2021年3月26日金曜日

第157号

        ※次回更新 4/9


豈63号 発売!購入は邑書林まで

俳句新空間第13号 発売中*

【転載】俳句時評特別寄稿 追悼北川美美 「詩客」10年と北川美美の死


【3月の俳句】東日本大震災直後の句   筑紫磐井編

【新企画・俳句評論講座】

・はじめに(趣意)
・連絡事項(当面の予定)
・質問と回答
・テクスト/批評 》目次を読む

【新連載・俳句の新展開】

句誌句会新時代(その一)・ネットプリント折本 千寿関屋 》読む
句誌句会新時代(その二)・夏雲システムの破壊力 千寿関屋 》読む
ネット句会の検討 》読む
俳句新空間・皐月句会開始 》読む
皐月句会デモ句会結果(2010年4月10日) 》読む
第1回皐月句会報 》読む
皐月句会メンバーについて 》読む
第2回皐月句会(6月) 》読む
第3回皐月句会(7月) 》読む
第4回皐月句会(8月) 》読む
第5回皐月句会(9月)
 》読む
第6回皐月句会(10月) 》読む
第7回皐月句会(11月) 》読む
第8回皐月句会(12月) 》読む
第9回皐月句会(1月) 》読む
第10回皐月句会(2月)[速報] 》読む

■平成俳句帖(毎金曜日更新) 》読む

令和二年冬興帖
第一(1/22)ふけとしこ・網野月を・関悦史・花尻万博
第二(1/29)坂間恒子・曾根 毅・仙田洋子・仲寒蟬
第三(2/5)杉山久子・山本敏倖・竹岡一郎・辻村麻乃・神谷 波
第四(2/12)渡邉美保・渕上信子・木村オサム・夏木久・小沢麻結
第五(2/19)青木百舌鳥・松下カロ・井口時男・堀本 吟・望月士郎
第六(2/26)なつはづき・前北かおる・田中葉月・林雅樹
第七(3/12)岸本尚毅・浅沼 璞・眞矢ひろみ・加藤知子・水岩瞳・下坂速穂
第八(3/19)岬光世・依光正樹・依光陽子・花尻万博・大井恒行・中村猛虎
第九(3/26)小野裕三・飯田冬眞・妹尾健太郎・浜脇不如帰・五島高資

令和三年歳旦帖

第一(1/22)曾根 毅・仙田洋子・椿屋実梛
第二(1/29)杉山久子・山本敏倖・竹岡一郎・小林かんな
第三(2/5)辻村麻乃・神谷 波・関悦史
第四(2/12)渡邉美保・渕上信子・木村オサム
第五(2/19)夏木久・小沢麻結・ふけとしこ
第六(2/26)松下カロ・堀本 吟・望月士郎
第七(3/5)なつはづき・仲寒蟬・前北かおる
第八(3/12)田中葉月・林雅樹・岸本尚毅
第九(3/19)浅沼 璞・眞矢ひろみ・水岩瞳
第十(3/26)下坂速穂・岬光世・依光正樹・依光陽子

■連載

英国Haiku便り[in Japan]【改題】(19) 小野裕三 》読む

篠崎央子第一句集『火の貌』を読みたい
インデックスページ 》読む
10 妖怪側の理屈/小林鮎美 》読む

中村猛虎第一句集『紅の挽歌』を読みたい
インデックスページ 》読む
12 中村猛虎第一句集『紅の挽歌』/大井恒行 》読む

なつはづき第一句集『ぴったりの箱』を読みたい
インデックスページ 》読む
14 魂の箱を探して/篠崎央子 》読む

中西夕紀第四句集『くれなゐ』を読みたい
インデックスページ 》読む
14 対象の芯を詠む/山崎祐子 》読む

【連載通信】ほたる通信 Ⅲ (8) ふけとしこ 》読む

【抜粋】
〈俳句四季3月号〉俳壇観測218
俳句、その表記方式について―「LOTUS」「青群」の提起した問題
筑紫磐井 》読む

加藤知子第三句集『たかざれき』を読みたい
1 異世界への誘い/山本敏倖 》読む

眞矢ひろみ第一句集『箱庭の夜』を読みたい
インデックスページ 》読む
11 鑑賞 眞矢ひろみ句集『箱庭の夜』/池谷洋美 》読む

ふけとしこ第5句集『眠たい羊』を読みたい
インデックスページ 》読む
10 手紙/橋本小たか 》読む

『永劫の縄梯子』出発点としての零(3)俳句の無限連続 救仁郷由美子 》読む

句集歌集逍遙 なかはられいこ『脱衣場のアリス』/佐藤りえ 》読む

葉月第一句集『子音』を読みたい 
インデックスページ 》読む

大井恒行の日々彼是 随時更新中! 》読む


■Recent entries

特集・大本義幸追悼「俳句新空間全句集」 筑紫磐井編 》読む

【100号記念】特集『俳句帖五句選』

渡邊美保第一句集『櫛買ひに』を読みたい 
インデックスページ 》読む

佐藤りえ句集『景色』を読みたい 
インデックスページ 》読む

眠兎第1句集『御意』を読みたい
インデックスページ 》読む

麒麟第2句集『鴨』を読みたい
インデックスページ 》読む

前衛から見た子規の覚書/筑紫磐井
インデックスページ 》読む

麻乃第二句集『るん』を読みたい
インデックスページ 》読む

寒極光・虜囚の詠~シベリア抑留体験者の俳句を読む~㉜ のどか 》読む

「WEP俳句通信」 抜粋記事 》見てみる

およそ日刊俳句新空間 》読む
…(今までの執筆者)竹岡一郎・青山茂根・今泉礼奈・佐藤りえ・依光陽子・黒岩徳将・仮屋賢一・北川美美・大塚凱・宮﨑莉々香・柳本々々・渡邉美保 …
3月の執筆者 (渡邉美保

俳句新空間を読む 》読む
…(主な執筆者)小野裕三・もてきまり・大塚凱・網野月を・前北かおる・東影喜子







「兜太 TOTA」第4号 発売中!


筑紫磐井著『女帝たちの万葉集』(角川学芸出版)

新元号「令和」の典拠となった『萬葉集』。その成立に貢献した斉明・持統・元明・元正の4人の女帝、「春山の〈萬〉花の艶と秋山の千〈葉〉の彩を競へ」の天智天皇の詔を受けた額田王等の秘話を満載する、俳人初めての万葉集研究。平成22年刊2,190円。お求めの際は、筆者までご連絡ください。 

【転載】俳句時評特別寄稿 追悼北川美美 「詩客」10年と北川美美の死 筑紫磐井

 北川美美が1月に亡くなった。初期の「詩客」の貢献者であるだけに追悼記事を書きたいと思い森川氏に相談したところ快諾を得た。しかし、いざ書いてみると、「詩客」・「俳句新空間」の歴史と北川の存在は密接不可分になった。そういえば「詩客」の初期の歴史も余り語られることが少ないようだ。了解いただいた内容より少し広がるがこの際書かせて頂こう。

      *       *

 2010年5月ごろ、詩人の森川雅美氏から、短歌・俳句・自由詩合同企画として、①秋ごろにイベント、②年内にホームページ、③最終的には印刷媒体を考えているとの提案を受けた。きっかけは、高山れおな・対馬康子・筑紫が共同編纂した若い俳人を発掘する選集『新撰21』(邑書林刊)が刊行され、これに関連して2009年12月23日「新撰21 刊行記念シンポジウム&パーティー 新撰21竟宴」が開かれ、ここに多くの若い詩人、歌人が合流した。このとき森川氏も参加し、これがきっかけとなったと聞いている。

 6月末から森川氏を中心に関係者による打ち合わせを開始した。

 この流れの中で、10月16日「詩歌梁山泊~三詩型交流企画 第1回シンポジウム「宛名、機会詩、自然」」を日本出版クラブ会館にて120名を集めて開催した。内容は、

  1部「ゼロ年代から10年代に~三詩型の最前線」(歌人 佐藤弓生、今橋愛/俳人 田中亜美、山口優夢/詩人 杉本徹、文月悠光/司会 森川雅美)

  2部「宛名、機会詩、自然~三詩型は何を共有できるのか」(藤原龍一郎、筑紫磐井、野村喜和夫 司会 高山れおな)

 1部の詩人のパネラーの一人は杉本真維子だったか、やむなき理由により急遽変更した。

(参考までに。12月23日には、前年の続編の『超新撰21』饗宴シンポジウムも開催している)

 シンポジウム後、「詩歌梁山泊」の実行委員として、森川雅美(詩人)を代表とし、分野ごとに筑紫磐井(俳人)、藤原龍一郎(歌人)、野村喜和夫(詩人)らに委員を委嘱する。

 その後、「詩客 SHIKAKU – 詩歌梁山泊 ~ 三詩型交流企画 公式サイト」を立ち上げるため、俳句分野では筑紫が2011年2月ごろから「戦後俳句を読む」をコンテンツとする準備を開始する。12人ほどの常時執筆者を依頼して記事の書き貯めを開始したのである。この中に始めて北川美美も参加する(三橋敏雄論を担当)。

