十代の孤独に朝顔の種かたし 氷原帯 27・12 馬場敏充
十代の頬に飛雪のすぐとける 慶大俳句作品集 奈良鹿之助【アプレゲール】
焜炉とり巻くアプレゲールの貌燻らせ 暖流 24・8 小川一灯
※アプレゲール(apres-guerre、仏)とは戦後派の意味。特に日本では、戦前の価値観が崩壊した無軌道な若者たちのこと。犯罪では、光クラブ事件が典型。
【女子学生】
冬夕焼け喪のごと群れて女子学生 暖流 29・1 秋山珠樹
【マニュキュア】
緑蔭にマニキュアしかと男を抱き 麦 25・9 須知白塔
【アップ】
アップてふ髪の涼しき厨事 ホトトギス 27・12 倉重千代子
【カールクリップ】
カールクリップなど買うて秋刀魚も 石楠 25・1 柊乙冬
【ルージュ】
寒紅は母の世のことルージュ濃く ホトトギス 23・6 松野朧花
蝌蚪の水ルージュに染みし煙草捨つ 石楠 27・11 金野芦影子
梅雨寒き女患ルージュはあはれ濃く 鶴 23・9 丹波青鱗
湯上りのルージュ春夜の色に塗る 氷原帯 29・4 柿崎正秋
【ファッションショウ】
ファッションショウ見て来て目刺焼く夕べ 曲水 29・6 小林登喜子【ニュールック】
街薄暑まづニュールック娘らに ホトトギス 27・3 高田風人子
ニュールックみんながみんな背に枯木 暖流 24・12 野口みどり【ミス○○】
祭髪選炭婦にてミス遠賀 ホトトギス 23・6 田中岳峰
ミスさくらどれも恥じらい持たぬかお 氷原帯 29・7 藤沢千冬
【ナイトサロン】
ナイトサロンの灯には煌々と年暮るる 石楠 25・2 高橋草笛
【スクェヤーダンス】
花ちらほらスクェヤーダンス輪をひろげる 麦 26・7 齋藤句月
屋上のスクェヤダンス街薄暑 ホトトギス28・8 大山秋生
【ブギウギ】
梅雨と四十路のブギウギ低く口ずさみ 寒雷 23・9 赤城さかえ
ブギウギの筒抜けに町乾きたり 青玄 25・8 伊丹公子
ラジオのブギ燭光映し部屋暑し 麦 26・9 難波松花
この秋も再起とならずブギはいや 氷原帯 27・12 堀川翠州※ダンス音楽で、服部良一が初期に紹介、終戦直後に服部作曲の『東京ブギウギ』、『買物ブギー』などで笠置シヅ子がヒットさせた。
【ジルバ】
ジルバがやめば君と濡れよう夜霧のまちで 氷原帯 27・4 園本秀司
※終戦後駐留軍によって日本にもたらされた社交ダンス。
【シャンソン】
恋猫去りシャンソンラヂオより流る 氷原帯 28・4 豊島博男
栗の花シャンソン暗く繰返す 鶴 28・9 鬼頭文子
【ルンバ】
春寒の街え(ママ)ルンバよ鳴りわたれ 氷原帯 27・5 晴山夢放
※キューバのアフリカ系住民から生まれた音楽及び踊りだが、アメリカで社交ダンスとして変化した。
【ドミノ】
白地着てドミノ歌ふも肺翳る 曲水 29・7 星野石雀※不明。昭和27年、ペギー葉山が「ドミノ ドミノ 神のあたえし天使 ドミノ ドミノ 我をなやます悪魔」という『ドミノ』でデビューするが・・・。
【ロマンスグレイ】
ロマンスグレイなどと男の初鏡 暖流 29・3 瀧春一※初老男性の白髪交じりの髪やそうした男性の魅力。飯沢匡の同名小説(昭和29年発刊)で流行した言葉と言われるが、掲出の句を見るとそれ以前からあったように思われる。
【あひびき】
逢曳と流星と地の声離れ 風 23・11 福島春汀
あいびきやわれら子規忌を修しゐる 天狼 24・11 加藤かけい
媾曳が別れし後の雪野原 氷原帯 27・5 大島一鶴
あいびきや墓地に焚く火を左眼にし 氷原帯 27・6 須田紅三郎
あいびきのあと砂浜に安ハンカチ 天狼 28・8 山口誓子
あいびきののろのろ歩く蓮の花 旦暮 日野草城先に紹介した②「薬と性」にあっては、限られた女性たちが主人公であったが、ここに上げた項目については、戦後の女性一般に共通する属性と見てよいであろう。前の女性たちが重苦しく運命にもてあそばれているのに対し、ここに上げた女性たちは戦後を享受、謳歌しているようである。全体の雰囲気も明るい。おそらく多くの読者たちの母や妻たちの肖像がそこには浮かび上がることだろう。ここではさらに少しそうした雰囲気にひたる、男性たちも含めてみた(【ロマンスグレイ】)。
