2024年3月22日金曜日

第222号

         次回更新 4/12


【 祝 第38回俳人協会評論賞受賞!】
大関博美著『極限状況を刻む俳句――ソ連抑留者・満州引揚げ者の証言に学ぶ』(2) 
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令和五年秋興帖
第一(2/16)竹岡一郎・山本敏倖・杉山久子・仲寒蟬・関根誠子
第二(2/23)瀬戸優理子・大井恒行・神谷波・ふけとしこ
第三(3/8)冨岡和秀・鷲津誠次・浅沼 璞・仙田洋子・水岩瞳
第四(3/16)曾根毅・小沢麻結・木村オサム
第五(3/22)岸本尚毅・前北かおる・豊里友行・辻村麻乃


令和五年冬興帖

第一(2/23)竹岡一郎・山本敏倖・杉山久子
第二(3/8)仲寒蟬・関根誠子・瀬戸優理子
第三(3/16)大井恒行・神谷 波・ふけとしこ・冨岡和秀・鷲津誠次
第四(3/22)浅沼 璞・仙田洋子・水岩瞳・曾根毅・松下カロ


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■ 第44回皐月句会(12月)[速報] 》読む

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俳句新空間第18号 発行※NEW!

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【豊里友行句集『母よ』を読みたい】③ 豊里友行句集『母よ』より 小松風写 選句 》読む

【新連載】伝統の風景――林翔を通してみる戦後伝統俳句

 5.和紙の三つの時代 筑紫磐井 》読む

【連載通信】ほたる通信 Ⅲ(44) ふけとしこ 》読む

【鑑賞】豊里友行の俳句集の花めぐり4 佐怒賀正美句集『黙劇』 豊里友行 》読む

【抜粋】〈俳句四季1月号〉俳壇観測252 作句の在り方と批評のありかた――高橋睦郎氏の黒田杏子批判

筑紫磐井 》読む

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句集歌集逍遙 筑紫磐井『戦後俳句史nouveau1945-2023——三協会統合論』/佐藤りえ 》読む

【連載】大関博美『極限状況を刻む俳句 ソ連抑留者・満州引揚げ者の証言に学ぶ』を読む⑥ 一人の俳句の書き手・読み手として 黒岩徳将 》読む

【渡部有紀子句集『山羊の乳』を読みたい】⑯ 生き物への眼差し 笠原小百合 》読む
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澤田和弥論集成(第16回) 》読む

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…(今までの執筆者)竹岡一郎・青山茂根・今泉礼奈・佐藤りえ・依光陽子・黒岩徳将・仮屋賢一・北川美美・大塚凱・宮﨑莉々香・柳本々々・渡邉美保 …
3月の執筆者(渡邉美保)

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篠崎央子第一句集『火の貌』を読みたい インデックス

中西夕紀第四句集『くれなゐ』を読みたい インデックス

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前衛から見た子規の覚書/筑紫磐井 インデックス

寒極光・虜囚の詠~シベリア抑留体験者の俳句を読む~㉜ のどか 》読む

俳句新空間を読む 》読む
…(主な執筆者)小野裕三・もてきまり・大塚凱・網野月を・前北かおる・東影喜子




筑紫磐井著『女帝たちの万葉集』(角川学芸出版)

新元号「令和」の典拠となった『萬葉集』。その成立に貢献した斉明・持統・元明・元正の4人の女帝、「春山の〈萬〉花の艶と秋山の千〈葉〉の彩を競へ」の天智天皇の詔を受けた額田王等の秘話を満載する、俳人初めての万葉集研究。平成22年刊/2,190円。お求めの際は、筆者までご連絡ください。 

【新連載】伝統の風景――林翔を通してみる戦後伝統俳句   5.和紙の三つの時代  筑紫磐井

  すでに述べたように『和紙』は昭和23年から44年までの長い期間の作品をおさめている。このため、全体を眺める前に読者としても一応その時代区分を考えてみた方が理解し昜いのではないかと思う。たとえば翔俳句の抒情性についてはまず発端の数章が、洒脱自在な作風については後半がよくその特色をあらわしている。こうしたものを著者の志向、生活環境の変化等から見てゆくと大まかな和紙の時代区分が浮び上って来るようである。そして、これを比較することによって案外変ることのない翔俳句と見られていたものが大きなうねりをもって動いていることにも気づくだろう。


➀ 「新人時代」(昭和23年~30年)

 文字どおり、新人として、一躍馬酔木の上位を奪ったときから、能村登四郎、藤田湘子と併せて「新人三羽烏」と袮され巻頭争いに熾烈を極めた時期を経て、馬酔木の若手同人として評論、指導等多彩な俳句活動を示し始めた時期までを指す。これはまた、能村登四郎の『咀嚼音』、藤田湘子の『途上』の時代とも重なり合う時期であり、若手作家に共通したみずみずしさを秘めるとともに、その後の俳句の原点をなしている時代であった。


  竹馬に土まだつかず匂ふなり     (23年)

  ものの芽をうるほしゐしが本降りに

  富む家にとりかこまれて住めり冬      (24年)

  昂然と今無為ならぬ懐手

  寒苺買はずに戻り忘れ得ず     (26年)

  裸子よ汝も翳もつ肩の骨

  末枯のけぶらふ涯を想ひ見る     27年)

