2019年2月22日金曜日

第108号

※次回更新 3/8

特集・大本義幸追悼「俳句新空間全句集」

筑紫磐井編        》読む

【100号記念】特集『俳句帖五句選』

その1(飯田冬眞・浅沼璞・内村恭子)》読む
その2(神谷波・五島高資・小沢麻結)》読む
その3(坂間恒子・岸本尚毅・加藤知子)》読む
その4(木村オサム・近江文代・曾根毅)》読む
その5(田中葉月・北川美美)》読む
その6(小野裕三・ 西村麒麟・ 田中葉月・ 渕上信子)》読む
その7(五島高資・ 水岩瞳・ 仙田洋子・ 松下カロ)》読む
その8(青木百舌鳥・花尻万博・椿屋実梛・真矢ひろみ)》読む
その9(下坂速穂・岬光世・依光正樹・依光陽子)》読む
その10(前北かおる・林雅樹・望月士郎・山本敏倖)》読む
その11(辻村麻乃・渡邉美保・ふけとしこ)》読む

■平成俳句帖(毎金曜日更新)  》読む

冬興帖
第六(2/15)井口時男・竹岡一郎・浅沼 璞・乾 草川・近江文代
第七(2/22)辻村麻乃・木村オサム・渡邉美保・ふけとしこ・水岩 瞳

■連載

【抜粋】〈「俳句四季」3月号〉
俳壇観測194  同世代はなくなるもの――七十代がしたこと、果たせなかったこと/筑紫磐井  》読む

葉月第1句集『子音』を読みたい 
5 田中葉月への序章/谷口慎也  》読む

佐藤りえ第1句集『景色』を読みたい 
4 『景色』鑑賞/椿屋実椰  》読む

寒極光・虜囚の詠~シベリア抑留体験者の俳句を読む~⑥ のどか  》読む

麻乃第2句集『るん』を読みたい
インデックスページ    》読む
10 アニムス/叶裕  》読む

大井恒行の日々彼是 随時更新中!  》読む

句集歌集逍遙  山田耕司『不純』高山れおな『冬の旅、夏の夢』/佐藤りえ  》読む


■Recent entries

「兜太と未来俳句のための研究フォーラム」アルバム

※壇上全体・会場風景写真を追加しました(12/28)


眠兎第1句集『御意』を読みたい
インデックスページ    》読む

麒麟第2句集『鴨』を読みたい
インデックスページ    》読む
10.『鴨』――その付合的注釈   浅沼 璞  》読む

前衛から見た子規の覚書/筑紫磐井
インデックスページ    》読む

「WEP俳句通信」 抜粋記事  》見てみる

およそ日刊俳句新空間  》読む
…(今までの執筆者)竹岡一郎・青山茂根・今泉礼奈・佐藤りえ・依光陽子・黒岩徳将・仮屋賢一・北川美美・大塚凱・宮﨑莉々香・柳本々々・渡邉美保 …
2月の執筆者 (渡邉美保

俳句新空間を読む  》読む
…(主な執筆者)小野裕三・もてきまり・大塚凱・網野月を・前北かおる・東影喜子



「俳句新空間」発売中! 購入は邑書林まで



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—筑紫磐井最新編著—
虚子は戦後俳句をどう読んだか
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【抜粋】〈「俳句四季」3月号〉俳壇観測194 同世代はなくなるもの――七十代がしたこと、果たせなかったこと  筑紫磐井

(遠藤若狭男の節は略)

