のドンの時代が終了したことになる。この特集の視点に帰って、現在の俳壇を考えてみることは、現在あまり考える手掛かりのない俳壇を考えるいい材料になると思う。3人のドンは何をしたのか、3人のドンの俳壇的後継者(結社後継者ではない)は誰なのかを考えてみなければいけないと思う。

 先ず手掛かりに、「俳句界」の特集を眺めて見る。

➀金子兜太については、「兜は野人の戴冠」と題して江里昭彦が執筆している。高柳重信と金子兜太を比較し特にどちらかを貶めることなくその特質を論じる。特に兜太の肉体性に注目した論述は優れている。「兜太以前の俳句が(おずおずとではあれ)言及していたのが、もっぱら〈ヌード〉のエロティシズムであったのに、彼がとりあげたのは〈ネイキッド〉のエロティシズムである」は卓論である。江里は言う、「〈ヌード〉は、たんに裸を意味するのではない。そこには審美的ニュアンスが芳香のごとく漂っている。つまり、その裸体は、均整がとれているとか、色白だとか、豊満であるといった、美的見地からするプラス価値が付与されている。現実にはそのように〈美しい〉裸体は滅多にないから、〈ヌード〉が担うのは理想化された肉体美ということになる。ルネサンス以降の西洋絵画が好んで登場させたのは〈ヌード〉であり、〈ヌード〉以外ではない。・・・ これに対し、〈ネイキッド〉は、審美的ニュアンスをまったく削ぎ落とした「ただの裸」である。・・・〈ネイキッド〉を直視したのが金子兜太だったのである。官能にひたる審美意識から、果敢なリアリズムへの転換-。身体表現によるエロティシズムの領域での兜太の貢献は、なにかを付加したという次元の問題ではない、彼はまったく「新しい精神」として登場したのである。こういう画期的事件は、俳句史にそうそうあるものではない。」。兜太も大いに喜んだことと思う。

➁稲畑汀子については「伝統俳句の母――稲畑汀子の功罪」を筑紫磐井が書いた。言行と作品とあるにもかかわらず、もっぱら言行を中心に論じ、日本伝統俳句協会の創設の偉業を顕彰し、「汀子は伝統俳句の母となって俳句史的には虚子を超えたのである」と結論付けた。この結論は汀子も喜び、この一節はホトトギスの総会で披露されたと聞いている。ちなみに最近出た拙著『戦後俳句史nouveau1945-2023 三協会統合論』はこのロジックにそのままつながっている。

最後に、③鷹羽狩行についての「牝鶏晨す」はA氏の執筆であるが、上の二氏に対する評論と異なりかなり辛辣な批判で終始しており、「どんなに立派な組織であっても、どんなに徳のある人物であっても、それが営利団体であれ非営利団体であれ、組織の要職に同じ人間が長く就いていると、必ず空気が澱んできて、腐敗を招くものだ。このことは、数々の歴史が証明していることで、創設に際して高い理念と理想を掲げた俳人協会とて、例外ではない。俳人協会は今速やかに、長年にわたり協会に尽力してきた鷹羽狩行氏に会長職を辞していただくべきである。狩行氏は、一旦野に下り、我々の目線でものを見、考え、捲土重来を期すべきである。」と述べている。本論で、文学の森社・A氏と鷹羽狩行との間で深刻な争いがあったと聞いている。


 さて、この評論がどれほど俳壇史論に貢献して来たかはよくわからない。多くの人が忘れているようだからそれほど反響があったとも思われない。しかし、「兜太・汀子・狩行」という括りは平成俳壇、ないし21世紀俳壇をある程度示す概念であることは以上の記述からも納得できる。今後この「兜太・汀子・狩行」論、あるいは対立的な「兜太(前衛)・狩行(伝統)」論、「兜太(前衛)・汀子(花鳥諷詠)」論、そして意外に注目されてこなかった「汀子(虚子の系譜)・狩行(誓子の系譜)」論が現代俳句論の課題になってゆくかもしれない。

