北川美美
諸々の締切が5月末に重なり、さらにPC不具合も続行中で泣きっ面になんとやら。PC不具合については、インターネットに必要なアプリケーションをどうも削除してしまったようで、インストールし直しても繋がらないのである。テクノロジー部門がすぐ不具合を直しに来てくれた会社勤めが懐かしい。不具合から3週間が経過しているが、その間にやったことは、深夜にカスタマーサービスに電話してみたこと。電話に出られたのは「こーと申します。」と多分、「黄(こう)さん」で、中国籍の方だったのかと思う。人のコンピューターに関する忍耐が必要な対応に的確に指示を出していただき感動してしまった。多分、日本人の対応では、どのような対応でも小馬鹿にされたような気になり、ボルテージが上がってしまうのだろうが、その忍耐強さと淡々とした対応には驚きすら覚えた。外資系企業に従事していた頃、大連のスタッフに仕事を依頼することが多々あったので、もしかしたらこの深夜のカスタマーサービスへの電話は大陸に直接繋がっていたのかもという気もした。結果、状況は同じで改善はされていないままであるので対応に感心しても意味がなかった気もするが、修理に出すにもバックアップを取るに手間がかかり、そのまま代用のPCですでに3週間以上を過ごしている。修理よりも先に代用PCを早く入手するのが先のようだ。
前号で、俳句時評で女性の論者をあまり見ないということに触れたが、このサイトになかなか登場して頂けない「高山れおな」氏のお名前は性別上では至って謎である。御名前からの第一印象が男女の区別がつかないところがなんとも罠のようである。ブログ「詩客」での「日めくり詩歌」の執筆時は約1-2か月分に近い原稿が深夜にどっと届いていた。現在も読んでも多いに参考にしている型についてのシリーズである。
高山さんも、筑紫相談役もその執筆量と速さ、そしてその内容には驚くばかりである。書いても書いてもヘコタレナイ鋭い書き手が出てくれないかなーと待っているのだが、なかなか簡単に光るタケノコは出てきてくれない。『攝津幸彦賞』の締切も過ぎたので、その受賞者に期待大である。選考過程が気になるところだ。
と、高山さんの最新句集『俳諧曽我』の経歴を拝見すると、「1992 この頃、「俳句空間」の新鋭作品欄に投句。」とある。大井恒之氏の執筆による「俳句空間についてのあれこれ」のあの「俳句空間」である。そうなのか、そうだったのか、と感心。
筑紫磐井
○このごろ私の元にも歌集が届くことがある。特に気にかかるのは、新鋭短歌シリーズという企画だ。26歳で亡くなった笹井宏之という青年の歌集『ひとさらい』『てんとろり』が出たのは二、三年前のことだったと思う。命にかかわる病を持ちながら、明るく、しかし必死の詠みぶりは、俳句の境涯俳句とはまた違った感動をもたらしたものだ。私も俳句の雑誌で紹介したのであるが、それくらい彼の短歌は俳句の若い世代にも影響があってよいと考えていたからだ。ところがそれを刊行した書肆侃侃房が、加藤次郎、東直子のプロデュースにより今回新人歌集シリーズを企画したのである。五月末に刊行が始まり、『つむじ風、ここにあります』木下龍也、『タンジブル』鯨井可菜子、『提案前夜』堀合昇平と立て続けに刊行されている。年齢は二〇代から三〇代、歌歴はまだ数年という作家たちが歌集を続々と出しているのである。驚きである。
○俳句で『新撰21』『超新撰21』が刊行されたのは三、四年前で、その後若い世代がしだいに注目を浴びてはいるものの、短歌のように後続の世代が前の世代を押し分けるような激しく急速な世代交代が進んでいるわけではないようである。句集刊行にしても、『新撰21』世代の句集もいろいろな出版社からぽつぽつ出始めてはいるが、今回のような若手シリーズと銘打った句集企画はまだ聞かない。実は『新撰21』の発行元邑書林が企画して若手シリーズを企画しその第1冊目が関悦史『六〇億本の回転する曲がった棒』であったのであるが、その後頓挫したのか話は進んでいないようである。
我々が『新撰21』を出したいと思ったのは、現代詩や短歌で若い世代がつぎつぎに登場することに羨望を覚えたためである。一瞬、『新撰21』によって現代詩や短歌にその影響が出たかに見えたが、今やもう現代詩や短歌が俳句を追い越しているような気がする。
○中山奈々氏の歳旦帖評が載っているので、「歳旦帖」前編を掲げてみることにした。
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