●大本義幸(「豈」創刊同人)
 遠藤氏を溯る二か月前、十月十八日に大本義幸がなくなった。七十三歳である。大本義幸といっても現在では余り知る人は多くない。しかし、大本氏なかりせば、攝津幸彦や坪内稔典などの登場はずいぶん変わったものになっていたかも知れない。その意味では現代俳句の恩人である。堀本吟氏は「一九七〇年代ニューウェイブを作った一人」だという。
 一九七〇年代俳句がどのように形成されたかは実は必ずしも明らかでない。一番分かりにくいのが「現代史」であるからだ。長谷川櫂や小澤實がまだドングリの背比べであった時代に、新しい俳句の波が起きかかっていた。ただ歴史には全てそうだが、前史というものがある。大阪、東京、札幌と点々とした後、東京に出てきた大本氏は東中野でバー「八甲田」のバーテンを務め、月一回の閉店日にこの店を開放して若い俳人を集めた。攝津幸彦、澤好摩、大屋達治、藤原龍一郎、長岡裕一郎、石寒太、折笠美秋、石井辰彦、桑原三郎、永島靖子、夏石番矢、林桂、山崎十生、しょうり大、沖山隆久、大井恒行・・「俳句研究」の五〇句競作に参加した作家たちが多い。大本氏が、東京にいた一九七〇年代前半こそ新しい俳句の発酵時期だったのだ。
 その後、坪内稔典の「日時計」に参加。それが分裂した後、大本氏は自ら「黄金海岸」を創刊する(もうひとつは澤好摩「天敵」であり、後「未定」に発展)。同人は攝津幸彦、坪内稔典と言う豪華な顔ぶれだ。その雑誌が四号で自爆終刊し、攝津の「豈」、坪内の「現代俳句」に別れると大本氏はそれらに参加、協力している。特に坪内の「現代俳句」には積極的に協力し、その発行、イベントに尽力する。俳句のジャーナリズムとしては今では「俳句」「俳句研究」の二つが語られることが多いのだが、「現代俳句」はニューウェイブの大きな中心だった。また一方で妹尾健と、「戦後俳句史研究会」を発足させている。だから、ニューウェイブの現場にいたという言葉はあながち嘘ではない。
 しかし平成一五年以後ほとんど前身に癌を転移させ手術や放射線治療、化学治療を受けていた。咽頭も切除され、声の出ない俳人としてそれでも句会に出席していた。壮絶な後半生であった。句集は『非』『硝子器に春の影みち』と少ないが、「おおもっちゃんの骨は俺が拾う」と言っていた攝津幸彦が夭折した後は、作品はもっぱら「豈」に発表していた。「豈」の行く末を看取るつもりであったかも知れない。それでも生き抜く意志があったことは最近の句からも分かる。

われも死ぬいまではないが花みづき 大本義幸

  ※詳しくは「俳句四季」3月号をお読み下さい。

【葉月第1句集『子音』を読みたい】5 田中葉月への序章  谷口慎也

  面白く読めた一巻である。
 「私にとって俳句とは心をキャンバスにして描く絵のようなもの。(中略)。日常と非日常、実と虚を行ったり来たりできる自由な翼を持てる俳句が楽しい。」(「あとがき」)とある。そしてこれが、現在只今の作者の俳句への思いの総てである。他に難しいことは何も語っていない。
  この「心をキャンバスに」すること。「実と虚を行ったり来たり」するということ。これらは言葉を換えながら、今までいろんな処で言われ続けてきたことである。だが作者は、そのいちいちに拘泥することなく、大きく広げたその思いの中を、ある意味無頓着に、またある意味無防備に飛び回っていて、それが「楽しい」―のである。
 このことを端的に示すのが次の冒頭句である。

  もう一度抱つこしてパパ桜貝

 最初はこの句に少し戸惑った。作者は昭和三十年生まれ。であれば、人はここに、俗に言う「ファザコン」を指摘するかもしれない。また〈パパ〉は、時代と場所とによって陰のある言葉、いわば隠語としての機能を果たして来たが、この一巻にそういう趣味はない。作者はただただ無防備に、何の外連味もなくこの一句を吐いてみせたのだ。すなわち〈桜貝〉という具象としての言葉に、一瞬のうちに時空を超えた直観的な情感の導入を果たしているのである。他に何の計算も見当たらない。この句集は、そういう作者の手の内を冒頭から開示することによって始められている。
 この句に関して言えば、〈父と子の辿り着けないボート漕ぐ〉〈美しき父離れゆく草の絮〉〈非常口やや傾きてパナマ帽〉、そして〈風薫る母はしづくに帰りけり〉〈父母の遺影はいらぬ牡丹雪〉などがあり、その浪漫的な表現の裏にある作者の「生活」も見えてくる。だが作者にとって、その「生活」も、なべて冷静に「表現」の問題として捉えられている。「生活」が等身大のまま「表現」になる、などという素朴な信仰とは無縁である。 
 冒頭の一句もその視点から眺めなければならないことは、次の作品たちが証明してくれるであろう。

  ジオラマの駅から発車夕桜
  船出するチキンライスや春の月
  ぞくぞくと跳び込む亀や春の水
  負える子ののけぞる首や葱坊主
  籠鳥の目玉の中の春の闇
  ひまはりや歩き出したる少年兵
  折り鶴の翔つや五月の非常口