  冬虹よ恋へばものみな遠きこと


 特に、重要なのは、これらの句が新鮮な抒情という形容の下に一つに括られかねないのだが、注意深い鑑賞者であれば年ごとに著者の新しい志向に気づくということである。初期にとりわけ顕著だった俳句的技法を踏まえた潤うような抒情性から、一転生活諷詠風に、己に執したスタイルをとり、やがて生活や家族の陰彫にふれて心象風の新しい現代俳句を確立してゆく。そこにはストイックなまでの、著者の新しさを求める姿勢がうかがえるのである。


➁ 「旅吟大作時代」(昭和30年~38年)

 『合掌部落』が俳壇で社会性俳句のーつとして喧伝されていたころ、林翔はひとり、「この旅は、自己及び周囲の者のみに向けていた登四郎の眼を広く外界に向けさせたという点で意義を持つ」という卓見を述べられたことがある。社会性俳句も過去のものとなった今日、『合掌部落』が猶高い評価を得ていることを思えば、正鵠を得た言葉と言わざるをえない。しかし、面白いことには正しく同じ言葉にあてはまることが翔俳句にもあったことで、これは昭和30年発表された「北海道新秋」という特別作品であった。

 これまで大きな旅行吟を発表したことのなかった著者が初めてとりくんだ大作(51句)でありその評価も高かった。謙虚な人がらと評された著者であるが、この好評を受けて以後意欲的な大作が目立つようになる。自然詠では「長野県開拓村」、「コタンの旅」、「新野の雪祭」など.また社会性俳句の影響も若干受けたと思われる千葉浦安の海苔不作といり異色の素材をあつかった「貝死なず」など、そのスヶールを格段に大きくしてゆく作品が作られていった。


  聖時鐘蜻蛉ら露を啣へ飛ぶ

  聖水冷えびえ室は寝るのみ祈るのみ

  揣ぐや直ぐ口に泡立つ青林檎

  嬰児ひとり寝せられ風のねこじやらし

  冬日に干す籠に縋りて貝死なず

  まき籠の長柄犇き雪を呼ぶ


③「和紙の時代」39~44年

 次の時代をいつのころから始まるとするかは大分異論のあることと思うが.例えば次のような句にその兆しを見ることも出来よう。


  弾き疲れの子と春月と何ささやく

  「おはよう」を胸が噴き出す泉の辺


 この時期、翔俳句は前二期の作風を残しつつも「秋風の和紙の軽さを身にも欲し」の句に代表される、軽やかな心が句に見え出して来た時期だったのである。勿論それを軽率に「軽み」だなどと言えないことは


  橄欖を投げたき真青地中海

  思はざる一歩がつよし朝ざくら


など老いて初めて判る軽みとは別な若々しさを示す句がいくらでもあることからも明らかであろう。故福永耕二はその後の句風を軽妙自在な諷詠を示す傾向と言っているが、私自身軽妙という言葉は必ずしも承服しがたいが、自由への志向を意味する「自在」とは和紙後半の作風を示すのに最もふさわしい言葉であると思う。俳句を作ろうとするはからいのない、思いがさりげなく十七字となって生まれる翔俳句の特徴をよくあらわしていると思うからである。


  ひあふぎやドアの鐘振る郵便夫

  白桃のかくれし疵の吾にもあり

  茫洋と女体ぞ厚き大南風

  穂芒やそれより白き恵那の雲

  いつも人無き焼跡の整ひゆく

  汗しとど写楽の目して囗をして

  俸給の薄さよ落葉と舞はせたし


 こうした句によって、掉尾に波郷追悼の句をすえながらも句集全巻にほのぼのとした明るさを漂わすことに成功しているのである。


【豊里友行句集『母よ』を読みたい】③ 豊里友行句集『母よ』より 小松風写 選句

・さみしさの鮫が近寄る昼寝覚 

・貌や翅を呑み込む蟻の銀河系

・丸ごと遺品のおきなわ慰霊の日 

・ぐいぐいと命を伸ばす蝸牛  

・息を呑む吹奏楽の蝉しぐれ  

・爆心地を弾くほど泣く赤ん坊

・若夏が沁みる埋立だらけの島  

・戦争の眼を綴じ込める蝶の翅  

・老いる母を織り成す小夏日和  

・地球を描く縄跳びの子らの虹  

・虹を弾くニライカナイの甘蔗穂波  

・おきなわの弦は丸ごと花ゆうな  

・年の瀬を越えて行くんだ葱坊主  

・しら波の子ら鬼餅寒の舌を巻く  

・蠅一匹生まれる此処は我が孤島  

・立春の文庫本サイズの孤独  

・蛍烏賊の我らスマートフォンの海  

・ういるす籠りの母の孤独と語り合う  

・虹色の川になるパラソルの子ら  

・抱きしめた島は丸ごと南風  

・命どぅ宝が大事な私とうがらし  

・みなマスクの子らの視線さくらんぼ  

・性欲が明るい蔓の熱帯夜  

・喜怒哀楽も刻んで苦瓜ちゃんぷるー 

(小松風写 選)


  写真家の小松健一(こまつ けんいち、1953年 - )氏は、写真界で名を馳せる。写真集『雲上の神々-ムスタン · ドルパ』で1999年の第2回藤本四八写真文化賞。2005年の『ヒマラヤ古寺巡礼』で日本写真協会賞年度賞など多数受賞歴がある。近作の小松健一写真集『琉球OKINAWA』(2022年5月15日刊・本の泉社)は、1998年の「琉球-OKINAWA」で第23回視点賞受賞をずっとあたため続けた情熱の結晶化された作品。その他にも私、豊里友行の好きな「石川啄木 光を追う旅」(1996年刊、碓田 のぼる氏との共著)や「宮沢賢治 修羅への旅」(1997年刊、三上 満氏との共著)でも写真家の写真による文学の影像化の真骨頂は、「写真・日本文学風土記」作品シリーズとしても情熱の持続がなされていている。