    *

 ここからが本題。実は20年前の「俳句界」2004年12月号には、秋山巳之流(文学の森編集顧問)が「俳句界への提言 この1年、文学の森の実り」を執筆している。「俳句界」が文学の森から刊行されるようになって1年の自祝の巻頭言である。こんなことを述べている。

 「(前略)今年残念だったことがある。今井聖が「街」という俳誌で〈総合誌研究〉なるバカな企画をしたことだ。それに乗せられた筑紫磐井(つくしばんせい)、片山由美子、復本一郎らの発言のヒドさには呆れた。彼らは俳句実作者などと言いながら、じつはまったく俳句が何なのか、わかっていなかったのではないだろうか。そんな告白をさせた今井聖は一番の性悪である。今井聖は、総合誌が何なのか、あと二、三年勉強しなおす必要があるだろう。氏には状況論でなく、一度は本質論に向き合ってもらいたい。「総合誌幻想を捨てよ!」などと叫ぶ復本に到っては、学者の風上にも置けない低俗な駄文を弄し、まじめな人たちの間で著しく評判を落としていることをご存知であろうか。

 各総合誌編集長の選句眼と企画力の低下につけ込むことで、俳人は自らを売りこむ時代になったのか。これはすなわち、俳句作者がその力量のみで勝負ができない時代となったことを意味する。だが、総合誌の編集長たちが、本気で俳人と俳句を選べば、ここに挙げた四名の俳人たちは、じつは箸にも棒にも掛からない連中だと、依頼状を破り捨てるはずだ。それに目をつぶって仕事をしなければならない編集長たちに、ほんとうは感謝すべきであろう。自らの生き方を、一度は考えて見られよ。」

 こうした巻頭言を添えて、私(筑紫磐井)に「愛を込めて贈る、俳句界人物論 俳壇のドン 兜太・汀子・狩行――その言行と作品についての考察」の汀子論の依頼が来て掲載となったわけである。

 秋山から嫌われていたか愛されていたかよくわからない。秋山の句集『うたげ』には、

唐辛子筑紫磐井ぴりぴりと

が載っている。私のすぐ後には終生の天敵である齋藤愼爾、また秋山が俳壇デビューに尽力した黛まどかが並んでいる。

たまにあふ齋藤愼爾の新走り

がちやがちややヘップバーンを遠巻きす

 愛憎渾沌とした人物であった。


【連載通信】ほたる通信 Ⅲ(48)  ふけとしこ

   鼻の穴

恐竜が乗るベビーカー夏木立

真田山蚊の手強きに囲まるる

青葉雫す縁切り鎌を打ち込まれ

驟雨去るハシビロコウに鼻の穴

昼寝覚め今呼んだのは遠き木か


・・・

 今年の初蝉はニイニイゼミだった。中山道醒ケ井宿へ吟行したとき、梅花藻で有名な地蔵川のほとりの百日紅の木で鳴いていた。優しい声だなあ……としばらく聞いていた。

 それから2日経って大阪の初蝉の出番となった。こちらは専らクマゼミ。体が大きい分声も大きいのか、何とも喧しいことである。

 何年も前のことだが『遠い夏のゴッホ』という芝居を観た。予備知識無しで誘われるままについて行った。

 ゴッホといえば画家のビンセント・ヴァン・ゴッホしか私の頭には無かったから、彼にまつわる話かと思っていたら、この主人公は蝉のゴッホ君だった。舞台の中央に大きな木が一本。それだけが舞台装置ということらしい。そして暗い。それはそうだ。地中で過ごす蝉の幼虫時代のお話なのであるから。

 登場するのも蝉の幼虫達、蚯蚓など地下に棲むもの達……。故に衣装も茶色っぽい着ぐるみのような物。これまた暗い。その衣装もさすがに口は付けられなかったようで、幼虫達は手に手にストローの様な物を持ち、台詞の合間に「チューチュー」「チューチュー」と樹液(ここでは根の液)を吸う擬音を発しながら舞台を動き回るのだった。

