2013年6月28日金曜日

第26号 2013年6月28日発行

【俳句作品】

  • 二十四節気題詠句 その3
・・・・・・筑紫磐井  ≫読む
        

      
          その2……中村猛虎, 杉山久子   ≫読む 

その1 ・・・・・・曾根毅 ≫読む

  • 現代風狂帖(10句)

 だいたい  佐藤文香  ≫読む 


【戦後俳句を読む】

  • 文体の変化【テーマ:昭和20年代を読む⑤~年中行事その1~】
……筑紫磐井   ≫読む


【現代俳句を読む】



  • 『二十四節気論争』(追加)
……筑紫磐井 ≫読む 


  • 俳句時評 第91回
    「高柳重信」を知らない僕たちの想像力について
              ……外山一機 ≫読む 


    • 「歳旦帖」を読む~貫く棒の如きもの~
      •       

      参照:平成二十五年 歳旦帖 (全編) ≫読む

    【編集後記】
    あとがき   ≫読む


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    • 第37回 現代俳句講座 (主催:現代俳句協会)  >>読む
    • 第2回  攝津幸彦記念賞 たくさんのご応募ありがとうございました。 ≫読む
    • 第5回「こもろ・日盛俳句祭」詳細決定!! ≫読む (小諸市のサイトへジャンプします。)new!!
    ~俳句の林間学校「こもろ・日盛俳句祭」へのお誘い~……本井 英 ≫読む










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    【俳句作品 】二十四節気題詠句 その三 (筑紫磐井 八句)

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                 筑紫磐井
    (雨水)
    内臓に不可解なりし雨水あり

    (清明)
    ホットケーキに清明の粉砂糖

    (穀雨)
    惑星に穀雨の水があふれをり

    (小満)
    小満に師がなくなるといふ報せ

    (芒種)
    騙されて芒種に傘を持ち歩く

    (小暑)
    僕たちにケチな小暑がやつてくる

    (大暑)
    大雨時に行(いた)るか大暑最後の日

    (立秋)
    立秋のジレンマに君・僕の議論

    第26号 (2013.06.28.) あとがき

    北川美美

    二十四節気題詠句に筑紫相談役、現代風狂帖に佐藤文香さんの作品を掲載しました。佐藤文香さんはご存知の方も多いと思いますが、俳句の聖地・松山市御出身、そして「第四回 松山俳句甲子園」にて最優秀句受賞され、現在、メディア、イベントと多方面の活躍とともに後継の高校生の俳句指導に尽力されています。


    ほとばしる汗を俳句という17文字に賭ける。「第16回 松山俳句甲子園」8月23,24,25日に開催予定です。http://www.haikukoushien.com/

    そして、俳句甲子園を舞台とした漫画が発刊。愛媛新聞によると作品に登場する句は佐藤さんが担当とあります。
    http://www.ehime-np.co.jp/rensai/haiku_kosien2013/ren649201306119746.html

    また佐藤さんが選句をする「ハイクラブ」という公募を同人誌『里』で行っています。老若男女ご興味ある方は是非投句を試みられてみては。メールでの投句が可能です。
    http://satoayakatoboku.blogspot.jp/p/blog-page_29.html



    筑紫磐井

    ○二十四節気論争をシリーズで取り上げているが、その参考になるかと思い、「戦後俳句を読む」で<昭和20年代を読む(年中行事)>を書いてみた。戦中から戦後でがらりと祝祭日は替わっている。季節感が替わっているわけではないが、そこに盛り込まれた行事はおのずから季節を連想させないわけにはいかない。また、俳人は祝祭日を実によく俳句に詠み込んでいるが(特に、母の日、文化の日など)、これは季語が新しく創造されていくプロセスをはっきり示している。二十四節気論争と無縁ではないと思う。

    ○芝不器男俳句新人賞から愛媛県が下りた話を書いた。今、後続のスポンサー探しが始まっており、新芝不器男俳句新人賞の模索が始まっているらしいのは喜ばしいことである。その一方で、雪梁舎俳句まつり(宗左近俳句大賞を授与していた。佐藤文香、島田牙城など異色の受賞者が多かった)は、今年は中止、来年以降の再開は未定となったらしい(島田牙城younohonによる)。しばらく前となるが、加美俳句大賞も終了した。商業誌も賞も決して永続するものではない。変わらない輝きは受賞ではなく、自らの中にあるのであろう。

    文体の変化【テーマ:昭和20年代を読む⑤~年中行事その1~】/筑紫磐井

    戦後皇室を中心とした行事から、民主的な理念に基づく行事へ変更したのが国民の祝日に関する法律(昭和23年7月20日公布)に基づく国民の祝日だ。戦後すぐに新しい祝日がどのように詠まれたかを「揺れる日本」から眺めてみる。

    ちなみに、戦前の祝祭日は「休日ニ関スル件」(昭和2年3月4日勅令第25号)で定められており次の通りであった(*は戦後も休日となったもの)。

    元始祭(1月3日)
    新年宴会(1月5日)
    紀元節(2月11日)
    神武天皇祭(4月3日)
    天長節(4月29日)*
    神嘗祭(10月17日)
    明治節(11月3日)*
    新嘗祭(11月23日)*
    大正天皇祭(12月25日)
    春季皇霊祭(春分日)*
    秋季皇霊祭(秋分日)*

    【成人の日―1月15日】

    俵あむ子に成人の日の来り 石楠27・11 横尾永春
    ※国民の祝日に関する法律によれば「おとなになったことを自覚し、みずから生き抜こうとする青年を祝いはげます」こととされ、旧暦では1月15日は小正月に該当していた。

    【天皇誕生日―4月29日】

    天皇誕生日紫陽花に草毟る 俳句 27・8 畦見喜太郎 
    田圃より見ゆ天皇誕生日の国旗 石楠 28・8 石塚蕗雄子 
    水底に微温天皇誕生日 青玄 29・9 蛯名豚花

    ※国民の祝日に関する法律によれば、「天皇の誕生日を祝う。」こととされ、戦前は天長節と呼ばれた。

    【子供の日―5月5日】

    子供の日子のさみしきに責を負ふ 暖流 24.7 大島龍子 
    ででむしが旭え角かざし子らの日だ 道標 27・12 古沢太穂
    ※国民の祝日に関する法律によれば、「こどもの人格を重んじ、こどもの幸福をはかるとともに、母に感謝する」こととされ、旧暦5月5日は端午の節句にあたり、男子の健やかな成長を願う行事が行われていた。

