2021年12月31日金曜日

第174号*年末臨時増刊号

     ※次回更新 1/14

・令和俳句帖 》読む
・大井恒行の日々彼是  》読む


無限句集評シリーズ一覧

著者自身のセレクトによる句集評連載「無限句集評シリーズ」。
掲載人数・文字数・連載回数の制限のない新刊句集の句集評リレーです。
評者は基本的に著者の依頼により執筆いただいています。
現在進行中のラインナップを一覧掲載します。

加藤知子第三句集『たかざれき』を読みたい

執筆者:山本敏倖藤田踏青

版元:弦書房




渡邊美保第一句集『櫛買ひに』を読みたい 》読む

執筆者:嵯峨根鈴子・一門彰子・石井 冴・西田唯士・玉記 玉・山田すずめ・牛原秀治

版元:俳句アトラス




なつはづき第一句集『ぴったりの箱』を読みたい 》読む

執筆者:赤野四羽・小松敦・柏柳明子・金子 敦・木村リュウジ・岡村知昭・辻村麻乃・小林貴子・川崎果連・山科誠・杉美春・瀬戸優理子・夏木 久・篠崎央子・津久井紀代・瀬間陽子・武馬久仁裕・夏目るんり
Amazon 版元:朔出版



篠崎央子第一句集『火の貌』を読みたい 》読む

執筆者:小滝 肇・中村かりん・吉田林檎・足立枝里・田島健一・鈴木大輔・なつはづき・涼野海音・黒岩徳将・小林鮎美・片山一行・新海あぐり・北杜 青・浅川芳直・野島正則・高野麻衣子・寺澤 始

版元:ふらんす堂


眞矢ひろみ第一句集『箱庭の夜』を読みたい 》読む

執筆者:松本龍子・朝吹英和・藤田踏青・山本敏倖・前北かおる・神谷波・藤岡紙魚男・佐藤均・西村我尼吾・堀本吟・池谷洋美


Amazon 版元:ふらんす堂



ふけとしこ第5句集『眠たい羊』を読みたい 》読む

執筆者:内田 茂・杉山久子・曾根 毅・谷さやん・衛藤夏子・嵯峨根鈴子・小枝恵美子・岡村潤一・髙橋白崔・橋本小たか・小西昭夫

 Amazon 版元:ふらんす堂


中村猛虎第一句集『紅の挽歌』を読みたい 》読む

執筆者:原英俊・矢作十志夫・栗林浩・ほなが 穂心・小川蝸歩・草深昌子・松原君代・辻村麻乃・太田よを子・佐藤日田路・山田六甲・大井恒行・杉原青二・林 誠司・鈴木三山・永禮能孚・滝川直広・谷原恵理子・内海海童・中野はつえ・中嶋常治・井上はるひ・河内壮月・福永虹子・岡本 功

版元:俳句アトラス



中西夕紀第四句集『くれなゐ』を読みたい 》読む

執筆者:馬場龍吉・涼野海音・柳生正名・松野苑子・松下カロ・北杜 青・山中多美子・嵯峨根鈴子・桜木七海・大木満里・加瀬みづき・加瀬みづき・鈴木牛後・山崎祐子・吉川わる・菅野れい・永井詩・堀切克洋

Amazon 版元:本阿弥書店


2021年12月17日金曜日

第173号

      ※次回更新 12/31


豈64号 発売! 》刊行案内

俳句新空間第14号 発売中 》刊行案内

第45回現代俳句講座質疑(2) 》読む


【新連載】北川美美俳句全集7 》読む

【連載】澤田和弥論集成(第6回-6) 》読む


【新企画・俳句評論講座】

・はじめに(趣意)
・連絡事項(当面の予定)
・質問と回答
・テクスト/批評 》目次を読む

【俳句の新展開】

句誌句会新時代(その一)・ネットプリント折本 千寿関屋 》読む
句誌句会新時代(その二)・夏雲システムの破壊力 千寿関屋 》読む
ネット句会の検討 》読む
俳句新空間・皐月句会開始 》読む
皐月句会デモ句会結果(2010/04) 》読む
皐月句会メンバーについて 》読む
》第1回(2020/05) 》第2回(2020/06)
》第3回(2020/07) 》第4回(2020/08)
》第5回(2020/09) 》第6回(2020/10)
》第7回(2020/11) 》第8回(2020/12)
》第13回(2021/05) 》第14回(2021//06)
》第15回(2021/07) 》第16回(2021/08)
第17回皐月句会(9月) 》読む
第18回皐月句会(10月) 》読む
第18回皐月句会(11月)[速報] 》読む