 3月11日、東日本大震災が発生した。詩歌梁山泊~三詩型交流企画では、まず被災者応援サイトを立ち上げることが合意される。

 この中で、3月25日~4月13日、東北の詩人・歌人・俳人の安否情報(無事が確認された方・亡くなられた方)等などが提供される。

 4月21日「詩客 SHIKAKU – 詩歌梁山泊 ~ 三詩型交流企画 公式サイト」を本格的に立ち上げる。実行委員に、俳句では、筑紫、高山、北川美美が就任する。サイトの技術的管理はイダヅカマコト氏が担当し、俳句では北川美美が支援することになる。

 2011年4月21日「詩客」創刊準備号がアップされる。

 2011年4月28日から俳句分野では「戦後俳句を読む」を開始する。

 2012年3月3日、第2回シンポジウムが開催される。

  1部 藤井貞和基調講演

  2部 シンポジウム「詩型の融合」(詩人 藤井貞和/歌人 江田浩司、笹公人/俳人 対馬康子、筑紫磐井/司会 森川雅美)

 更新は順調に続いたが、三詩型を統合することで次第に管理人の負担が重くなり、「詩客」の運営の見直しを行うことが必要になる。その結果、短歌、俳句はそれぞれ独立のblogを立ち上げ、「詩客」と連携する形をとることにする。

 2012年12月28日俳句部門で「blog俳句空間―戦後俳句を読む」を開始する。中心記事は、「詩客」で連載していた「戦後俳句を読む」であった。blog責任者は筑紫・北川、blog管理は、「詩客」で全く初体験で始めた北川が獅子奮迅の働きをすることとなる。2013年1月4日に創刊され現在まで続く(後に「blog俳句新空間」に改称している)。現在も「詩客」のページから「blog俳句新空間」の記事を読むことが出来る。 

 「blog俳句空間―戦後俳句を読む」は順調に更新が進み、このblogをもとに冊子「俳句新空間」(発行北川・筑紫)を刊行することとし、2014年2月創刊、現在まで13号が出される。「 詩歌梁山泊~三詩型交流企画」の発起の時に森川氏が提案した第3番目の目標が俳句部門では達成できたのである。

 その後コロナ下での句会開催が困難となったため、(画期的な句会システムである)夏雲システムを使ったリモートデジタル句会を検討し、千寿関屋氏の指導の下に北川が<超高齢者でもわかるマニュアル>を作り、2020年5月より限定メンバーによる「皐月句会」を発足させることが出来た(管理人北川美美)。毎月運営され、現在まで9回を開催している。

 このような中で、2021年1月14日、桐生市の病院にて北川美美死去。享年57であった。1月皐月句会の投句は、

   鉢合わせの去年の御慶も誰も来ず

であった。亡くなる数日前、病院からの投句であったと思われる。

 北川美美のライフワークであった「詩客」連載の三橋敏雄論は、その後「blog俳句空間―戦後俳句を読む」に引き継がれ、更に改稿して、俳句総合誌「WEP俳句通信」で「真神考」として21回にわたり連載、完結した。近く単行本として刊行の予定であった。

            (「詩歌梁山泊~三詩型交流企画」2021年3月8日「詩客」より転載)

【篠崎央子第一句集『火の貌』を読みたい】10 妖怪側の理屈  小林鮎美

 『火の貌』を読んで最初に感じたのは「著者の篠崎さんは、怖いものがない人なのかも」というものだった。なんだろう、妖怪を見たとしてもそれほど驚かなさそうというか、妖怪側の理屈がわかっていそうな感じがある。

  血の足らぬ日なり椿を見に行かむ

 月経があるせいか、一般に男性より女性のほうが血を見るのに抵抗がないらしい。赤い椿を見ることでそれを吸収し自分のものとするような、妙な強さと怪しさを感じる。

  あかときの夢の断片蝌蚪の紐

 いつか消えゆくおたまじゃくしの尾のように夢の断片をまだ覚えている。「夢」というあちら側の世界に、まだ身体が半分浸かっているような感覚が心地よい。

  洗面器の底に西瓜の種一つ

 小澤實著『名句の所以』でも解説されている句。なぜそんな状況なったのかがわからない(洗面器を食器がわりにしたのか?)のに、一読して景が生々しく思い浮かぶのが不思議でなんだかぞわぞわする。

  子を叱るあの瓢箪に吸はるるぞ

 脅し方に土の匂いがする。これはもう、どちらかというと怪異の側の発言では?

  花見てふ浮世の風呂に加はりぬ

 浮世の風呂! まあ確かに花見には命の洗濯みたいな面もあるし、あの喧騒は大衆浴場っぽくもあるけれど……。花見を一歩引いて見つつも、しっかり参加しているのが可笑しい。

 〈血族の村しづかなり花胡瓜〉〈血統の細くなりゆく手毬歌〉〈花満ちて死者に無限の夜のありぬ〉などからも思うのだけれど、自分が生まれる前に、世界には長い時間(歴史)があって、とても短い現世があって、その後にまた長い死後があることを、篠崎さんは常に意識している人なのだと思う。いや意識しているというか、そういう感覚が自然に備わっているというか。

 死後の長さのことはともかく、この「生まれる前の長い歴史」の、その先に自分がいるという感覚は、現代では稀有なものだと私は感じている。篠崎さんは昭和50年茨城県生まれで、私は昭和61年群馬県生まれなので、そこまで生育環境が異なっているとは思えないけれど、篠崎さんの持つ「血筋」や「共同体」に対する親しみと執着は、私自身にはないし私と同世代や少し年上の友人からもあまり感じたことがない。

 これは生まれ持っての性質によるところも大きいのかもしれない。「血筋」や「共同体」のようなものを受容し受け継ぐには強さが必要で、句を読んでいると彼女は確かにそれを持っているように感じる。

  絵踏せむアダムのあばらより生まれ

 この覚悟。ちょっと悪意がありそうなところも強かさを感じさせる。

  死ぬ前に教へよ鰻罠の場所

 割とちゃっかりもしている。でも教えてくれるかなぁ……。

  太股も胡瓜も太る介護かな

 介護は力仕事であり精神的にもつらい労働。ユーモアだけでは乗り切れないだろうが、それでもユーモアはあったほうがいいのだろう。ユーモラスでありながら土と汗の匂いがする美しい句だ。

  紫陽花の浮力の中を松葉杖

 言われてみれば紫陽花はまるで浮いているように咲いている。幻想的な光景のなかで、杖をついて進もうとする人間の確かな歩みが胸に迫る。

「血筋」や「共同体」を受け継ぐのに強さが必要なのは、それが論理的なものではないからだ。その核となる人間は、いつ病気になったり死んだりするかわからないし、心はもっと予測がつかない。人間に比べると植物のほうがよっぽど論理的だろう。

 そういう不確実なもの・混沌としたものを受け入れる強さ、器の広さが、最初に私が抱いた「妖怪側の理屈もわかりそう」という印象につながっているのかもしれない。

『火の貌』は、美しいもの、怖いもの、なんだかわからないもの、いろんなものが仲良く入っているにぎやかで楽しい句集である。

*************************

プロフィール
小林 鮎美(こばやし あゆみ)
昭和六十一年 群馬県生まれ。「群青」同人
平成十八年頃 句作をはじめる
平成二十三年 第3回石田波郷新人賞奨励賞
平成二十五年 「群青」創刊号より参加

【中村猛虎第一句集『紅の挽歌』を読みたい】12 中村猛虎第一句集『紅の挽歌』  大井恒行

  跋文は林誠司「天賦の才」、その冒頭に、

 猛虎氏に俳句を奨めたのは私である。二十代の頃、勤務していた会社の同年代の人たちを誘い、句会を始めた。私だけが経験者だったので、当然、自分がリーダーになるつもりでいたが、彼はほぼすべての句会で最高点という活躍を見せた。大胆さと繊細さが入り交じる、詩情ありユーモアありの多彩な作品で、俳句的手垢が全くないのに、不思議と深みのある詩情を持っていた。

 と記されている。また、著者「あとがき」には、

 (前略)姫路には、松尾芭蕉が「おくのほそ道」道中で使ったとされる蓑と笠が残されている。納められていた風羅堂は明治期に焼却処分され、芭蕉翁を第一世とする堂号は長らく途絶えていたが、縁あってニ〇一一年秋、六十九年振りに風羅堂十二世として名跡を私が継がせていただくこととなった。

 とある。しかし、なにより本集は、「早逝の妻に捧ぐ」一本なのだ。それは巻頭にモノローグを据えていることからも明白であろう。

始まり

  2017年8月、妻が脳腫瘍からの髄液播種で余命宣告を受けた

  残された時間は6週間 まだ54歳

  始まりは1年前の「おなかが痛い」だった

  診断結果は卵巣がん ステージ3、試験開腹したが癒着がひどく、

  ガン切除断念、薬での治療がはじまった

   さくらさくら造影剤の全身に   (中略)


奇跡

  癌の激痛と闘う妻、医療麻薬でも痛みは治まらない

  「殺して」と口走る妻

  緩和ケアの医者も俺も絶望的に無力だ 

  もちろん殺してもやれない

  ところが、9月、嘘のように痛みが引き、リハビリ室まで歩く練習まで始めた

  やっぱり治るんだ、犬をもっと大事にするんだ


終焉

  だが、容態は急変

  わずか3週間で、動くことができなくなった

  最期は自宅で、と連れ帰った日の明け方、安心したのか、

  天国に旅立ってしまった。

  10月9日午前6時3分、享年55逝く

   

  もっともっと、何かしてやれなかったか?

