2024年3月8日金曜日

【抜粋】〈俳句四季1月号〉俳壇観測252 作句の在り方と批評のありかた――高橋睦郎氏の黒田杏子批判 筑紫磐井

●高橋睦郎氏の評言

 昨年の黒田杏子氏と大石悦子氏の死をめぐっていろいろ論壇がにぎやかだ。華やかな経歴を持つ代表的女流作家であり、それも突然の死と言ってよいから多くの人が関心を持ったのは否めない。そして代表的女流作家だけに、同時期になくなった二人の比較はもっともなものであった。もう一人、齋藤慎爾もその旺盛な評論活動から黒田杏子と双璧の扱いをされている。亡くなった時期が近接しているだけに、時評では並んで特集されている機会もあった。結論的には、黒田・斎藤は現代俳句への寄与ということできわめてよく似ていたのである。

 そうした中で、高橋睦郎氏が大石氏と比較して、黒田杏子の広範囲にわたるは交友関係が黒田杏子の句境の深まりにいい影響を与えなかったのではないかと述べている(「俳句」9月号)。思い出すのは黒田杏子が代表を務める「件の会」で、令和元年二月に「八〇代の可能性」と題したトークショーだ。宮坂静生・高橋睦郎・齋藤愼爾・黒田杏子の四人の八〇代作家が未来を語っているのである。この時、小澤實、関悦史、筑紫磐井がそれぞれ後ろに立ち、作家と人となりを語っているのは、いかにも黒田氏らしい企画で面白かった。いずれにしろよく知り合った仲であるだけに忌憚のない意見を言うのはおかしくはない。

 「第一句集『木の椅子』。その新鮮な抒情は句集を重ねるごとに薄まり、それを補うように行動の幅を拡げていったように見える。」「私が親しくなった直後の第四句集『花下草上』あたりからそれは顕著だった。」と述べているが、これは読者によって大きく意見が分かれるところだろう。ただ、黒田杏子を批判するなら、一々の作品を掲げて「黒田杏子論」として論ずるのがよかったと思う。確かになくなったばかりだからと言って、故人の業績を客観的に批判することは許されないわけではない。しかしそれを読者に納得させるためには手続きが必要だ。


●杏子俳句の評価

 高橋氏の発言は印象論であるとは言え文芸批評に当たるわけであり、反対者も文学的見解を披歴する必要があるだろう。

 黒田杏子が確かに行動の幅を拡げたのは間違いがないが、いくつかの方向性を持っていたように思う。

 一つは日本列島桜花巡礼や百観音巡礼、四国遍路吟行などであり、季語の現場を探求するという活動であり、虚子で言えば武蔵野探勝のようなものだ。これは、俳句に対する信念だ。

 第二は、『証言 昭和の俳句』のような俳句史の現場にいた人たちの聴き語りをするものであり、前者に比べて俳句の社会的側面をあぶりだすものである。晩年に金子兜太と行動を共にしたのはこれの延長に当たる。兜太の戦争、杏子の安保闘争はこれらの活動の根っこを成している。

 そして、瀬戸内寂聴や日野原、ドナルドキーン、石牟礼道子、鶴見和子等の著名人の交際があるが、それは俳人であれば誰しもある事。高橋氏もその恩恵を受けていたと語る。違うのはこうした異なるジャンルの人々を俳句に引き込んでいたことであろう。これは俳壇のために決して悪いことではない。

 このように実に多彩な活動であったが、興味深かったのは中野利子氏に、自分の評伝を書いてほしいと依頼していたことだ。俳句の鑑賞であれば分からなくはないが、黒田杏子の全活動を批評するというのだ。一見俳句の本道からすれば脇道ともいえる活動に黒田杏子は強烈な自負心を持っていたのだ。おそらく前書き付きの句が多いことは、黒田杏子自身が自分の評伝を俳句で実現していたということではないか。

 こう考えると、高橋氏が言っていた「有名人との交友ばかりが目立」つという批判も少し評価が変わるはずだ。

 車椅子生活になった杏子にとって、ハンディを負った条件で可能な限りの活動を果たしている。いかに前書きが多くても、それは晩年の黒田杏子の俳句の流儀であるのだ。社会性俳句作家が基地やメーデーばかり読むと非難され、花鳥諷詠作家が歳時記にある季題の題詠をするからと言って非難されるいわれはない。そうやって詠まれた俳句の中でどれだけの作品が残るかということなのだ。


白葱のひかりの棒をいま刻む(木の椅子)

かまくらへゆつくりいそぐ虚子忌かな(水の扉)

能面の砕けて月の港かな(一木一草)

雪を聴くきのふのわれを聴くごとく(花下草上)

どの谷のいづれの花となく舞へる(日光月光)

みちのくの花待つ銀河山河かな(銀河山河)


 こんなこともあり、黒田杏子の最後の句集『八月』を本誌の「名句集を探る」で取り上げてもらった。脳梗塞で倒れ、季語の現場を探求するという杏子の方針を貫くことが難しくなった時期で回想による作り方が増えていった句集だが、その中で残せる俳句ができたのかどうか虚心坦懐に見てほしかった。高橋氏にも、印象論ではない、こうした具体的作品に即しての黒田杏子一代の評価を期待したかった。

    (以下略)