2013年7月26日金曜日

第30号 2013年7月26日発行

【俳句作品】

  • 平成二十五年 夏興帖 第二
……もてきまり,早瀬恵子,月野ぽぽな, 美保子,山田耕司
     前北かおる,網野月を,堀田季何,柴田千晶,仙田洋子  ≫読む

  • 二十四節気題詠句 その7
……依光陽子 ≫読む
     

  • 現代風狂帖(10句)
    再集合  佐川盟子  ≫読む 


【戦後俳句を読む】


  • 近木圭之介の句【テーマ:「赤」】……藤田踏青    ≫読む

  • ゆく水のひかり――永田耕衣の世界  ……池田瑠那  ≫読む

  • 三橋敏雄『眞神』を誤読する 84.   ……北川美美   ≫読む

【現代俳句を読む】
  • 【俳句時評】 筑紫磐井著『21世紀俳句時評』 

……湊圭史  ≫読む


  • 【俳句時評】 『二十四節気論争』(追加)
……筑紫磐井 ≫読む 

  • 【俳句時評】 2013 こもろ日盛り俳句祭 Q&A  
                             ……本井英(質問と編集:筑紫磐井)  ≫読む
申込まだ間に合います!! !

  • 緊急告知!!第4回芝不器男俳句新人賞 作品募集について 
                              ……西村我尼吾   ≫読む  new!! 


【編集後記】

      あとがき   ≫読む


PR】 広告・告知

  • 第2回  攝津幸彦記念賞 たくさんのご応募ありがとうございました。 ≫読む
  • 第5回「こもろ・日盛俳句祭」Let's go to KOMORO!!
      開催8月2日・3日・4日 ≫読む (小諸市のサイトへジャンプします。)

~俳句の林間学校「こもろ・日盛俳句祭」へのお誘い~


……本井英 ≫読む











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【芝不器男俳句新人賞】 緊急最新急告! 第4回芝不器男俳句新人賞作品募集について / 西村我尼吾

  本年3月6日付けで発表させていただいた「芝不器男俳句新人賞を愛する方々へ」と題する特別メッセージに対して、愛媛県文化振興財団をはじめ多くの関係者、俳人の方々から心温まる、強いご支持をいただきました。本件を提唱した責任者としてここに深く御礼を申しあげさせていただきます。幸いにもこのような関係者、賛同者の御理解、ご支援を得て、本年6月には芝不器男俳句新人賞実行委員会(委員長 産業技術大学院大学石島辰太郎学長)が設立され、7月には芝不器男俳句新人賞ウェブサイト(http://fukiosho.org/index.html)、芝不器男俳句新人賞基金と事務局(office@fukiosho.org)を設立することができました。第4回芝不器男俳句新人賞は従来の賞を受け継ぎ、従前通りの選考方法により、平成25年年7月30日から作品の応募を下記の通り受け付けます。応募締め切りは、平成25年10月31日 17時となります。多くの俳人の応募を期待しております。
  なお、第4回芝不器男俳句新人賞に投句出来る俳句の創作期間には、平成23年3月11日に発生した東日本大震災を含みます。21世紀に世界で生じた大災害の当事国の一つである日本の若い俳人の思いを、アジアで同じく大災害に被災した多くの人々と、ともに分かち合うプロジェクトを企画しております。
平成25年7月29日
芝不器男俳句新人賞実行委員会参与 西村我尼吾




以上のメッセージが芝不器男俳句新人賞実行委員会から寄せられました。多くの俊雄を輩出し『新撰21』ブームを招来した芝不器男俳句新人賞が装いを改めて発足することになります。
愛媛県文化振興財団より突然の休止を受け、創設者西村我尼吾氏の不退転の決意で、資金の確保、実行委員会の発足にこぎつけることになりました。ぜひ、多くの方々の参加を得たいと思っております。詳しい募集要領は現在作成中ということですのでウェブサイト(http://fukiosho.org/index.html)をご覧ください。(筑紫磐井)

特別メッセージ「芝不器男俳句新人賞は終わらない!」/西村我尼吾(25年3月6日付け)



【受賞者一覧】

  • 第1回(2002年)芝不器男俳句新人賞 冨田拓也


2002年記録集







第30 号 (2013.07.26 .) あとがき

北川美美

七月が終わろうとしています。七月、文月(ふみづき)の由来は、7月7日の七夕に詩歌を献じたり、書物を夜風に曝す風習があるからというのが定説となっているということです。詩歌の月にも関わらず、そう俳句は作れませんでした。

来週はいよいよ八月に突入。(個人的には八月になる度に「八月の濡れた砂」-1971年日活映画- を思い出します。)来週8月2・3・4日に「こもろ日盛俳句祭」が開催されます。雄大な浅間山を望み夏の思い出に多くの皆様にご参加いただければと思います。現地でのレポート、特集も組んで参ります。参加できない方もどうぞお楽しみに。

今週も盛りだくさん。夏興帖、二十四節気題詠句、そして風狂帖と多くの皆様にご投稿いいただきました。そして現在準備中ですが、「第4回芝不器男俳句新人賞」作品募集についてのコンテンツが加わります。7月29日(月)頃に再度ご確認ください。←7月26日23:30更新しました。

不安定な天候が続いておりますが、ご自愛くださいませ。よい夏、よい句、そしてよい鑑賞を。頭を冷やしつつ残りの2013を乗り切って参りたいと思います。


小諸市全景(長野県観光課のHPより)



筑紫磐井

○「戦後俳句を読む」で祝祭日について書いているが、もうすぐ2つの原爆忌、終戦忌を迎えることになる。祝祭日の議論を見ていて、こんな候補があったことを思い出して感心した。

招魂祭、追憶の日、うら盆会(8月15日)

「追憶の日」とは終戦のインパクトが強烈であったこの時期だけにできた候補であったのだろう。この日が採択されなかったのは、日本全国で追憶の日ではなく、広島、長崎、沖縄ではまた別の日が追憶の日になっているからではないかと思う。そして、最近では、3・11がこの言葉にはふさわしくなっている。

○こもろ日盛り俳句祭に関連する記事を載せているが、いよいよ8月2日(金)から開始する。まだ参加は間に合うらしいので予定が入っていない方はぜひご参加いただきたい。

なお、8月3日4時からのシンポジウム(テーマ「旧い季語・新しい季語」)では、宮坂静生、小川軽舟、山西雅子、筑紫磐井などが参加して論じ合う。


観月句会(昭和21年9月11日 於:懐古園・山城館)
※「こもろ日盛り俳句祭」小諸市のHPより

ゆく水のひかり――永田耕衣の世界  / 池田瑠那

泥鰌浮いて鯰も居るというて沈む

舞台はおそらく農村の、沼か、池か。水底から浮かんできた泥鰌が、「鯰も居る」とだけ言ってまた沈んで行く。泥鰌のゆったりした動きが目に浮かび、また泥鰌が人語を話すことを読者に何の違和感もなく受け入れさせる雰囲気を持った句である。

