鼻の穴
恐竜が乗るベビーカー夏木立
真田山蚊の手強きに囲まるる
青葉雫す縁切り鎌を打ち込まれ
驟雨去るハシビロコウに鼻の穴
昼寝覚め今呼んだのは遠き木か
・・・
今年の初蝉はニイニイゼミだった。中山道醒ケ井宿へ吟行したとき、梅花藻で有名な地蔵川のほとりの百日紅の木で鳴いていた。優しい声だなあ……としばらく聞いていた。
それから2日経って大阪の初蝉の出番となった。こちらは専らクマゼミ。体が大きい分声も大きいのか、何とも喧しいことである。
何年も前のことだが『遠い夏のゴッホ』という芝居を観た。予備知識無しで誘われるままについて行った。
ゴッホといえば画家のビンセント・ヴァン・ゴッホしか私の頭には無かったから、彼にまつわる話かと思っていたら、この主人公は蝉のゴッホ君だった。舞台の中央に大きな木が一本。それだけが舞台装置ということらしい。そして暗い。それはそうだ。地中で過ごす蝉の幼虫時代のお話なのであるから。
登場するのも蝉の幼虫達、蚯蚓など地下に棲むもの達……。故に衣装も茶色っぽい着ぐるみのような物。これまた暗い。その衣装もさすがに口は付けられなかったようで、幼虫達は手に手にストローの様な物を持ち、台詞の合間に「チューチュー」「チューチュー」と樹液(ここでは根の液)を吸う擬音を発しながら舞台を動き回るのだった。
このゴッホ君、幼虫なのに彼女がいる。そして2人(2匹?)は明るい地上へ出て、そこで会うことを約束しているのだが、この彼氏がかなりおっちょこちょいで、1年も時間を間違えていたのである。体の時間は止められないから、先に地上へ出てしまう。そうでなくても蝉の寿命は長くないのに、彼女が地表へ出てくるまで1年間も待たなければならない。秋から冬、春が来ても夏はまだ先だ。
厳しい季節をどう過ごす?
多分、ここからが第二幕。運命に抗いながら、懸命に彼女に会うまでは……と生きていた筈なのだが、そして見せ場の多くがあった筈なのだが、私の記憶が途切れている。
この2人、最後は白っぽい衣装を着て明るい地上にいたように思うのだが、とてもあやふや。
実際にはあり得ないだろうが、こんなことを思いついて物語に仕立ててゆく人の事を思う。
初蝉から呼び起こされた記憶だった。
久し振りに訪ねた地蔵川。梅花藻は今年も綺麗に咲いていた。ただ雨の後だったので水量が多く、殆どの花が水没状態だったのは少し残念だった。
(2024・7)