    【文化の日―11月3日】→例句は後述

    【勤労感謝の日―11月23日】

    夜明けから薪割って勤労感謝の日 石楠25・3 安倍布秋 
    骨ぐるみ鮒食ふ勤労感謝の日 同 26・1 西村◆笛 
    雨に濡れ鉄打つ勤労感謝の日 氷原帯 27.2/3 福島真蒼海

    ※国民の祝日に関する法律によれば、「勤労をたつとび、生産を祝い、国民たがいに感謝しあう」こととされ、戦前の新嘗祭の日となっている。

        ◆     ◆

    以下は国民の祝日ではない日が掲げられている。

    【母の日―5月第2日曜】→例句は後述

    【赤い羽根共同募金―11月1日より1カ月】→例句は後述

    【巴里祭―7月14日】

    円ら眼の嗣治の裸婦よ巴里祭 馬酔木年刊句集 岡田貞峰 
    巴里祭しのぶか森の家に楽 馬酔木 28・10 竹中春男 
    汝が旨の谷間の汗や巴里祭 青玄 28・9 楠本憲吉
    ※当然のことながらフランスの革命記念日。ルネ・クレールの戦前の映画(原題Quatorze Juillet)で有名、命名は川喜多長政。あるいは楠本憲吉の句で有名か。

    【バードデー―5月10日】

    バードデー鴉に種藷盗られしのみ 寒雷 29・8 高坂白峰

    ※鳥類保護連絡協議会により昭和22年4月10日、第1回バードデーが実施された。昭和25年からは5月10日~16日を愛鳥週間(バードウィーク)とした。バードデーとバードウィークが混乱されて使われている。

    【婦人デー―4月10日】

    婦人デー雪ふかく積み屋根屋根の灯 道標 27・12 富山青波
    ※労働省(現在の厚生労働省)が1949年に「婦人の日」として制定。1998年に「女性の日」に改称。ちなみに国際婦人デーは3月8日。

        ◆     ◆

    不思議なのは、現代ではその意味も分からず、時期も不明なキーワードがたくさんあることだ。もちろんこれは私だけが分からないのかも知れないが。

    【農民祭】

    農民祭土蔵ぬりかへられてゐる 石楠 26・1 堀川牧韻
    ※不詳。秋から冬にかけての季語として用いられているようである。収穫祭の意味であろうか。

    【復興祭】

    復興祭わびしや柿の皮をむく 太陽系 22・1 伊藤正齊 
    復興祭ネオンが吾をさびしくす 暖流 22・11 中村研治

    ※不詳。秋から冬にかけての季語として用いられているようである。

    【文学祭】

    おでんの灯文学祭は夜となりぬ 俳句 23・1 山口青邨
    ※不詳。秋から冬にかけての季語として用いられているようである。

    【独立祭】

    独立祭金魚は玻璃を占めて泳ぐ 俳句研究 21・9 大野林火
    ※具体的場面が分からない。「独立祭」が海外のものなら、アメリカの独立記念日かフランスの革命記念日(巴里祭)となる。少なくとも詠まれた年から考えてサンフランシスコ講和条約発効の日ではないようだ。

    この中で、最も多くの句が詠まれた新しい年中行事が次の三つの日であった。

    【文化の日―11月3日】

    【母の日―5月第2日曜】

    【赤い羽根共同募金―11月1日より1カ月】

    なぜこれらが特に好まれたかは次回また考えてみたい。これらは、戦前何の根拠もなかったところから戦後突然生まれた季語であり、しかしながら、短期間にこれだけたくさんの句が生まれるにあたったわけで、季語が生まれ、発展し、題意が生じる独特の過程を見ることができるという意味で、現代季語論では興味深いものがあるのである。それぞれの季語によって事情が異なっている。それは次回以降で述べよう。

    【俳句時評】 「高柳重信」を知らない僕たちの想像力について / 外山一機

    高柳重信が亡くなって三〇年がたった。没後の三〇年間を生きるなかで、高柳の存命中に若手だった俳人たちはようやく還暦を迎えるころとなった。この事態をかつての若手俳人たちはどのように感じているのだろうか。

    ところで、還暦の祝賀とは、いったい何なのであろうか。今年は、この西東三鬼の他に永田耕衣もそれに当たった。そして、来年は、山口誓子、中村草田男、秋元不死男、滝春一などが、同じように還暦を迎えるわけであるが、この人生における一区切りは、何を意味しようとして殊更に意識され、かつ祝われるのであろうか。
    おそらく、くせものは、この「祝う」という皮肉な儀式の中にひそんでいるのであろう。これは、夭折をまぬがれ得て生き延びてきたことの目出たさを単純に祝福する、いわば目出たずくめの儀式ではなさそうである。それは、一面において、長期にわたった権威の座からの引退のうながしを含んでおり、また他面においては、いよいよ伝説の人としての門出を意味するようでもある。それは、敬して遠ざけることによって、その老残の醜をさらすのをかばい、同時に、自らの進路を清掃するという、後進としての人間が古来つみかさねてきた残酷にして能率的な知恵の現われでもあろうか。ともあれ、一種の晴れがましさと、もの淋しさとが入り混じったような、この残酷な儀式は、そこに
    何ごとかの痛烈な思い知らせを含んでいるかぎり、僕もまた、強い共感と支持を惜しまないのである。(高柳重信「還暦その他」『俳句評論』一九六〇・七)

    このように述べた高柳自身は自らの還暦の年に亡くなるが、その没年を超えるというとき、そこにはどのような思いが去来するものなのだろうか。いま僕たちが、高柳没後をまさに「高柳没後」という語で呼ぶほかないのだとすれば、あるいはまた「僕も含めて、何かが明瞭な見通しとなって見えてきているという風景はない」(林桂「私的俳句表現の現在」『アルカデイア』一九八〇・四)という「手ぶらの現在」が三〇年後のいまもなお続いているのだとすれば、僕たちはいよいよもってこの新しい還暦俳人たちを葬送しなければならないはずなのである。ただ、「何かが明瞭な見通しとなって見えてきているという風景はない」という状況が常態化した現在にあっては、送る側も送られる側も、きっとそのような儀式の空しさをお互いに見抜いているにちがいない。だから、生きながらえたことを言祝ぐことはあっても、生きながらえてしまった者の痛みや悲しみなどに思いを馳せることはなく、だからこそこのような儀式など思いもよらないのではあるまいか。

    話を高柳重信に戻せば、そもそも高柳の還暦の儀式もままならないなかで新たな還暦俳人を見送ることなどお門違いなのかもしれない。今年高柳重信再読の試みが期待される所以であるが、それは安易な称賛に終わるのではなく、その仕事の再検証となるものなければなるまい。