掲句は耕衣俳句の中でも親しみやすい句、ユーモラスな句として知られる。しかし私は、「何故、鯰は出てこないのだろう?」と気になって仕方ない。読者は「鯰も居る」とだけ言われ、いわば思わせぶりをされて、じっと水面を見つめることになるではないか。だが話題の鯰はいっかな姿を現さないのである。

耕衣には、鯰の絵が多い。耕衣の描く鯰は眉と鼻筋を持ち、人間に――いや、はっきり言ってしまえば耕衣自身に、似ている。とすると泥鰌のこの発言は、耕衣に「自分自身も知らない自分が、この水の底に居るよ」と伝えているとは取れないか。しばしば「宇宙的自己解消」への憧憬をいう耕衣の作品に、こうした分析的眼差しを向けるのは不適当であるかも知れないが、今回は敢えて試みてみたい。

深層心理学の世界では、人間の心は意識と無意識に分かれており、意識の中心となっている「自我」のみを通常「自分」と認識しているという。しかし実際には、生存のための本能エネルギーが渦巻く無意識下の領域の方がはるかに広く、自分が自分だと思い込んでいる「自我」は、心の中のほんの僅かな部分に過ぎないのだという。

水面下(何やらこれも、「無意識下」の喩のような響きだが)、に居るという「鯰」はどのようなものか。鯰にまつわる伝承といえば、地下に棲む大鯰が暴れることで大地震が起きるというものが有名だが、一方で琵琶湖の竹生島にある竹生島神社には、鯰が龍に変身して島と神社を守護するという縁起(言い伝え)があるという。いずれにしても人智を超えた莫大なエネルギーを思わせる存在であり、日頃人間が心の底に沈めている、本能エネルギーのイメージとも相通ずる。

「鯰も居る」と一言言い残して泥鰌が沈んでいった、その水輪も忽ち消え、静まり返る池の水。その水面を見つめても、見えるのは水に映った自分自身の影ばかり、だが確かに感じられる――池の底に「居る」鯰の気配、自分も知らない自分の気配。(昭和39年刊『悪霊』より)





《参考ウェブサイト》



近木圭之介の句【テーマ:「赤」】/藤田踏青

背骨ニ刻ム 炎ノ文字群レルホド    注①


平成7年の作品であり、この時に起こった阪神淡路大震災に関連したものであろう。1月17日早朝、震度七の当時戦後最大の大地震であった。死者64百名余、負傷者437百名余、全半壊家屋249千棟以上、被害総額は約10兆円の大惨事であった。私もこの時に被災し、家が傾く程であったのでその時の恐怖感は今でも覚えている。

掲句の炎は神戸の街を焼き尽くす紅蓮の炎であろうか。それを成すすべも無く見つめるしかない後ろ姿が想像される。そしてその背中ではなく、背骨に刻み込むほどの悲哀をギリギリとかみしめ、次々に襲い来る炎の群れ様を、漢字とカタカナのみで鋭角に表現している。同時期には次の様な作品も発表されている。

月烈烈断水ノ街。犬帰ル     平成7年作     注① 
肉が骨が無防備 冬銀河     平成7年作     注②

前句には震災後の人気(ひとけ)も水もない街を、帰巣本能に導かれた一匹の犬が月に煌々と照らされながら帰って行くシーンが描かれている。ここでも漢字とカタカナのみの表現で、しかも「烈烈」という月光が照らし出す厳しい現状を直視している。また句中に挿入された句点は上句、下句の二つの存在の対比を強調するためのものとも考えられる。

後句の肉と骨が意味するものは人間そのものの原形であり、大自然の力の前では全く無力の存在であるとの謂いであり、冬銀河はその更に大いなる存在として提示されている。

カラクリ 背骨カラゼロガデテ来タ    平成7年作
背骨から出て来たのはゼロのみである。つまり何も無い、空なのである。意思としてのカラクリが空虚であるという深い絶望感がそこに漂っているような。

今回の東日本大震災の惨状に思いを馳せつつ、阪神淡路大震災を回想している私がいる。


注① 「層雲自由律2000年句集」 層雲自由律の会 平成12年刊
注② 「層雲自由律90年作品史」  層雲自由律の会 平成16年刊

三橋敏雄『真神』を誤読する 84. 天地や揚羽に乗つていま荒男/ 北川美美


84.天地や揚羽に乗つていま荒男
(『詩客』 2011年09月09日掲載 戦後俳句を読むテーマ「夏」に掲載したものを加筆修正。)


揚羽に乗っているのは誰なのだろうか。一寸法師サイズの男、あるいは、一寸法師サイズの魂になった作者が考えられるのであるが。

まず、御伽話の「一寸法師」を想像してみる。鬼から姫をお守りした一寸法師は小槌の魔法で立派な青年になり姫と夫婦になれた。ところが、倉橋由美子の『大人のための残酷童話』―「一寸法師の恋」ではタイトル通り残酷な続きがあり、昔話の落としどころ、本命という印象がある。その内容とは、姫は夫である一寸法師の肝心な急所が一寸法師であることに満足できず、姫は「一寸法師!」と罵り、小槌で叩きあう夫婦喧嘩に発展する。互いに小槌を振り回し、二人は、またたくまに塵ほどの大きさになったという結末である。

そうなのである。上掲句は、残酷童話の後の一寸法師を詠っているように思えた。姫の支配下から解放され、悠々と空を羽ばたいている一寸法師を想像する。だから「いま荒男」なのである。

揚羽が浮遊する魂を天界に運ぶ役割があることを思う。一寸法師は、『御伽草子』の登場人物であるが、『眞神』には一寸法師サイズ、生を受ける前の作者「僕」の視点で詠まれている句があるのだ。

霧しづく體内暗く赤くして 
産みどめの母より赤く流れ出む 
身の丈や増す水赤く降りしきる 
肉附の匂ひ知らるな春の母

そして、上掲句を含む現世では存在していないと思える謎の「僕」の視点は母への思慕、エロスへとつながる。

秋色や母のみならず前を解く 
夏百夜はだけて白き母の恩 

さて、「天地(あめつち)や」について思うのは、『眞神』の世界観、哲学ともいえる宇宙である。新天地を求めて旅立つ男、どこか虚子の有名句「春風や闘志いだきて丘に立つ」と意を同じくするような印象がある。

そして「荒男(あらお)」は万葉の言葉であり、「荒々しい男。勇猛な男。あらしお。」(デジタル大辞林)という意味。「荒男(あらお)」を駆使できるのはやはり戦前に生を受けた世代の教養の差なのだろうか。