■令和俳句帖(毎金曜日更新) 》読む

令和三年秋興帖

第一(11/19)仙田洋子・渕上信子・妹尾健太郎・坂間恒子
第二(11/26) 杉山久子・神谷 波・ふけとしこ
第三(12/3)山本敏倖・曾根 毅・花尻万博
第四(12/10)小林かんな・松下カロ・木村オサム・夏木久
第五(12/17)中西夕紀・浅沼 璞・青木百舌鳥・中村猛虎・なつはづき


令和三年夏興帖

第一(9/17)なつはづき・堀本吟・飯田冬眞・青木百舌鳥・杉山久子
第二(9/24)渕上信子・木村オサム・中村猛虎・花尻万博
第三(10/1)加藤知子・仲寒蟬・網野月を・岸本尚毅・坂間恒子
第四(10/8)辻村麻乃・曾根 毅・小林かんな・望月士郎・神谷 波
第五(10/15)大井恒行・鷲津誠次・山本敏倖・水岩 瞳
第六(10/22)のどか・夏木久・早瀬恵子・竹岡一郎
第七(10/29)井口時男・眞矢ひろみ・前北かおる
第八(11/5)ふけとしこ・林雅樹・家登みろく・小野裕三・池田澄子
第九(11/12)妹尾健太郎・渡邉美保・下坂速穂・岬光世
補遺(11/26)依光正樹・依光陽子・佐藤りえ・筑紫磐井
補遺(12/17)小沢麻結

■連載

【抜粋】 〈俳句四季12月号〉俳壇観測227
三太・若狭男・まりうす——オジさん世代の活躍
筑紫磐井 》読む

【連載通信】ほたる通信 Ⅲ (17) ふけとしこ 》読む

英国Haiku便り[in Japan](26) 小野裕三 》読む

中村猛虎第一句集『紅の挽歌』を読みたい
インデックスページ 》読む
25 紅の蒙古斑/岡本 功 》読む

篠崎央子第一句集『火の貌』を読みたい
インデックスページ 》読む
17 央子と魚/寺澤 始 》読む

中西夕紀第四句集『くれなゐ』を読みたい
インデックスページ 》読む
18 恋心、あるいは執着について/堀切克洋 》読む

渡邊美保第一句集『櫛買ひに』を読みたい 
インデックスページ 》読む
7 『櫛買ひに』のこと/牛原秀治 》読む

なつはづき第一句集『ぴったりの箱』を読みたい
インデックスページ 》読む
18 『ぴったりの箱』論/夏目るんり 》読む

ふけとしこ第5句集『眠たい羊』を読みたい
インデックスページ 》読む
11 『眠たい羊』の笑い/小西昭夫 》読む

加藤知子第三句集『たかざれき』を読みたい
2 鑑賞 句集『たかざれき』/藤田踏青 》読む

眞矢ひろみ第一句集『箱庭の夜』を読みたい
インデックスページ 》読む
11 鑑賞 眞矢ひろみ句集『箱庭の夜』/池谷洋美 》読む

『永劫の縄梯子』出発点としての零(3)俳句の無限連続 救仁郷由美子 》読む

句集歌集逍遙 なかはられいこ『脱衣場のアリス』/佐藤りえ 》読む

大井恒行の日々彼是 随時更新中! 》読む




■Recent entries

特集・大本義幸追悼「俳句新空間全句集」 筑紫磐井編 》読む

【100号記念】特集『俳句帖五句選』

葉月第一句集『子音』を読みたい 
インデックスページ 》読む

佐藤りえ句集『景色』を読みたい 
インデックスページ 》読む

眠兎第1句集『御意』を読みたい
インデックスページ 》読む

麒麟第2句集『鴨』を読みたい
インデックスページ 》読む

前衛から見た子規の覚書/筑紫磐井
インデックスページ 》読む

麻乃第二句集『るん』を読みたい
インデックスページ 》読む

寒極光・虜囚の詠~シベリア抑留体験者の俳句を読む~㉜ のどか 》読む

「WEP俳句通信」 抜粋記事 》見てみる

およそ日刊俳句新空間 》読む
…(今までの執筆者)竹岡一郎・青山茂根・今泉礼奈・佐藤りえ・依光陽子・黒岩徳将・仮屋賢一・北川美美・大塚凱・宮﨑莉々香・柳本々々・渡邉美保 …
12月の執筆者 (渡邉美保

俳句新空間を読む 》読む
…(主な執筆者)小野裕三・もてきまり・大塚凱・網野月を・前北かおる・東影喜子







筑紫磐井著『女帝たちの万葉集』(角川学芸出版)