    その意味では、たとえば近年の「郊外」論などは、高柳がその晩年に『山海集』において展開した地霊との交感のごとき方法論の射程距離を現在から照射するためのてがかりを与えてくれるものであるように思う。じっさい、あの「飛騨」一群の作品にみられるようなストイックな試みは、僕たちにとってどれほどの切実さをもって迫ってくるだろう。僕たちはまだこうした「神聖な」試みを自らのものとして引き受けるだけの想像力を持ちえているだろうか。

    先頃刊行された『現在知vol.1 郊外、その危機と再生』(三浦展、藤村龍至編、NHKブックス)、三五歳の浜崎洋介は次のような文章を寄せている。

    かつて三浦展は、酒鬼薔薇事件の後に須磨ニュータウンを訪れた際、「よそ者が入り込む余地」を残さず、「自分がその街に関与する隙間」を排除したニュータウン郊外の風景を見て、それを「私有の空間」だと表現した。そして、そんな空間で「子供がいったん歯車を狂わせたらどうなるだろう」と問うた。が、まさに私が「歯車を狂わせた」子供だった。非人称の視線によって環境管理された「私有の空間」に、自分の居場所を、自分の隠れ場所を見つけ出すことのできなかった私は、次第に、だれも来ないニュータウンの外れにある小高い丘に行くようになっていた。私にとって、その丘の雑木林のなかだけが、学校や家や地域の視線が及ばない辛うじての「外部」だった。(略)
      そして、ニュータウンを去ってから三年後、東京で芸術系の大学に進んだ私は、酒鬼薔薇事件を知ることになる。犯人の少年Aは、ヒトラーとダリとスメタナが好きだったという。かつてのわたしもダリとスメタナを好んでいた。私は、少年Aとの共通点を数えながら、ニュータウンの風景を思い出していた。(「郊外論/故郷論―「虚構の時代」の後に」)

    少年Aに自らの姿を重ねる浜崎のありようは、僕にとってもまた他人事ではない。少年Aと同い年であるはずの僕もまた、否応なしに彼と同じだけの年月を歩いてきたのであった。そして僕たちは今年三〇歳になった。

    群馬から上京した僕は東京に勤め先を持ちつつ家族とともに「郊外」と呼ばれる土地に住んでいるけれど、東京郊外にある「すずかけ台」や「つくし野」といったふわふわした名前の駅を電車で通過するたびに、僕は少しばかりのむず痒いような感覚と、しかしそれ以上の愛おしい思いとがこみあげてくる。そしてまた、そうした愛おしさについて考えるとき、ふと思い当たるのは、僕が群馬にいたころから商店街というものを妙に敬遠していたことであった。僕の実家のまわりには店などなかったから、買い物に行くときは決まって「マチに行く」と称して自動車で二〇分近くかけて駅前に行くのであった。とはいえ駅前の商店街はすでに機能しておらず駅近くに新しく建ったスーパーマーケットで食料品や衣料品を買い揃えるのである。だから僕には「マチ」とはまぎれもなくスーパーマーケットのことであって、そこにたどりつくまでに通過する商店街は、いわば「なかったこと」になっていた。
    あるいは中学生のころ、近所の本屋が突然店をたたんでしまったことがあった。聞けば、すぐ近くにショッピングモールができ、そのなかにある本屋に客が流れてしまったためだという。ちょうどそのころ借地に建っていた僕の実家に賃料の値上げの話が舞い込んだのも、思えばこのころのことであった。田畑が次々につぶされて風景も匂いも急激に変わってゆき、食卓に芹や蝗がのぼらなくなったことで、近所の変化は僕にもはっきりと感じられた。僕は怒りを感じ、その怒りのやり場として初めて戯曲めいたものを書きはじめた。けれど、とうとうそれを書きあげることができなかったのはその怒りが嘘だったからにちがいない。僕は本当はその本屋を愛してはいなかった。だからその本屋が閉店する以前から早々にショッピングモールの中の本屋に乗り換えてしまっていたし、僕の実家が引っ越すことになったときにも別段悲しくはなかった。戯曲らしきものを書きながら僕は、弱者としての自分やあの本屋の姿を想起することに酔っていたにすぎなかった。思えば、ショッピングモールの中のシネコンには通ったけれどあの商店街の近くにあった映画館に決して行くことはなかった僕は、見事なくらいに軽薄な消費者であった。

    郊外に散らばるふわふわとした地名を愛おしく感じるのには、こうした僕の出自が少なからず関係しているように思う。僕は古い土地を消去していく行為に慣れていたし、そのようにして出来あがった相対的に新しい何がしかについて、そこに未来を感じることはありえなかったけれど、暫定的な現在を感じてはいた。そのような現在への愛情をもって僕はまた郊外を愛してもいるのである。だから僕は郊外に対する否定的な言葉よりも、次のような言葉にこそ強く共感する。

    かつてそこにあったものも、そこで起こり、生きられたことも“忘れゆく場所”であること。互いに互いを見ない場所や人びとの集まりや連なりであること。そこに郊外という場所と社会を限界づけるものがあると同時に、人びとをそこに引き寄せ、固有の神話と現実を紡ぎ出させてきた原動力もある。そんな忘却の歴史と希薄さの地理のなかにある神話と現実を生きることが、郊外を生きるということなのだ。(若林幹夫『郊外の社会学―現代を生きる形』ちくま新書、二〇〇七)

    高柳重信の『山海集』での試みは、やがて『日本海軍』へと繋がっていった。軍艦の名を蔵した句をひとつひとつ配置してゆくことによってできあがったいわば高柳のまぼろしの艦隊としての『日本海軍』は、『山海集』以後に高柳が辿りついたもうひとつの犯しがたい領域のありようを示していよう。そして僕はそれを理解することはできても、きっと高柳ほどにはそれを愛することができないだろう。攝津幸彦の「南国に死して御恩のみなみかぜ」についてかつて高柳は「攝津幸彦の世代の人には戦争は概念なんだ」というようなことを言ったというが(宇多喜代子「あゝ三越」『未定』一九九七・九)、この種の行き違いは『山海集』においてもありうることだ。そして僕たちは、この行き違いのままならなさをそのまま引き受けつつ、いよいよ、僕たちの「神話」を生きるほかないのではあるまいか。そう考えるとき、たとえば次のような言葉が、僕にはひどく大切なものに思われてくるのである。

    「病理としての郊外」「何もない郊外」という強烈なイメージによる刷り込み、先入観が、私たちの目を曇らせ、あるはずのものを見えなくしている可能性はじゅうぶんにある。もしかしたら、問題は郊外という場所にあるのではなく、そこから何も読み取ることのできない私たちの眼差しの精度にあるのではないか。(佐々木友輔「拡張された郊外におけるアート」『floating view 郊外から生まれるアート』トポフィル、二〇一一)