白泉に荒男の句がある。

この子また荒男に育て風五月   渡邊白泉

そして随筆であるが、明治~昭和の登山家・随筆家の小島烏水の『梓川の上流』に「北は焼岳(やけだけ)の峠、つづいては深山生活(ずまい)の荒男(あらしお)の、胸のほむらか、硫烟の絶え間ない硫黄岳が聳えている、…」と荒男(あらしお)が雅やかに登場する。

小島烏水の文章からは、「荒男」が荒々しいというだけでなく、山という神が宿るところに対峙する勇気ある男、神聖な性というものを感じるのである。

蝶に乗るのは女とは限らない。たったいま揚羽に乗った男、「いま荒男」は、一寸法師改め、宇宙に存在する生まれてこなかった赤子のたましい、死児の視点を描いたように思える。『御伽草子』の一寸法師も元々は水子、あるいは死児の話という節もある。古事記にみるような神話的なものがやはり文芸創作の原点なのでは、と妙に納得してしまう。

テレビアニメ「まんが日本昔ばなし」の冒頭の男の子は、龍に乗っていたけれど、揚羽に置き換えて絵を描き変えたい気分になる。上掲句から思う異界の一寸法師的視点はそう間違っていないように思えるのだが、はたしてどうなのだろうか。





【俳句作品】 平成二十五年 夏興帖 第二


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        もてきまり(「らん」同人)
此岸覗く爪先立ちの百合二本
危険思想の匂ふがごとく白牡丹
神妙に水母となつて抗へり

        早瀬恵子( 「豈」 同人 )
あさなぐさ七ツ下りの雨の後朝
柿葺落の音吐朗々涼しかり
大暑かな肩をだしたり勘亭流

        月野ぽぽな(「海程」同人)
恥ずかしくなった孑孒から沈む
日焼止めほのかに匂い少女たち
冷房の闇まだ覚めている鱗

        陽 美保子(「泉」同人)
水門を全開にして夏つばめ
青胡桃神父が空を読みにけり
就中子規画鶉図秋隣

        山田耕司(「円錐」同人)
襟足に見覚えのある欅かな
胃は耳につながらざるも麩まんぢゆう
信仰やいやいやをしてせんぷうき

        前北かおる(「夏潮」)
ナイターの熱気へ通ずゲートかな
ナイターの暗闇ぎはの芝生席
ナイターのゆつくり落つるホームラン

        網野月を(「水明」同人)
伸ばす首滝壺に嘆息する我鬼忌
甘露忌やグラデーションの青海波
天面し真似る声色瓢箪忌

       堀田季何(「澤」「吟遊」「中部短歌」)
黒鷺と黒き白鷺愛しあふ
灼熱の海も羅馬に至る道
商人の手中肉塊ほどの雹
交換すパイナップルと爆弾と
につぽんの半島になるいつの夏
老人の隊列瀑(たき)へ一直線
干葡萄(レーズン)にあらず糞(まり)より興る蝿

        柴田千晶(「街」)
トンネルと同じ長さの夏の夢
一坪のスナック「ほたる」花ダチュラ
天牛の貌透谷に似てきたる

        仙田洋子
 愛しきものへ 三句
白南風や風切羽を形見とす
虹の輪をくぐりに逝つてしまひしか
炎天の遥かを昇りゆく鳥よ

うすものや日ごとに吾子とへだたりて
虹二重てふてふらには遠すぎる



【俳句作品】ニ十四節気題詠句 その七 (依光陽子 二十四句)



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          依光陽子(「クンツァイト」「屋根」)

(立春)
四大みな揮うて春の立ちにけり

(雨水)
雨水なる線描の彼(あ)は魚か蛇か

(啓蟄)
啓蟄や壁から乾く高層階

(春分)
春分や乱丁本に指をさし

(清明)
清明や啼くためのみの嘴ならず

(穀雨)
生垣はいつから垣に穀雨かな

(立夏)
鶏三羽放つ立夏の原宿に

(小満)
小満や鳥は符牒をうち交はし

(芒種)
水かけて苔玉太る芒種かな

(夏至)
夏至の日の天蚕糸に吊るは紙の星

(小暑)
音せぬやうぬぐふ鍵盤小暑なり

(大暑)
蝶の舌大暑の巌を割りにけり

(立秋)
秋立つや曜変天目茶碗の青

(処暑)
てのひらを苔に伏せたり処暑の庭

(白露)
ささくれし畳と見たる白露かな

(秋分)
秋分やほろほろ折るる雲丹の棘

(寒露)
赤犬を昔喰ひしと寒露の父よ

(霜降)
近道をせず霜降の影と交はる

(立冬)
立冬や故人の指のむらさきの

(小雪)
雲に跼めば小雪のせんなき石

(大雪)
大雪即絶対安全剃刀の極光

(冬至)
雨樋は曲がり冬至の日は沈み

(小寒)
小寒のめでたき歯朶をとぶ胞子

(大寒)
大寒や玉砂利を踏む真直ぐな脚


【俳句作品】 再集合 / 佐川盟子



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          再集合   佐川盟子


白桃へ頬づえを解くたなごころ

マスカラに抜けた睫毛がつく大暑
 
合掌は墓の表へ南風

夏蝶や翅端正に斃るるとき
  
夏野から来て一族に加はりぬ
  
バックギャモン梅酒の梅を齧りつつ

枝豆を枝からはづす花鋏
  
よく笑ひよく泣きビニールプールかな

砂場から人形が出る油照
  
再集合までの解散夏の雲




【作者略歴】

  • 佐川盟子(さがわめいこ)

1962年福島県生まれ、東京都在住。

写真家や編集者の俳句愛好会「木の会」, のち同人誌『一滴』を経て, 現在は超結社の句会。


2013年7月19日金曜日

第29号 2013年7月19日発行

【俳句作品】


  • 平成二十五年 夏興帖 第一
……池田澄子, 福永法弘, 曾根毅,西村麒麟,長嶺千晶, 

                小沢麻結, 水岩瞳, 杉山久子, 内村恭子, 山崎裕子  ≫読む

  • 二十四節気題詠句 その6
……本井英 ≫読む
     
その5…小林千史  ≫読む

 その4・・・池田澄子  ≫読む 

 その3…筑紫磐井   ≫読む 

       その2…中村猛虎, 杉山久子 ≫読む 

その1…曾根毅 ≫読む

  • 現代風狂帖(10句)