  奇跡なんて起こらなかった

  黒犬は、今日もひたすらエサを食い続けている  (中略)


   寒紅を引きて整う死化粧

   極月や人焼く時の匂いして

   木枯しの底に透明な柩

 

  ともあれ、他に、本集より、いくつか愚生好みの句を挙げておこう。

   この空の蒼さはどうだ原爆忌       猛虎

   霜柱人は殺める言葉持つ

   冬の日をまるめて母の背に入れる

   母の日の大丈夫大丈夫大丈夫

   ひとりずつカプセルにいて花の雨  

   僕たちは三月十一日の水である

   シュレッダーにかけてもかけても凩

   余命だとおととい来やがれ新走


英国Haiku便り[in Japan]【改題】(19)  小野裕三



パンデミックと英国文化

 日本帰国後もイギリス人たちとオンラインで会話する機会は続いてきた。英国時間と日本時間と、その二つの時間軸をオンライン上で行き来しながら暮らすのはちょっと不思議な感覚だった。

「最近どう?」

 パソコン画面越しに近況を話す。話題のひとつはもちろんコロナだ。

「日本ではほぼ全員がマスクしてるよ」

 英国では、交通機関での着用などが言われているものの、全般的にマスク着用は充分に徹底されていないようだ。

「うーん、私たち、だらしない(disorganized)からね」

 と画面越しの友人が語ったのは、イギリス人特有の自嘲癖もあるかも知れない。ただ、マスク着用が原因かは不明だが、日本と比べると英国での感染・死者数は圧倒的に多いのは事実だ。とは言え、文化的な違いが遠因となった可能性もある。もともと英国では風邪や花粉症などでマスクをする習慣は一般的ではなかった。また、日本ほど自動ドアは多くないので公共の場でドアノブを握る機会も多いし、何より人に会ったら抱き合って挨拶するのが文化的慣習でもある。

 三月の半ばまでは、英国ではコロナウィルスは「アジア発のウィルス」と認識されていて、だからロンドン市内でアジア人に対する差別的な扱いを受けた、という日本人の友人も少なからずいた。

 ところが、三月後半に英国では感染が激増し、一気に学校の閉鎖や社会全体のロックダウンへと突き進んだ。規制は徹底していて、生活に必要な食料品店・薬局などを除き、店やレストランは例外なく閉められた。健康維持のための一日一回の散歩等を除き、外出も制限された。同居家族以外の人との集まりもきびしく制限された。違反している人たちには警察がやってきて帰宅を促すシーンもニュースなどで報道された。そんな具合だったので、日本に帰国した時には日本での規制をだいぶゆるく感じた。

 そんなパンデミック下の英国で、感心しながら見ていたことがひとつある。毎週、木曜日の夜八時になると市民たちが窓を開けもしくは表に出て、歓声を上げ拍手し鐘を打ち鳴らした。それは、感染拡大と闘う医療関係者への感謝を表すために自然発生的な現象として始まった(英国の医療機関の大半がNHSといって国有であることもその背景かも知れないが)。

 一方の日本では、自然発生的な現象として「自粛警察」が一般化していることを帰国後に知った。政府は厳格な規制を課すがマスク着用も徹底されず、それでも「感謝の拍手」は自発的に行われる文化。政府の規制以上に「自粛」が共同体内の「空気」として働き、マスク着用がほぼ100%行き渡る文化。どちらの文化がいいとは一概に言えないが、ただ、それはいかにも象徴的な対比だと思えた。

(『海原』2020年10月号より転載)


【なつはづき第一句集『ぴったりの箱』を読みたい 】14 魂の箱を探して  篠崎央子

 なつはづきさんと初めてお会いしたのは、2019年の「豈」の忘年句会の時だった。第5回攝津幸彦記念賞準賞をご受賞されたはづきさんは、お洒落な出で立ちで颯爽と現れた。華やかでありながらどこかクールな横顔を持つはづきさんは、お話してみるととっても気さくな方であった。

 2020年の夏、はづきさんと同じような時期に句集を出したこともあり、手紙の行き来があった。はづきさんの句集と手紙を拝見し、心の通じ合える方と出会えたかもしれないと胸が震えた。私が独身の頃に出会っていたら、きっと恋の相談をしながら毎晩飲み歩いたであろう。そのような経緯から、BLOG俳句新空間にて、はづきさんに私の句集『火の貌』の句集評の執筆をお願いした。大変な力作で、はづきさんの文章を読んで、ファンとなり『ぴったりの箱』を購入された方もいらした。私の句集も注文が増えた。心より御礼申し上げたい。

  薔薇百本棄てて抱かれたい身体

 何かを求めている身体の空白を幻想的なまでに高めた一句。句集全体に横たわる空虚なることの美しさがこの一句に集約されているのではないかと思う。誰かと触れ合うことで人は自分の存在を認識する。薔薇百本よりも価値のある絶対的存在の誰かにより身体が空白となっているのだ。

  ぴったりの箱が見つかる麦の秋

 猫が自分の身体に収まる箱を探して入るように、人はみな自分の箱を探しているのだということに気付かされる。金色の「麦の秋」が豊穣のエジプトを思わせ、箱は柩のよう。人は最後は箱に収まるのだ。句集の表紙の絵が切なく映える一句である。

 身体的表現が魅力の句集だが、それを大きく支えているのがストレートな恋の句である。

  花粉症恋なら恋で割り切れる

  音程のぐらぐらの恋夏帽子

  悪気なき木の実の落ちる初デート

  幻の鮫と寝相の悪い君

 目鼻を腫らし泣いているような花粉症の症状と恋。夏帽子も音程もぐらぐらで思い通りにはいかない。タイミング悪く落ちる木の実、寝相の悪い君。恋には付きもの滑稽さが明るく詠まれている。

  靴音を揃えて聖樹までふたり

  前髪と前髪触れて木の実降る

  黄落や明日はと言いかけて止める

  逢えない日闘魚は青を震わせて

 恋をしているがゆえの発見もある。目的の聖樹まで無言で歩く二人の揃った足音。触れ合う前髪に降る木の実。明日逢う約束を切り出せない黄落の街角。逢えぬ日の闘魚の青。季節の一秒一秒が恋とともに描かれてゆく。

  香水瓶時効はわたしから告げる

  君に電話狐火ひとつずつ消える

  ミモザ揺れ結末思い出せぬ恋

  思い出は嘘のかたまり葡萄吸う

 女性の恋はどこか残酷な一面を持つ。それは、繊細であるがゆえに得た強さでもある。恋人が好きだった香水が色褪せた時、恋の時効を自ら告げる。それは、自分の匂いが相手から消えてしまったことを察したからであろう。青白い情念の狐火がひとつずつ消えてしまうような電話。ミモザの花霞のように有耶無耶に終わった恋。相手は未練あったりして。そして恋する女は嘘を言う。葡萄が甘酸っぱい。

  夏あざみ二度確かめるこの痛み

  リストカットにて朧夜のあらわれる

  片恋や冬の金魚に指吸わせ

  塗り薬の円を広げて秋惜しむ

 恋によって生まれた身体の空白と苦しみを確かめるように、自身の身体に痛みを与える。それは、自身の存在を自身で確認するための行為なのだ。あざみの棘に指を刺し、二度も確かめる。リストカットしてもおぼろげな自分。冬の金魚の尖った口の感触によって埋める孤独。塗り薬の刺激を肌に広げて過ぎゆく秋を追いかける。

  ヒヤシンス小さじ二分の一悪意

  近松忌まだ生温いナイフの柄

  蟻の群れわたしは羽根を捥ぐ係

  造花という造花を焼いて冬支度

 一方でサディスティックな一面も。悪意も生温いナイフも怖いけれど切ない。羽根を捥いだり、造花を焼いたり・・・。自分を実感するために、時にはサドとなり、時にはマゾになる。身体に痛みを与え、他者を傷つけても埋められない孤独。それは、恋という狂おしい病魔であり、満たされないからこそ〈詩〉は生まれる。

  身体から風が離れて秋の蝶

 魂が自分という身体の箱に収まらず、風となり秋の蝶となり浮遊しているような一句。身体と魂が一致しないという繊細なところを詩に昇華し、箱を探す旅は続いてゆく。

  綿棒で闇をくすぐる春隣

 自分の耳の闇に綿棒を入れる。くすぐったいという感覚により浮遊する魂が身体の闇に共鳴する。魂を収める身体という箱が見えてきた。

あとがきには、

この句集でわたしがすっぽり入る「ぴったりの箱」を見つけた気がします。ただし「今のところ」と付け加えておきます。

とのこと。

  殴り書きのような抱擁花梯梧

 真っ赤な梯梧の花のような乱暴だけれども情熱的な抱擁もあった。抱かれたがっていた身体がこの句集によって満たされたのだ。

 最後に、文章に収まり切らなかった好きな句をあげたい。箱がいくつあっても足りない句集であった。

  夏の月静脈灰色にめぐる

  からすうり鍵かからなくなった胸

  鯛焼の芯冷め切っている重さ

  水草生う身体に風をためる旅

  昭和の日魚拓なまなましき鱗

  手のひらに火照り女滝に触れてより

  額あじさいもうすぐ海になる身体

  春の雲素顔ひとつに決められぬ

  夏あざみ父を許すという課題

  天の川ひかがみ人知れず微熱

  実印を作る雪女を辞める

  冬の幅に収まる抱き枕とわたし

  今日を生き今日のかたちのマスク取る

 はづきファンは今も増え続けている。箱に収まりきれなかった句を鑑賞する読者とともにぴったりの箱はこれからも製造され続けるに違いない。


篠崎央子(しのざきひさこ)「磁石」同人
昭和50年、茨城県生まれ。東京在住。平成14年、「未来図」入会。平成17年、朝日俳句新人賞奨励賞受賞。令和3年、「未来図」終刊により後継誌「磁石」創刊同人。令和3年、句集『火の貌』にて俳人協会新人賞受賞。同年、星野立子新人賞受賞。句集『火の貌』共著『超新撰21』