    【俳句作品】 だいたい / 佐藤文香

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       だいたい  佐藤文香

    とめどなく果実の中のかたちたち

    目の中の水が濁るよ梅雨の日々

    ごまパンに息づく胡麻や夏の花

    閉ぢて咲く花マヨネーズ色の花

    コンクリートの壁面耳の奥が沖

    鮫同士まざつてしまふ鮫溜り

    海底を鮫で隠してまはりけり

    たぶん雨つめたい朝の砂利がある

    ほぼ君のなかのわたしがあけび吸ふ

    ほんたうに羽搏いてゐる鳥の空



    2013年6月21日金曜日

    第25号 2013年6月21日発行

    【俳句作品】

    • 二十四節気題詠句 その2
    ……中村猛虎,杉山久子   ≫読む 


    その1 ・・・・・・曾根毅 ≫読む

    • 現代風狂帖(10句)

     水色の蝶  前北かおる  ≫読む 

     無機的、性的  関悦史  ≫読む 


    【戦後俳句を読む】

    • 近木圭之介の句【テーマ:青】  
                         ……藤田踏青   ≫読む 

      • 赤尾兜子の句【テーマ:場末、ならびに海辺】
      ……仲寒蝉   ≫読む


      • 文体の変化【テーマ:昭和20年代を読む④~酒とタバコ~】
      ……筑紫磐井   ≫読む


      【現代俳句を読む】



      • 『二十四節気論争』(追加)
      ……筑紫磐井 ≫読む 


      • 俳句時評 第90回青木亮人編『コレクション・都市モダニズム詩誌22 俳句・ハイクと詩 Ⅱ』・加藤郁乎編『永井荷風句集』(岩波文庫)~
                  ……湊圭史 ≫読む 


        • 「歳旦帖」を読む~貫く棒の如きもの~
          •       

          参照:平成二十五年 歳旦帖 (全編) ≫読む

        【編集後記】
        あとがき   ≫読む


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        • 第37回 現代俳句講座 (主催:現代俳句協会)  >>読む
        • 第2回  攝津幸彦記念賞 ≫読む
        • 第5回「こもろ・日盛俳句祭」詳細決定!! ≫読む (小諸市のサイトへジャンプします。)new!!
        ~俳句の林間学校「こもろ・日盛俳句祭」へのお誘い~……本井 英 ≫読む










        ※画像をクリックすると鮮明な画像に変わります。


        ※『-俳句空間ー 豈 第54号』は邑書林のサイトから購入可能です。
        関悦史第一句集『六十億本の回転する曲がった棒』、『相馬遷子ー佐久の星』、などなど話題の書籍がぞくぞく!


        第25号 (2013.06.21.) あとがき

        北川美美

        今号、新鋭の作家作品が御覧いただけます。前北かおる氏、関悦史氏、中村猛虎氏、杉山久子氏の作品です。とても豪華なメンバーが揃った雰囲気です。ご寄稿ありがとうございます。

        ありがたいことで、「俳壇」7月号にここでのお仕事の御蔭で作品を掲載していただきました。経歴については自分で書くのですが、やはり俳句に生年は必要なんだろうと生年を入れました。意外にそれが受けているらしいのです。

        友人の歌手・渚ようこはデビューから本名・生年月日非公表で通していますが彼女が20代と思える十数年前の写真を見たが全く変わりません。急逝した英国人歌手Amy Winehouseと虚飾な雰囲気が似ていて、歌唱はシャーリーバッシ―か美空ひばり並みだと思うのですが、そういう世界の人はさておき、俳句作品は制作年、作家の制作年齢なども読者には情報として必要というのが慣習で、年鑑に載せてもらいたければ、やはり生年は発表時には必要なのでしょう。特に異論はないのですけれども。年齢公表で、ある意味全くの年齢不詳、動く「金原まさ子」様をテレビではじめて拝見しました。恐るべしです。

        そして、渚ようこといえば、私が初めて句会を経験したのは彼女に誘われたことにはじまります。山本紫黄と長谷川知水(作家・三田完/長谷川秋子御子息)がその場にいらっしゃいました。以降、彼女の身代わりのように句会に行くように。山本紫黄は、その後もふらっと渚ようこの店に顔を出しウィスキーを飲んでいたようです(普段は日本酒のみなのに)。紫黄は渚ようこの鶯谷・東京キネマ倶楽部での2004年のリサイタルを観ています。今年は山本紫黄7回忌でもあります。


        筑紫磐井

        ○二十四節気題詠句が引続き寄せられているので掲載した。その参考資料として、「現代俳句を読む」で<『二十四節気論争』(追加)>を掲載した。本文に書いているように、『二十四節気論争』(筑紫磐井編二五年一月刊)の「二十四節気見直し問題の経緯」に、一月以降の二十四節気見直し問題の経緯を追加としてまとめたものであるが、『二十四節気論争』はこのブログでも掲載しているので、その続編でもある。これを参考にしていただいて巻頭の「二十四節気題詠句」を読んでいただくと興味深いと思う。

        ○「俳壇」7月号にはどういう偶然か「豈」関係の記事が多かった。「俳句とエッセイ」で恩田侑布子氏、「俳人クロニクル」で高山れおな氏の10句と正岡豊氏によるれおな論、今月の編集長という作品欄で北川美美氏の7句、俳壇時評の連載を筑紫が開催している。こんなことは10年に1度しかないかも知れない。特に北川編集長の素顔と年齢は初出ではないかと思う。必見である。

        ○本BLOGでも告知していた「第2回攝津幸彦記念賞」の応募が締め切られ、かなりの件数が集まり、選考委員による選考が開始されている。7月には選考委員の顔合わせが行われると聞いている。


        赤尾兜子の句【テーマ:場末、ならびに海辺】/仲寒蝉

        街空さわぐ屠場にうかぶ濡れた蛸   『虚像』

        これこそ場末の風景である。屠場、すなわち屠殺場は今では「食肉処理センター」などと血の匂いのしない名称に改められているが、要は牛や豚を殺す場所である。当然町外れ、つまり場末に位置し決して中心街にはない。「街空さわぐ」のは鴉でも集まって来るのか、それとも屠殺される家畜達の阿鼻叫喚の声なのか。いずれにせよ不吉だ。

