●「船団」の散在後
坪内稔典は令和4年12月に「船団」を終刊させた。坪内の言葉によれば「散在」だそうだ。その後BLOGを開設していたが、9月に坪内の主宰する「窓」2023年秋号(季刊誌らしい)が出た。「窓」の位置づけについてはまた考えたいが、その内容を眺めておきたい。内容は非常に単純で、107人の会員が作品15句と簡単な随想を発表している。その他は「ことばカフェ」という集会の記録と書評がある程度であり、余り華やかさはない。
これを「船団」と比べてみたい。「船団」は、最後の雑誌が「散在号」という特別号であったが、この時の参加者は168名。「窓」と重複する人は65名。従ってその差(103名)は、「船団」に参加していても「窓」に参加していない。具体的には、池田澄子、内田美沙、近江文代、川嶋ぱんだ、久留島元、小西昭夫、鳥居真里子、ねじめ正一、能城檀、ふけとしこ、藤田亜未、武馬久仁裕、若森京子等が参加していない。いずれも私でも知っている「船団」有力作家だ。あるいは、「船団」に参加していないで「窓」に参加した人(42名)は船団の過去を引きずっていない人ということになる。
こんな分析から坪内のいう「散在」の意味も浮かび上がってくる。列記した人何人かに、坪内の「散在」が何かを聞いてみたが明確な答えをくれた人はなかった。たぶん自立できる人は去ってよいということなのかもしれない。そうした問いに対する答えは「窓」の編集後記(窓辺の椅子)の坪内の「「窓の会」は従来の俳句結社とは異なる場を拓きたい。・・・老人の言葉を磨くことが若者をも引き寄せる、そんな結社になれるだろうか。」という言葉が如実に示しているように思う。
折しも10月に坪内の新著『老いの俳句』が出た。老人の俳句遊びがどうなるかを示してくれているが、「窓」を読むに当たってはこの本を読むことが役に立つと思う。『老いの俳句』の帯文には「あとがない!!ねんてんさんはあせっている。80歳の大台に乗るのだ」と書かれ、「寄る年波を自覚しつつ、それを逆手に“跳び過ぎ”老人になるのだ」と述べている。結論はモーロク俳句賛美となるのだ。
坪内より少し遅い老人である私にも共感することが多いが、その前に老いとは何かを考えてもよいかもしれない。俳人はあまり関心ないかもしれないが、幕末の大儒佐藤一齋には82歳で著した『言志耋録(てつろく)』という傑作がある。「耋」とは年寄りの意味で、坪内の大好きな「モーロク」だが、どうして人生の知恵にあふれている。ここで一齋は「老人は速成を好む。戒むべし。」と言う。また、「老を養うは一の「安」字を占(たも)つを要す。心安く、身安く、事安し。何の養かこれに如かん。」とも言う。“跳び過ぎ”るまえに、問題の高齢ドライバーのようにならないためにも、坪内にはブレーキが利いていることも確認してほしいと思う。