【中西夕紀第四句集『くれなゐ』を読みたい】14 対象の芯を詠む  山崎祐子

 「都市」主宰中西夕紀氏の第四句集。作品は年代別ではなく、テーマごとに六章に分けており、連山を踏破していくような感覚を覚えた。句集に納められた平成二十三年から令和元年までの間に、師である宇佐見魚目氏をはじめ、親しい方を見送っておられる。

  邯鄲や墨書千年ながらへむ

  本読むと大緑蔭へ行かれけり

 一句目、書家としても知られる宇佐見魚目氏は享年九十四、二句目の大庭紫逢氏は享年六十七。「都市」に「現代川柳考」を連載中の病死であった。お二人と面識がない者にも、心に響く作品である。   

  垂るる枝に離るる影や春の水

  混み合へる仏壇を閉ぢ夏布団

  店奥は昭和の暗さ花火買ふ

  かなぶんのまこと愛車にしたき色

  夕映の窪みに村や春の富士

  筆圧にペンみしみしと雲の峰

  百物語唇なめる舌見えて

 今、作者が見ている風景が、読み手の心で反芻されたとき、読み手の記憶を一気に引き出す。俳句にはそんな力があるのかもしれない。ノスタルジーとは違う力強さは、写生が効いた実感が伴う句だからである。一句目の〈垂るる〉〈離るる〉の調べは、季語と響き合って豊かな世界を描く。後書きに「句材を広げ、色々な詠い方を試み」とあるように、句材の幅が広くて楽しい。第四句のメタリックな色は、車ではなく〈愛車〉とすることによって作者の姿が見える句になった。

  鴨撃ちの一羽一羽に触れ数ふ

  捨猫に日数の汚れ月見草

  ばらばらにゐてみんなゐる大花野

  灯に透けて海月も泡も生まれたて

  茶柱のやうに尺蠖立ち上がる

  梟の月磨ぐ声と聞きにけり

  万歳をしてをり陽炎の中に

  旅にゐて塩辛き肌終戦日

  日の没りし後のくれなゐ冬の山

 いずれも、対象の芯を見定めようとする詠み方だと思う。一句目、〈触れ〉を見逃さなかったことで、景がよく見えるばかりではなく、まだ温もりがある鴨の命と猟師、両方の重さを感じるのである。三句目、大勢がいるけれども何か隔絶された空間にいるような不安。〈大花野〉がどこからどこまで続くのかわからないような空間を想像させる。作者は、不思議な空間で花野の先を見つめている。八句目の〈塩辛き肌〉に、生きている実感と死者への哀悼を感じた。

 作者は吟行について「小さなものたちの命を描きたい」、旅吟について「その土地への思いを下敷きにして風景を描きたい」と記す。句集を閉じ、吟行に出かけたくなった。

(令和二年六月 本阿弥書店)


2021年3月12日金曜日

第156号

       ※次回更新 3/27


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俳句新空間第13号 発売中*

【3月の俳句】東日本大震災直後の句   筑紫磐井編


【告知】北川美美さんの逝去

【新企画・俳句評論講座】

・はじめに(趣意)
・連絡事項(当面の予定)
・質問と回答
・テクスト/批評 》目次を読む

【新連載・俳句の新展開】

句誌句会新時代(その一)・ネットプリント折本 千寿関屋 》読む
句誌句会新時代(その二)・夏雲システムの破壊力 千寿関屋 》読む
ネット句会の検討 》読む
俳句新空間・皐月句会開始 》読む
皐月句会デモ句会結果(2010年4月10日) 》読む
第1回皐月句会報 》読む
皐月句会メンバーについて 》読む
第2回皐月句会(6月) 》読む
第3回皐月句会(7月) 》読む
第4回皐月句会(8月) 》読む
第5回皐月句会(9月)
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第6回皐月句会(10月) 》読む
第7回皐月句会(11月) 》読む
第8回皐月句会(12月) 》読む
第9回皐月句会(1月) 》読む
第10回皐月句会(2月)[速報] 》読む

■平成俳句帖(毎金曜日更新) 》読む

令和二年冬興帖
第一(1/22)ふけとしこ・網野月を・関悦史・花尻万博
第二(1/29)坂間恒子・曾根 毅・仙田洋子・仲寒蟬
第三(2/5)杉山久子・山本敏倖・竹岡一郎・辻村麻乃・神谷 波
第四(2/12)渡邉美保・渕上信子・木村オサム・夏木久・小沢麻結
第五(2/19)青木百舌鳥・松下カロ・井口時男・堀本 吟・望月士郎
第六(2/26)なつはづき・前北かおる・田中葉月・林雅樹
第七(3/12)岸本尚毅・浅沼 璞・眞矢ひろみ・加藤知子・水岩瞳・下坂速穂

令和三年歳旦帖

第一(1/22)曾根 毅・仙田洋子・椿屋実梛
第二(1/29)杉山久子・山本敏倖・竹岡一郎・小林かんな
第三(2/5)辻村麻乃・神谷 波・関悦史
第四(2/12)渡邉美保・渕上信子・木村オサム
第五(2/19)夏木久・小沢麻結・ふけとしこ
第六(2/26)松下カロ・堀本 吟・望月士郎
第七(3/5)なつはづき・仲寒蟬・前北かおる
第八(3/12)田中葉月・林雅樹・岸本尚毅

■連載

中西夕紀第四句集『くれなゐ』を読みたい
インデックスページ 》読む
13 時間の中を飛ぶ鳥/鈴木牛後 》読む

なつはづき第一句集『ぴったりの箱』を読みたい
インデックスページ 》読む
13 無題/夏木 久 》読む

【連載通信】ほたる通信 Ⅲ (8) ふけとしこ 》読む

中村猛虎第一句集『紅の挽歌』を読みたい
インデックスページ 》読む
11 私生活を織り込む醍醐味/山田六甲 》読む

篠崎央子第一句集『火の貌』を読みたい
インデックスページ 》読む
9 力と色/黒岩徳将 》読む

英国Haiku便り[in Japan]【改題】(18) 小野裕三 》読む


【抜粋】
〈俳句四季3月号〉俳壇観測218
俳句、その表記方式について―「LOTUS」「青群」の提起した問題
筑紫磐井 》読む

加藤知子第三句集『たかざれき』を読みたい
1 異世界への誘い/山本敏倖 》読む

眞矢ひろみ第一句集『箱庭の夜』を読みたい
インデックスページ 》読む
11 鑑賞 眞矢ひろみ句集『箱庭の夜』/池谷洋美 》読む

ふけとしこ第5句集『眠たい羊』を読みたい
インデックスページ 》読む
10 手紙/橋本小たか 》読む

『永劫の縄梯子』出発点としての零(3)俳句の無限連続 救仁郷由美子 》読む

句集歌集逍遙 なかはられいこ『脱衣場のアリス』/佐藤りえ 》読む

葉月第一句集『子音』を読みたい 
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8 パパともう一人のわたし/北川美美 》読む

大井恒行の日々彼是 随時更新中! 》読む


■Recent entries

特集・大本義幸追悼「俳句新空間全句集」 筑紫磐井編 》読む

【100号記念】特集『俳句帖五句選』

渡邊美保第一句集『櫛買ひに』を読みたい 
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佐藤りえ句集『景色』を読みたい 
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眠兎第1句集『御意』を読みたい
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麒麟第2句集『鴨』を読みたい
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前衛から見た子規の覚書/筑紫磐井
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麻乃第二句集『るん』を読みたい
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寒極光・虜囚の詠~シベリア抑留体験者の俳句を読む~㉜ のどか 》読む

「WEP俳句通信」 抜粋記事 》見てみる

およそ日刊俳句新空間 》読む
…(今までの執筆者)竹岡一郎・青山茂根・今泉礼奈・佐藤りえ・依光陽子・黒岩徳将・仮屋賢一・北川美美・大塚凱・宮﨑莉々香・柳本々々・渡邉美保 …
2月の執筆者 (渡邉美保

俳句新空間を読む 》読む
…(主な執筆者)小野裕三・もてきまり・大塚凱・網野月を・前北かおる・東影喜子






「兜太 TOTA」第4号 発売中!