   素手  太田うさぎ  ≫読む 


   町でいちばんの美女   林雅樹   ≫読む





【戦後俳句を読む】


  • 文体の変化【テーマ:昭和20年代を読む7~年中行事その③~】
……筑紫磐井    ≫読む


  • 三橋敏雄『眞神』を誤読する 83.  
……北川美美   ≫読む


【現代俳句を読む】


  • 【俳句時評】 筑紫磐井著『21世紀俳句時評』  new!! 
……湊圭史  ≫読む

  • 【俳句時評】 2013 こもろ日盛り俳句祭Q&A  new!!
……本井英(質問と編集:筑紫磐井)  ≫読む

  • 【俳句時評】 『二十四節気論争』(追加)
……筑紫磐井 ≫読む 



  • 【俳句時評】「歳旦帖」を読む~貫く棒の如きもの~
    •       

    参照:平成二十五年 歳旦帖 (全編) ≫読む

【編集後記】
あとがき   ≫読む


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  • 第2回  攝津幸彦記念賞 たくさんのご応募ありがとうございました。 ≫読む
  • 第5回「こもろ・日盛俳句祭」詳細決定!! ≫読む (小諸市のサイトへジャンプします。)!!
~俳句の林間学校「こもろ・日盛俳句祭」へのお誘い~……本井 英 ≫読む











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三橋敏雄『真神』を誤読する 83.噛み含む水は血よりも寂しけれ / 北川美美


83.噛み含む水は血よりも寂しけれ

俳句は短さゆえにひとつひとつの言葉にさまざまなことを関連づけ、あらゆることを想像する。

上掲句が何かの隠喩ならば、まず血族のことだろう。

「血は水よりも濃し」の反対を考えた時に「水は血よりも寂しい」という構造になっていくことを考えるからだ。

「水」が主語になっているのだが、上記のように反意を考える故に「血」に重点がいく。そして「血」という文字、「噛み含む」という表現から、肉から血が滴るような生々しさをも思うのである。

こちらむけ我もさびしき秋の暮 芭蕉  
去年より又さびしひぞ秋の暮 蕪村 
さびしさのうれしくも有秋の暮 蕪村

「さびしい」と詠うのは古くから秋とされてきたが、秋が寂しく感じられるからであり、寂しいことが句の主体であればそれは通年のこと、無季になりえる。

『眞神』の空間設定が山間部の村落であるとするならば、その寂しさは、夏であれば、水の滴り、蜩の声とともに増幅され、秋であれば風の音、時雨の音に掻き立てられ寂しさという恐怖がしのびよるようである。

その水は山から流れ出てこれから先の句「手を筒にして寂しければ海のほとり」へと繋がってゆく。水という流れるものに生命、魂、そして血に人との繋がりを考える。あたらめて寂しいという意味を噛みしめるのである。名句である。

【俳句作品】 町でいちばんの美女 / 林雅樹

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   町でいちばんの美女    林雅樹

吊革持つ腋の毛穴の汗に光り

瓶ビールらつぱ飲みして球突ける

夏シャツの袖にタトゥーの端の見ゆ

ががんぼや電車の床に寝る女

夏草の駅を侵せる家郷かな

ハンモック膨らむ汝の腰の形に

砂利弾き停まる車や日の盛

夏の灯に照るや柩の中の顔

帰り来て部屋にバナナの匂ひ満つ

スロット台置きラブホテル夏終る


【作者略歴】

  • 林 雅樹(はやし・まさき)

昭和35年生。平成6年より小澤實に師事。平成15年「澤特別作品賞」受賞。「澤」同人。共著『俳コレ』。

第29号 (2013.07.19.) あとがき

北川美美

○夏興帖が開始となりました。そして二十四節気題詠句には本井英さんの24句。作品に太田うさぎさん、林雅樹さんと今号も作品群が豪華に揃いました。そして、高いアクセスを誇る【俳句時評】に湊圭史さんの新着があります。 今号も充実のラインナップ! 御寄稿いただきました皆様に御礼申し上げます。

○当サイトの骨格である「戦後俳句を読む」のカテゴリーが作品群に押されつつありますが、こちらも地道に続けて参ります。

○本日、澤好摩さんより新句集『光源』を恵贈受けました。澤さんは、1968年に坪内稔典、攝津幸彦らと同人誌『日時計』を創刊以来、「天敵」「俳句評論」「俳句研究」「未定」「俳句空間」と多くの俳句誌に関わり、現在同人誌「円錐」編集発行人でいらっしゃいます。

私は生活上の転変に必要以上に惑わされることもなく、何事も俳句のことを考え、俳句を書くことに集中することで克服できたような思いがある。-あとがき‐

沖に起つ濤のひとつは嘶くも 
黒南風に遠き煙火(はなび)の音まじる 
春闌けてピアノの前に椅子がない 
集まつてみな棒立ちや青嵐 
波のなき海図はさみし幸彦忌


俳句への思いが一句一句に響く全224句の句集です。


○時間というものは誰にも公平に刻まれているものですが、ここにきてぐっと早く感じられるようになりました。「詩客」創刊からの時間経過でいうと、現在2年3か月、「‐blog俳句空間‐戦後俳句を読む」のスタートからもすでに7か月が経過しようとしています。筑紫相談役の観測どおり(まさにその通りなのですが)大よそのサイトの寿命がだいたい2年と決まっているのであれば、このサイトもあと1年半!ということになります。そう考えると俳句サイトの老舗である「週刊俳句」「増殖する歳時記」はまさにオバケ的なご長寿サイトということになりますね。自分自身が「詩客」そして「戦後俳句を読む」に携り何を感じ得たかといえば、ますます「俳句とは何」かという問いが強くなっていることを実感するばかりです。


筑紫磐井

○恒例の「夏興帖」が始まった。歳旦帖・春興帖・花鳥篇につづく4回目であり、今回もたくさんの参加が見込まれるところから楽しみにしている。

○また今回は、こもろ日盛り俳句祭関係の記事がいくつか載った。本井英さんの満を持しての24節気題詠俳句と、こもろ日盛り俳句祭Q&Aである。昨年この日盛り俳句祭シンポジウムの場で、日本気象協会が24節気の見直しを撤回するというハプニングのあった場であり、本井さんはその立役者でもある。今回もいろいろな企画が予定されているはずだ。

○先週は、「―俳句空間―豈」で行っている攝津幸彦記念賞(第2回)の募集作品の選考委員会があり、池田澄子、大井恒行、高山れおなと会ってきた。なかなか楽しい選考経緯と、その結果であった。7年ぶりの募集は当時と比べて顔ぶれも大きく変わってきたように思われる。

○ふらんす堂から『猫帖』という本が出た。山岡さんからわが家の猫の写真を掲載してよいかといわれたので(ふらんす堂にはわが家の猫の写真が何枚か飾られているらしい。どうやら山岡さん好みの猫なのだ)OKと答えたが、私は山岡さんから俳句を頼まれたことがないから、私より猫の方がふらんす堂では人気があるらしい。

