北川美美が1月に亡くなった。初期の「詩客」の貢献者であるだけに追悼記事を書きたいと思い森川氏に相談したところ快諾を得た。しかし、いざ書いてみると、「詩客」・「俳句新空間」の歴史と北川の存在は密接不可分になった。そういえば「詩客」の初期の歴史も余り語られることが少ないようだ。了解いただいた内容より少し広がるがこの際書かせて頂こう。
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2010年5月ごろ、詩人の森川雅美氏から、短歌・俳句・自由詩合同企画として、①秋ごろにイベント、②年内にホームページ、③最終的には印刷媒体を考えているとの提案を受けた。きっかけは、高山れおな・対馬康子・筑紫が共同編纂した若い俳人を発掘する選集『新撰21』(邑書林刊)が刊行され、これに関連して2009年12月23日「新撰21 刊行記念シンポジウム&パーティー 新撰21竟宴」が開かれ、ここに多くの若い詩人、歌人が合流した。このとき森川氏も参加し、これがきっかけとなったと聞いている。
6月末から森川氏を中心に関係者による打ち合わせを開始した。
この流れの中で、10月16日「詩歌梁山泊~三詩型交流企画 第1回シンポジウム「宛名、機会詩、自然」」を日本出版クラブ会館にて120名を集めて開催した。内容は、
1部「ゼロ年代から10年代に~三詩型の最前線」(歌人 佐藤弓生、今橋愛/俳人 田中亜美、山口優夢/詩人 杉本徹、文月悠光/司会 森川雅美)
2部「宛名、機会詩、自然~三詩型は何を共有できるのか」(藤原龍一郎、筑紫磐井、野村喜和夫 司会 高山れおな)
1部の詩人のパネラーの一人は杉本真維子だったか、やむなき理由により急遽変更した。
(参考までに。12月23日には、前年の続編の『超新撰21』饗宴シンポジウムも開催している)
シンポジウム後、「詩歌梁山泊」の実行委員として、森川雅美(詩人)を代表とし、分野ごとに筑紫磐井(俳人)、藤原龍一郎(歌人)、野村喜和夫(詩人)らに委員を委嘱する。
その後、「詩客 SHIKAKU – 詩歌梁山泊 ~ 三詩型交流企画 公式サイト」を立ち上げるため、俳句分野では筑紫が2011年2月ごろから「戦後俳句を読む」をコンテンツとする準備を開始する。12人ほどの常時執筆者を依頼して記事の書き貯めを開始したのである。この中に始めて北川美美も参加する(三橋敏雄論を担当)。
3月11日、東日本大震災が発生した。詩歌梁山泊~三詩型交流企画では、まず被災者応援サイトを立ち上げることが合意される。
この中で、3月25日~4月13日、東北の詩人・歌人・俳人の安否情報(無事が確認された方・亡くなられた方)等などが提供される。
4月21日「詩客 SHIKAKU – 詩歌梁山泊 ~ 三詩型交流企画 公式サイト」を本格的に立ち上げる。実行委員に、俳句では、筑紫、高山、北川美美が就任する。サイトの技術的管理はイダヅカマコト氏が担当し、俳句では北川美美が支援することになる。
2011年4月21日「詩客」創刊準備号がアップされる。
2011年4月28日から俳句分野では「戦後俳句を読む」を開始する。
2012年3月3日、第2回シンポジウムが開催される。
1部 藤井貞和基調講演
2部 シンポジウム「詩型の融合」(詩人 藤井貞和/歌人 江田浩司、笹公人/俳人 対馬康子、筑紫磐井/司会 森川雅美)
更新は順調に続いたが、三詩型を統合することで次第に管理人の負担が重くなり、「詩客」の運営の見直しを行うことが必要になる。その結果、短歌、俳句はそれぞれ独立のblogを立ち上げ、「詩客」と連携する形をとることにする。
2012年12月28日俳句部門で「blog俳句空間―戦後俳句を読む」を開始する。中心記事は、「詩客」で連載していた「戦後俳句を読む」であった。blog責任者は筑紫・北川、blog管理は、「詩客」で全く初体験で始めた北川が獅子奮迅の働きをすることとなる。2013年1月4日に創刊され現在まで続く(後に「blog俳句新空間」に改称している)。現在も「詩客」のページから「blog俳句新空間」の記事を読むことが出来る。
「blog俳句空間―戦後俳句を読む」は順調に更新が進み、このblogをもとに冊子「俳句新空間」(発行北川・筑紫)を刊行することとし、2014年2月創刊、現在まで13号が出される。「 詩歌梁山泊~三詩型交流企画」の発起の時に森川氏が提案した第3番目の目標が俳句部門では達成できたのである。
その後コロナ下での句会開催が困難となったため、(画期的な句会システムである)夏雲システムを使ったリモートデジタル句会を検討し、千寿関屋氏の指導の下に北川が<超高齢者でもわかるマニュアル>を作り、2020年5月より限定メンバーによる「皐月句会」を発足させることが出来た(管理人北川美美)。毎月運営され、現在まで9回を開催している。
このような中で、2021年1月14日、桐生市の病院にて北川美美死去。享年57であった。1月皐月句会の投句は、
鉢合わせの去年の御慶も誰も来ず
であった。亡くなる数日前、病院からの投句であったと思われる。
北川美美のライフワークであった「詩客」連載の三橋敏雄論は、その後「blog俳句空間―戦後俳句を読む」に引き継がれ、更に改稿して、俳句総合誌「WEP俳句通信」で「真神考」として21回にわたり連載、完結した。近く単行本として刊行の予定であった。
(「詩歌梁山泊~三詩型交流企画」2021年3月8日「詩客」より転載)
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