 俳句では高島茂に師事「獐」同人、伊丹三樹彦、中原道夫に師事「一滴(しずく)」同人、短歌では碓田のぼる、馬場あき子に師事。(文責:豊里友行)


【連載通信】ほたる通信 Ⅲ(44) ふけとしこ

    榛の花

雨垂れを受けん椿の紅をもて

くちびるにくちびるの味春の鳥

電線も古巣も雨を受けきれず

榛の花垂れて水辺のきらめきて

春泥や間に合はぬとは知りつつも


・・・

 青と赤のこと。

 駅前で郵便ポストを探した。ここにあった筈……。あった! でも、これ、本当にポストなの? 

 今まで赤いポストがあった所に青いポストが立っているのだからちょっと疑った。どう見ても形はポスト、口はちゃんと2つある。というわけで投函したのだが。

 後日聞いたところでは、青というのはJリーグ「ガンバ大阪」のチームカラーだとのこと。その「ガンバ大阪」のホームタウンは大阪府吹田市である。故に「ガンバ大阪」のある町ということを市を挙げて意識してゆこう、市民こぞってチームを盛り上げようではないかとの運動の一環として、郵便ポストをチームカラーにラッピングしたということのようだ。

前から横から眺めてみると青と黒の基調にエンブレムやマスコットキャラクターや「My Town My GANBA」の文字やらが描かれている。

 吹田市内では市役所前をはじめとする10か所のポストをラッピングしてあるそうだ。私が利用するのは月に一度訪れる阪急電車北千里駅のロータリー前のポストだけなので、他は全く知らないのだが。

 でもポストをこんな風に自由にできるとは知らなかった。手続きなど色々あるのだろうけれど。


 今の町へ引っ越してきて2年半になるが、越してすぐに道端に置かれた赤いベンチに気が付いた。

 3人掛けられそうだが、2人で丁度いいぐらいの可愛いベンチである。よく見ると「赤いベンチプロジェクト」とのプレートが付いている。スーパーの前、神社の境内、道路沿いなどに置かれていて、休憩などに自由に使ってもよさそうな雰囲気である。

 このベンチが置かれたのは、脚を骨折された方が、しばらくの間松葉杖の生活になった。通院時などにその不自由さに疲れて、休める所を探したが見つからない。ちょっと休みたいときに、座れる場所がないのは辛い。このことから、ベンチを置くことを思いついた、それが始まりだったとのことである。

 その呼びかけに応えた人たちが集まって、資材、大工の経験、塗装の技術などの提供があり実現したとのことである。

 現在、私が知っているのは4台だけだが、全部で10台のベンチが置かれているのだとか。

 高齢の人が多いけれど、座って話し込んでいる人や、買物の整理などをしている人を見かけることもあり、有意義に利用されているようである。

(2024・3)


【鑑賞】豊里友行の俳句集の花めぐり4 佐怒賀正美句集『黙劇』 豊里友行

 句集『黙劇』の佐怒賀正美俳句を読みながらガツンと確かな手ごたえで俳句の未開拓地へ踏み込んでいることに立ち合うようだ。


ながしこむ宇宙のかたち寒卵


 作者の感性の瑞々しさと575の定型のリズムに現代社会の日常から希望の光を見出そうとしている。

 寒卵の楕円形の形がある。

 そこに流し込まれる宇宙の胎動と息吹を具体的なメタファー(隠喩)によって宇宙のかたちを創造した秀句だ。


顔認証でひらくあらたまの宇宙


 顔認証とは、顔かたちに基づいて個人を認証する方式のこと。現代社会では、施設の出入りにおけるセキュリティ管理などで役立てられていて監視カメラなどで活用される。

 此処では顔認証で開かれる自動ドアにも新年の始めの宇宙感を感じ取れる。

 だが「あらたま」を新年として解釈せず人材の発掘として解釈してみると別の俳句が立ち現れてくる。

 顔認証で切り拓かれた新たな社会に適合できる人間だけを選別していく宇宙が拡がっているとしたらどうだろうか。

 この俳句には、未知なるコンピューター社会、AI知能による管理社会の到来への危惧も含まれているようにも受け取れる。


かたつむり窮屈スマホの縦画面


 カタツムリの伸縮は、まるで新体操のしなやかな肢体による芸術のようだ。

 そんな蝸牛でさえ窮屈に感じてしまうスマホの縦画面があるそうだ。

 スマホの縦画面を作者も窮屈そうに指を滑らせずらそうにしている。


タワーマンション一晩で食ふ百の桃


タ ワーマンションとは、一般的に20階以上の超高層マンションをいい、居住者は、プライベートレストラン、食事やイベント用の屋外テラス、23Mの屋内スイミングプール、ジム、サウナ付きスパ、スチーム、マッサージルーム、ライブラリーなど充実した共用設備が設けられているタワーマンションもあるそうだ。