 一句目の擬似風景は、「動」を前提として永遠に「静」であるかのように描かれている。実際この場合の電車が動くものであっても、〈夕桜〉という背景は決して散らないからである。だがその「静」(虚)は、〈出発〉の措辞によって、今にも動き出そうとする「実」に転化されている。「虚と実を行ったり来たりする」(虚実合一の)作者の思いが静かに定着している一句である。             
 二句目。〈船出する〉句中の主体は「私」から〈チキンライス〉へと無理なく転化されている。ここに一人称であるべき「私」が、句中の「語り手」によって、三人称としての俳句として成立している。
 三句目は〈ぞくぞくと〉がなければ韻文としては成立しない。すなわち、その誇張表現(デフォルメ)に正比例して、〈春の水〉の豊かさが伝わってくる。
 四句目。ここは〈のけぞる首〉が眼目である。中七での切れはある種の古臭さが伴うために敬遠する向きもあるが、それを打ち破っているのがこの動的な措辞である。同時にそれは、無防備に〈のけぞる〉生命体(エロス)の動きでもある。それが一本の〈葱坊主〉と交感することによってさらに活き活きと表現されている。句中の「私」から〈のけぞる首〉は後ろにあり見えないから、この一句も、確かな「語り手」によって成立していると言える。
 五句目。〈の〉による読みの連続は、上から下へ視野を狭窄しつつ、結句〈春の闇〉は「点」と化す。と同時に、一句を包む全体となり得ている。そういう構造上のレトリックが見て取れる。
 六句目の〈ひまわりや〉以下の切れは、〈少年兵〉という措辞によって、一句を寓意として語るに成功している。すなわち一句は、寓喩というレトリックにより、ひとりの少年の未来への立ち姿を暗示しているのである。
 最後の句は〈非常口〉に理屈が見えないこともないが、それも〈翔つ〉のが「鶴」ではなく〈折り鶴〉(=人工的なもの)であれば、一句の調和にさしたる障りはない。
以上、どの句も情緒・情感に溺れることなく、表現を成立させるに必要な理知がきっちりと働いている。作者の句歴は、高齢者が元気なこの俳壇において決して長いとは言えないが、先述したように、俳句への思いは極めて大雑把に把握されながらも、書かれた作品のそれぞれは、読み手である私にいろんなことを考えさせてくれる。修辞法も含めて、俳句的な知識が先行したものであればたちまち鼻に付く。だがそうならないのは、作者が先天的に、言語感覚・定型感覚に優れているからではないかと思われる―ここで言う「定型感覚」とは、俳句の本質である定型(5・7・5音)の構造の在り方に対する運動神経だと思ってもらえればいい。
 次のような句もある。

  さつきですめいですおたまじやくしです
  空豆の見ざる言はざる聞かざるよ
  浮き沈むここらでお茶に黒目高
  とりあへずグッドデザイン賞天道虫
  水掻きのゆつくり開く放生会
  投げ入れる石の足りない花野かな


 一句目は、口語調によるダイアローグの良さである。だが〈おたまじやくし〉は単なる〈さつき〉の比喩ではない。それを突き崩すのは〈です〉による反復法である。それがごく自然に、姪である〈さつき〉と〈おたまじゃくし〉とを合一化していき、そこに生命の交感が表現されている。
 二句目の滑稽感は、中七・下五の俗語が〈空豆〉の語韻・語感(あるいはそこから派生して来るいくつかの意味性)によって詩として昇華されたものである。ウイットとしての詩、と解釈してもいい。
 三句目は「人生浮き沈み」の俗語感が、〈ここらでお茶に〉の、いわゆる俳諧的な「とりはやし」によって、明るい兆しを見せている。〈黒目高〉のその目も涼しげである。
 四句目。これまた面白い句である。〈放生会〉とは捕えられた生類を山野や沼に放つ儀式のこと。そこに思わず、己の掌に生えてくる〈水掻き〉を見てしまうという仕掛けである。。簡単に書けそうな句にも見えるが、そうではない。そこには結句〈放生会〉のような、的確な言葉の選択が無ければ、一句は曖昧のままで終わってしまう。
 最後の句は、直截な叙述とその「逆接(性)」が命である。〈花野〉に従来の美意識を同行させれば、それは季語への「順接」となる。ところがそこに〈石〉を投げれば、それは「逆接」となる。思えば俳諧・俳句とは、この逆説としてのアイロニーが大きな特質のひとつではなかったか。