        阿鼻叫喚と書いたが、昔は知らず、今は家畜を気絶させ意識を失わせてから頸動脈を切って失血死させるらしい。一瞬で死ぬ方法を取らないのは、そうすると体内、特に筋肉に血液が残ったままになるからで、肉の中に血が残ると味や品質が低下するのだそうだ。意識のない状態で血を抜かれるから別に騒ぎはしない。鳴き叫ぶのはむしろ屠殺場に連れて行かれる者たちである。もちろんこれから自分が殺されると知って恐怖におののいている筈などはない。ただ無理矢理引かれていくことに対して鳴いているだけだ。殺されるとか怖ろしいという意識や知能はない筈だ。それがあるかのように書いたりするのは同情を引くための動物愛護家の欺瞞であろう。

        話が逸れた。兜子は感情のかけらも示さず淡々と屠殺場の風景を描く。問題は「蛸」の存在。何故屠殺場に蛸がいるのか?屠殺というのは家畜、つまり獣を殺すことであって魚や、況して軟体動物に対しては用いない言葉である。だからこの蛸は偶々そこにいたのか、或いは屠殺場の従業員が持ち込んだのだろう。「濡れた蛸」とあるだけで生きているのか死んでいるのか分らないが「うかぶ」という表現からは死んでいるように思われる。食料として持って来られたか、海が近いので紛れこんできたか、いずれにせよ屠殺場の水のたまった場所に蛸が浮いているのである。屠殺による血の匂いに加えて蛸の放ついその匂い、海の生物の匂いが漂っている。

        こんな美しくも心地よくもない風景、場所、出来事を俳句にしようと思った当時の兜子の真意が知りたいものだ。

        『二十四節気論争』(追加)/筑紫磐井

        『二十四節気論争』(筑紫磐井編二五年一月刊)の「四.参考資料(二)二十四節気見直し問題の経緯」に、一月以降の二十四節気見直し問題の経緯を追加としてまとめた。

        (☆は日本気象協会の活動、★は俳人の活動、○はジャーナリズムの反応。()内は編者が発表文などから要旨をまとめたもの)

        ☆二〇一三年四月二五日日本気象協会が「新しい季節のことば」を発表

        日本気象協会が「新しい季節のことば」を発表した。「季節のことば 選考委員会」(日本版二十四節気専門委員会を改称)により「季節のことば36選」(各月三つの予定であったが、じっさいは七月はしぼりきれず四つのため37)を選定したもの。
        (選考委員会委員は、委員長新田尚(元気象庁長官)、安達功(時事通信編集局長)、石井和子(元TBSアナウンサー,日本気象予報士会顧問)、岡田芳朗氏(暦の会会長)、梶原しげる(フリーアナウンサー,東京成徳大学応用心理学部客員教授)、片山真人(国立天文台暦計算室長)、長谷川櫂(東海大学文学部文芸創作学科特任教授,朝日俳壇選者)、山口仲美(明治大学国際日本学部教授))。

        【春】

        三月 ひな祭り、なごり雪、おぼろ月
        四月 入学式、花吹雪、春眠
        五月 風薫る、鯉のぼり、卯の花

        【夏】

        六月 あじさい、梅雨、蛍舞う
        七月 蝉しぐれ、ひまわり、入道雲、夏休み
        八月 原爆忌(広島と長崎)、流れ星、朝顔

        【秋】

        九月 いわし雲、虫の声、お月見
        十月 紅葉前線、秋祭り、冬支度
        十一月 木枯らし1号、七五三、時雨

        【冬】

        十二月 冬将軍、クリスマス、除夜の鐘
        一月 初詣、寒稽古、雪おろし
        二月 節分、バレンタインデー、春一番

        【経緯】この発表に当たっての経緯で、日本気象協会は、「今回の取り組みは、二十四節気を変えるものではありません。取り組み開始当初、「新しい季節のことば」には“日本版 二十四節気”とキャッチフレーズがついていたため、「従来からの二十四節気を否定する、変更しようとしている」というとらえられ方をされて取り組み自体に反対意見も多くでました。誤解を避けるため、取り組みを進める中で当初のキャッチフレーズは封印し、「季節を感じることば」を応募する方々の自由な感覚で記載していただきました。」とあり、「季節のことば選考委員会では、一年のめぐりを二十四の言葉で表現している「二十四節気」のひとこと解説もつくりました。伝統ある二十四節気はこれからも親しんでいきたい“季節のことば”の一つです。」と述べている。以下にその解説を掲げる。(従来の解説と大幅に異なるところもあるので、参考までに、角川文庫『俳句歳時記(第4版)』の解説を[]内に掲げた)

        二月

         立春(りっしゅん)春の生まれるころ[角川・暦の上ではこの日から春になる]
        雨水(うすい)春の雨が降りはじめる[角川・降る雪が雨に変わり、積もった雪や氷が解けて水となるとの意]

        三月 

        啓蟄(けいちつ) 地中の虫が目覚める[角川・暖かくなってきて、冬眠していた蟻・地虫・蛇・蛙などが穴を出るころ]
        春分(しゅんぶん)春のなかば[角川・昼夜の時間がほぼ等しくなる日]

        四月

         清明(せいめい) 麗か[角川・清浄明潔を略したものといわれ、万物が溌剌としている意]
        穀雨 (こくう)穀物が芽吹くころ[角川・穀物を育てる雨という意]

        五月

         立夏(りっか)夏の生まれるころ[角川・暦の上ではこの日から夏が始まる]
        小満(しょうまん) 若葉の輝くころ[角川・万物がしだいに長じて満つるの意]

        六月

         芒種(ぼうしゅ) 麦の熟れるころ[角川・禾(のぎ)のある穀物を播く時期の意]
        夏至(げし)昼がいちばん長いころ[角川・一年中で昼が最も長い]

        七月

         小暑(しょうしょ)暑さが厳しくなる
        大暑(たいしょ) 暑さ極まるころ

        八月

         立秋(りっしゅう)秋の生まれるころ[角川・暦の上ではこの日から秋に入る]
        処暑(しょしょ)暑さが衰える[角川・処は収まるの意]

        九月 

        白露(はくろ)露が白々と結ぶ[露が凝って白くなるの意]
        秋分(しゅうぶん)秋のなかば[角川・昼夜の時間がほぼ等しくなる日]

        十月

         寒露(かんろ)肌寒さを覚える[角川・露が寒さで凝って霜になるの意]
        霜降(そうこう)早霜[角川・霜が初めておりる意]

        十一月

        立冬(りっとう)冬の生まれるころ[角川・暦の上ではこの日から冬に入る]
        小雪(しょうせつ)初雪

        十二月

        大雪(たいせつ)雪が降る[角川・小雪に対して、雪が多い意]
        冬至(とうじ)昼がいちばん短いころ[角川・一年中で昼が最も短い]