 まさに超富裕層用の住居となって今、若者の憧れの居住地でもあるようだ。

そ んなタワーマンションの視界には、さぞかし現代人の生活圏とは違う星屑の街が見渡せるのだろう。

 サービスにスイート内での食事とルームサービス、コンシェルジュなどそこからどれだけの食生活が繰り広げられるかは想像したこともない。

 一晩で百の桃を食らう。

 そんな現代社会の風貌が百の桃のメタファー(隠喩)に込められているのだろう。

 まるでスタジオジブリの世界のような風刺とユーモアを内包していている俳句だ。


節分の鬼にも見せる赤ん坊

白南風や足で応へる赤ん坊

あらたまの奇声のりのり赤ん坊


 私は、この赤ん坊の句も大好き。

 地域の節分で鬼の面の誰それさんも知った顔です。節分の鬼にも見せる赤ん坊への愛くるしさが満ち溢れている。

 白南風とは、梅雨明けの時期に吹く南風のこと。爽快な夏の知らせを赤ん坊は、足で応答しているようだ。写実の確かさも達人ならでは。

 赤ん坊の新年の奇声は、のりのり。言葉の鮮やかさと眼に入れても痛くないほどの赤ん坊ですよね。


蛇穴を出でて理不尽なる爆死

侵略兵どもにかげろふ粘着せよ

地球いつも戦まじりや夜の虹

ひなげしや空の渚を兵器飛ぶ

蟇鳴くや不条理の世の断裂に

いくさ数多さりとて虹も無尽蔵


 作者の戦争への抗いが怒濤の怒りと共にマグマのように溢れ出す。

 どれも俳句の骨法に乗っ取っていて的確。

 蛇穴を搔い潜ってきたのに理不尽な爆死が待ち受けていた。そこには、死が身近に巣食う戦場がある。

 侵略兵への抗議を蜻蛉たちの束の間の命の饗宴をぶつけるように命まみれにする。

 そこには、戦争によって人間が人間でなくなることで麻痺した命の大切さを覚醒させようとする俳人の戦争への抵抗が見出されている。

 戦の絶えない地球には夜の巨人のごとく虹が彷徨っているのだろうか。

 可憐な雛罌粟の花と空にある渚を兵器が飛び交う無常さ。

 ひきがえるの鳴き声は、不条理の世の断裂の裂け目から聴こえるようだと感受する。

 星空のように戦は数多に繰り広げられていようとも虹も無尽蔵と言い切る。虹は、国境を超えて人と人の心の架け橋にもなるだろう。


春の夜や画面にあへぐ一角獣


 春の夜の家のパソコン画面を覗いてみると喘ぐように一角獣を棲息している。

 現代社会のパソコン画面のスクリーンセーバーのいち場面の写実。

 だが、絵画でいうシュルレアリスム(超現実主義)とも違い写真のような写実を追求しているスーパーリアリズムとかでもないのに現実のリアリティーもありつつ現実にはあり得ない世界が立ち現れるような世界が創造されて秀句だ。


出ては隠れ月の兎に新たな仔

吹抜けを彩ひてホログラム滝よ

地上絵のごとく鮟鱇ぺつたりと

黴一面しばらく星図めくままに


 月に棲む兎の仔の発見。

 吹抜けのホログラムの滝。

 黴一面の星の図。

 地球の地上絵のような鮟鱇の存在感。

 特筆すべき点は、写実に止まらない観察眼と感性の徹底的な練磨による超リアリティーを内包している。これらの観察眼には、現代俳句の大きな岩がまた僅かずつ前進するように動いたように私には、感じられた。


恐竜も鬼神も遊ぶ子の柚子湯

冬の大型ビジョンに獣めく星雲

ビル包む鉄骨ブルース初日の出


 ビルを組み上げていく鉄骨ブルースと初日の出。

 遊ぶ子の柚子湯や獣めく星雲の比喩の斬新さだけでなく徹底した観察眼に裏打ちされつつも俳句の醍醐味であるずばり物の本質を云い切れる佐怒賀正美俳句の力量は、並々ならぬものがある。

 そしてこのように大きな俳句の仕事を成していく俳人たちの俳句には、「座の文学」の力があるように私は感じている。

 本句集「黙劇」の「あとがき」には、多くの俳句の座に招かれて出会ってきた俳友たちのことが綴られている。

 そして大切な妻や家族のことも。ここでは、俳句の座も含めて拡大解釈されていく「家族」もである。


「俳句創作を通じて「いま」を共にしてきた俳誌「秋」の仲間たちや、月例の「木曜会」(主宰・小林恭二)をはじめとする友人たちに、心から感謝を申し上げる。」


 素晴らしい俳句の師を経て、「蛇穴を出て先師に迎へらる」のいただきで再会されたり、句友の惜別の句「初夢の翼で世去り美酒提げて」などがいくつもある。

 巻末の俳句の英訳(英訳協力:青柳飛)も俳句の世界への飛翔感を感じさせる。

 「乗るによき父の背いつか天の川」「子の辞書に宝島の絵クリスマス」「二階にはもう隠れない帰省の子」など家族への愛燦燦も。

 「たちまちに金木犀の句座となる」など沢山の出会いの財産を持つ「座の文学」の力があるからこそ本句集「黙劇」は、佐怒賀正美俳句をかけがえの無いものに成しているのではないだろうか。