新元号「令和」の典拠となった『萬葉集』。その成立に貢献した斉明・持統・元明・元正の4人の女帝、「春山の〈萬〉花の艶と秋山の千〈葉〉の彩を競へ」の天智天皇の詔を受けた額田王等の秘話を満載する、俳人初めての万葉集研究。平成22年刊2,190円。お求めの際は、筆者までご連絡ください。  

■連載 【抜粋】 〈俳句四季12月号〉俳壇観測227/三太・若狭男・まりうす——オジさん世代の活躍  筑紫磐井

 三人の物故俳人

 飯田晴主宰の「雲」九月号を読んでいたら「三朗忌特集」が組まれていた。鳥居三朗(昭和一五年~平成二七年)がなくなってから六年目であるという。飯田晴は鳥居三朗の夫人であり、鳥居三朗なきあと「雲」を継承した。私にとっては、鳥居三朗は旧知の人であり、むしろその前の鳥居三太で親しんでいたからこの名前の方がなつかしい。「三朗忌特集」でも鳥居三太を語っていた人もいた。私の知る鳥居三太はまず「童子」の編集長であり、洒脱な人であった。「童子」編集長退任後、今井杏太郎の「魚座」に参加し編集長をつとめた。「魚座」終刊後自ら「雲」を主宰した。「魚座」「雲」を通じて若い人を育成し、その代表が同世代を代表する鴇田智哉である。句集に『小林金物燃料店』『太郎冠者』『山椒の木』『てっぺんかけたか』がある。

 三太で思い出す愉快な話がある。本人からじかに聞いた話である。「童子」の編集長であったころ、句会に若い女性が参加したことがあった。句会終了後、三太はその女性を控え室に呼び話をする。「こんな明るい晴れた日に、若い女性が何で句会になんか来るの。人生ではもっと面白いこと、楽しいことがあるだろうに」。その後女性が俳句をやめたか続けたかは知らないが、いかにも三太らしいエピソードだと思う。「俳句って楽しい」などと浮かれずに、若い身の上でなぜわざわざ俳句を選ぶか考えてみたらという、少しシニカルな愛情だと思う。

 鳥居三太の名前を見ると思い出されるのが遠藤若狭男(昭和二二年~平成三〇年)である。遠藤若狭男は鷹羽狩行の「狩」に入会し、「狩」の若手として片山由美子と双璧をなした。「狩」の編集長後、平成二七年「若狭」を創刊したが、平成三〇年十二月没。惜しまれながら「若狭」も終刊した。句集に『神話』『青年』『船長』『去来』『旅鞄』、評論集に『鷹羽狩行研究』『人生百景』がある。若くは文学青年であり小説集ももっていたが、三十代半ばとなり狩行に師事し俳句に復帰した。没後三年目の令和三年五月第六句集『若狭』が遺族により刊行された。


青き踏むときをり死語のこと思ひ

麦秋やはるかに日本海の青

ふるさとは歩くがたのし草ひばり

わが死後のわれかも知れず秋の風


 もう一人思い起こされるのが七田谷(なだや)まりうす(昭和一五年~令和三年)だ。彼が九月二五日になくなったことを新聞が報じていた。「天為」の創刊に参加し、有馬朗人の片腕として活躍して、俳人協会の理事も務めていた。晩年難病に苦しみ、車椅子生活を送っていたので、余り会う機会は多くはなくなっていた。本名は灘山龍輔である。句またがりで、「なだや/まりうすけ」と読んだところは、鷹羽狩行に似ている。


総合誌の新しい企画

 鳥居三太、遠藤若狭男、七田谷まりうすといったオジさん世代をなぜ回顧するかと言えば、実は富士見書房から出ていた「俳句研究」が、一時期この団塊以前の世代を集めていろいろな企画に導いていたからだ。既に「俳句」の編集長海野謙四郎が色々斬新な企画を打ち出していたことは前号でも紹介した(黒田杏子の『証言・昭和の俳句』や若手による『12の現代作家論』等)が、この直前に「俳句研究」編集長の赤塚才市氏、中西千明氏らも新企画を打ち出そうとしていた。どうも俳壇全体が胎動しようとする、そんな時代であったのだ。その一つに、鳥居三太、遠藤若狭男、七田谷まりうすのほかに、鈴木太郎、小島健、橋本榮治、筑紫磐井等を加えて超結社吟行会を盛んに催した。その最初が、赤塚才市編集長による平成七年九月「出雲崎吟行」であったと思う。


海青くして涼しくて出雲崎     遠藤若狭男(狩)

弟切草雲中に佐渡在すなり     小澤實(鷹)

涼しさは夕日に遊ぶ五合庵     小島健(河)