 さて、句の抽出とその解釈も、今回はこれで充分であろう。

 まとめて言えば、「作者」はいまだ「途上」にある。だがそれは、「作品」が完成に向けて「途上」であると言うのではない。一句の完成度は高い。それゆえに、縷々述べてきたように、私なりの鑑賞も安心してできるのである。でなければ、敢えて鑑賞する必要はない。
 繰り返すが、「心をキャンバスにして、実と虚を行ったり来たりする」ということに対する作者の明確な思いは、散文としての俳句論が無いゆえに見えにくいが、その俳句理念はすでに具体的にいちいちの作品に具現化されている。すなわち作者は、その広大な俳句理念の中を現在只今自由に飛行中なのである。そして作者の先天的な言語感覚・定型感覚は、あらゆる言葉(素材)に突き当たり、そのつど一句を成していく。「途上」とはまさにそのことを意味するのである。それは作者の中では「永遠に途上」であるのかもしれない。
 句集最後に次の一句が置かれている。

  風花す銀紙ほどのやさしさに

 作者は表現としての「わが俳句」の在り様を、遥か遠方に、静かに見すえているようにも思えてくる―だが、ここは、あくまで私のモノローグである。                     

【麻乃第2句集『るん』を読みたい】10 アニムス  叶裕

 先日参加した羽子板市句会の打ち上げで彼女は唐突にメタルシンガーだったと言うんである。んん?なんだかおもしれー奴だなぁ。
 辻村麻乃。
 父にマルチな才能を持つ詩人岡田隆彦を、母に俳句結社「篠」を率いる俳人、岡田史乃を持つと書けばそりゃ相当のお嬢様であろうことは想像に難くない。下町の工場に生まれ育ったぼくには想像もできない話である。それにしてもメタル出身の俳人なんてそうそう居るもんじゃない。まったく俳人というのは不揃いの河原石である。とんがってるんだか丸いんだか知らないが面白い句を披露してくれるのだろうと期待をしながら彼女の第二句集「るん」を開いて見ることにする。
   ◆
母留守の納戸に雛の眠りをり
家ありてなほ寂しからむ春の暮
春の菜がドアスコープの一面に


 豈図らんや伝統俳句ではないか。当たり前といえば当たり前だ。定型詩とはその枠こそが広大無辺のカンバスであり、その可能性を追求するのが伝統系結社のテーゼ。主宰の娘がその矩を破ることはないだろう。母の強すぎる権威がふと鼻をつく。それは句にも出ていて作者は籠に囚われているような印象。反面、その堅固なる籠は彼女の安心感の拠り所でもあり、どこか母娘共依存の匂いが漂ってくる。
   ◆
凡人でありし日の父葱坊主
次こそのこその不実さ蚕卵紙
燕の巣そろそろ自由にさせようか
夏シャツや背中に父の憑いてくる
神無月父だけのゐる神道山


 母に比して父の存在が希薄なのはおそらく父は多忙な公のひとであり、父への思慕が募るもそれが叶う事はないと悟りきった子供の独白に見えてくる。作者がなぜメタルに突っ走ったかが少しだけ分かった気がする。「叛逆」「反抗」と書くと物々しいし、それを作者は肯定しないだろうが、無意識下にその二文字があった事は想像に難くない。
   ◆
背鰭から金魚の朱の流れ行く
口開けし金魚の中の赤き闇
狂人の綺麗な鼻梁凌霄花
海のなき月の裏側見てしまふ


 ステージからの視点を獲得した作者は大人の二面性に対し対峙する事を覚えたようだ。それは自分もまた両親と同じ人種なのだというどこか開き直りに近いものとアニムスの確立をこの句に強く感じるのだ。
   ◆
鬼一人泣きに来てゐる曼珠沙華
鰯雲何も赦されてはをらぬ
家族皆元に戻れよ冬オリオン
夫の持つ脈の期限や帰り花
狐火やここは何方の最期の地


 福沢諭吉は「自由在不自由中」(自由は不自由の中にあり)と説いたが、彼女にとって家は不自由の象徴、共依存の園だったろう。しかしてそこから脱するためにメタルという鎧をまとったのだ。ステージに立ち、マイクの前に立つ時にのみ彼女は生来の軛から自由になれるのだ。抑圧が強ければ強いほどその反作用は強くなる。彼女はその時はじめて表現者を自認したのではないか。ノイジーなギターリフ、手数の多いドラム、単純でラウドなリズムを繰り返すベース。そこに心奥の本当の声を乗せる時、ステージは唯一彼女に赦された祭壇となる。