筑紫磐井著『女帝たちの万葉集』(角川学芸出版)

新元号「令和」の典拠となった『萬葉集』。その成立に貢献した斉明・持統・元明・元正の4人の女帝、「春山の〈萬〉花の艶と秋山の千〈葉〉の彩を競へ」の天智天皇の詔を受けた額田王等の秘話を満載する、俳人初めての万葉集研究。平成22年刊2,190円。お求めの際は、筆者までご連絡ください。 

【3月の俳句】東日本大震災直後の句   筑紫磐井編

  10年目を迎えたが、3月11日という日がどのようなものであったかはその後の回顧ではなく、リアルタイムで見つめなければ思いが希薄になってしまうのではないかと思われる。
 阪神大震災のとき、友岡子郷はあの〈倒・裂・破・崩・礫の街寒雀〉の句を詠んだが、それさえ、半年後に〈かの惨の日々うすれゆく吾亦紅〉とこの記憶が風化して行く様を詠んでいる。東日本大震災でも同じことが起きているのは間違いない。
 この3月に総合誌でも震災特集が組まれているようだが、それらは当時の生まの言葉に如くものではない。当時の記憶を思い返してみたい。

●「読売新聞」23年3月
泥かぶるたびに角組み光る蘆      高野ムツオ
 

●「朝日新聞」23年4月
水恐し水の貴し春に哭く        手嶋真津子(朝日俳壇金子兜太選)
 

●「俳句」23年5月号
津波のあとに老女生きてあり死なぬ   金子兜太
それも夢安達太良山の春霞       今井杏太郎
憤ろしくかなしき春の行方かな     青柳志解樹
祈りとは心のことば花の下       稲畑汀子
蝶黄なり希望なり町崩るるも      永島靖子
春寒の灯を消す思ってます思ってます  池田澄子
たんぽぽや水も傷つく大津波      落合水尾
雉子啼くやみちのくに暾のあまねくて  上谷昌憲
地震の跡紅梅白しされど咲く      鳴戸奈菜
根こそぎに奪って春の海静か      高橋将夫
言の葉の非力なれども花便り      西村和子
遍路より白し震災後の鴎        今井聖
にはとりの怒りて花をふぶかせり    和田耕三郎
かいつぶり岸に寄るさへあたたかし   対中いづみ
みちのくのみなとのさくら咲きぬべし  小澤實
磯城島に未来は確と物芽出づ      稲畑廣太郎
啼きにくるさだかに春の鳥として    山西雅子
空高くから雨つぶよあたたかし     小川軽舟
 

●「俳句界」23年5月号
かりそめの春の焚火もなかりけり    伊藤通明
いのち惜しめとゴッホの黄花菜の黄   加藤耕子
方円に水従はず冴へ返る        倉田紘文
春は名ばかり何もできないもどかしさ  橋爪鶴麿
また再建しませう爺の言葉のあたたかし 坊城俊樹
救済の言葉激しく風花す        赤尾恵以
大津波巨大陽炎もたらしぬ       河内静魚
はくれんのゆらぎてひらきゐし余震   中戸川朝人
春暁の弥勒の指の震へかな       花森こま
東国をおもんばかれど春の闇      福本弘明
春北斗恨みの柄杓逆立てり       松倉ゆづる
 

●「俳壇」23年6月号
大震災春星は綺羅極めたり       藤木倶子
雀つぎつぎもんどりうつて冴返る    菅原鬨也
三月の飛雪われらの顔を消す      菅原鬨也
桜とは声上げる花津波以後       高野ムツオ
一目千本桜を遠見死者とあり      高野ムツオ
大津波春を毀して引きゆけり      田中一光
大津波すべてがうつつ亀鳴けり     太田土男
桜咲ク地震ニモ津波ニモマケズ     太田土男
満開の桜からだのゆれてゐる      太田土男
連翹よ揺れよ明りに加はれよ      ふけとしこ
たんぽぽや失語症にはあらねども    ふけとしこ
頭を垂るるのみ前線は人に花に     ふけとしこ
瓦礫の中かげろうとなる黄の帽子    室生幸太郎
 

●「俳句研究」23年秋号
死んでなお人に影ある薄暑なり     渡辺誠一郎
東京から子猫のような余震来る     渡辺誠一郎
 

●「俳壇」24年2月号(俳壇賞)
片蔭を失ひ町は丸裸          白濱一羊
 

●「俳句四季」24年3月号
みちのくの風花微量にて無量      高野ムツオ
避難者に戦車の音の除雪車来      小林雪柳
春寒くくづるるものを立てむとす    嶋田麻紀
 

●「小熊座」24年5月号~9月号
百年は一瞬記紀の梅真白        佐藤成之
蘆の角金剛力と人は言ふ        上野まさい
青麦は怖れるもののなきかたち     秋元幸治
河馬死せり春の大地震知らずして    千田稲人
真つ白な心に染井吉野かな       関根かな
聖五月死者に翼は永遠になし      高野ムツオ
しずけさは死者のものなり稲の花    渡辺誠一郎
夢の間の貞観千年菫咲く        渡辺誠一郎
揺るぎなく暑し東北地も海も      瀧澤宏司
生き残りたる火蛾として地べた這ふ   斎藤俊次
 

●「豈」52号
フクシマのもぐらはうづらになり得たか はるのみなと
 

●第14回俳句甲子園優秀賞
夏雲や生き残るとは生きること     佐々木達也(岩手県黒沢尻北高校・俳句甲子園) 

●「樹」東日本大震災を詠む
初夏のテレビ画面にない腐臭      依田しず子

【篠崎央子第一句集『火の貌』を読みたい】9 力と色  黒岩徳将

  『火の貌』の序盤の故郷を題材にした句群に、ただならぬ土の香や失われつつある日本の地方への感慨や寂しさを覚えつつも、五感で追体験するには私の経験が不足していることを痛感していた。例えば次のような句である。

白蚊帳に森の匂ひの夜の来たる
子を叱るあの瓢箪に吸はるるぞ
開墾の民の血を引く鶏頭花


 「蚊帳」「瓢箪」「開墾」という言葉に大きな歴史のイメージを被せている。このイメージは私が人生で通ってこなかったものである。瓢箪の句の説話的な趣は、この場面に出会ったことがないのに懐かしい。
 繰り返し読んでいくと、読み手としての私の芯に近い部分と筆者の間にも通い合うところがあるというところがわかってきた。

屈むたび軋むジーパン水引草
やはらかき服を選びぬ野分後
寝不足の口渇きをり花梨の実
かはほりや鎖骨に闇の落ちてくる


 篠崎央子俳句のテーマの一つとしての身体性はおそらくすでに多くの評者に指摘されていることであろう。特に鎖骨の句は、かはほりという季語が過ぎるように置かれることで闇がシャープになった。ジーパンの軋みや口中の質感といったリアルさ(と、それらを支えるための季語との出会いや共振)を自身の身体に領域を限定せず(だから服の質感も身体を通して伝わる)、アンテナを拡張することで次のような句が生まれたのではないだろうか。

ぜんまいの開く背骨を鳴らしつつ
水吸うて布が布巾となる朧


 ぜんまいの背骨という見立てにより、主体とぜんまいの同化を錯覚させる手法はオリジナルではないだろうが、注目すべきは「開く」「つつ」といった、現在を感じさせる進行形の表現である。ぜんまいの開く瞬間を実際に見たかどうかは重要ではない。布巾は濡れることによってこそ布巾としての能力を発揮する。朧から連想される水という要素を布という緩衝材が一句における均衡を保たせるのだが、この湿潤さは主体の体内の水とどこか繋がってはいないだろうか。

夏至の夜の半熟の闇吸ひ眠る

 中盤に出てくるこの句、眼目は長い日照時間を経た夏の闇を「半熟」と把握した感覚であるのは一目瞭然だが、もう少し考え続けてみたい。夜という空間を完成されきっていないと捉えることができたのは、拡張された身体がその感度を高めたからではないかと思わざるを得ない。「鬼の子よ汝が啼けば夜のどつと来る」という、蓑虫という矮小な存在の背後に控える生半可でない夜の句もあったが、夜に対して知覚鋭敏かつ詠み込む角度が多様である。

 こういったエネルギーを蓄えた句があるので、

血族の村しづかなり花胡瓜
蓮見船子を眠らせて戻りけり


といった静寂をテーマにした句も、ただのゼロ状態というよりは、一句の奥に鼓動を感じる。

猿の檻人間の檻夏終はる


の「檻」も、語の持つ閉鎖性にとどまらず嘆きもにじみ出る。

桜より淡し魚のソーセージ
ポタージュの重さ確かむ桜の夜
雪国の空落剝のつづきをり
牛のこゑ吸ひ山茶花の白く散る


 一句における色彩が際立った四句。桜二句は、作者がグラデーションもコントラストも貪欲に描くことの現れである。雪国の句は土着の民なのかエトランゼかで読みは多少変わるかもしれない。「剝落」より「落剝」の方が主体の息遣いが荒くなり、モノトーンの空の印象を強める。牛の句は先述の夏至の句と同じく「吸ひ」が異質であり、「白」が濃い。

ヒステリーは母譲りなり木瓜の花
ステーキを端より攻めて梅雨に入る
黒葡萄ぶつかりながら生きてをり


 一人称の句において、自己の性質の開示に躊躇がない。怒りをあらわにする、肉を積極的に平らげる、コミュニケーションの難しさを葡萄に仮託する……俳句にするという行為の中に登場する人物の性格を俯瞰するという営みが含まれているはずなのだが、客観的にとらえているよりは率直さや不安定さが際立ち、季語との危うい調和が炙り出される。
貪欲さという点では、