良寛を讃へながらも土用波     鈴木太郎(杉)

手毬置く二枚重ねの夏座布団    鳥居三太(童子)

山の背に晴・雨を分けてほととぎす 筑紫磐井(沖)

あらうみの古志の銀河は神なりき  七田谷まりうす(秋・天為)


 「俳句研究」編集長が中西千明氏に引き継がれてもこの企画は続き、平成九年七月「安曇野吟行」が行われている。参加者の重複を除くと次のような顔触れが加わった。面白いのは、編集長も同行して句会の様子を逐一楽しんでいたことだ。何か編集のヒントになったことでもあったであろうか。


草田男句碑罪なく咲けるたんぽぽか 橋本榮治(馬酔木)

豊かなる水を導き山葵植う     棚山波朗(風・春耕)

安曇野の奔流に散る遅櫻       伊藤伊那男(春耕)

(以下略)

※詳しくは「俳句四季」12月号をお読み下さい

【新連載】北川美美俳句全集7

【豈63号】2020年12月


空     北川美美


ざく切りのキャベツの自由瓶詰に

学長は額縁にゐるイースター

禿山の廃市廃線青嵐

澤田君むつりと消えし五月かな

自作の巣遠くより見し庭師鳥

葉から葉へ光こぼれて六月来

囀りやたしかに空の空は空

みっちりと十薬の庭文字うっり

鴬や昨日の庭に手を入れて

金玉糖いつか見て来し地平線

老鴬や巨石ばかりの庭石に

抱き終へて吊るされてゐる竹婦人

海の日を簡易テントで寝る練習

日焼の人潮目を越へて束る眼

入る蛇と穴の痛みを思ふかな

晩秋の水のかたちを彫り当てし

開くたび林檎に戻り束る顎よ

長芋を昏き廊下に横たへし

からっ風に突き出てゐたる頭かな

折鶴の首尾を折りて芋虫に


(筑紫注)「豈」としては、美美最後の作品である。締め切りとしては5月であったからまだ再入院前の元気なころの作品ではなかったかと思う。

 「澤田君むつりと消えし五月かな」は平成二十七年(2015年)五月に亡くなった澤田和弥であろう。この句を見ると面識があったのだろうか。彼の第一句集『革命前夜』の序文を書いた有馬朗人氏もなくなった。そして美美もいなくなった。

 次回からは、「俳句新空間」のバックナンバーから拾ってみることとする。


第45回現代俳句講座質疑(2)

第45回現代俳句講座「季語は生きている」筑紫磐井講師/

11月20日(土)ゆいの森あらかわ 


【赤羽根めぐみ氏質問】

―――私は、飯田龍太の「一月の川一月の谷の中」についてお聞きしたく思っております。

筑紫先生のご著書の中の用語ではない言い方でお聞きしますが、「一月の川一月の谷の中」は一物仕立ての句でしょうか、あるいは取り合わせの句でしょうか。(ここでは、あえてこの二択とさせていただきます。)


【筑紫】批評用語の難しいのは、批評用語の背負っている時代の思想が抜けきらないことかと思います。「一物仕立て」「取り合わせ」も、現代の俳句を論じるときに、江戸俳諧の思想がどこかに滲み出てきてしまう問題があるように思われます。

「一物仕立て」「取り合わせ」には俳句を仕立て上げるという俳諧的な思想が前提となるように思います。ですから、俳句は文学である、俳句は詩であると考える人たちにとって、自らの作品を「一物仕立て」「取り合わせ」と評されても困惑することが多いと思います。

それでも「取り合わせ」の方は明治の子規により、「配合」と言い換えられていますが、言い換えと同時に俳句を仕立て上げるという俳諧的な思想は拭い去られたように思います。なぜなら子規の「配合」は、俳句という詩が言葉の組み合わせでできているという前提(これは極めて近代的発想です)から、言葉の組み合わせはいずれ尽きてしまうのではないかという問題意識に始まり、江戸以来の俳諧・明治の俳句の組み合わせをすべて提示しようとする科学的意識が働いていたように思います(その先には明治の新俳句では、新しい配合を作り出そうという意思が働いています)。子規の江戸俳諧10万句の句を分類しつくした「俳句分類」という壮大な事業はそうした成果であると思います。だから、そうした研究から生まれた用語が「配合」であり、子規は常に新配合を志していたと言えるでしょう。

その意味では、「一物仕立て」か「取り合わせ」かという問いは、龍太の句が俳句を仕立て上げるという俳諧的な思想が前提としているかどうかという問いに答えてから出てくる問いということになると思います。正直いって私は龍太の句が俳句を仕立て上げるという俳諧的な思想が前提というようにお答えできないので、この二択は難しいというのがお答えになるかと思います。