届いた本を見ると、猫の写真と、古今の名句・募集された猫の句が石田郷子さんの選で載っているなかに、こんな作品があった。

桜散り片づけられぬ猫の砂 北川美美

編集長もなかなか活躍しているようである。編集長の隣の句は

眠りつつ仔猫戯(じゃ)らしの尻尾かな 板屋ちさと

とあるが、これはあの伝説の夭折俳人長岡裕一郎氏の妹さんだ。俳句を始められたものらしい。さらに、頁を繰ってゆくと、

 秋風を見てゐる猫を見てゐるよ 西村麒麟


とあったので問い詰めてみると、さらに西村家の猫の写真も載っているという。御馴染みの人の作品を見るだけでも楽しい。





ガッチャン!キタ━━━━━━━(゚∀゚)━━━━━━━!!
ふらんす堂編集日記より




【俳句作品】 平成二十五年 夏興帖 第一 

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      池田澄子(「豈・船団・面」所属)

涼しくて嬉しくてあ~立眩み

正直に言えばあなたが好き海霧も

祭笛その腰骨の硬そうな

うかうかと愛しちまった暑気中り

鳴りやんで涼夜や耳鳴りだったのか



      福永法弘(「天為」同人、「石童庵」庵主、「豈」のむかし同人、俳人協会理事。)

夏空ゆ空中分解機の鉄片

きらきら少年ぎらぎら少年

なめくぢら花嫁人形までの道


      曾根 毅(「LOTUS」同人)

萍や言葉を隠し始めたる

暫くは死人でありし箒草

打ち水の後を俄かに動きけり


      西村麒麟(「古志」)

老公を友と思ふや水鉄砲

老公はたちまち激す水鉄砲

水鉄砲最新式でありにけり



      長嶺千晶

紫陽花にいくつ貌ある真暗がり

柏槇のねぢりあげたる梅雨の空

蛍火や影を負ひたる人の佇つ



      小沢麻結(「知音」)

かき氷メニュー三十全て読む

夏芝居果てゆくりなき涙かな

何か掛ければ不機嫌な昼寝の子



      水岩 瞳

ひとすじになんて無理ですポンポンダリア

草笛や吹くより吹く子の頬が好き

カーテンを替えて私も薔薇模様

くちなしを剪つて浮かべてさあトルストイ

行方知れず君は十五のままで朱夏


   
      杉山 久子(藍生)

夕立にぬれたる脚を交はしけり

黒髪にかほおほはるる昼寝かな

合歓ひらくささやくやうに逝くやうに



      内村恭子(天為)

ぺなぺなの商店街の団扇かな

夏空やポポロ広場の大道芸

UFOがぷぷぷと墜ちる夏の山



      山崎祐子(「絵空」同人、「りいの」同人)

軒下に目高を育て杖を売る

大口真神保食神青葉闇

短夜の地球の裏側のシュート








【俳句時評】 筑紫磐井著『21世紀俳句時評』 / 湊圭史


筑紫磐井著『21世紀俳句時評』(東京四季出版)を読了。雑誌「俳句四季」の時評10年分(平成15年1月~25年1月)から選んだ時評集とのこと。時評の名に値するかどうかまことにアヤしい拙文などはさておくとしても、時評なるものは読み捨ての宿命であって、後で読まれることを期待していない(いや、テキトウに書いてるんで、むしろ読まれないで欲しい、すぐに忘れてください、と願っている?)ものが多いのでは、と思われる。この文庫本サイズの書物に収められた各編は、その意味で、例外といってよいでしょう。10年のスパンでの長期観測を通して、それ以前以後の俳句の展開までも読み取れそうです。いや、本来、しっかりと書かれた時評とは、よく磨かれたレンズのように、遠くまでを見ることを可能とするものなのだろう・・・。

筑紫さんの時評がよくある時評の退屈さや射程の短さを逃れている理由は、俳句の世界全体を公平に見渡すと同時に、自身の嗜好や判断を容赦なく示しているからだ。伝統‐前衛、各世代を均等にとりあげる、となると、ぼんやりとした褒め言葉を並べることになってしまいそうなところ、〈驚き〉を与えてくれた作品(実際、私が読んでも面白いと思える句が多い)について、その〈驚き〉がどこから来たのか明確に分析しながら述べてくれる。ジャンル全体に関わってこうした書き物を生み出すには、とてつもない量の〈退屈〉に向き合ったうえで、いまだ驚くべきものに驚く精神を保たなければならないことは想像できる。

さらに、ところどころで、次のような鋭利な断言が飛んでくる。

[安井浩司について] 意味はなかなか伺いがたいかもしれない。しかし、いつから俳句は分かりやすくなければならないなどと決まったのだろう。(p.68) 
[新聞俳句について] ともに稲畑汀子、金子兜太、川崎展宏、長谷川櫂だというが、こうして指摘されてみると、商業誌の投句欄や結社の雑詠欄に比較しても、いまさらながら格段のレベルの低さを否めない。(p.94) 
人は意外に思うが、俳句は口承詩なのである。愛唱に堪え得る一句を作り、残すことが俳人の使命である。(p.139) 
[岸本マチ子の句について] 違和感? 実際これくらいの問題意識がなくて、どうして俳句が現代文学であるなどといっていられようか。(p.316) 
[鳥居真里子の句について] 表現として、緻密に神経を張り詰めているのはよく分かるが、表現だけで持って行けるところなど現代俳句でははもう壁にぶつかっている、作者はそれに気づいた数少ない伝統派の作家である。(p.319-320) 
[日本気象協会の二十四節気見直し案問題について] しかし二十四節気を変更することによって、ますます東京中心主義が増長されるなら、何もしないに越したことはない。(p.517) 
[前北かおる、鈴木淑子、杉原祐之について] しかし、若い世代同志で比較している内はよいとしても、例えば、戦後世代としてひとくくりにされて、大竹多可志、山田耕司などと比較されたときには当然のことながらかなりの酷評とならざるを得なかった。人生の重みといってしまっては言いすぎだが、何かに賭けているかどうかの差は歴然としてしまうからである。(p.526) 
俳句という文芸は、その目的が「美」なのか「真」なのか、答えは単純ではないが、俳句をたしなむものは時々その質問をしてみるとよい。(p.568) 
新しい世代を呼び込めない文芸ジャンルは滅ぶしかない。(p.583) 

(各評言とも文脈があるので、取扱いにはご注意ください。)引用連発になってしまいましたが、それだけ気になる発言が多いということで。これらの強い断言が、拡散しそうな視野をぎゅっと引き締める、と同時に、読み物としてこの時評集を楽しめるものにしています。

また、他の俳人たちの発言についても、ていねいに目配りをしたうえで、いちばん面白い部分を抽出してくれているように思われます。

「(ある俳句が)抵抗なく読む人の頭に入ってくる。つまり、文章を読むように理解される。しかし、これはいけないのだ。つまり、散文の一切れ、詩の一部分に終わっているからなのである」「(逆に秋櫻子の句は)どこかつかえる部分がある。しかし、「俳句らしさ」は当然、この句にもあるのである」(p.285-6; 楠本憲吉)。

俳句の本質は挨拶である。そして挨拶性は、句会と題詠にこそ現れる。実は、虚子がホトトギスで始めた雑詠は、題詠を断絶し、句会を雑詠の予備化するものであり、その近代的意味(投稿作品の優劣を選者が競わせるという意味)から言っても「反挨拶」的である。(p.291; 小澤實)