花見てふ浮世の風呂に加はりぬ
きのこみな宙から降つてきたやうな


といった、見立てにユーモアの塗された句よりも、

握手してどくだみの香を移したる
洗面器の底に西瓜の種一つ
秋の蠅ヘアスプレーに酔ひたるか
猪が来てゐる音楽の時間
露草は足元の草踏まぬ草


といった驚きが生(なま)の状態で俳句形式という皿に盛り付けられている句に強く惹きつけられた。

自信モテ生キヨ蚯蚓の太りたる
大旦ギターの穴に日の差しぬ
大花火湖国の空をつかみたる
鶏頭や嫁を太らす女系村
とんび舞ふ秋天といふ大き穴
栗虫を太らせ借家暮らしかな
軒氷柱太らせ父の大鼾
大仏の尻より年の暮れにけり
太股も胡瓜も太る介護かな
鶏頭花無言の臓器太りたる
雲はいま天馬になりぬ大旦


 取り沙汰されている「血」というモチーフ以外には、「大」「太」といった語が使われた句が目立った。(このほかに「大根」句も数句ある)。どちらも、物体の状態およびその変化でポエジーを発生させる手法と考えられる。「大」の多用には、些事に拘泥しない姿勢がわかりやすく見て取れる。「大花火」は「大」に対し「つかみたる」という比喩的把握が直線的かつ直截で細工がない。花火が水面で空を摑むのは一瞬である。「とんび」の句は秋という季節の物悲しさが「大き」によって無理なく増幅する。「大仏」の句は「尻」が俗なようで「暮れ」という落ち着きがあり、しみじみとした思いに最終的に着地する。一方、「太」の句は膨張という事象が起こす形状の歪みや不思議さに関心が強そうである。栗虫の句は、一読した時は皮肉、自嘲の句なのかと思ったが、「太らせ」の豪快さに、栗はたくさんあるぞ、借家がなんぼのもんじゃという開き直りを感じる。「鶏頭花」の句は鶏頭を臓器に喩えたと解釈したが、「無言」は異様である。介護の句もあるが、作者にとっての「太」という概念は生のエネルギーを蓄えた結果であり、「太」ることへの感動が言葉という経路を介して読み手に伝わる速さを感じさせてビビッドである。

破魔弓や我に向かひて波来たる
火の貌のにはとりの鳴く淑気かな


 新年の二句。このようなしっかりと腰を落ち着けた句の心持ちで2020年という苦難の年を締め、来年へ向けて前を向いて生きたい。


黒岩徳将(くろいわとくまさ)
一九九〇年神戸市生まれ。「いつき組」所属、「街」同人。
第五・六回石田波郷新人賞奨励賞。第九回北斗賞佳作。

【なつはづき第一句集『ぴったりの箱』を読みたい】13 無題  夏木 久

  サイモンとガーファンクルの「明日に架ける橋」という楽曲の中に「Sail on silver girl. Sail on by.…」という歌詞が出てくる。なぜかこれを聞いた遥か昔から気になったパートなのだ。歌詞のサビパートの「Troubled Water…」はどんな困難に…、などと意訳されているが、このパートはほとんど銀色の少女という直訳しかない…。「銀色の少女」って何?ある舞台裏話では、作者のP・サイモンの奥さんに白髪を見つけた折のジョークらしい…?、てなことも…、それくらい想像できるが…、いまだに不明なのだ。
 初っ端から逸れた。句集へ戻る。先ず一読、正直上手い。「連衆」誌の谷口愼也師評にもあったが、「例えばこれらは季語との取り合わせに特段の無理はない。作者の身体にすっぽり収まっていて心地よい」「ここには新鮮な感覚と共に、反骨的な意思あるいは虚無感さえも覗かせている」…。短いスペースに端的に纏め評されている。
 自作を日記アルバムのようなものでない句集にまとめ上げ、一巻のドラマに仕立てる、ここですでに作者は第一句集にしてこの術を心得ているのだ。当然だ、それなりの組織の新人賞など簡単には手に入らないもの、余人の認めた正しく才能なのだ、と色々を想像してしまう。
 テクストも無駄なく明快明瞭、比喩や表記表現、情景状況の切り取りからの表現世界への展開…飛躍…、取り入る余地は全くない。ただ無理のない心地よい鑑賞を強いられる。それでは一文もものにできないではないか…。そこで幾つかのキーワードから物語りを紐解いてゆくことにした。

・「少女」から「雪女」、そして辞める…。
  少女期や夜の鯖雲ばかり見て
  雪女笑い転げたあと頭痛
  少女期の果ててメロンのひと掬い
  その町の匂いで暮れて雪女
  実印を作る雪女を辞める
  少女たち横一線に夏兆す
  雪女ホテルの壁の薄い夜

 ここだ。何故か「少女」に魅かれたらしい…。そこで前出の歌詞が何度も頭を過ぎった…、らしい。しかし少女は何時か雪女に、…そして辞めた、もう辞めていたんだ。
最後の少女にはたちが付き、作者は眺めているようだし、最後の雪女も銀色の風を残し、作者から離れてしまったように描かれている。物語は何気もなく、変貌してしまっていたのか、さり気無く背をを向けたように…。

・目に映らぬ数多の色…
  卒業歌水たまりぽっかりと青
  夏の月静脈灰色にめぐる
  巻き髪を水でほどいて緑の夜
  賢治忌や更地になって空の青
  白い部屋林檎ひとくち分の旅
  初氷心療内科の青いドア
  逢えない日闘魚は青を震わせて

 次に色彩語に目を奪われた。色付きの季語や言葉もあったが、色だけを表記した句を掲げてみた。しかし思った通り銀色はない、季語や色付き語を含めても青が多い(句集の表紙も…)。略歴から作者の年齢は推測できるが、銀色にはまだ遠いのかも、いや「雪女」に喩として取り込まれてしまっているのかも…、しれない。
ここでふと思う、そうこれらの色は目に映った色でなく、彼女の心象内の色彩なのだ、と。映像的には、よくCMなどである全体はmonoにして一色だけに色彩を付け誇張するような方法…、のように見えてきた。
 ぴったりの箱の中は闇なのだろうか…、記憶や想像を弄りながら色を探している…。色を探している「少女」と色を捨て去った「雪女」が彷徨っている、ようだ。
 確か万葉集の解説にあったと思うが、日本人(万葉時代)の色彩認識の基本は、形容詞表現のある白・黒・赤・青のたった4色から始まった、らしい。
  冬怒濤少ない色で生きてゆく
 そう決めてしまうには早すぎる…気がする、が、この句は句会で一句を見る折と、句集にある時では全く違った印象を持つ。作者の広角な感性に気づかされる、思いがする。
  白兎黒兎いて夜の嵩
 箱の外の夜の嵩に暫し圧倒されているのだろうか。一句が他の句を補足も説明もしているわけではないだろうが、物語を進展させ期待させ綴じてゆく。ここから多彩を感じさせる作者の力技を感じてしまうのだ。

・音楽は再現芸術といわれるが…
 音楽好きから言えば、モーツァルトの分り易く奇麗なスコアを見て、そのドラマを描き演奏を聞かずとも理解できる、ともなれば申し分ないが、そうは行かない…。演奏者が再現するから感動が沸き上がる、当然だ。
 であれば言葉を使うところのものは…どうなる。文芸は神の代弁(神の語の再現)から始まった、恐らく。そして何時しかそれは、死者の代弁へと移ろう、これも恐らく。柿本人麻呂も観阿弥世阿弥もシェイクスピアもそれをした、らしい。ただし今の私には、代弁者とは、作者・話者・役者(演者)或いは読者なのか…、判らない、と言っておこう。
 最短詩であるが故、分かりにくく?また死者の代弁者たろうとしても、それはドキュメントとなりえない、と思う。
 そんな思いを走らせていると、表紙裏の幾つかのイラストの箱から、数句が蘇ってきた。
  薔薇百本棄てて抱かれたい身体
  手のひらに火照り女滝に触れてより
  額あじさいもうすぐ海になる身体
  少女にも母にもなれずただの夏至
  小春日のあくび小さな翼かな

 絡み合う数多のエピソードから、一つのドラマが待っていたかのように浮上する、読者の期待に応えて。
 当然俳句は一句屹立。しかし短詩ゆえにキーワード的テクストからの紐解き…、がある。この句集の表紙裏や裏表紙裏のイラストに描かれた多くの箱たちにも思いが籠っているのだろうか…。テクストが読者に移れば別のものだ、絶対に。それを作者が企もうが、否であろうが…。
 しかし一つのドラマはほどなく解けて
  かなかなや痣は気付いてより痛む
  図書館は鯨を待っている呼吸
  雨水とは光を待っている睫毛
  夜の水は喉にくっきり終戦忌
  憲法九条蟹の大皿来るまでは

 「少女」も「雪女」も箱の外のことが気にかかって来たらしく、綾取りの別の綾を模索し始めるよう景色替えしてゆく、当然ながら。

・喪失と再生
 既に「ぴったりの箱」からの再生、言葉の再生は企て始められている。
  ぴったりの箱が見つかる麦の秋
  荒星やことば活字になり窮屈

 箱に触れる身体のあちらこちらはすでに窮屈を訴え、窮屈な身体は闇を擽り始め、闇を脱ぎ去るために新たな言葉を探し始める。
  まだ脱げる言葉があって寒卵
  綿棒で闇をくすぐる春隣