ただそれだけではあまりにもぶっきらぼうなので補足させていただきます。「配合」はやがて碧梧桐、乙字へと議論が進み、講演でお話しした乙字の新しい季語論、「季感象徴説」に進むのですが、その過程で季語の用法の「暗示法」の発見にたどり着いたのです。一種の象徴的使用法となっているのですが、実はこの手法を一番有効に使ったのが人間探求派であると思います。


      鰯雲人に告ぐべきことならず      加藤楸邨

  蟇長子家去る由もなし         中村草田男


 鰯雲、蟇も象徴的使用法であることは明らかです。作家が詠みたい主題があり、これに文学的効果を持たせるための暗示的使用として季語がおかれているのです。これは厳密にいえば子規の「配合」の延長ではありますが、子規の関心からはだいぶ離れ(まして取り合わせからはすっかり離れ)、主題を意識した詩的な表現法となっています。

 問題はさらに拡散します。楸邨、草田男の象徴的使用法に、表現論として現代の俳句のあるべき方法として反対提示されたのが金子兜太の「造型俳句論」であったのです。「造型俳句論」は花鳥諷詠や新興俳句が仮想敵であるのではなく、人間探求派が仮想敵でした――その敵は自分の師である加藤楸邨であり、さらに言えば楸邨のもとで育った(造型俳句提唱前の)兜太自身であったと思われるのです。従って「造型俳句論」とは、懺悔の書、自己批判の書であったと理解します。

 そう考えると、龍太の句は、俳諧的な思想ではないことはもちろん、人間探求派の象徴的使用法でもありません。私はむしろ、龍太には同時代の空気を吸った兜太の影響こそ強いのではないかと思っています。こんなことを言うと驚くかもしれませんが、龍太の「一月の川」の句は造型俳句なのだと言ってみたいと思います。その構造性、無意味性、現代性から行っても、「一物仕立て」でも「取り合わせ」でも「配合」でもない造型俳句なのだというのが私の結論となるのですが、いかがでしょうか。


[補足]

ご質問に沿って少し話題を拡散させれば次の質問にどう答えるでしょうか。例えばこんな問いは成り立つでしょうか。

①短歌には「一物仕立て」の短歌、「取り合わせ」の短歌があるか

②詩には「一物仕立て」の詩、「取り合わせ」の詩があるか

③小説には「一物仕立て」の小説、「取り合わせ」の小説があるか

多分否でしょう。このようにみると「一物仕立て」「取り合わせ」の俳句かどうかは、俳句固有の問いのように思われます。短歌、詩、小説にはない、というよりはこんな発想さえわかないのではないかと思います。我々が思いこんでしまっている俳句という枠組みにはぴったりするのですが、俳句以外では成り立ちません。その意味では、あまり批評の普遍性はないように思われます。逆にここを問い詰めてゆくと、俳句とは何かより、我々が俳句をどのように考えてしまっているのか、という答えが出てくるように思います。非常に興味深い問題ですが、ただこの問題は、冒頭に掲げたように少し問題がずれてしまうので、別の場に改めて考えてみた方がいいですが。

(以下続く)

第19回皐月句会[速報]

投句〆切11/11 (木) 

選句〆切11/21 (日) 


(5点句以上)

9点句

闇汁の闇甘くなり辛くなり(西村麒麟)

【評】 闇に味を感じるおもしろさ。──中山奈々


ふるさとは人の厚さの掛布団(近江文代)


7点句

マシュマロの弾力水鳥の浮力(近江文代)

【評】 マシュマロと水鳥。全く違うものなのに、対比させて句が立ち上がっていますね。──仙田洋子

【評】 ちょっと拍子抜けな位、堅そうで柔らかいものや重そうで軽いものにその力のはたらきの面白さを発見しています。──妹尾健太郎

【評】 マシュマロ食べながら、水鳥を見ている。いい日。──中山奈々


6点句

日の沈むまでの手すさび種を採る(仙田洋子)

【評】 「手すさび」が巧み。この一言にいろいろな情報が詰まっている。この人にとって種を採ることは毎年行っていることで、特別なことではないのだろう。なんとなくそこに居て、なんとなく目について、なんとなく手が動いて…といった風。まず思い浮かんだのが朝顔。手の中で揉んだ時に薄い殻がパリパリと割れる感じや、そのあと粉々になった殻を息で吹き飛ばすところまで見えて来た。そんな風に私も「日の沈むまでの手すさび」で種を採っているなぁ、と強く共感。──依光陽子