[…]江戸時代にあっては、俳人と一般人との生活の落差に「俳」が生まれていたのに対し、明治以降は写生によって新たな俳を生み出そうという試行が行われていた時代だと述べている。(p.293; 小澤實) 
「月並が俳句にとり不可欠の要素であることは俄か俳人でない限り頭か肝のなかで納得している」(p.454; 加藤郁乎)

(これまた、各文とも(今度は二重に)文脈があるので、取扱いにはいっそうのご注意を。)
しかし、怠惰なながら俳句ファンをしている人間としてありがたいのは、面白そうな句集のエエとこどりでたくさんの句を引用してくれているところ。次のような句がエエとこどりでなかったら、それこそ俳句ってスゴい!となりそう。

基督は欝にあらずやいたちぐさ     星野麥丘人 
傀儡師が消え戦争が始まった      吉田汀史 
裏側に裏と書かれし暑さかな      永末恵子 
括約筋見事に使いこなす雁       山崎十生 
さくらんぼヨセフにねだるマリアかな  有馬朗人 
手首だけ運ばれていく日傘かな     渡辺誠一郎 
花燃えるくさかんむりに火がついて   高澤晶子 
死者の脂滴る 井桁の薪から      伊丹三樹彦 
彼女やつとプールの我を見付けけり   本井英 
月明の眠剤ひとつふたつ百       中岡毅雄 
ガリレオの頭蓋もかくや寒の月     鷹羽狩行 
初句会帝国ホテル孔雀の間       星野椿 
草餅の端より草餅始まりぬ       久保るみ子 
挽肉の紐状に垂れ蝶の昼        中村和弘

目次に、各編で主人公としてとりあげられる作家名が記してあるのも助かります。あまり見たことがない処理な気がしますが、散漫になりがちな時評集という形態を読みものにするために、まことに適切なものであると思われます。俳壇、俳句誌、アンソロジー、句集シリーズなどについて、ほどよくジャーナリスティックな(しかし、意味のある)情報を与えてくれるのも・・・、などといい始めるときりがないですが、唯一、この本、ちょっと手に入れにくいのが難でしょうか。本屋で偶然出会うか、出版社に注文するより他なさそうです。それだけの価値はじゅうにぶんにアリ、ですが。



東京四季出版URL


【俳句時評】 2013 こもろ日盛り俳句祭Q&A / 本井英(質問と編集:筑紫磐井)

Q1.今年の8月2日(金)・3日(土)・4日(日)に行われる「こもろ日盛り俳句祭」とはどんな催しものですか?

A1.毎年、7月の末から8月の始めにかけての金、土、日の3日間、長野県小諸市で行われる「俳句祭」です。誰でも参加出来る、開かれた俳句イベントで、参加者全員が平等に出句し選句するところに特徴があります。3日間参加してもいいし、1日だけの参加も可です。毎日、午後1時半から数会場で同時に開かれる俳句会には、現在、俳壇で活躍中の若手・中堅俳人も参加して進行の手伝いをします。

事業としては小諸市・実行委員会が開催する俳句祭で、様々なボランティアが運営に協力してくださいます。

毎日の具体的なスケジュールは次のリンクをご覧ください。

http://www.city.komoro.nagano.jp/www/contents/1367908182698/index.html

Q2.「こもろ日盛り俳句祭」はいつから始まり、どんな人たちが集まっていますか?

A2.小諸での開催は今年で5年目になりますが、その淵源を辿れば、明治41年8月に高濱虚子が一ヶ月間開いた俳句鍛錬会ということになります。参加者の中にはすでに俳句結社に入って俳句を楽しんでいる方もおられますし、結社には入らず、自分で楽しんでいる方もおられます。
毎年延べ200人近い参加者を得ています。

本井英による詳細な解説は次のリンクをご覧ください。

http://sengohaiku.blogspot.jp/2013/02/komoro4.html

Q3.なぜ小諸で、暑い8月に句会をやるのですか?(追加)

A3.明治39年、高浜虚子は、碧梧桐の俳句鍛錬会「俳三昧」に対抗し、松根東洋城らを交えて句会「俳諧散心」を開きました。「散心」とは仏教用語ですが、気を散らすという意味で「俳三昧」を皮肉ったものです。当初は毎月曜日に集まって句会を開いたといいます。この会は、間をおいて明治41年8月、第二回目の俳諧散心がホトトギス発行所で開かれました。第2回の俳諧散心は8月1日から31日まで連日猛暑の中で開催され、このため「日盛会」と名づけられました、参加者は松根東洋城、岡村癖三酔、岡本松浜、飯田蛇笏らで稔多いものでした。これにちなんで「こもろ日盛り俳句祭」が鍛錬の場として企画されたものです。

一方小諸には、高浜虚子が戦中戦後(昭和19年6月から21年10月まで)を疎開してきました。この間の作品が『小諸百句』です。そこで「こもろ日盛り俳句祭」の小諸の場所が選ばれたわけです。虚子にちなむ名所がたくさんあるということも逃せません。[以上は本井氏に代わって筑紫が補足しました]

Q4.俳句の句会は初めてですが初心者でも参加は可能ですか?

A4.今年から、毎日、午前十時から「俳句入門講座」を開くことになりました。俳句は、まったく初めてという方にも、俳句のイロハから、俳句会に出席するための基本知識をお教えしますので、「午後には俳人」として普通の俳句会に参加出来ます。

Q5.句会に参加するに当たって何か注意はいりますか。

A5.特に持参されるものはありませんが、筆記用具とメモ帖。それに出来たら「歳時記」、「季寄せ」といった、季語を纏めて掲載してある本があると心強いです。

【筑紫磐井からの注意】

「こもろ日盛り俳句祭」の句会はホトトギス・虚子の句会方式で、点盛りや作者ごとの集計はしません。馬酔木等で行われる方式(子規生前の方式)とは少し違います。

Q6.どうやって参加すればいいのですか?