 このゴッホ君、幼虫なのに彼女がいる。そして2人(2匹?)は明るい地上へ出て、そこで会うことを約束しているのだが、この彼氏がかなりおっちょこちょいで、1年も時間を間違えていたのである。体の時間は止められないから、先に地上へ出てしまう。そうでなくても蝉の寿命は長くないのに、彼女が地表へ出てくるまで1年間も待たなければならない。秋から冬、春が来ても夏はまだ先だ。

厳しい季節をどう過ごす? 

 多分、ここからが第二幕。運命に抗いながら、懸命に彼女に会うまでは……と生きていた筈なのだが、そして見せ場の多くがあった筈なのだが、私の記憶が途切れている。

この2人、最後は白っぽい衣装を着て明るい地上にいたように思うのだが、とてもあやふや。

 実際にはあり得ないだろうが、こんなことを思いついて物語に仕立ててゆく人の事を思う。

 初蝉から呼び起こされた記憶だった。

 久し振りに訪ねた地蔵川。梅花藻は今年も綺麗に咲いていた。ただ雨の後だったので水量が多く、殆どの花が水没状態だったのは少し残念だった。

(2024・7)


■ 第48回皐月句会(4月)速報

投句〆切4/11 (木) 

選句〆切4/21 (日) 


(4点句以上)

9点句

唇の奥に舌ある女雛かな(中村猛虎)

【評】 舌禍は秘めている、と捉えることもできましょうか。口は閉じているものも開いているものもありますね。顔のデザインも徐々に変化しているとか。──佐藤りえ


7点句

合掌にかすかなすきま木の芽風(望月士郎)

【評】 近く或いは遠くの何かを願い恃んで人は掌を合わす。心満たされている時ではなく足りない時。どれほど強く掌を合わせてもそこには隙間が出来てしまう哀しさがある。木の芽のように形作られた合掌のすきまに木の芽風が入り抜ける。ほんの少しの命の煌めきを必要としている人のために。──依光陽子


6点句

傘といふ野暮置いて出る花の雨(仲寒蟬)

【評】 加藤郁乎の句ぶりを思い出す。助六のような小道具や舞台だ。「傘という野暮」と言い切るには、花の雨に濡れて出て来る主人公なのだろう。しかしこれだけ準備万端しつらえると、逆に野暮を皮肉るというのも野暮に見えて来る。本当の粋はこんなことを言ったり考えたりしないのだろう。とつい思いたくなる。そんなことを考えさせる句だ。──筑紫磐井


5点句

蜜蜂や全長見ゆる野辺送り(仲寒蟬)


4点句

やがて来るものの如くに春の雲(岸本尚毅)

【評】 例えば麓から来る郵便夫だったり、定期船だったり、自他の死をも除外しないさまざまな事を今は漠然と思っている。その明暗や伸縮やさまざまに変化する形など漠とした思いと春の雲はそっくりなのでした。──妹尾健太郎


手から手へゆつくり渡す染め卵(辻村麻乃)

紋白蝶舌の長さを見せ合へり(田中葉月)

まどろみのまなぶた初蝶のつまさき(望月士郎)

春の死や楽譜に雨の音を足し(依光陽子)

おくれ毛を愛すゆふべも鳥帰る(松下カロ)


(選評若干)

つくしんぼ一斉蜂起とまでいかず 3点  水岩瞳

【評】 土筆の群れ立つ姿は蜂起を思わせます。しかも裸の民のよう。だけれども蜂起するほどの数ではなかったのでしょう。蹴散らされて終わってしまう存在です。──篠崎央子


【鑑賞】豊里友行の俳句集の花めぐり12  大井恒行、句集『水月伝』(2024年4月刊、ふらんす堂)