寒き日々造花をいくつ並べても(依光正樹)


5点句

文化の日満艦飾のピザが来る(松下カロ)

【評】 「満艦飾」という言葉がいいですね。ピザの様子が目に浮かびます。──仙田洋子

【評】 「全部のせ」というやつでしょうか。華やかさがあります。──佐藤りえ


夕焚火文字なき民の謡ふ神(渡部有紀子)


夜業の灯猫は液体かもしれぬ(中村猛虎)

【評】 「猫は液体」という発想が好きです。──仙田洋子


コンロの火ぐるりと回り冬に入る(飯田冬眞)

【評】 寒さを感じた作者はコンロに火つけると火がぐるりと回り、その時に冬を感じた様子が目に浮かびます。──松代忠博


(選評若干)

白鳥が来るそらいろの方眼紙 4点 望月士郎

【評】 中七下五が新鮮でした。白鳥の白と空色が美しいですね──小沢麻結

【評】 白鳥が来る冬の空。手元にはそらいろの方眼紙。白鳥の飛来してくる経度緯度をイメージしているのだろう。ちょっと景が見えすぎるきらいはあるが、美しい。──山本敏倖


秋遍路灯台守もこの道を 1点 岸本尚毅

【評】 〈灯台守〉の一語は効き目抜群、心憎い言葉選びと瞠目します。果てなく巡る時のなか、遥かなる寂しさ、といった情趣が醸されています。〈を〉と云いさした下五もまた相乗効果を挙げていると思われます。──平野山斗士


素うどんがきつねに化けて神の留守 4点 仲寒蟬

【評】 ただきつねあげを載せただけなのに、「化けた」との大袈裟に惹かれた。神の留守の良さと合う。──中山奈々


AIのまどろむ夢に雪ぼたる 2点 真矢ひろみ

【評】 詠みにくい素材に挑んだ意欲を買います。──仙田洋子


双眸に須臾たくはへて夜の鹿 1点 佐藤りえ

【評】 「須臾」・・これは、瞬間とかその時限りという意味の数量の単位だという。「夜の鹿」は、検索してみると、目をつむってあるいは薄目を開けて眠るようだ。網膜に瞬間ごとに闇が張り付いているという想像は、ありえないほどトリビアルな状態である。

しかし、この一句はそのことを「須臾たくはへて」というすばらしい言葉(認識)で形容した。この受け止め方にリアリティを感じるのも、昼間の彼らの、ゆったりとまたたうっとりしてあの、目ざめながらながら眠っているような瞑想しながらも何も考えていない無為のまなざしを観ることが多いからである。──堀本吟


中華屋の自販機上にある冬菜 3点 青木百舌鳥

【評】 些細な光景で、よくある日常の一コマ。ただ、何かしら気になる 夜寝ようとするときに何故か思い出されてしまうもの。数年後にどこかで見た光景だとデジャブのように思い出すもの。こういうものも人の心を支えているに違いない。──真矢ひろみ


どたばたと降り来る二階鮟鱇鍋 3点 松代忠博

【評】 これは家庭の情景ではなく、鍋物屋の風景であろう。やや体重超過の仲居が鍋を持ってくるのだが、ちょっと不細工な方が鍋がうまく感じるものだ。──筑紫磐井

【評】 下宿の子を誘ったら。あらまあ。──中山奈々


団栗や寄り目かなしき忿怒仏 2点 岸本尚毅

【評】 かなしは「悲しい」ではなく趣きがある。興味深いの意に思える。団栗との取り合わせもぐっと惹かれる。──依光正樹


秋夕焼け鳥には見ゆる鳥の国 4点 田中葉月

【評】 生物の種ごとに、世界は違って見えるのでしょう。人間は、自分に見えているものだけが世界だと思いがちですが。──仙田洋子


冬耕のはや日の廻りきたるかな 1点 小沢麻結

【評】 山の畠か、粛々と行われている孤独な仕事の様子が想われました。──青木百舌鳥


【連載】澤田和弥論集成(第6回-6)

  (【俳句評論講座】 共同研究の進め方 澤田和弥のこと――「有馬朗人研究会」及び『有馬朗人を読み解く』(その2))


(6)【「俳句四季」二〇一五年一〇月号 [座談会]最近の名句集を探る40】

▼澤田和弥句集『革命前夜』

筑紫 最後の句集は澤田和弥さんの第一句集『革命前夜』(邑書林)です。

 出版されたのは少し前で、平成二五年の七月です。澤田さんは昭和五五年生まれ、学生時代は早稲田大学の俳句研究会に所属していました。平成一八年に「天為」に入会し、二五年に「天為」新人賞も取って、これからという時だったのですが、この第一句集を出して二年後の今年の五月に三五歳で亡くなられました。