A6.今月中、参加者を募集していますから、実行委委員会事務局(小諸市立虚子記念館)に電話で問い合わせれば、親切に案内をしてくれます。電話番号は0267-26-3010 です。
句会の当日の受付は毎日、8:30から11:00まで小諸の「ベルウィンこもろ」という会場で行っています。参加費は一日2500円ですが、ジャンボタクシーに乗り放題だったり、見学場所の殆どが無料になったり、講演会も無料だったり、結構お値打ち感があります。

宿泊等についても実行委員会事務局で対応してくれます。

Q7.句会の他に、俳句に役立つ余興やイベントはありますか。

A7.8月3日の夕刻には、「運河」主宰の茨木和生氏の「講演」。4日の夕刻には若手俳人による「シンポジウム」があります。

さらに毎日6時からは簡単な懇親会があって、さまざまの結社やグループの人達との楽しい交流もあります。

いずれも参加は自由です。

【筑紫磐井からの注意】

公式の行事は以上ですが、この他に毎年自然発生的に飲み屋の2階などで指導句会が開かれたりしています。

Q8.せっかく小諸に行くので、小諸近辺でいろいろ見て回りたいのですが、お勧めのコースがありますか。

A8.自由時間はわりと豊富にあります。行きたいところが分からない場合には、受付でご気軽にご相談ください。

今年から「小諸吟行マップ(盛夏編)」が配られるようになる予定で、地元俳人のお勧め吟行コースが手にとるように判ります。またジャンボタクシーで、普段はなかなか行きにくい「布引観音」、「真楽寺(の泉)に連れていってもらえます。

Q9.句会をやったあと、仲間たちの作品も見たいと思いますが、句会の成績は、いつ頃、どのように分かりますか。

A9.「こもろ日盛り俳句祭」の全記録、及び「写真」は後日CDに焼かれ、無料で、参加者全員に配布されます。「BLOG俳句空間」でも紹介して行きたいと思います。

「こもろ日盛り俳句祭」の参加者はそれぞれにブログやホームページで紹介をされています。以下ではそのいくつかをリンクしましたのでご覧ください。

◆昨年の俳句作品(BLOG俳句空間)

http://sengohaiku.blogspot.jp/2013/02/komoro1.html

http://sengohaiku.blogspot.jp/2013/02/komoro2.html

http://sengohaiku.blogspot.jp/2013/02/komoro3.html

◆俳句祭のようす1(雪うさぎのさえらな日々)

http://yukiusagi.air-nifty.com/caetla/2011/07/post-c872.html

http://yukiusagi.air-nifty.com/caetla/2011/08/3-c231.html

◆俳句祭のようす2(俳句への扉)

http://blog.goo.ne.jp/habuyori4616/e/ca8f0aa6c3998483aeec489f4cea9b66

◆俳句祭のようす3(やぶろぐ)

http://yabukoji.blog.so-net.ne.jp/2011-07-31

http://yabukoji.blog.so-net.ne.jp/2011-07-31

◆俳句祭のようす4(俳句でおしゃべり)

http://8194.blog16.fc2.com/blog-entry-63.html

◆俳句祭のようす5(スピカ)

http://spica819.main.jp/atsumaru/2181.html

◆こもろ日盛り俳句祭シンポジウムレポート(週刊俳句)

http://weekly-haiku.blogspot.jp/2012/08/blog-post_8823.html



小諸でお会いすることを楽しみにしています!

文体の変化【テーマ:昭和20年代を読む7~年中行事その③~】/筑紫磐井


(1)紀元節

前回から無味乾燥な国会の議事を取り上げている。しかし、読んでみると今日とは違う血沸き肉躍るやり取りもあったようである。

紀元節は散々議論の末当初の祝日からは除外された。その後復活したのだが、どのような理由で排除されたのかは知っておいて悪くはないであろう。羽仁五郎(懐かしい!)のような主張が強く受け入れられた時代だったのである。

○徳川頼貞君 私はこの際、我々委員会の中で、その外に議せられた紀元節の問題について、一言述べさして頂きたいと思うのであります。これは、この中に紀元節が入れられなかつたという点は、誠に遺憾に堪えん次第であります。我々は紀元節というものが、是非残して頂きたいということを述べたゆえんのものは、紀元節の起原が、いわゆる非科学的であるというような考え方も行われていたのでありますが、私共といたしましては、どこの國と雖も、その歴史を遡つて行くならば、必ずや神話に発生しないところはないと思うのでありまして、今日までその神話を歴史と、青史と見ていたという点に問題が存するのではないかと思います。従って神話を神話としてこれを伝え、そうして神話として新らしい国民にこれを伝えるのには、差支えないのじやないかと考えたいのであります。又同時に、神話の中には、その国の国民感情というものが現われておる。従ってその点も考慮して、我々の祖国の始まりを考えるということは、我々国民の非常な熱望であり、又感情であると当然思つたのであります。併しながらその点は種々な事情によりまして、その方面に容れられない結果となりましたことは、誠に遺憾に堪えんのでありますが、この際我々が、如何に紀元節というものを考えていたかということを一言附け加えさして頂きたいと存じます。 
○羽仁五郎君 今の問題ですが、二月十一日、紀元節が、この新しい国民の日に入れられなかつたことについて、私共は、これは全く我々の自主的な判断によつて、これを除くべきものであると考えたのであります。この点は明らかにして置きたいと思います。今も御披瀝がありましたが、紀元節が神話であるという考え方も、学問的には成立し難いように考えます。それで神話には、御承知のように、自然に発生した民族の神話と、それから後に政治的な意図を以て製作された製作神話とが、学問上分けられなければならんわけでありますが、紀元節などを含みます日本のいわゆる神話というものは、そういう意味で自然に生れた神話でなく、後世になって一定の政治的意図を以て製作された神話であるということは、学界において大体定説になっておるものであります。従ってこの紀元節を作ります日本の神話に、当時の日本の国民の感情が含まれていたものでないということも明らかであります。これは当時のそういう政治的な意図が含まれていたのであつて、国民の意図が含まれていないもので、紀元節が行われていたのも、明治五年に始まり、明治七年に俄かにそれが制定されて、その後暫くの間行われ、且つ強力にそれが強制されておつたために、現在国民の感情には滲み込んでいるわけでありますが、併しこれは本来の感情でもなく、又非常に長い間の国民感情でない。我々が今日以後、新憲法によつて、そうして新らしい国民の日によつて、啓蒙の努力を怠らないならば、新らしい国民感情が必ず起って来るものであることを確信しております。
徳川は「種々な事情によりまして、その方面に容れられない結果となりました」といい、羽仁は「私共は、これは全く我々の自主的な判断によつて、これを除くべきものであると考えたのであります。