 下記に共鳴句をいただきます。


白南風や街角に透くタピオカ店

新涼やタピオカ吸ひ上げる二人

晩秋を群れて憑きくるてんとう虫

絵本から画面から春野からモグラ

データ飛ばし合へる授業や鰯雲

夜の鳥の百の気配にまむし草

紅梅や疫禍すりぬけ生まれきぬ

這ひ上がる蝌蚪にうすうす宇宙塵

ゆく春や屋上ペンギンたちの異郷

千万(ちよろづ)のデータ蘇生や青葉の夜

生も死も溶くひぐらしの祝祭感

家内感染なり秋風のうらおもて

たつぷりと虚のある我や天の川

鳥渡る魔境を知らせ合ひながら

人工衛星よぎり枯野にもぐら穴

葦原をうねる臓腑の枯むぐら

宇宙も洞なり地球こそ灯

マンホールの底の地脈や年の暮

豆を撒く園児わんさか鬼のまま

天体を愛撫せんとやミモザ湧く

青嵐や骨のみで立つ電波塔


【参考資料】

「俳句αあるふぁ」(2015年8-9月号)の「佐怒賀正美の世界」(P67)より


句集『黙劇』(佐怒賀正美、2024年1月31日刊、本阿弥書店):豊里友行

佐怒賀正美(さぬか・まさみ)。

本句集『黙劇』(2024年1月31日刊・本阿弥書店)は、佐怒賀正美第8句集にあたる。

佐怒賀正美句集は、『句集 意中の湖』角川書店(1998年6月)。

『句集 光塵』角川書店 (1996年5月)。

『句集 青こだま』角川書店(2000年2月)。

『句集 椨の木』角川書店(2003年12月)。

『句集 悪食の獏』角川書店(2008年9月)。

『句集 天樹』現代俳句協会(2012年10月)。

『句集 無二』ふらんす堂(2018年10月)で2019年度第74回現代俳句協会賞を受賞。


俳誌「秋」主宰、俳誌「天為」特別同人。

2024年3月8日金曜日

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第一(2/23)竹岡一郎・山本敏倖・杉山久子
第二(3/8)仲寒蟬・関根誠子・瀬戸優理子

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第一(10/13)仲寒蟬・辻村麻乃・仙田洋子
第二(10/21)坂間恒子・杉山久子
第三(10/27)竹岡一郎・木村オサム・ふけとしこ・山本敏倖
第四(11/3)岸本尚毅・小林かんな・瀬戸優理子
第五(11/10)神谷波・松下カロ・加藤知子
第六(11/17)小沢麻結・浅沼 璞・望月士郎・曾根 毅
第七(12/8)冨岡和秀・花尻万博・青木百舌鳥
第八(12/16)高橋比呂子・鷲津誠次・林雅樹
第九(12/22)眞矢ひろみ・渡邉美保・網野月を
第十(1/12)水岩瞳・佐藤りえ・筑紫磐井
第十一(1/26)豊里友行・下坂速穂・岬光世・依光正樹・依光陽子
第十二(2/9)水岩 瞳・前北かおる・豊里友行・川崎果連・五島高資

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…(主な執筆者)小野裕三・もてきまり・大塚凱・網野月を・前北かおる・東影喜子




筑紫磐井著『女帝たちの万葉集』(角川学芸出版)

新元号「令和」の典拠となった『萬葉集』。その成立に貢献した斉明・持統・元明・元正の4人の女帝、「春山の〈萬〉花の艶と秋山の千〈葉〉の彩を競へ」の天智天皇の詔を受けた額田王等の秘話を満載する、俳人初めての万葉集研究。平成22年刊/2,190円。お求めの際は、筆者までご連絡ください。 

【抜粋】〈俳句四季1月号〉俳壇観測252 作句の在り方と批評のありかた――高橋睦郎氏の黒田杏子批判 筑紫磐井

●高橋睦郎氏の評言

 昨年の黒田杏子氏と大石悦子氏の死をめぐっていろいろ論壇がにぎやかだ。華やかな経歴を持つ代表的女流作家であり、それも突然の死と言ってよいから多くの人が関心を持ったのは否めない。そして代表的女流作家だけに、同時期になくなった二人の比較はもっともなものであった。もう一人、齋藤慎爾もその旺盛な評論活動から黒田杏子と双璧の扱いをされている。亡くなった時期が近接しているだけに、時評では並んで特集されている機会もあった。結論的には、黒田・斎藤は現代俳句への寄与ということできわめてよく似ていたのである。

 そうした中で、高橋睦郎氏が大石氏と比較して、黒田杏子の広範囲にわたるは交友関係が黒田杏子の句境の深まりにいい影響を与えなかったのではないかと述べている(「俳句」9月号)。思い出すのは黒田杏子が代表を務める「件の会」で、令和元年二月に「八〇代の可能性」と題したトークショーだ。宮坂静生・高橋睦郎・齋藤愼爾・黒田杏子の四人の八〇代作家が未来を語っているのである。この時、小澤實、関悦史、筑紫磐井がそれぞれ後ろに立ち、作家と人となりを語っているのは、いかにも黒田氏らしい企画で面白かった。いずれにしろよく知り合った仲であるだけに忌憚のない意見を言うのはおかしくはない。

 「第一句集『木の椅子』。その新鮮な抒情は句集を重ねるごとに薄まり、それを補うように行動の幅を拡げていったように見える。」「私が親しくなった直後の第四句集『花下草上』あたりからそれは顕著だった。」と述べているが、これは読者によって大きく意見が分かれるところだろう。ただ、黒田杏子を批判するなら、一々の作品を掲げて「黒田杏子論」として論ずるのがよかったと思う。確かになくなったばかりだからと言って、故人の業績を客観的に批判することは許されないわけではない。しかしそれを読者に納得させるためには手続きが必要だ。


●杏子俳句の評価

 高橋氏の発言は印象論であるとは言え文芸批評に当たるわけであり、反対者も文学的見解を披歴する必要があるだろう。

 黒田杏子が確かに行動の幅を拡げたのは間違いがないが、いくつかの方向性を持っていたように思う。

 一つは日本列島桜花巡礼や百観音巡礼、四国遍路吟行などであり、季語の現場を探求するという活動であり、虚子で言えば武蔵野探勝のようなものだ。これは、俳句に対する信念だ。