 この句集はもう亡くなったことがわかっていて読むと、少し読み方が変わってくるのではないかと思うんですね。それを踏まえて幾つか句を紹介します。

 「冬夕焼燃え尽きぬまま消え去りぬ」。まさに澤田さんそのものを詠んでいるような句で、今読むと印象的です。

 「言霊のわいわい騒ぐ賀状かな」。ちょっと不気味な感じがします。「マフラーは明るく生きるために巻く」は今読むとシニカルにも読めますね。「秋天に雲ひとつなき仮病の日」。職場で悩む事もあったのかもしれません。「生前のままの姿に蝿たかる」「地より手のあまた生えたる大暑かな」。鬱々とした感じが胸に迫ります。

 こういう句ばかりだと湿っぽくなってしまうので「黄落や千変万化して故郷」。故郷に戻ってきてほっとした気持ちが窺えます。「冬の夜の玉座のごとき女医の椅子」は豪華でいいですね。

 有馬朗人さんが序文に「この『革命前夜』をひっさげて俳句にそしてより広く詩歌文学に新風を引き起こしてくれることを心より期待」と書いているのですが、二年後に亡くなってしまう事を考えると悲しく響ききます。

齊藤 この句集には「修司忌」の句が二十句人っているけれども、僕が辛うじて採ったのは「革命が死語となりゆく修司の忌」の一句。全体的に寺山修司の影響はあまり感じられないですね。寺山だったら同人物の忌を二十句も作りはしない。世界で最愛の人が亡くなっても、せいぜい一句でしょう。二十句は死者に対して冷淡です。

 採った句は「シスレーの点の一つも余寒かな」。シスレーの点描画を「点の一つも余寒」と表現するのは面白い。「接吻しつつ春の雷聞きにけり」。これは「聞きいたり」としたい。

角谷「聞きいたり」だとずっと接吻が続いている感じですね(笑)。

齊藤 接吻するか、雷を聞くか、どちらかに専念せよということです。「短夜のチェコの童話に斧ひとつ」。寺山修司は斧を随分詠んでいるから、その影響かもしれない。「幽霊とおぼしきものに麦茶出す」「母も子も眠りの中の星祭」「終戦を残暑の蝉が急かすなり」「香水を変へて教師の休暇明」「金秋や蝶の過ぎゆく膝頭」などを採っています。

 「狐火は泉鏡花も吐きしとか」。泉鏡花と狐火は確かに合うしこのままでも面白いけど僕なら「狐火は泉鏡花を吐きしとか」とやりたい。「も」と「を」の一字で内容は反転する。

堀本 僕は澤田さんとはフェイスブックで繋かっていて、ある俳句の催しに参加しませんかと声をかけて貰った事がありました。結局都合が合わなくて行けなかったんですが、お会いしたかったですね。

 『革命前夜』というタイトルは、自分の内側でまず革命を起こしたい、という澤田さんの気持があったんじやないかなと思います。若くして亡くなられた事でどうしても句に後から意味が付加されて読まれてしまうんですが、できるだけ作品そのものをニュートラルに捉えたいと思って読みました。

 「恋猫の声に負けざる声を出す」。恋猫は実際うるさいんですよね。それに負けないように声を出す。すごく切実な声にも思えるし、楽天的に取ればユーモアとエロチシズムを感じます。

 「空缶に空きたる分の春愁」。春愁の句としてテクニカルな詠い方をしているのですが、同時に彼の繊細さが出ている一句です。「卒業や壁は画鋲の跡ばかり」。卒業の嬉しさよりも寂しさを詠んだ所がいいなと思います。

面白い句で伽羅蕗や豊胸手術でもするか。「豊胸手術でもするか」という軽い言い方に上五が渋い「伽羅蕗」で、日常の食べ物からいきなりメタモルフォーゼするようなところへ飛んでいく、そういう面白さがあります。「外套よ何も言はずに逝くんじやねえ」。友人に呼びかけるような、もしくはつぶやくような一句なのですが、これも亡くなってから意味が出てくる句ですね。自分が死を感じた時に、他人の事がよく見える時があると思うんです。そういう心理の働きがこの句でも見えていると思います。例えば中上健次が宮本輝さんに最後に会った日の別れ際に、「宮本、お前、長生きしろよな」と言ったという話があります。その一年後に中上健次は亡くなるんです。そういう事を思い出して、胸が締め付けられた一句でした。

