10年目を迎えたが、3月11日という日がどのようなものであったかはその後の回顧ではなく、リアルタイムで見つめなければ思いが希薄になってしまうのではないかと思われる。
阪神大震災のとき、友岡子郷はあの〈倒・裂・破・崩・礫の街寒雀〉の句を詠んだが、それさえ、半年後に〈かの惨の日々うすれゆく吾亦紅〉とこの記憶が風化して行く様を詠んでいる。東日本大震災でも同じことが起きているのは間違いない。
この3月に総合誌でも震災特集が組まれているようだが、それらは当時の生まの言葉に如くものではない。当時の記憶を思い返してみたい。
●「読売新聞」23年3月
泥かぶるたびに角組み光る蘆 高野ムツオ
●「朝日新聞」23年4月
水恐し水の貴し春に哭く 手嶋真津子(朝日俳壇金子兜太選)
●「俳句」23年5月号
津波のあとに老女生きてあり死なぬ 金子兜太
それも夢安達太良山の春霞 今井杏太郎
憤ろしくかなしき春の行方かな 青柳志解樹
祈りとは心のことば花の下 稲畑汀子
蝶黄なり希望なり町崩るるも 永島靖子
春寒の灯を消す思ってます思ってます 池田澄子
たんぽぽや水も傷つく大津波 落合水尾
雉子啼くやみちのくに暾のあまねくて 上谷昌憲
地震の跡紅梅白しされど咲く 鳴戸奈菜
根こそぎに奪って春の海静か 高橋将夫
言の葉の非力なれども花便り 西村和子
遍路より白し震災後の鴎 今井聖
にはとりの怒りて花をふぶかせり 和田耕三郎
かいつぶり岸に寄るさへあたたかし 対中いづみ
みちのくのみなとのさくら咲きぬべし 小澤實
磯城島に未来は確と物芽出づ 稲畑廣太郎
啼きにくるさだかに春の鳥として 山西雅子
空高くから雨つぶよあたたかし 小川軽舟
●「俳句界」23年5月号
かりそめの春の焚火もなかりけり 伊藤通明
いのち惜しめとゴッホの黄花菜の黄 加藤耕子
方円に水従はず冴へ返る 倉田紘文
春は名ばかり何もできないもどかしさ 橋爪鶴麿
また再建しませう爺の言葉のあたたかし 坊城俊樹
救済の言葉激しく風花す 赤尾恵以
大津波巨大陽炎もたらしぬ 河内静魚
はくれんのゆらぎてひらきゐし余震 中戸川朝人
春暁の弥勒の指の震へかな 花森こま
東国をおもんばかれど春の闇 福本弘明
春北斗恨みの柄杓逆立てり 松倉ゆづる
●「俳壇」23年6月号
大震災春星は綺羅極めたり 藤木倶子
雀つぎつぎもんどりうつて冴返る 菅原鬨也
三月の飛雪われらの顔を消す 菅原鬨也
桜とは声上げる花津波以後 高野ムツオ
一目千本桜を遠見死者とあり 高野ムツオ
大津波春を毀して引きゆけり 田中一光
大津波すべてがうつつ亀鳴けり 太田土男
桜咲ク地震ニモ津波ニモマケズ 太田土男
満開の桜からだのゆれてゐる 太田土男
連翹よ揺れよ明りに加はれよ ふけとしこ
たんぽぽや失語症にはあらねども ふけとしこ
頭を垂るるのみ前線は人に花に ふけとしこ
瓦礫の中かげろうとなる黄の帽子 室生幸太郎
●「俳句研究」23年秋号
死んでなお人に影ある薄暑なり 渡辺誠一郎
東京から子猫のような余震来る 渡辺誠一郎
●「俳壇」24年2月号(俳壇賞)
片蔭を失ひ町は丸裸 白濱一羊
●「俳句四季」24年3月号
みちのくの風花微量にて無量 高野ムツオ
避難者に戦車の音の除雪車来 小林雪柳
春寒くくづるるものを立てむとす 嶋田麻紀
●「小熊座」24年5月号~9月号
百年は一瞬記紀の梅真白 佐藤成之
蘆の角金剛力と人は言ふ 上野まさい
青麦は怖れるもののなきかたち 秋元幸治
河馬死せり春の大地震知らずして 千田稲人
真つ白な心に染井吉野かな 関根かな
聖五月死者に翼は永遠になし 高野ムツオ
しずけさは死者のものなり稲の花 渡辺誠一郎
夢の間の貞観千年菫咲く 渡辺誠一郎
揺るぎなく暑し東北地も海も 瀧澤宏司
生き残りたる火蛾として地べた這ふ 斎藤俊次
●「豈」52号
フクシマのもぐらはうづらになり得たか はるのみなと
●第14回俳句甲子園優秀賞
夏雲や生き残るとは生きること 佐々木達也(岩手県黒沢尻北高校・俳句甲子園)
●「樹」東日本大震災を詠む
初夏のテレビ画面にない腐臭 依田しず子
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