 第二は、『証言 昭和の俳句』のような俳句史の現場にいた人たちの聴き語りをするものであり、前者に比べて俳句の社会的側面をあぶりだすものである。晩年に金子兜太と行動を共にしたのはこれの延長に当たる。兜太の戦争、杏子の安保闘争はこれらの活動の根っこを成している。

 そして、瀬戸内寂聴や日野原、ドナルドキーン、石牟礼道子、鶴見和子等の著名人の交際があるが、それは俳人であれば誰しもある事。高橋氏もその恩恵を受けていたと語る。違うのはこうした異なるジャンルの人々を俳句に引き込んでいたことであろう。これは俳壇のために決して悪いことではない。

 このように実に多彩な活動であったが、興味深かったのは中野利子氏に、自分の評伝を書いてほしいと依頼していたことだ。俳句の鑑賞であれば分からなくはないが、黒田杏子の全活動を批評するというのだ。一見俳句の本道からすれば脇道ともいえる活動に黒田杏子は強烈な自負心を持っていたのだ。おそらく前書き付きの句が多いことは、黒田杏子自身が自分の評伝を俳句で実現していたということではないか。

 こう考えると、高橋氏が言っていた「有名人との交友ばかりが目立」つという批判も少し評価が変わるはずだ。

 車椅子生活になった杏子にとって、ハンディを負った条件で可能な限りの活動を果たしている。いかに前書きが多くても、それは晩年の黒田杏子の俳句の流儀であるのだ。社会性俳句作家が基地やメーデーばかり読むと非難され、花鳥諷詠作家が歳時記にある季題の題詠をするからと言って非難されるいわれはない。そうやって詠まれた俳句の中でどれだけの作品が残るかということなのだ。


白葱のひかりの棒をいま刻む(木の椅子)

かまくらへゆつくりいそぐ虚子忌かな(水の扉)

能面の砕けて月の港かな(一木一草)

雪を聴くきのふのわれを聴くごとく(花下草上)

どの谷のいづれの花となく舞へる(日光月光)

みちのくの花待つ銀河山河かな(銀河山河)


 こんなこともあり、黒田杏子の最後の句集『八月』を本誌の「名句集を探る」で取り上げてもらった。脳梗塞で倒れ、季語の現場を探求するという杏子の方針を貫くことが難しくなった時期で回想による作り方が増えていった句集だが、その中で残せる俳句ができたのかどうか虚心坦懐に見てほしかった。高橋氏にも、印象論ではない、こうした具体的作品に即しての黒田杏子一代の評価を期待したかった。

    (以下略)


英国Haiku便り [in Japan] (43)  小野裕三

 英国俳句協会


 最近、英国俳句協会(British Haiku Society)の会員になった。三十年以上の歴史を持つ協会で、充実した会誌を季刊(四季を反映させるために季刊らしい)で刊行する。英国から届いた昨年夏の号から佳句を拾う。

 after swimming

 the taste of salt

 in your kiss

     Claire Thom

 泳いだあと / 塩の味がする / あなたとのキス

 俳句だけでなく、俳文(haibun)も重視するのも特徴で、この傾向は西洋の俳句界に広く見られる。

 会員ハンドブック(写真)も届いた。英語で俳句を作ることについて日本の状況を踏まえつつイギリス人に向けて解説する内容で、日本人が読むと「なるほど、俳句や日本はイギリス人からそう見られていたのか!」と逆に発見がある。

 それによると、英語圏での俳句への関心には三つのパターンがあるという。「文学としての詩の一種」「禅に通じる生き方や哲学的啓示の源」「日本的芸術のひとつの真髄」の三つで、その立脚点の違いにより、俳句で重視することも異なってくる。季語は必須か、現代風俗を取り入れてもいいか、写生でなく想像もありか、などの点で見解が分かれるようで、そのことは日本の状況にも似る。

 だが加えて、英語圏に存在するある種の曲解のことも言及される。ある人々(禅や哲学を俳句に追求する人たちか)は五七五をどこか宗教性・神秘性を帯びた「神聖不可侵」のものと見做す、と述べた上で、しかし実際には日本では五七五は「警察の標語やTVコマーシャル」のような詩的でない言葉にも使われ、「いささかも神秘的ではない」と断じる。また、対象を前にしてその場で書かれるものが俳句だから事後に推敲してはいけない、と考える人も少数だがいるとのことで、それも過度な神秘化の一例だろう。

 そしてこのハンドブックに一貫するのは、そのような曲解を脱却して俳句の正しい本質を丁寧に腑分けしようとする姿勢だ。「二物衝撃」の手法を的確に解説し、また、「軽み」を重視して「説明」を忌避する姿勢は英語圏の俳人に広く共有されるとも語る。

 さらには、英語で「五七五にこだわることは結果として<言い過ぎ>になりがち」で、英語俳人の多くは、五七五よりさらに短い形のほうが俳句としてしっくり来ると感じ始める、と指摘し、「英語で俳句を書く人は、英語の自然な律動に相応しい(五七五には縛られない)形式を見つけるべきだ」とも提言する。充分な経験や理解を踏まえつつ、このように英語haikuは今や独自の進化を模索し始めた時期にあるのでは、と感じた。

(『海原』2023年4月号より転載)