 この句集を読めて良かったと思います。と同時に第二句集も読みたかったですね。

角谷 私はなるべく亡くなった事を先入観として持たないように読みました。でもタナトスの影がどうしてもちらついてくるんですね。例えば「椿拾ふ死を想ふこと多き夜は」「若葉風死もまた文学でありぬ」。田中裕明さんの最後の句集『夜の客人』に「糸瓜棚この世のことのよく見ゆる」という彼岸に足を踏み入れているような句かありますが、それに近いものを感じました。

 『革命前夜』といっても前衛的な句はあまりなくて抒情的な句が多い印象です。「半烏に銃声響き冴返る」には弛みのない硬質な叙情があります。「拘置所の壁高々と雪の果」。青年期の特徴とも言うべきこの世との隔絶感ですね。緊迫と弛緩の対比で作られているのが「薄氷や飛天降り立つ塔の上」。

 「鳥雲に盤整然とチェスの駒」。「チェスの駒」という整然としたものと「鳥雲に」のような柔らかく自在なものを取り合わせる。この取り合わせはこの方の持っている精神性から発せられているのかなと思いました。

 「修司忌」の句は齋藤さんが仰ったようにあまり採れる句はなかったです。「目」にこだわっている印象が強く、「船長の遺品は義眼修司の忌」など、凝視の作家だと思います。

筑紫 実はもう一つ所属している結社誌「若狭」では修司論を連載し始めてたんですよね、亡くなってしまったので四、五回で終わってしまいましたが。恐らく修司への意識の仕方は作品そのものからはあまり見えないけれど、評論の形で見えてきたかもしれない。

角谷 亡くなられると次第に忘れられてしまうことがあるので、こうやって語られる機会は大事だと思います。

筑紫 これからも澤田さんの俳句が語り継がれていって欲しいと思います。

【刊行案内】豈64号

 


豈 64号 CONTENTS

●第6回攝津幸彦記念賞選考結果
逸賞作品全句掲載(夏木久・なつはづき)

●特別作品 大井恒行/城貴代美/高山れおな/亘余世夫

●特集「兜太はこれからどう発展するか?」宮崎斗士・五島高資・筑紫磐井

●「池田澄子は何処」筑紫磐井

●句集評 夏木久『組曲*構想』/眞矢ひろみ『箱庭の夜』/山﨑十生『銀幕』/池田澄子『此処』/なつはづき『ぴったりの箱』/秦夕美『さよならさんかく』/中島進句集『探求Ⅰ』・評論集『考察Ⅰ』/加藤知子『たかざれき』/樋口由紀子『金曜日の川柳』/藤原龍一郎『202x』


お求めはAmazon、または実業公報社へお問い合わせください


【連載通信】ほたる通信 Ⅲ (17)  ふけとしこ

   測棹

測量の二人が離れ冬の菊

測棹を倒せば出て雪蛍

綿虫の用あるやうに無きやうに

夕星や白菜が身を締める音

もう走れない枇杷の花高く咲き


 ・・・

 着物を全て手放した。

 大好きな帯揚げの二枚と、半襟の一枚、餘布の少し、未練がましくこれだけを残したが、さすがに悲しかった。一枚一枚に思い出も思い入れもあり、洋服を捨てるのとは違う思いだった。

 引越しを機に決意したことであったが、この引越しを決めたとき、句友たちは「断捨離ができていいねえ、羨ましい」と言い「その歳で引越しなんて狂気の沙汰や」とからかってくれた。来年より今年の方がまだ若い」と私は強がってみせたが……。

 『断捨離』とはどなたかの著書で有名になった言葉。一過性のことかと思ったが、廃れることがない。ということは「断」も「捨」も「離」も誰もが必要としていることでもあるのだ。

  かつては嫁入り箪笥というものがあった。その箪笥というもの、よくできているというか、よく物が入るというか、いざ処分しようと思うと、その物の多さといったら半端ではない。箪笥だけではない。机の抽斗一つにしても無用となった筈の物があれこれと出てくる。

 遺品整理という職業が成立するのもよく解る。

 この度多くを捨ててきたから、私の遺品を整理してくれる人にはかかる負担が少ないだろう。いや、この後負担をかけないよう、物を増やさないよう、心して暮らしていこうと誓ってもいるが……。

 夫の両親は住まいにお金をかける人達だった。だから、絵を筆頭に集めた物の数がすごかった。家を引き継いで以降、処分させてもらいながら暮らしてきたが、それでも以前からの調度がまだまだ残っていたのである。

 処分費かかりましたよ~と仏様へ愚痴を言いたくもなった。

 家終いには本当に体力が必要。来年よりは今年の方がまだ若い、これは冗談ですむ話ではないのだった。

            (2021・12)