そうした意味で戦前と戦後を比較して見るのに、こんな例はどうであろうか。「ジャズ」はアメリカで発生し古くから発展を遂げて来た。日本には戦前から流入し、作曲家の服部良一、歌手としては二村定一、淡谷のり子、ディック・ミネや、ボードヴィルを含めればあきれたぼういずや川田義雄(晴久)が人気を集めていたが、やはり何と言ってもジャズは戦後の音楽であった。それは上に述べたような特質を持っていたためであろう。同じ「ジャズ」の言葉を使っても決してそれは戦前のそれと紛れることはない。
【ジャズ】
ラヂオジャズ終わりぬダリヤ壺に垂れ ホトトギス 23・4
陋巷の冬木にジャズのまつはりぬ 浜 24・5 三浦紀水
蝶交るどの家も午後のジャズ鳴れり 麦 25・10 安土利一
ジャズの音がこむ青年の夜長あたたかし 天狼 25・11 秋元不死男
兵舎にジャズストの艀の霧う灯よ 道標26・11 古沢太穂
駅の喫泉飲むや寒夜のジャズ遠く 麦 27・12 中島斌雄
雪虫や地階よりジャズ溢れをり 浜 28・1 鈴木凍火
ジャズ終える雪襞にまだ声残し 氷原帯 28・12 田口隆峰
白シャツにひびく本牧の昼のジャズ 浜 28・12 片岡慶三郎
ジャズ洩るるうけとめてゐし薄氷 石楠 29・5 内田啓
ジャズは熱き星うち上げてまた無音 暖流 同 鈴木志鳴
猫柳ジャズの不協和音に耐ふ 俳句 同 山田麗眺子
陽の牡丹ジャズ高なりも極みの音 万緑 29・7 中川千鶴
※ジャズは、19世紀頃からアメリカ南部で発生した音楽。日本では戦前から流入し、戦争中に禁止されたが、戦後復活。
※に注釈を加えたが、これは現在の一般的な解釈。しかし、掲出したこれらの句で使われているジャズとは少し違うような気がするのだがどうであろう。我々が今考えるジャズとは少しずれていて、タンゴ、シャンソン、ハワイアン、カントリー、ラテンなど何でもありの「軽音楽」すべてであったような気がする。一説では、進駐軍向けの放送(WVTR。後にFEN)で流れた「煙が目にしみる」がこうした軽音楽の最初であったと語られている。
もしそうであれば、あまり厳密にジャズの定義をしてもしょうがないかもしれない。上の俳句に現れた「ジャズ」で俳句作家たちがイメージしていたのはアメリカから流れ込んだ開放的な音楽だったのだろう。そうした軽音楽を「ジャズ」というなら、「揺れる日本」にはあまり出てこないが、これら「ジャズ」は当時のラジオを中心として流れていた曲ではないか。上の句から聞き取れるジャズは、すべてラジオから流れ出ている曲のように聞こえる。
じっさい番組としては、民放が活発であった(日本で民放が出来たのは昭和26年以降であった。その意味で上にかかげた23年の句は進駐軍放送の曲であったかも知れない)。
S盤アワー(文化放送)=27年4月~43年
L盤アワー(ラジオ東京)=29年10月~63年
(その後P盤アワーも出来たという)
これらの番組で流れた具体的な曲名は、バナナ・ボート、パパはマンボがお好き、ムーンライト・セレナーデ、テネシー・ワルツ、ハイヌーン、エルマンボ、セシボン、ボタンとリボン、センチメンタル・ジャーニー、ベッサメ・ムーチョ、ケ・セラ・セラ・・・・。雑然としたこれらの曲名を随時、上の俳句に差し挟めばもう少し当時のイメージが深まるのではないか。言うなればロカビリー寸前が「揺れる日本」の音楽だったのであろう。そう考えればたしかに戦前のジャズとは少し違っているようである。
ちなみに、NHKはこうした「ジャズ」とは少し離れた距離感を持っていたようだ。当時の歌番組には次のようなものがあった。
今週の明星=25年1月8日~39年4月2日
三つの歌=26年11月2日~45年3月30日
陽気な喫茶店(バラエティ)=24年4月5日~29年11月2日
紅白歌合戦やのど自慢につながる国民的歌謡番組を志向していたことがよく分かる。
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