        一月

         小寒(しょうかん)寒さが厳しくなる[角川・寒の入りの日]
        大寒(だいかん)寒さ極まるころ[角川・一年で最も気温が低い時期]


        ○朝日新聞四月二八日/「卯の花・蝉しぐれ…季節のことば36選 気象協会が発表」
        (「季節のことば36選」を紹介し、今後はテレビの天気予報などでおなじみになりそうだという。なお二七日の「天声人語」でも一言紹介があり、賛否を交えて話題を呼びそうと書いている。)

        ★「俳壇年鑑」(五月刊)/筑紫磐井「伝統の見直し」(巻頭言)
        (一年間の回顧記事の中で、日本気象協会の二十四節気の見直し、新しい季節のことばの募集の状況を報告する(執筆段階では新しい季節のことばはまだ未発表)。)

        ★「俳句」六月号/櫂未知子「現代俳句時評6 季語は誰が決めるのか」
        (季語の話題の中で、日本気象協会の二十四節気の見直しに触れ、気象協会が民間団体であること、募集した季節のことばに著作権を設けようとしていること、などを批判する(執筆段階では新しい季節のことばはまだ未発表)。)

        ★「俳壇」七月号/筑紫磐井「季節のことば37?選」(俳壇時評)
        (「季節のことば36選」が決まったことを紹介し、問題点を四つ紹介する。また、この問題に暦の会会長岡田芳朗氏の責任が重いことを指摘する。)


        文体の変化【テーマ:昭和20年代を読む④~酒とタバコ~】/筑紫磐井

        ○酒

        【密造酒】

        冬の夜のラヂオ密造酒をあばく 浜 26・3 渡辺つね子
        【粕取酒】

        粕取の酔ひ昏々と梅雨めく夜 石楠 23・9 奈良木酋
        【カストリ】
        濁酒を醸せる納屋やつばめの巣 浜 23・6 福田渦潮 
        きさらぎの上にどぶろく一壺秘む 石楠花 同 鹿山隆濤 
        カストリや面ざし高貴なる名残り 暖流 23・8 園部三吉 
        カストリ屋裏の芒を壜に挿す 俳句研究 24・7 瀧春一 
        どぶろくにとほき枯木の哭く夜なり 浜 26・2 矢尻遊子 
        どびろくをもてなされても湯ざめかな 春燈 28・2 中村二彩亭
        【焼酎】
        焼酎を呑む秋風に耳吹かれ 天狼 24・11 高桑冬陽
        【メチール禍】
        メチールの毒癒えず柚子噛んでみる 石楠 22・4/5 石川芒月
        ※古くから酒粕を原料に蒸留して製造する「粕取焼酎」があるが、これと異なり、戦後の混乱期、粗悪な密造焼酎のことを「カストリ」と言った。有毒なメチルアルコールを水で薄めたものまでが売られ失明事故も頻発した。これらを総称して「カストリ」と言う。従って名称こそ違うものの、「カストリ」「粕取酒」「密造酒」「焼酎」「どぶろく」は同じものと言ってよいだろう、それから容易に「メチール禍」も連想されるのである。「カストリ」「粗悪な蒸留酒」というイメージから、エロ・グロを内容とする粗悪な印刷の安雑誌をカストリ誌と言った。多くは3号雑誌(3号で廃刊になる)で「3合飲むとつぶれる」と洒落たものである。カストリとヒロポンは戦後文学を語る上で不可欠だ。

        ○タバコ

        【ピース】
        ピース吸ふ心の奢り虹を見て 寒雷 24・10 一見青嶺子 
        腕時計に春光ひたとピース買ふ 俳句研究 26・3 鶴淡路 
        ピースの箱秋らしく陽色◆より 麦 27・10 高沢九雨 
        【やみ煙草】
        やみ煙草都心鷗の来ることあり 石楠 22・8 石原沙人
        【たばこを捲く】
        たばこ巻く手かなしき稚妻 21・3 出雲正秋
        【光】
        シャツ真白透けて見ゆるポケットの「光」 石楠 29・? 吹雪且蕾
        ※「ピース」は昭和21年から現在まで販売されている両切りたばこ。「光」は戦前から昭和40年まで販売された。高級感がわかないので、ハイライトの販売された時期の1本当たり価格で並べてみよう。

        ピース(10本)   40円(両切)
        ホープ(10本)   40円(フィルター付き)
        ハイライト(20本) 70円(フィルター付き)
        光(10本)     30円(両切)
        いこい(20本)   50円(両切)
        しんせい(20本)  40円(両切)
        ゴールデンバット(20本)30円(両切)
        「ピース」・「光」の高級感が分かるであろう。

            *    *

        ちなみに、30~35年ごろの物価は、20年代と異なりようやく落ち着いてきており、次のような水準にあった。

        はがき      5円
        かけそば 25~35円
        銭湯      15円前後
        バス      10円
        国鉄初乗り   20円
        ビール    125円

        だそうである。

        食物(闇米、雑炊、粥、代用食)を取り上げるとみじめになるので、今回は嗜好品を取り上げてみた。前回の女性にかかわる素材と対になるであろうか。何のかのと言っても、嗜好品の場合は切実度がなく、どことなく幸福感があるのは否めない。だからこれらは、社会性俳句ではなく境涯俳句であり、私小説的な世界が描かれているというべきなのだ。おそらく俳句に向いていたのはこうした素材であったのだろう。

        桑原武夫の「第二芸術」は俳句の世界ではあまりにも有名だが、この論を丹念に読むとその批判対象は俳句ばかりではないはずだ。俳句とは老人が行う菊作りや盆栽のようなものとし、江戸時代の音曲同様学校の教科書から排斥せよと言っているのだから、これらも批判の対象である。また、明治以来の小説がつまらない理由は俳句に見られる安易な創作態度にそのモデルが見られるとしているのだから、明治以来の小説も批判対象である。おそらくその最たる者は思想を持ち合わせない私小説に向くはずだ。酒とタバコの幸せを描くこうした俳句は第二芸術の典型と言えるかもしれない。

        【俳句作品】二十四節気題詠句 その二 (中村猛虎、杉山久子)

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                  中村猛虎(ロマネコンテ)