 東京空襲アフガン廃墟ニューヨーク

 東京空襲は、第二次世界大戦(太平洋戦争)末期にアメリカ合衆国により行われた、東京都区部に対するM69焼夷弾などの焼夷弾を用いた大規模な戦略爆撃の総称。

 アフガニスタンの紛争が1978年から断続的に続いている。アメリカの同時多発テロで世界的に知られているオサマ・ビン・ラディンなどが関わっているとされたのがアフガニスタン紛争。

 ニューヨークは、アメリカ合衆国の最大都市。

 この三つの名詞だけがこの俳句では、ぶつかり合うように配置される。

 この異質なようで何処かでリンクしながら何処と何処の戦争や紛争の暴力装置が俳句の中に存在しているのだろうか。

 そのことに想像力の翼を飛翔させる俳人たちでなければ、戦争を止める文学の力などありえないのではないか。

 大井恒行さんの俳句の創意工夫も未開拓地への一歩だ。それを繋ぎ合わせる想像力を私たち俳句鑑賞者にも求められている。


神風に「逢ったら泣くでしょ、兄さんも」

泣く朝日「一瞬一生」軍事郵便

「自分では死ねんのよのぉ」真昼の凍(エニ)河(セイ)


 神風となりし戦没者たちと生存者たちの繋ぎ目は、いまだ癒えることのない終わらない戦争体験者の心の傷なのかもしれない。

 朝日は泣いている。軍事郵便の召集令状の赤紙を手にした一瞬もその一生の行方も朝日が泣くこのめぐるめく地球の自転の眩暈のように。

 自分ではなかなか死ぬことができない。エニセイの凍河の真昼に凍結された記憶よ。喚起せよ。


木の 針金の ブリキの脚で 笑う人形


 木製の針金で繋ぎ合わせられたブリキの人形は笑いながらこちらにやって来る。

 人形の笑い声は、物悲しさも含む嘲笑のようにも聴こえる。

 人間の絶望がやがて人形のブリキの脚をギクシャクと歩行させながら人類の蜃気楼の道のようにも見えてくる。


「君が代」に起立不起立昭和の日

弱いオトコがまず消えるウイズコロナ

寒キャベツ包む紙面に「格差」文字

虐待の拍手を蜜のように吸う

かたちないものもくずれるないの春


 君が代の押し付けに起立と不起立の卒業式のざわつきを呼ぶ。

 私は、不起立でしたが、同級生の中には、当惑を隠せない者たちも居た。

 そんな昭和の日を私は、思い出した。

 コロナ禍に合言葉のように「ウイズコロナ」が連呼される中、弱いオトコたちが真っ先に消え去る刹那よ。

 買い出しで寒キャベツを買うと新聞紙で包む其のゴシップの見出し記事の「格差」の文字が浮き立っている。世の中の歪は、キャベツの自転にも浮彫となる。

 虐待を包み隠す家の外では、女こどもの悲鳴さえ拍手のようで部外者の蝶らは、他人事の人の不幸が蜜の味のようで無関心の名の基に吸い続けるのだろうか。

 地球の異変が騒がれている昨今で天災も人災もぐちゃぐちゃの形のないものでさえ崩壊させてしまう春の地震がある。平仮名表記で春を浮き立たせた秀句だ。


生涯に書かざる言葉あふれ 秋


 俳句表現の一言一句をひとつひとつ辞書を引いて俳句の物語を丁寧に読み解いていく。

 俳句鑑賞者以上に作家は、表現者としての表現の暴風圏内にあるのかもしれない。

 どうやったら私たち表現者は、生涯に表現しきれない言葉の玉手箱の溢れるほどの思いを表現できるというのだろうか。其処は、もう秋である。

 句集鑑賞でだいぶ躊躇してしまった今句集の表現ぎりぎりの挑戦状のような思いをひしひしと感じていた。

 私は、いくども人生のどんな道からも俳句を詠み続けようとする先輩俳人たちの俳句表現をまざまざと目撃している。

 私にとって俳句は生きる糧だ。

 私は、そんな思いを抱かせる俳人・大井恒行の生きる道を句集から見出したかった。

最後に共鳴句をいただきます。


明るい尾花につながる星や黒い骨

匹如(するす)身(み)のすめらの民や雪月花

万歳の手のどこまでも夏の花

しらぬ間や生死連なる飛花落花

桜前線つぎつぎこころの戒厳令


2024年7月12日金曜日

第229号

                次回更新 7/26



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筑紫磐井著『女帝たちの万葉集』(角川学芸出版)