この点は明らかにして置きたい」と言っている。この間に介在したの(その方面)は誰であるか、興味深いものがある。

(2)子供の日

子供の日は、はじめ政府の案にも入っていなかった祝日だが、国民の声に押されて登場した。内容そのものより経緯の方が面白い。

○松澤兼人君 「こどもの日」を祝祭日に指定していただきたいという請願でございます。同じような趣旨の請願が多数出ておりますが、特に御考慮をお願いしたいというわけであります。祝祭日が改正されまして、新しく別個の観点からこれが考慮されるということになりましてから、從來児童文化運動の活発な神戸市の方面におきまして、児童並びに児童に接しております人々の中に、ぜひ「こどもの日」を設けてほしいという声が、だんだんと起つてまいりまして、神戸児童文化連盟におきまして、これを正式に取上げることになつたのであります。ぜひ祝祭日の中に「こどもの日」を制定されたいていう請願であります。請願者は神戸児童文化連歴で委員長坂本勝君でありますが、神戸市内の児童約二万七千名の者が署名をいたしまして、請願の趣旨のことをお願いしておるわけであります。 
 従来日本の子供が家庭的には一応愛せられておりながら、社会的には、まだ十分に尊敬されておらないというような状態にありまして、子供の状態が社会的に多少の関心をもたれるようになりましたのは、明治以後のことといつてよろしいのであります。それ以後子供の社会的地位ということにつきまして、だんだんとその関心が高まりつつあるのでありますが、特に新しい憲法が実施せられるこの機会に、さらに子供の社会的な位置というものを明確にするとともに、国民全体が子供の社会的地位につきまして常に考え、その幸福を助たる機会をもち、児童の福祉増進に役立たせるために、祝祭日の中に「こどもの日」の制定を希望するわけであります。それでは「こどもの日」をいつにするかということにつきまて、神戸児童文化連盟において神戸市内の学識経験者約百名にアンケートを発しましたところ、多数が五月五日を希望するという回答であつたのであります。五月五日は端午の節句として男のものと考えられておりますが、男女平等の観念からすれば、これが必ずしも男だけに限るわけでもなく。またこの日が尚武の節句として面白くないという印象を与えておりますが、これを切りかえて五月五日を平和な国家を建設するという意味におきまして新しく子供を中心とした平和的な日として考えていくことが適当でないかというふうに考えられるのであります。以上の理由によりまして、五月五日を「こどもの日」として祭祝日の中に制定くださいますよう、神戸市内児童約二万七千名の署名をもちましてお願いする次第であります。 
○羽仁五郎君 今の五月五日については、それは五月五日の日が、やはり現在日本の国民の中に武を尚ぶ日として残つておるので、私は五月五日という日に対しては、やはり反対しなければならないと考えておるのでありますけれども、併しそれに対してこの新らしい意味を、今三島委員の言われたように与えられる。そういう意味で、子供の人格を重んずるという趣旨が新しく出て来るならば、第一條に述べられておるような、新らしい美しい風習を育てるという意味で、この五月五日を、今までのいわゆる端午の節句という意味で、いわゆる尚武の節句という意味でなく、男の子も女の子も、この日に人格を認められるという、新らしい日ができるものとして賛成をいたします。そういう意味で、この子供の人格を重んずるという、人格のことが制定の趣旨において最後まで守られるようにお願いいたしたいと考えるのであります。

子供に陳情権があるなんて画期的な解釈である。大人にもの申したい子供は多いことと思うが、よろしく陳情すべきである。この経緯を見れば、世の中に不可能なことはないはずだ。

(3)文化の日

文化の日は前に述べた通り意外な経緯で生まれた。11月3日を祝うことは支持されていたが、その理由が意外な経緯をたどることは忘れられている。文化の日は祝日の中でもっとも俳人に好かれている季語だけにその選ばれた理由は知っておいてよい雑学だ。

○徳川頼貞君 只今来馬さんからお話がありまして、十一月三日を今度「文化の日」にいたすということにつきまして、元来十一月三日は、我々の間におきましては、只今もお話のございましたように、日本国憲法の発布された日であるので、その意味において、十一月三日を記念したいというような気持を我々は持つていたのでありまするが、衆議院の方で十一月三日を「文化の日」にして、そうして五月の三日を「憲法記念日」にしたいという話もありまして、我々の方としては、十一月三日を「文化の日」ということに、衆議院の意向を尊重しまして、そのことは延いて、結局ここにもございますように、憲法の精神たる自由と平和を愛することになる。又それによって文化を進めることになるから、この際これを「文化の日」にするというわけでありまして、勿論これに対して異議はないのでありますが、一応我々がどういうふうに考えていたかということを、この際申述べて置きます。 
○委員長(山本勇造君) この日が憲法記念日だというのは、ピンと誰にでも分るのでありますけれども、「文化の日」と言いますと、どういうわけで「文化の日」だかという疑念があるようであります。併しこの日は、憲法において、如何なる国もまだやつたことのない戦争放棄ということを宣言した重大な日でありまして、日本としては、この日は忘れ難い日なので、是非ともこの日は残したい。そうして戦争放棄をしたということは、全く軍国主義でなくなり、又本当に平和を愛する建前から、あの宣言をしておるのでありますから、この日をそういう意味で、「自由と平和を愛し、文化をすすめる。」、そういう「文化の日」ということに我々は決めたわけなのです。併し心持からすると、本当は我々は今もなお実際憲法記念日にして置きたいのでありますけれども……それでは次に移りまして「勤労感謝の日、十一月二十三日。」。


戦後の祝日で最も紛糾した「勤労感謝の日」は次回に紹介する。

【俳句作品】 素手 / 太田うさぎ

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   素手  太田うさぎ

竹皮を脱ぐ大河内伝次郎

食べかけの冷し胡瓜で人招く

午後からは用心深きかたつむり

黴拭ふいまごろ巴里もきつと雨

大まかに羽ばたく夏至の烏かな

虹の幅測りし素手を下したり

夜を落ちて四万六千日の玉

先生も猫もただ今水中り

冷奴エレヴェーターに乗つて来し

元服を済ませましたと蘭鋳が



【略歴】

  • 太田うさぎ(おおた・うさぎ)

1963年生まれ。「雷魚」、「蒐」、「豆の木」同人。共著『俳コレ』

【俳句作品】二十四節気題詠句 その六 (本井英 二十四句)

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                      本井英

(立春)
立春や街は空へと空へと伸び

(雨水)
トラクター売つて歩いて雨水なる

(啓蟄)
啓蟄の雨が沁みいる国土かな

(春分)
約束の彼もどる春分の月

(清明)
山を越ゆれば清明の海がまた

(穀雨)
穀雨なる皺にたつぷり美顔水

(立夏)
辞令受く立夏のシャツは純白に

(小満)
小満の恋の順序もほぼ解り

(芒種)
オーベルジュ芒種の丘に名ばかりに

(夏至)
夏至の窓気まづく家族会議了

(小暑)
投票所に小暑の風の通ふかな

(大暑)
病名を告知されつつ大暑なる

(立秋)
天守閣の耐震工事秋立てる

(処暑)
処暑に笑ひたりなベトナムコミュニスト

(白露)
恋と呼ぶには淡すぎる白露かな

(秋分)
秋分の集ひや恩師なほ健に

(寒露)
寒露なるホスピスの灯は明る過ぎず

(霜降)
霜降や欄干ばかり今戸橋

(立冬)
鳥島に魚釣島に冬の立つ

(小雪)
小雪の明朝(ミンチョウ)ふかく廃村碑

(大雪)
大雪や手書きの模試の順位表

(冬至)
同病ぞ冬至の没り日見まもりて

(小寒)
小寒のシャッター通りにべもなや

(大寒)
大寒や来世金めきポケットに