        (芒種六月六日)
        花嫁行列早足で行く芒種かな

        (処暑八月二十三日)
        坂道を曲がれば坂のソウル処暑

        (小寒一月六日)
        小寒や人を攫うはいつも女


                  杉山久子

        (立夏五月六日)
        水たまり飛んで立夏の空仰ぐ

        (処暑八月二十三日)
        処暑の街シャガールを見て雲を見て

        (小雪十一月二十三日)
        文香のかほりて小雪と気づく

        (冬至十二月二十二日)
        猫好きを集めてゐたる冬至の灯

        【俳句作品】 水色の蝶 / 前北かおる

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          水色の蝶   前北かおる


        焦点の定まれば日矢青嵐

        柿若葉手鏡大の車庫ミラー

        田植機や背中の苗をそよがせて

        行々子止めば森より鳩の声

        葭切の世とは住みにくからざるや

        水色の蝶の来れる四葩かな

        手の甲で拭ふ生え際街薄暑

        白薔薇の背ナ曇らせてありにけり

        薔薇に佇つ手にコーヒーのマグカップ

        オリーブの咲くや夫婦に子がひとり


        【略歴】

        • 前北かおる(まえきた・かおる)

        1978年島根県生まれ。慶大俳句、「惜春」を経て、「夏潮」創刊に参加 する。第1回黒潮賞受賞。2011年第一句集『ラフマニノフ』上梓。
        ブログ http://maekitakaoru.blog100.fc2.com/

        【俳句作品】 無機的、性的 /  関悦史


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           無機的、性的   関悦史


        駅や昼機械音声囀れる

        春闇揺さぶる群舞に顕ちてニューハーフ

        Tシャツ脱がれダンサー特有なる筋肉

        夏の雲カップめん食ひメス化せむ

        無人機による殺害知らすアプリ梅雨

        デジタル機器みなべとべとす夏の浜

        風鈴がプロパガンダを吐きにけり

        泥土めくハンバーガーとコーラきれい

        地球二個分ほどの台風土星に生れ

        児童ポルノ禁止法と屏風を出ぬ虎と



        【略歴】

        • 関悦史(せき・えつし)

        1969年茨城県生。2002年第1回芝不器男俳句新人賞城戸朱理奨励賞。2009年第11回俳句界評論賞受賞。同年「豈」同人。2011年句集『六十億本の回転する曲がつた棒』刊、翌2012年同書で第3回田中裕明賞。共著『新鋭俳人アンソロジィ2007』(北溟社)、『新撰21』『超新撰21』『俳コレ』(以上、邑書林)、『虚子に学ぶ俳句365日』『子規に学ぶ俳句365日』(以上、草思社)。

        近木圭之介の句【テーマ:青】 / 藤田踏青

        自画像は未完である海きようも碧く

        昭和32年の作品である(注①)。圭之介は画家でもあったのでこの自画像は現実に制作中のものであったものかも知れないし、ふとその制作過程で疲れた眼を関門海峡に向けた際の光景とも考えられる。そして「碧」とは濃青緑色というふかいあお色を指しており、その海の碧さが自画像の陰翳の深さへも反映されているとも。しかしこの自画像はやはり心象的なものではないか。その方が「未完」という言葉の重みが認識され、海の碧と対置された存在になるであろうから。その事は既出(第6回「色」)の下記の句からも類推されよう。

        自画像青い絵の具で蝶は塗りこめておく     昭和41年作   注①

        「青い」とは若さ、未熟という意も含んでおり、それ故この自画像もある意味で「未完」という意を包含しているのであろう。そして掲句は心酔していたコクトーの下記の詩に触発されて書かれたものかもしれない。

        <自画像>抜  コクトー  堀口大學訳
        神秘の事故、天の誤算、
        僕がそれを利用したのは事実だ。
        それが僕の詩の全部だ、つまり僕は
        不可視<君らにとっての不可視>を敷写するわけだ。
        僕は言った、《声を立てても無駄だ、手をあげろー!》
        非情な衣裳で仮装した犯罪に向って。
        死の手管は裏切りが僕に知らせる。
        僕の青インクを彼らに注ぎ込んで
        幽霊どもを忽ち青い樹木に変えてみせた。

        「青」をコクトーは積極的にインクで、圭之介はやや消極的に絵の具で不可視のものへ塗り込め、それを自画像と一体化していったように思われる。

        砲口に道化 地球は限りなく青くはない     昭和59年作   注①

        この場合の「青」は心理的な透明感を示唆しており、道化は地球の危うさをイロニーに暗示しているかのように見える。

        島に寄る航路の女青い夕映えをもつ      昭和40年作   注①

        この島は小さな島かもしれない。舷側に佇む女のドラマが抱え込んでいる青い夕映えとは何であろう。ランボーも「夏の夕ぐれ青い頃」(堀口大學・訳:注②)や「蒼き夏の夜や」(永井荷風・訳:注②)とボヘミアンを詠っていたが、何故かその女も同じような思いに浸っていたのではなかろうか。

        注① :「ケイノスケ句抄」  層雲社 昭和61年刊
        注② :ランボー <感触> 堀口大學・訳 新潮文庫
                <そぞろあるき> 永井荷風・訳 『珊瑚集』文春文庫

        2013年6月14日金曜日

        第24号 2013年6月07日発行


        【俳句作品】

        • 二十四節気題詠句 その1
        ……曾根毅   ≫読む

        • 現代風狂帖(10句)

           アトリエ坂  内田麻衣子  ≫読む 

         ジャポニカ学習帳  中山奈々 ≫読む 


        【戦後俳句を読む】

        • 上田五千石の句 【テーマ:青】  
                             ……しなだしん   ≫読む 

        • 戦後俳句とはいかなる時空だったのか?【テーマ―書き留める、ということ】
        ……堀本 吟   ≫読む


        • 三橋敏雄『眞神』を誤読する 80.81.
        ……北川美美   ≫読む


        【現代俳句を読む】

        • 俳句時評 第90回青木亮人編『コレクション・都市モダニズム詩誌22 俳句・ハイクと詩 Ⅱ』・加藤郁乎編『永井荷風句集』(岩波文庫)~
                  ……湊圭史 ≫読む 


        • 「歳旦帖」を読む~貫く棒の如きもの~
          •       

          参照:平成二十五年 歳旦帖 (全編) ≫読む


        • 最新版!:日本気象協会「季節のことば37?選」……筑紫磐井 ≫読む


        【編集後記】
        あとがき   ≫読む


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        • 第37回 現代俳句講座 (主催:現代俳句協会)  >>読む
        •  第2回  攝津幸彦記念賞 ≫読む
        • 第5回「こもろ・日盛俳句祭」詳細決定!! ≫読む (小諸市のサイトへジャンプします。)new!!
        ~俳句の林間学校「こもろ・日盛俳句祭」へのお誘い~……本井 英 ≫読む