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 ●「船団」の散在後

 坪内稔典は令和4年12月に「船団」を終刊させた。坪内の言葉によれば「散在」だそうだ。その後BLOGを開設していたが、9月に坪内の主宰する「窓」2023年秋号(季刊誌らしい)が出た。「窓」の位置づけについてはまた考えたいが、その内容を眺めておきたい。内容は非常に単純で、107人の会員が作品15句と簡単な随想を発表している。その他は「ことばカフェ」という集会の記録と書評がある程度であり、余り華やかさはない。

 これを「船団」と比べてみたい。「船団」は、最後の雑誌が「散在号」という特別号であったが、この時の参加者は168名。「窓」と重複する人は65名。従ってその差(103名)は、「船団」に参加していても「窓」に参加していない。具体的には、池田澄子、内田美沙、近江文代、川嶋ぱんだ、久留島元、小西昭夫、鳥居真里子、ねじめ正一、能城檀、ふけとしこ、藤田亜未、武馬久仁裕、若森京子等が参加していない。いずれも私でも知っている「船団」有力作家だ。あるいは、「船団」に参加していないで「窓」に参加した人(42名)は船団の過去を引きずっていない人ということになる。

 こんな分析から坪内のいう「散在」の意味も浮かび上がってくる。列記した人何人かに、坪内の「散在」が何かを聞いてみたが明確な答えをくれた人はなかった。たぶん自立できる人は去ってよいということなのかもしれない。そうした問いに対する答えは「窓」の編集後記(窓辺の椅子)の坪内の「「窓の会」は従来の俳句結社とは異なる場を拓きたい。・・・老人の言葉を磨くことが若者をも引き寄せる、そんな結社になれるだろうか。」という言葉が如実に示しているように思う。

 折しも10月に坪内の新著『老いの俳句』が出た。老人の俳句遊びがどうなるかを示してくれているが、「窓」を読むに当たってはこの本を読むことが役に立つと思う。『老いの俳句』の帯文には「あとがない!!ねんてんさんはあせっている。80歳の大台に乗るのだ」と書かれ、「寄る年波を自覚しつつ、それを逆手に“跳び過ぎ”老人になるのだ」と述べている。結論はモーロク俳句賛美となるのだ。

 坪内より少し遅い老人である私にも共感することが多いが、その前に老いとは何かを考えてもよいかもしれない。俳人はあまり関心ないかもしれないが、幕末の大儒佐藤一齋には82歳で著した『言志耋録(てつろく)』という傑作がある。「耋」とは年寄りの意味で、坪内の大好きな「モーロク」だが、どうして人生の知恵にあふれている。ここで一齋は「老人は速成を好む。戒むべし。」と言う。また、「老を養うは一の「安」字を占(たも)つを要す。心安く、身安く、事安し。何の養かこれに如かん。」とも言う。“跳び過ぎ”るまえに、問題の高齢ドライバーのようにならないためにも、坪内にはブレーキが利いていることも確認してほしいと思う。

英国Haiku便り[in Japan](47)  小野裕三

 

インドhaikuの風景

 ここ数年、俳句や詩を書くインドの人たちと幾人か知り合った。南国の鮮やかな自然や、その中で地域の風習・信仰に沿って暮らす人々の姿がhaikuで描かれる。もの珍しさとふしぎな懐かしさを併せ持つその魅力に心を動かされた。