 当然、読者も脱皮を心待ちにし始めているのだ。

・クラインの壺…
 体を身体と記してからだと読ませ、体に纏わる語、とくに顔が多く記されてゆく。彼女はぴったりの箱に入った振りをしている…、その棺めいた箱から喪失したものを再生すべく、新たな色彩を模索し始めている。
 メビウスの輪の立体版にクラインの壺というのがある。これは内と外の認識の結論の曖昧さを問うている。窮屈な箱が次々とより大きな箱になってゆき、ついに気付く…、いや彼女はすでに気付いているのでは…、この空間を包む宇宙までの箱に。ここまで言い切ると現状、身も蓋もないが…。

・まだある幾つもの旅…
(森)の散策…
  寂しいチェコ語十一月の森に入る
  森はふとひかがみ濡らし楸邨忌
  はつなつや肺は小さな森であり

(危険な匂い…)を感じ取る
  蟻地獄母を見上げている少年
  近松忌まだ生温いナイフの柄
  蟻の群れわたしは羽を捥ぐ係
  地獄絵の中に書き込む秋風鈴
  秋暑し扉の軽き懺悔室
  やわらかい言葉から病む濃紫陽花
  夜の底をまさぐるように兎罠
  リストカットにて朧夜のあらわれる

 予見、予言のようなマスクの句もあったかと、作者は目に見えたものをすぐには再現しない。素直に謙虚に見続け、心象に落とし込み再現を試みるが、まだ再現を惜しみ、まだ距離を置いているかのように、再現して行く…。そんな技を術を既に会得している、そんな感じを持ちつつ、短い旅をいったん終えることにする。

 これは拙い私の鑑賞です。見事に作者と話者と演者が神出鬼没に現れ去ってゆく、物語に嵌まりました。
 一句屹立とはいえ、句会で好評だった句を並べたてられたような句集では…、数百句でもって一巻を編む以上、鑑賞させて頂かなくては、と思う。
 この句集は鑑賞にも干渉にも観照にも応える句集かと、
思い、今始まったばかりのなつはづきさんの今後の航海を楽しみにします、銀色の何かを感じさせるまで。
 詩(俳句)作に足を踏み入れたなら…、解けゆく前の遥か手前の言葉を…、永遠に枯れることはない言葉を…探し始める、死ぬまで…、です。
 次が愉しみです。

(了)

【中村猛虎第一句集『紅の挽歌』を読みたい】11 私生活を織り込む醍醐味  山田六甲

姫路風羅堂第十二世、句会亜流里代表の第一句集

句集の巻頭

柩を挽いていく人たちがいる
あれは妻の柩だ
死を悼む歌が聞こえる
そう 紅の挽歌が

で始まるこの句集は、
妻の余命宣告「始まり」から「暗転」「希望」
「奇跡」を祈り「終焉」を迎える
そして四十九日の「再生」でモノローグの区切り
妻は享年55歳

「再生」では「さて少しずつ動き出すか」と先へ
進む決意を述べて俳句の日常にもどる

「希望」では
黒いダックスを飼っている
奇形なのか
手足が折れ曲がり、走ることはできない
耳には膿、体は皮膚病で嫌な臭いがする
この犬は神様からの贈り物だ
ドラマの様に妻の代わりに病気を持って
天国に召されるんだ
そんなエンディングを信じて、世話をする

と奇跡が起こるかもしれないと願うがそれは
叶わなかった

さくらさくら造影剤の全身に(始まり)
余命だとおととい来やがれ新走(暗転)
秋の虹なんと真白き診断書(希望)
モルヒネの注入ポタン水の秋(奇跡)
葬りし人の布団を今日も敷く(終焉)

もっともっと、何かしてやれなかったか?
奇跡なんて起こらなかった
黒犬は、今日もひたすらエサを食い続けている、と
このあとは俳句の日常にもどってゆく

久しぶりに姫路に森澄雄·赤尾兜子以来の本格俳人がもどったという印象だ

現代詩と直結した大胆な俳人の作品は

順々に草起きて蛇運びゆく
この空の蒼さはどうだ原爆忌
致死量のシャワーを浴びている女


などが代表句になろう。 草を蛇がなぎ倒していくのだが
進むにつれていかにも草々が蛇を持ち上げ支えて前へ前へと
送って行く祭りの神輿の若人の手のように草が起き上がる光景を
詠んだ見事な主観写生
原爆忌は口語をもって人間の愚かさへ怒りを
ぶちまけるようなリアリティがあるし、女性は溺れるほどに
シャワーを浴びる
 

この句集で俳句の中に私生活を織り込んでいく現代俳句の醍醐味を十分に味わうことができた
 

著者に俳句を勧めたのは元文学の森「俳句界」編集長、現「俳句アトラス」代表 林誠司氏である

【中西夕紀第四句集『くれなゐ』を読みたい】13 時間の中を飛ぶ鳥  鈴木牛後

  中西夕紀句集「くれなゐ」(二〇二〇年/本阿弥書店)を読んだ。ここでは、本句集から句を引きながら、一句の中に流れる時間ということについてまず考えてみたい。
  干潟から山を眺めて鳥の中
 ひろびろとした干潟から遠くの山を眺めている。そして、周りにはたくさんの鳥がいるという景。眺めているのは山なのに、作者の関心はむしろ鳥の方にある。そのことは「鳥の中」という結句から明らかだ。たくさんの鳥が虫などを啄むために干潟に集まってきていて、その鳥たちと気配をひとつにして、作者は身じろぎもせずに干潟に立つ。干潟から山までの大きな空間と、鳥の気配に包まれた比較的長い時間を、一句の中にひろびろと描く構成となっている。
  戸を鎖せば谷の深きにけらつつき
 「鎖(さ)す」という表現からはぴったりと戸を閉めるイメージが受け取れる。家の中の音や気配が、外に出て戸を鎖した瞬間に、外の深い幽谷や啄木鳥の鋭い打刻音に変わるという、その変化が鮮やかだ。屋内の淀みから幽谷の澄んだ空気へ、テレビや生活の音から啄木鳥や風の音へ。この句の中にもそういった時間と空間が無駄なく表現されている。
  あをあをと雪の木賊の暮れにけり
 冬になっても枯れずに青さを保つ木賊。雪が降ってもその青さを失うことはなく、かえって雪があるからこそ、木賊の青が引き立っている。夕暮れになり、雪の白、木賊の青がともに闇へと近づいていく。掲句はそれが融け合う直前の、木賊に残る青さを言い留めている。時間とともにある色の移ろいが見える。
  霧に飛ぶ礫は鵟(ルビ:のすり)頭上へも
 霧の中から何かが飛び出してくる。初めは礫のようにも見えたのだが、近くへ来てそればノスリであることがわかった。ノスリという名前は、獲物を狩るために、樹上から急降下して地表すれすれを匍匐飛行することから来ているという。出現し、降下し、上昇し、霧へ消えるというノスリのダイナミックな飛行が読者の脳裏に映し出される。これも時間だ。
 俳句は瞬間を切り取るもの、という言い方がある。角川「俳句」の二〇一七年六月号の特集は「『瞬間』の切り取り方」というものであった。その総論で小川軽舟が取り上げているのは、《霜掃きし箒しばらくして倒る 能村登四郎》《手をつけて海のつめたき桜かな 岸本尚毅》《流れ行く大根の葉の早さかな 高浜虚子》《古池や蛙飛び込む水の音 芭蕉》などである。たしかにこれらは「瞬間」を切り取った句であるが、背景には時間の流れが確かにあって、どちらを重視するかは作り手だけではなく、読み手にも委ねられているように思う。ただ、小川の「瞬間論」は精緻に組み立てられていて、ここで紹介する紙幅と私の筆力がないのが残念ではある。
 さて、先に私が挙げた四句のうちの三句には、鳥、啄木鳥、鵟(ルビ:のすり)といった鳥が詠み込まれている。集中に鳥の句が格別多いということではないのだが、作者にはただ鳥を眺めるだけではない独特な把握を見ることができる。
  春光の野に飛ばさるる紙は鳥
 これは厳密には鳥の句ではないが、春の強い風に紙一枚が鳥のように飛んで行くという景。だれかが捨てたレシートのようなものかもしれないが、私は時代劇で見るような、巻くように畳まれた手紙を想像した。風に乗るたびに解けながら春の光を浴びて飛ぶ文。誰かに届くはずだったメッセージと鳥のイメージが重なり合う。
  鶴飛ぶや夢とは違ふ暗さもて
 鶴は亀と並んで長寿のシンボルとして知られる瑞鳥である。夢に出てきたときは光り輝いて見えたのだろう。しかし実際に見れば、それがナベヅルやマナヅルなら黒っぽくて大きな鳥でしかない。それでも鶴が群れている姿は人に感動を呼び起こすには十分であり、夢を越える現実の美しさがそこにはある。
  小鳥来る礎石の穴は水ためて
 これは純粋な写生句。いろいろ書いてきたが、このような写生句にも多くの佳句がある。この礎石は、おそらく遺跡のもので、柱を立てるために穴があけられていたものだ。そこに水が溜まっていて、小鳥がその水を飲むために集まってくる。「小鳥来る」という未来志向の季語と、過去の栄華の残滓である礎石との時間の対比が鮮やか。
 そのほかにもいろいろな句材を多彩に料理していて、その確かな手腕を感じた。
  漢ゐて火を作りをる春磧
  飛火野の小鹿は草の露まみれ
  鹿の声山よりすれば灯を消しぬ
  九蓋草野守の傘をささず来ぬ