【新連載】伝統の風景――林翔を通してみる戦後伝統俳句 4.『和紙』作品をめぐって 筑紫磐井 

 次に第一句集である『和紙』ないし『和紙』時代の翔俳句をめぐる論評を紹介することとしたい。独断的ではあるが代表的な論評をあげ簡単にその内容にふれてみる。

 まず、和紙上梓以前の代表的論評から。


①「林翔論」能村登四郎(「新樹」24年1月)

 最も初期の翔論といえるものであり、特に著者と深い関りのある筆者の評論だけにひときわ興味深い。論ぜられた時期が一句投幻時代からようやく巻頭を得るに至る昭和二十三年までに限られるのは残念であるが、著者の抒情俳句が中村汀女や相馬黄枝を消化して生まれて来たものであること、一時「サロンで聞く室内楽」と称された句風が次第に独自の句境を拓いてゆくに至る過程が詳細に語られている。


②「このつつましき求心」能村登四郎(「俳句」44年8月)

 「俳句」の中堅作家特集で著者が取りあげられたとき、自選百句、略年譜と併せて<人と作品>と題して載せられた翔論である。国学院大学在学中から始まり、『和紙』上梓直前までの時期の作品とエピソードをまじえた紹介を行っているが、ここで筆者は翔俳句について常に内へ内へと向ける求道のこころが感じられるとともに、次第に明るい艶と張りのある円熟期に達して来ているとも指摘している。

引続き、『和紙』上梓後の、能村登四郎以外の論評を見てゆくこととしよう。


③「『和紙』礼讃」相馬遷子(「馬酔木」45年1月)

 筆者は波郷没後の「馬酔木」の同人会長、その誠実な人柄で著者が深く畏敬していた人である。同門の先輩として著者の句作を悉く見守って来たひとの評だけに緻密、斬新な鑑賞に溢れている。「これら(作品)をすべて地味というのは一寸当らないのではないかと反省させられる。著者の性格はたしかに地味だが、俳句には気魂が籠っている。」「(著者のもつ諧謔性にふれ)その裏にひそむ作者の複雑な感情は、単なる滑稽俳句に終らせていないのである。」「(ごとし俳句について)割合数が多くそしてその殆どが成功していることも著者の腕の並々ならぬことを証しているのである。」


④「和紙書評―普通列車の持つ人間味」松崎鉄之介(「俳句」45年12月)

 筆者は、能村登四郎における教師と林翔における教師の意味を考察し、「教師としての生き方を父君より受けた著者が、教師として生きて行くことはごく自然のなりゆきであり、著者の持つ謙虚さと誠実さが教師の内容をさらけ出しいじめ抜くようなことは到底出来なかったのであろう。」と述べられているのは、よく両作家の違いをとらえたものと言える。「憂愁という甘ずっぱい物でなく、人間から美を見出だそうとする作者の謙虚な姿が顕現されている。」は、とりわけ『和紙』後半の作風を美しく表現しているものと言えよう。


⑤「『和紙』断章」加畑吉男(「沖」45年12月)

 筆者は著者と同じ塔の会のメンバー。ここでは『和紙』初期の作品を抒情的であると言いながらも、「泳ぎ子よ岸辺翳なす夕餉どき」という句がある。初めは抒情的な美しさに魅かれていたが、現在はその抒情を超えて、ものの核心に迫るものを感ずるようになった。それはこの句が持つ造型性のゆえであると述べ、翔俳句についても「作品のバックボーンは写生であり、ものの本質を見抜く眼力である」という独創的な翔論を展開している。


⑥「林翔論」岡山貞峰(「馬酔木」48年11月)

 馬酔木作家研究のーとして執筆されたもので、ほぼ『和紙』の時代を概観して手際よくこの時代の著者の相貌を浮び上らせる。特に、求心的傾向、自然美の発見、沈静美、そして外光的明るさへの脱皮とその作風の展開をたどってゆく文章は快い。


この他の『和紙』論として次のものをあげておく。


⑦「林翔鑑賞」飯田龍太(『現代俳句全集』第6巻 みすず書房 34年刊)

⑧「求心のつつましさ」能村登四郎(「馬酔木」40年6月)

⑨「『和紙』の読後に」久保田博(「沖」45年12月)

⑩「和紙の裏側」能村登四郎(「俳句」46年2月)

⑪「句集『和紙』私見」富岡掬池路(「狆」46年9月)

⑫「林翔十句撰」今瀬剛一 (「俳句研究」57年10月)

⑬「『和紙』いさぎよい抒情」湯下量園(「俳句」58年5月)

⑭「清冽なる抒情」岡田貞峰(「俳句」59年11月)


この他若い作家によって論じられた評論がある。


⑮[流れの中の短い葦」渡辺 昭(「櫂」57年11月))

 根源俳句、社会性俳句、前衛俳句、イメージ俳句という四つの戦後俳句の中で著者がそれといかに格闘し、克服し、受容して来たかを追求し、逆に戦後俳句を個人の内面でとらえようと試みている。特にこの中で筆者は第三のものを重く見ているようである。


⑯「『和紙』の緩曲線」能村研三(同上)

 時間的にほぼ重り合う登四郎句集『咀嚼音』『合掌部落』『枯野の沖』と対比して『和紙』の推移を考察し、戦後俳句の流れに対して「登四郎は一つ一つを区切る鋭角な曲り方で戦後俳句の流れを泳ぎ、林翔は緩やかな曲線を描きつつ泳いできた」と結論づける。


⑰「林翔俳句の求めるもの」鎌倉佐弓(同上)

 翔句集『和紙』『寸前』『石笛』を対比しながら、著者の虐げられた者に向けられる目、傷みに注視し、翔俳句の諧謔性、笑いがこうしたものから切望される必然的なものであることを論じた。