 そんなインドのhaikuの現状や歴史を少し調べてみた。


 home coming—

 swinging in the mango tree

 mother’s lullaby  Sandip Chauhan

 里帰り / マンゴーの木に揺れる / 母の子守唄


 incessant rain . . .

 the smell of coriander

 getting drenched  Paresh Tiwari

 絶え間ない雨 / コリアンダーが匂う / びしょ濡れになり


 日本とは異なる季節の巡りや植生からくる異国情緒を感じさせつつ、その一方で日本にも通じるアジア的風土も漂わせる。また、次のような日常生活の句も、インドの独特な風景を提示しつつ、どこか郷愁めいたものも感じさせる。


 cloudy afternoon —

 munching sunflower seeds

 with coffee  Angelee Deodhar

 曇った午後 / 向日葵の種を頬張る / コーヒーを飲みつつ


 そんなインドだが、広く一般にhaikuが普及しているわけではなさそうだ。例えば英国などのように初等教育に広くhaikuが採用されているわけでもない。

 それでも、少なからぬインドの詩人や文学者たちがhaikuに注目してきた。有名なのはノーベル賞詩人のタゴールだ。彼は一九一六年に日本を訪れ、旅行記も著して芭蕉の俳句も紹介した。後に自身でもhaikuに似た短い詩を書いた。

 インドのhaikuは、先入観もあるのかも知れないが、どこか亜大陸ならではの自然のダイナミズムも感じさせる。


 end of summer

 colors fade away

 with the butterflies  Kavya Kavuri

 夏の果て / 色は消えゆく / 蝶とともに


 インドは多言語国家であり、二十二の州公用語がある他、英語も準公用語とされる。なので、それぞれの固有語でhaikuを作る人も英語でhaikuを作る人もいる。英語は有力な共通言語で、日本の俳句の紹介が英訳を元にした各言語への再翻訳であることも多いようだ。インドの人に、英語で書かれたインドのhaikuウェブサイトを教えてもらって見たが、インド外の英語圏のhaikuや俳人も混じり合って活動する様子に感心した。英語とインターネットという世界共通の二大プラットフォームとよくも悪くも向き合いながら世界のhaiku文化は今後進化していくのだろうし、多言語国家インドでのhaikuの動きはその先駆とも思える。


※掲句はKala Ramesh「A HISTORY OF INDIAN HAIKU」The Haiku Foundation、「Haiku from India 」Terebess Asia Onlineより引用。

 『海原』20239月号より転載)

【鑑賞】豊里友行の俳句集の花めぐり  11 中岡毅雄第5句集『伴侶』(2023年8月刊、朔出版)豊里友行

 帯文の「伴侶という題名に相応しい、他者の全き受容の美しさを想う。この宇宙に、亡き母に、そして共に生きる妻に、衒いなく心開いてゆく姿勢は、優しく静かな緊張感に満ちている。まさに今世紀の詩歌である。」(水原紫苑)とあるように尊い。


つばくらめかけがへのなき日々であり


 燕(つばめ)。古くは、「つばくらめ」「つばくろ」と呼ばれた。

 雨が降り始める前兆として地虫が大地の表層に現れることから燕が放物線を描くように地面すれすれに旋回を繰り返す。

 人生の土砂降りを御経験の方は、どのくらい居るか。作者にとって人生のトンネルのような暗闇の日々があったことは、この句集『伴侶』においても垣間見える。

 その人生のトンネルを抜けた中岡毅雄さんは、その燕たちの空を輝かしくもかけがえの無い日々であり、その高揚感さえもじっくりと噛み締めているようだ。


芹摘の空すきとほるところまで

無花果を煮つめてさらに昏くなる

実南天まぶしく職に棄てられし

蚯蚓鳴く引き籠り癖いつまでぞ

夕落穂このごろゆるき鬱の波


 芹摘(せりつみ)。芹を摘むとも。その意味は、相手に思う心を届けようとして、かなわず苦労をすること。だが作者の心は、透き通るほどのところまで想い続ける芹摘の空なのだ。