などの古い物語を思わせる幻想的な句にも惹かれた。
 句集名は次の句から。
  日の没りし後のくれなゐ冬の山

【新連載・俳句の新展開】第10回皐月句会(2月)[速報]

投句〆切2/11 (木)
選句〆切2/21 (日)

(5点句以上)
9点句
食堂に口が並んでいて寒し(中村猛虎)

【評】 私語を控え、黙食が新マナーの食堂。食べる以外動かない口が距離をとって並んでいる寒さに共感します。 ──小沢麻結
【評】 ちょっと恐くてゾクッとした。でもこういう状況下だと「飲食すれば飛沫が飛ぶ」と意識せざるを得ず、すると口が強調され、結果口だけがクローズアップされる訳だ。しゃべらず、ひたすら物を取り込むだけの口・・・寒い! ──仲寒蟬
【評】 食堂に集まった人たちの口がクローズアップされ、それが並んでいる。食べ物を食べに行ったはずの口が、寒しの印象把握により、しゃべる口、泣く口、笑う口等々いろいろな表情が浮かび絵的。 ──山本敏倖

8点句
さよならのさ音さまようささめ雪(夏木久)

7点句
死の如くしづか雛段ととのへて(仙田洋子)

6点句
みみたぶは淋しき入江フリージア(松下カロ)

【評】「みみたぶと入江」。頭の中で海岸線をなぞってみると、湾曲が目に浮かび、なるほどと思う。フリージアが意外な取り合わせのようだが、これで新鮮な雰囲気が生じる。音、形‐視線、花の繊細な形状と香り、バラバラなようでで不思議なハーモニー。 ──堀本吟

5点句
漬け丼の醤の甘し島の春(内村恭子)

【評】 自宅に近いので、江の島かな?と思いました。 ──渡部有紀子
【評】 西国を旅すると醤油の甘さを実感します。「島の春」とゆったりと詠われていて、瀬戸内海か九州か、島を満喫している気分が出ています。 ──前北かおる

バーチャルの人のみに逢ふ余寒かな(真矢ひろみ)

(選評若干)
舟揺れて君は揺れずよ鳥帰る 2点 依光陽子

【評】 弔句のように思う。揺れない君との思い出を「鳥帰る」を背景にせつなくも正しく描き切った。 ──依光正樹

弁当は美味筑波嶺を遠霞 2点 千寿関屋
【評】 選 弁当という言い方が適度に俗。 ──岸本尚毅

二・二六事件こよなき暴と雪 1点 堀本吟
【評】 毎年此の日が来ると思い遣られる事件である。「こよなき暴と雪」とシンプルに表現されていることに尽きる措辞である。 ──松代忠博

春寒のふざけあひたる仲や何 2点 依光正樹
【評】 「何」と最後の唐突さ。本当に何なの! はっきりしてよ! と思いつつ、言わない。 ──中山奈々

節分のこれより鬼となるところ 2点 小沢麻結
【評】 鬼役を引き受けた人の感慨でしょう。一方で「結界の内と外」という言葉も浮かびました。 ──渡部有紀子

ナベサンに残るボトルや小正月 1点 西村麒麟
【評】 選 小正月が小さびしい。 ──岸本尚毅

瀬を渡る影あり斑雪野を真神 3点 妹尾健太郎
【評】 北川美美さんへの弔句と読んだ。瀬を渡る影、その視界には(あるいは一方では)斑雪野をゆく真神(狼)の姿がある。彼岸へ渡る己が影を見送った後、その魂は真神として此岸に残り、今、斑に雪の残った荒れ野を独り踏み出そうとしている。その孤高の姿は三橋敏雄のようでもあり、終に眞神と化した北川美美とも思える。
美美さんの眞神考の完成版を読みたかった。 ──依光陽子
【評】 昨年、生誕100年だった三橋敏雄の句「絶滅のかの狼を連れ歩く」を思いだしました。真神は狼。瀬を渡る影は三橋敏雄なのでしょうか。 ──水岩瞳

さてと言ひさてさてと言ひ戻り寒 3点 仲寒蟬
【評】 なんとなくユーモラス。 ──渡部有紀子

下萌にうすうすとある道をゆく 4点 青木百舌鳥
【評】 選 下萌により道が識別された。 ──岸本尚毅
【評】 まだ生え揃っていない、まだ踏み固められて固着していない、ほんのりとした道筋を行くところ、春の発見めいていて喜ばしいです ──佐藤りえ

ほっくりと焼けてきました冬木の芽 2点 田中葉月
【評】 選 ふと木の芽田楽を連想。 ──岸本尚毅

マスクしたまま唇はさよならバカ殿忌 3点 夏木久
【評】 厳粛ではない口ぶりで哀悼の意がひしひしと伝わってきた作品。かれこれ一年、目ほどにモノを言わないとは言え口唇がマスク越しでは読唇術も使えず不便な世の中が続いている。大切な人とのさよならさえもマスク越しで。 ──妹尾健太郎
【評】 選 志村の忌と解しました。 ──岸本尚毅
【評】 一度こういう俳句を作ってみたいと感じる・・バカ殿忌という新季語?に圧倒される ──真矢ひろみ

コルク嗅ぎ合ふよ暖炉の小さき春 1点 中山奈々
【評】 ヴィンテージワインが判っているような顔をして。見栄でも楽しい。 ──渕上信子

夜に言ふ山の深さや鬼やらひ 4点 西村麒麟
【評】 上五「夜に言ふ」に迫力が感じられました。鬼のいる世界。 ──青木百舌鳥
【評】 「夜の山の深さ」でなく「夜に言ふ山の深さ」とあり、話をしていると云っている。この場面、山が見えていても見えていなくってもどちらでも成立ちますが、〈言ふ〉と聴覚が出されたことで想像力が働いて、山が一層深く感じられるという修辞上の仕掛けがありますね。あたかも、炉辺で訥訥と語られる民話の趣です。異界から鬼がやって来る。季語が十全に活きて、単に古臭いのでない、古代の闇が匂うような一句と感受します。 ──平野山斗士

これがその亀鳴いてゐる証拠写真 3点 渕上信子
【評】 え?!そんなことあるの??と驚きましたが、本人は至って真面目に写真を差し出しているのでしょうね。 ──渡部有紀子
【評】 亀鳴くことそのものがフィクションであるが、音響を写真で示すと言う更なるナンセンスさ。「これが」が効いている。ぜひ見せてほしい。 ──筑紫磐井

うららかや地獄のぞきにポーズとり 1点 前北かおる
【評】 みんな地獄に落ちない自信があるので。 ──渕上信子

影法師冴えてながなが獣道 1点 平野山斗士
【評】 獣道を読んで巧みに季題「冴ゆる」が置かれた。 ──依光正樹

脇しめて水鳥もどる切手の中 3点 妹尾健太郎
【評】 飛び立った水鳥がまた戻ってきて着水する際に羽を畳んだのであろう。羽を畳む様子を「脇しめて」と表現したのも見事だが、さらに手に持っている封筒の切手の水鳥となったという感覚も驚きである。90円切手の水鳥だろうか。 ──篠崎央子

【連載通信】ほたる通信 Ⅲ(8)  ふけとしこ

   草へ

三椏が咲いて水車の回り出す

春雷や感染症はヒトにトリに

道端の草へしやがんで雛の日

ふきのたうぽつと離れてかたむいて

逃水に追手をかけてやらうかと

     ・・・

「福家さんのお父さんって、もしかしてうちのお父さんの知り合いではなかったのかしら?」と母が言うのですけれど……といった内容のメールが届いた。「俳句新空間」でお世話になっている北川美美さんからのもの。3年前のことだった。

私は俳号として仮名書きの「ふけとしこ」を使っているが本名は福家登志子と書く。これは夫の姓なので、お父さんというのは義父のことになる。大連に育ち満州医大を卒業後、満鉄病院に医師として勤務していた。その後海軍の軍医として青島に移ることになる。敗戦で引揚げた後は大津市の親戚を頼って、しばらくはその地で医院を開いていた。大阪の地へ移ったのは昭和27年だったと聞いている。

で、双方で驚いて何度か遣り取りをした結果、北川家の知り合いの福家さんと私の義父、福家富士夫とは同業でありかつての勤務先も同じであっても、やはり別人だという結論になった。福家という苗字がそんなに多いものではないので、私の葉書をご覧になった美美さんの母上がもしかして……と思われたのも無理のないことだったと察しがつく。が、故人のことであり、かなり古い話でもあるから、それ以上のことは探れなかった。年齢が少し違うのは確かであった。

後日、美美さんから福家富士夫著『十二支物語』をネットで見つけて購入しました、とのお便りがあった。義父は大阪の同人誌に所属しており、趣味で短編小説を書いていた。それを纏めた物の一冊が『十二支物語』だったのだが、私が福家でなかったら生まれることのないエピソードであった。

そんなことからご縁を頂いた北川美美さんが亡くなったと知ったのは筑紫磐井氏のメールだった。まだお若いのに……。逆縁になってしまった母上のことを思うといたたまれない。今年は年賀状が来ないのね、などと呑気なことを思っていた私だったが、美美さんは重篤な状態だったのだ。知らなかったとはいえ、申し訳のないことだった。

今は、ご冥福をお祈りしますとしか申し上げようもない。        

 

鳥骨を組み立ててゐる日永かな 美美

春夕焼錦町には君在りし    としこ

(2021・3)