【新連載】伝統の風景――林翔を通してみる戦後伝統俳句 3.和紙の生まれるまで 筑紫磐井

  この連載を始めてみたが、あまり読んでくれる人もいないのではないかという思いもしないではなかった。それくらい林翔に対する関心は、馬酔木ではともかく、俳壇では大きくないように思われたからである。ところが「コールサック」117号(2024年3月号)で津久井紀代氏が、『林翔全句集』の書評の中でこのBLOGのコラムを取り上げてくれていた。読者がいるということは非常に励みになるものである

 「伝統の風景――林翔を通してみる戦後伝統俳句」と題して連載を始めてみたが、実はあまり準備をして始めたものでは無かったため、連載としてどのように進めるか少し悩んでしまった。いくつか思いついたことを1回、2回で書いてみたのだが、長い構想までは準備できていなかった。実は、『林翔全句集』の刊行が余り順調に進み過ぎたために、私の連載構想が追い付いていなかったことになるのだ。それくらい『全句集』には出版社や編集者の精力的な努力が集中されたのだということなのである。

 こんな中で考えてみると、「林翔を通してみる戦後伝統俳句」と言っても林翔の俳句を見ないで林翔を論ずることは少し誤解を招かないとも限らない。どのような作家だったかを知らないでその主張を取り上げてもうまく理解してもらえるか少し心もとない。そこで、順番が逆となるが正攻法から林翔の俳句への取り組みを取り上げてみることとしたいと考えた。そういえば全句集で代表的な評論を取り上げさせて頂いたが、私自身の作家論は披歴していなかった。そこら辺を全句集を補う意味で少し書き加えたい。

       *

 『和紙』の上梓された当時、「それにしても『和紙』の処女句集は遅すぎた。……もう十年前に出してもよかった。」(草間時彦)と言われたことがある。これは多くの人の実感でもあったろう。事実『和紙』はもう十年早く生まれることは可能であったかもしれない。昭和三十年頃馬酔木の編集に従事していた石田波郷は新人達の巣立ちのためさかんに句集出版の機会を考えていた。『咀嚼音』上梓直後、林翔にも再三句集上梓を奨めていたのである。ところが 「私も一度はまとめ始めたのであるが、自分の句がひどく貧しく思われて途中で投げ出してしまった」というのが真相であった。

 その後波郷の期待を裏切りながら、ようやく句集をまとめる準備に入ったのは四十四年の春のことであったらしい。既に波郷は再起不能の病床につき清瀬に再入院していたが、そのころ病院を見舞った客とこんな話をしている。

  「林さんの句集はいつ出るんだい。」

  「来年だそうです。」

  「来年か。来年では遅いな。」

 何が一体遅かったのか。今日ではもう波郷の真意は判らない。それから十日程で波郷は逝き、句集『和紙』は波郷告別をもって終る形で出版されることとなったのである。したがって、この句集は著者の波郷への大きな負い目となっている。それは、この句集が出来上った当日、石神井のあき子未亡人を訪れその一冊をまず波郷霊前に供えたこと、更に第二句集『寸前』の冒頭にも「熱燗や人が波郷を言へば泣き」を置き波郷追慕の念を断やさなかったことからもうかがわれるであろう。

 こうして出版された『和紙』は、発行が昭和45年9月、発行所は波郷と関りの深い竹頭社であった。名に相応しく、和紙貼紙函に入り、B6版245頁に一頁三句組、697句を収録しているのは、秋櫻子が言うように確かに「堂々たる厚みを持つ」句集と言えた。序文は水原秋櫻子が誌し、ここで有名な「著者の頭の中には、はじめから理想の軌道が敷かれており、その上をくるいなく走る列車のような感じであった」と言う評が初めて出ている。著者の後記が付されているが、跋文がおかれていないのは、波郷なきあともはや書くべき人なし、都の著者の感慨でもあったのだろうか(ちなみにこの前までの句集は、序文を秋櫻子、あとがきを波郷という華やかな構成で刊行されていた。じっさい盟友の能村登四郎の第一句集『咀嚼音』もそうした構成となっていた)。

 内容は昭和23年から波郷没年の44年までの作品を含み、精選されているものの長い期間に及ぶ句集となっている。従って、知命をすぎてからの句集であるにもかかわらず冒頭は匂いたつような若い抒情句である。登四郎の『咀嚼音』、湘子の『途上」に匹敵する、馬酔木の戦後黄金時代を飾った瑞々しい句からなっている。

 やがてそれらは中年の充実と落着きを加えて、「秋風の和紙の軽さを身にも欲し」の句に代表される洒脱自在さを漂わす後半部を迎えるのである。

 なお、句集刊行後の話となるが、句集『和紙』は昭和46年第10回俳人協会賞の選考において満票の支持を受け受賞の栄を得ている。このときの逸話を能村登四郎が次のように語っており、著者のひととなりをよく物語っているように思う。


 「受賞を知らせてびっくりさせてやろうと翔の家に電話をすると、学校だというので私はすぐ学校へ行った。休日だというのに何か仕事があるらしく、仕事をしながら口を動かしていた。私が口早に受賞のことを知らせると、さすがに眼をかがやかせたが、口のもぐもぐは止めない。私は反応のなさにちょっと失望しながら、

 『なに、それ』

と聞くと、

 『胡桃なんだ。うまいよ。』

と言って二、三個私に分けてくれた。

  栄光の日も無為のごと胡桃食ぶ」   (「和紙の裏側」能村登四郎)