 無花果は、イチジクと読む。その無花果を煮つめるとさらに夕暮れの暗さが増すと感受する感性の光り。

 実南天は、俳句的省略の呼び方で南天(なんてん)の実のこと。これを乾燥させて咳止めの薬にされたりもする。その南天の実が、眩しいほどに社会の目暗みを孕(はら)んでいる。そこで職に棄てられたとある。富澤赤黄男の俳句に「美しきネオンの中に失職せり」がある。実南天の季語と現代社会の人間ひとりの存在の軽さを見事に俳句に結実させている。

 蚯蚓(みみず)鳴くも。夕焼けに漂う落ち穂も。辛かった引き籠り癖の長いトンネルや憂鬱の海原を泳いだ日々も俳句に刻み込みながら。


晩婚といふ寧けさよ虫時雨

すみずみまで妻のぬくもり春の月

抱へきれぬほどの冬薔薇贈りたし


 晩婚という寧(やす)けさには、やすらかな虫の鳴き声が時雨のように透き通るように抱擁されているふたり。

 なんて素敵な俳句だ。ロマンチストの私もうっとりしてしまう。

 日野草城の「ミヤコホテル」を彷彿とさせるが、それ以上の愛燦燦とかも。

 春の月の光が届かぬものはないといわんばかりに隅々まで妻のぬくもりを感受する。

 抱えきれないほどの冬の凛とした薔薇に託した想いを贈りたい。

 俳句を作者もよりよく生きる杖としてきたのだろう。

 優しい気持ちになるキラキラ句集に私もあやかりたい。


 共鳴句を下記にいただきます。

 ありがとう。ありがとう。ありがとう。


草原に石鹸玉いま草のいろ

ものの芽にもつとしづかなときを待つ

辛夷あかりへあと一歩あと一歩

蚯蚓鳴くこの気怠さのいづくより

縄跳の子にみづうみの光さす

すきとほるやうなにほひの雪兔

息ふるるまで凍蝶に近づきぬ


2024年7月10日水曜日

エッセイ「NHK俳句・蜜豆」  筑紫磐井

 NHK俳句に出演した。

 「蜜豆」の題の句会であったが、元々季語のない俳句を深夜黙々と作る流儀だから公開の句会に出席するのは1年ぶりぐらいになる。メンバーは、高野ムツオ、能町みね子、筑紫磐井、神野紗希、中西アルノ、(司会)柴田英嗣。

 これはこれでよいのだが、折角のことと思い述べた「蜜豆」の蘊蓄が殆どカットされたから、話を洩れ聞いた人から残念がられた。

 映像化されていない情報であるので、ここに少し補足を加えながら披露しておこう。


 鷹羽狩行は、季題が持っていた本意をむしろ根源的季感と置き替え、この季感の範囲内で個別の季題・季語が具体化されて行くのだと考える。例えば、夏衣という季題(根源的季感)から、夏服・白服・羅・白シャツ・アロハ等々と新季語が生まれて行く正当性も、夏衣の持つ季感に由来すると説く。新しい季語を積極的に取り入れようとする現代俳句にとっては傾聴に値する議論だ。私はこれを季感発展説と名付けている。


 さて、夏の涼味を誘うものとしては「ところてん」があった。

  清滝の水汲みよせてところてん 芭蕉

 蜜豆の寒天はこれに由来するかも知れない。


 しかし「蜜豆」の本体の豆は、季題「茹小豆」に由来するだろう。茹でた小豆に砂糖を加えて食べるもので、「俗説に土用に入る日、赤小豆を食へば疫病を避くとて今の人よくすることなり」(日本歳時記)といわれており江戸時代から売られていた。