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        三橋敏雄『真神』を誤読する 80.81. <父はひとり麓の水に湯をうめる><冬日づたひ産れ髪して丘づたひ>/ 北川美美



        80.父はひとり麓の水に湯をうめる

        この句の「水に湯をうめる」の「に」の用法に馴染みがなく、解せなかった。この句の行為が二通りになる可能性を孕む「に」である。

        A 湯の入っている容器に水を加え湯をうめる
        B 麓の水(例えば川のような流れる水)に湯を運び、湯をまさしく埋める(埋め込む)

        Aは手段としての「に」。
        Bは場所、作用の目的としての「に」。
        Aは全うだが、Bは、無意味ともいえる行為だ。しかし『眞神』の世界観ともいえる彼の世とこの世の間を流れる視点を考えるならば、Bの水に湯を埋め込むという行為がふさわしいように思えるのだ。

        実は敏雄の『眞神』『鷓鴣』の辺りにはこの助詞の「に」の使用が多数ある。『眞神』で以下の30句である。梅に鶯、にーにー(沖縄方言のお兄さん)がいっぱいというところである。この「に」をどう解するかで読みに混乱が起こることを見据えているように思える。

        家枯れて北へ傾ぐを如何せむ
        雪国雪よみがへり急ぎ降る
        玉霰ふたつならびふゆるなり
        蒼白き蝉の子を掘りあてける
        草刈杉苗刈られ薫るなり
        蛇捕の脇みち入る頭かな
        己が尾を見てもどる鯉寒入る
        いちど入る日は沈み信天翁
        行雁や港港天地ありき
        共色の青山草放(ひ)る子種
        夕より白き捨蚕を飼ひける
        あまたたび絹繭あまた死ゆけり
        さかしまとまる蝉なし天動く
        油屋むかしの油買ひにゆく
        水待ちの村のつぶては村落ち
        朝ぐもり昔は家火種ひとつ
        身のうち水飯濁る旱かな
        裏山秋の黄の繭かかりそむ
        みなかみ夜増しの氷そばだてる
        半月(はにわり)や産み怺へ死怺へつつ
        父はひとり麓の水湯をうめる
        目かくしの木まつさをな春の鳥
        天地や揚羽乗つていま荒男
        山は雪手足をつかぬみどり児
        めし椀のふち嶮しけれ野辺いくつ
        ははそはの母歯はなく桃の花
        さし湯して永久(とは)父なる肉醤
        とこしへあたまやさしく流るる子たち
        少年老い諸手ざはり夜の父
        蒼き痺草あり擦りゆけり
        喉長き夏や褌をともなし
        霞まねば水穴あく鯉の口
        入る玉こそよけれ春のくれ
        横浜の方在る日や黄水仙
        手を筒して寂しければ海のほとり
        水の江催す水子逆映り
        孤つ家入るながむしのうしろすがた



        さらに、「父はひとり」の「は」を用いることで話が展開する。


        腿高きグレコは女白き雷

        グレコを強調した「は」と同様で「父は」と用いることで、父を強調しているのである。「おじいさんは山へ芝刈に、おばあさんは川へ洗濯に行きました。」をなぞれば、父はひとりだが、母はひとりではなかったように読める。

        全うなAの読みであったとしても、この父は何をするために湯をうめているのか。例えば、風呂、体を浄めるための湯が考えられる。風呂に入ってリラックスするのではなく、誰かのために湯をうめている。例えば、人の身体を拭くためのものかもしれない。産湯だろうか。

        産湯としての湯にしては、希望に満ちた父ではなく、この父の存在は途方に暮れるほど心細い。どこかそれは敏雄自身を映しているような孤独で悲しい姿であるとともに何かに執着している姿とも思える。

        Bの読みが『眞神』の世界観であり、三途の川に湯を埋め込む行為としても、川は温くはならない。温くしたいという気持ちだけの無意味な行為、途方に暮れる行為なのである。


        六句目の「晩鴉撒きちらす父なる杭ひとつ」の父の姿と間違いなく重複する。父であろう杭が、大地の男根そのもの、あるいは人柱のように打込まれている。

        上掲句のこの途方に暮れてる父の姿は、『方丈記』の鴨長明の人物像とも重なる。

        いづれの所をしめて、いかなるわざをしてか、しばしもこの身をやどし、たまゆらも心をやすむべき。
        (結局、この世には、心休まるところはどこにもない。どんな仕事をして、どのように生きても、ほんの一瞬も、この社会では心安らかに暮らすことができない。 小林一彦訳)

        鴨長明の『方丈記』が「つぶやき」「ぼやき」の「自分史」ととらえる見方もあるように、もしかしたら『眞神』も敏雄の「つぶやき」「ぼやき」の「自分史」であるかのようにみえてくる。そのように見せかけているのが『眞神』の罠なのだ。

        芸術的感覚とともに熟練度も達せられ、高度成長期の日本がどこか無常の世にみえたこと、書くのであれば今しかない、というモチベーションがこの『眞神』(そして同時期の『鷓鴣』ともに)が生まれたということには間違いないだろう。

        そして鴨長明が歌への執着を捨てなかったのと同じく、敏雄の描く父の執着は実は、敏雄自身の俳句への執着、家族との別離というようにも読める。ひとり無意味と思える行動をとることこそが人であることの証であることを詠んでいるように思えるのである。


        81.冬日づたひ産れ髪して丘づたひ

        前句の湯をうめる行為が産湯の可能性を秘めていることを想った。ここに「産れ髪」が出て来る。「産れ髪して」という身体感覚表現が、産髪(うぶがみ)のようなやわらかい感触を想像し、生まれたままの産(うぶ)な心を言いあらわしているようにとれる。しかし「して」とあるその対象が、作者自身なのか、作者とは別の例えば胎児のことなのかが微妙なところである。

        土は土に隠れて深し冬日向  『しだらでん』
        冬日の捉え方は、どこか神を想像するようなありがたい光であることを想う。冬の日を光の線として考えれば、そのひかりの道筋に導かれて生きているような気になる。冬日とは、いい言葉だと思う。
        それに対しての「丘」というのは、現実世界のことのようにも思える。彼の世とこの世を産ぶ髪を持つ例えば胎児が見えない臍の緒で結ばれているような感覚を覚える。

        冬の一日は短い。赤ん坊が丘づたいに登って行くには時間がかかり過ぎる。しかし、冬日を伝っていけば、いつかは春灯に繋がるという考えもある。ライフサイクルを青春・朱夏・白秋・玄冬とするならば、玄冬は、新たな四季、人生の巡りの準備をする季節という考えもある。ややこしく想像を巡らせるばかりなり。