【二十四節気題詠句】に池田澄子さんに二十四句の作品御寄稿いただきました。【現代風狂帖】に近恵さんの作品。そして【戦後俳句を読む】の池田瑠那さん「ゆく水のひかり――永田耕衣の世界」。今号も贅沢なラインナップとなりました。どうぞじっくりご堪能ください。
二十四節気でいうとそろそろ小暑。
七月六日(七月七日という説もあります)に降る雨は、織姫と彦星が乗った牛車を濡らすので「洗車雨(せんしゃう)」。七月七日に降る雨は「洒涙雨(せいるいう)」。雨で逢えなくなってながす恨みの涙とも、逢瀬の後、ふたりがながす別れの涙ともいわれます。(『美しい暦のことば』山下景子/インデックスコミュニケーションズ)
まだ梅雨のただなかにありますが、どうぞ皆様ご自愛ください。
筑紫磐井
○今回の二十四節気題詠は池田澄子氏にお願いした。題詠の、それもこのような変わった題での募集でどのくらい応募していただけるか気を揉んだが、その後も続々と応募が続いている。俳人に二十四節気に対する関心が強いことをつくづく感じさせられた。一方で、夏興帖も集まりつつある。少し間が空いてしまったが、「我が詩多産の夏」を感じられている作家諸氏には是非応募していただきたいと思う。
○二十四節気題詠は古い季題・季語の伝統をどのように現代に生かすかという宿題であろうが、現代の新しい季題・季語はどのように生まれるのであろうか。「現代俳句を読む」の<昭和20年代を読む~年中行事~>では、やや横道に逸れて新しい祝日の誕生を追ってみた。祝日には必ず日付を伴うから、早い話「行事」の季語の誕生となるわけである。この祝日をめぐって、草創期の国会で侃々諤々の議論が行われ、最終的に全員の合意の内に定まったと言うことはまことにすがすがしいものがある。国会議員のみならず、言論にかかわるものはこの時の議論を思い起こしてみてもよいはずだ。
○先日の編集後記で物故者の名前を挙げたが、今回も追加することになった。村上護氏が6月29日すい臓がんで亡くなった。71歳。正岡子規国際俳句賞の選考などでご一緒し、『現代百名句集』10巻(東京四季出版)の編集も一緒させていただいた。もともと種田山頭火の研究で知られ、幅広い俳人や俳句に関する著作で知られている。2~3年前大患でげっそりやつれられこの頃やっとお酒を飲むことも増えてきた。つい先日、処女句集『其中つれづれ』を刊行され結局それが最後の句集となってしまった。確かに最後を期する句集と言えなくもなかった。「俳句四季」5月号の座談会、本BLOGで3月8日号の「句集・俳誌渉猟(4)」で触れているが、結局直接感想を申し上げる機会を失ってしまった。
○もうひとりは、「豈」同人、「ぶるうまりん」代表の須藤徹氏で、同じく6月29日に食道がんで亡くなられたという一報が1時間前に入った。66歳。多田裕計の「れもん」、小川双々子の「地表」に所属し、現代俳句協会賞を受賞している。現代俳句協会ではながらく青年部長を務められた。攝津幸彦が亡くなる直前に書いた須藤徹論はまことに力作でわすれがたい文章であった。直近の3月に出た「ぶるうまりん」を読んでも、厚い雑誌にたくさんの文章や作品を執筆をしており数ヵ月後に亡くなる人とは思えなかった。ただ、その特集号は、先師多田裕計の渾身の回想特集であり、そのひたむきな態度が今となっては逆になにか生き急いでいる感じを与えないでもなかった。
「ぶるうまりん」について、3月発行の25号を紹介したが、実は先週到着して積んであった雑誌の中に6月22日発行の26号を発見して愕然とした。この号でも須藤氏は作品40句とエッセイ、句会講評、編集後記を執筆している。最後まで俳句漬けの一生であったのである。特集は「美術と俳句のアマルガム」であり須藤氏自身は執筆していないが、須藤氏が企画したものであり思い入れのあるテーマであった。1988年の『俳句・イン・ドローイング』という俳人と画家のコラボレーションを懐かしく語っているのが印象的だ(攝津幸彦も参加している)。5月1日にはフランシスコ・ベーコン展をみてエッセイを載せているがとても死を控えている人の筆致には思えない冷静さだ。26号の「存在の窓」40句より。
半過去のたにしが鳴いて我は透明
川のような棺を運ぶ青山河
気遣いの窓は明るし<いん・ざいん>
※「俳句・イン・ドローイング」(ふらんす堂)より
0 件のコメント:
コメントを投稿