 これが明治となって、新しいスィーツとして売り出された。浅草の「舟和」という店から「蜜豆」として提供されたのが始まりだとされている。以後様々な店で提供された。その一つに、銀座の「月ケ瀬」という甘味処もあった。しかしここで画期的な事件が起きた。昭和12年、この店の支配人である橋本夢道という人が、蜜豆に餡を乗せた「あん蜜」というスイーツを考案して一世風靡させたのである。夢道は、当時著名なプロレタリア俳人であったことから、このとき商品コピーとして「蜜豆をギリシャの神は知らざりき」という句を詠んで広告に載せ広く普及させたのであった。句の大意は、蜜豆という至福の味を、万能のギリシャの神さえ知らなかった、と言うものだろうと思う。明治の日本人に生まれてこその幸せだというのだから少しオーバーすぎるが、商品宣伝としては良くある発想だ。

 これは単なる都市伝説かと言えば、以前余白句会という詩人・文人の句会でご一緒させていただいた小沢信男(文筆家)氏によれば、小沢氏が学生時代に毎日利用していたが市電のつり広告で見ていたと話を伺った記憶がある。こんな都合のいい話があるかと少し眉唾かも知れないが、私自身通学に使っていた都電の広告に、「阿部定来る!」と言う広告で、大衆飲み屋が昭和の猟奇事件の主人公阿部定を仲居にして客寄せをしていた吊り広告を見たことがある。当時阿部定も存命であったのだと感激した記憶がある。市電・都電の広告はこんな情報交換する場であったのだ。


 「月ケ瀬」の当時のチラシ広告を貼り付けておく。チラシ広告でも夢道の句でも、妙に信憑性があるのは品名が「蜜豆」となってしまっていることだ。「あん蜜」誕生のその瞬間は、未だ「あん蜜」という名称が発生していらず、「あん蜜」を当時の人達は「蜜豆」と呼んでいたと推測できるからだ。

 ちなみに、夢道の「蜜豆をギリシャの神は知らざりき」の句は夢道の句集『無礼なる妻』には入っていない。なぜなら、反戦俳人、プロレタリア俳人として、逮捕投獄されていた熾烈な時代の句集だからで「蜜豆」のような甘い句はいれられなかったと想像される。

  うごけば、寒い 夢道

 そのせいもあるか、蜜豆の句として第一級の句であるこの句はいかなる歳時記にも載せられていない。句集にも雑誌にも掲載されていない句は、歳時記に載せる価値がないと編集者は考えているようだ。いや、善意で考えれば、この句は俳句ではなく、「コピー」なのだと考えられなくもない。案外、夢道もそう考えていたかも知れない。

 現在「月ケ瀬」はもうその名の店は残っていない。戦後のあん蜜の名店は神楽坂の「紀の善」だろう、私の世代だと場所も近いし何回か通ったが、数年前に廃業してしまったようだ。


 蜜豆を色々考えてみたが、実は安価な菓子である。材料は、寒天、豆、ぎゅうひ、果物、蜜など。特段高級な素材を使っている訳ではないし、高度な技術を使ってもいない。缶詰からそれぞれの材料を配合すれば素人でもそれなりの味はできる。高級菓子はどう考えても京菓子の方であろう。

 ところがこんな素朴な材料を使っても、浅草、銀座、神楽坂では高級品となる。当時若い男女が交際の場としていたのは、ビアホール、ミルクホールであるが、蜜豆が生まれると「蜜豆ホール」などという交際の場が生まれた。恋も生まれたに違いないが、まあそれは幻想に近い。蜜豆はさらに、あん蜜、クリーム蜜豆、クリームあん蜜、白玉あん蜜と豪華に発展する。狩行の予想した通りの展開だ。

     *

 結びになるがこんなことを考えていたから、NHKの句会では次のような句を出してみた。安価な菓子に着目した。


  蜜豆の儲けうすしや日影町


 日影町とは、町の片側が武家屋敷や寺にとられてしまい、片側だけしか店がならばない道筋を言う。片町などと呼ばれることもある。東京であると新橋日影町が有名だ。