鳩吹きて柞の森にるんの吹く

 るん。
 「ルン」とはチベット語で風(rlung)を意味する。サンスクリットでプラーナ(Purāṇa)とも言う、いわゆる「気」を指す語だ。
 彼女の胸中には幼少の頃からルンが流れている。この句集でそれを少しだけ解き放ったのかもしれないなとふと思ったのである。

 るん。

おお麻乃と言ふ父探す冬の駅   辻村麻乃




寒極光・虜囚の詠~シベリア抑留体験者の俳句を読む~⑥  のどか

Ⅲ.シベリア抑留語り部の体験談(2)

(9)伐採作業

 マイナス40度までの日は、午前8時に営門前に集合して点呼を受ける。カンボーイ(監視兵)は、五列縦隊に並ばせて、5・10・15と数える。カンボーイは掛け算ができないので、誰かが途中で「小便がしたい。」というと数を忘れてしまい、最初からやり直す。多少の時間稼ぎにはなるが、その分現場のノルマがきつくなる。
 関東軍の冬服に綿入れの上着とズボン、帽子は関東軍支給の物、靴はネルで作ったカートンキ、斧(タポール)は1人1丁、二人引きの鋸(ピラー)は担ぎ、作業現場に向かって雪の広野を歩く。体力の限界で一緒に歩けず、隊列から少しでも離れるとカンボーイから蹴飛ばされたり銃床で殴られたり、馬に乗ったカマンジール(監督)が鞭を振り回す。抑留者の労働が、彼らのノルマになるからだ。
 伐採は、斧(タポール)で木の幹に3分の1切込を入れ、反対側から鋸(ピーラー)で3分の2ほど切ったところで山の方に向けて倒される。 もし、倒れる側の真後ろに人がいたならば、死人がでる。
 1947(昭和22)年12月2日、中島さんは自分の切った木の下敷きになり、右足首骨折頭部打撲で、第3病院(3370病院)に入院した。病院では、足にギブスを巻いていたが看護婦の仕事の手伝いをさせられたそうである。
 盲腸の患者の6~7割は、死んだ。他の病棟の看護婦が、発疹チフスになったので世話を代わってくれと頼まれて、4週間手伝った。医師の赤ちゃんの世話もした。元の病棟に戻ると日本の医師が担当になり、盲腸で死ぬ人がいなくなった。

(10)自動車積載作業
 
 中島さんの「我が青春の軌跡 絵画集」から

 土場に積まれた丸太をトラックに積込む作業であるが、機械類は一切なく全部手作業。何百キロも何トンもある丸太を台車の上にロープとバールだけを使い5人1組で行う。土場と台車を繋ぐ細丸太を渡すときに不安定なので事故が起きる。ロープ操作のできで成功か失敗かの分かれ道になる。

(11)埋葬

 マイナス40度以下に下がる酷寒期の1945(昭和20)年12月頃から翌年3月まで、食料事情が悪化し栄養失調のために、毎日のように宿舎から死者がでた。初めの頃は通夜もしたが、毎日となるとすぐ裸にして衣類は皆の取り合いになる。凍土は硬く大量の焚火をして溶かしても15~20センチの深さしか掘れないので、3~4回繰り返して掘って、3~4人をまとめて置いて、雪混じりの掘り起こした土で埋め戻した。死者の名前も知らず埋葬が日常生活の一部となり次第に無感情になっていった。
 シベリアでの死亡数について、『シベリア抑留スターリン独裁下の「収容所群島」の実像』富田武著P.108~109を参照すると、

  1945-46年冬に酷寒と飢え、重労働で多数の死者がでた。全抑留期間の死亡者約6万人のうち約80%がこの時期だったという。この時期に限定された死者データは存在せず、1947年2月20日時点までのソ連及びモンゴルの収容所での死者3万728人に、満州野戦収容所での死者1万5986人を加えると全死亡者6万1855人の75.5%になる。(『シベリア抑留スターリン独裁下の「収容所群島」の実像』富田武著 2016年12月25日)

(12)政治教育

 抑留一年を過ぎた頃から、それぞれの収容所で、民主化運動が始まった。中島さんが、病院に入院した頃から、政治教育が盛んになったという。
  また、帰還前に移動したナホトカの収容所での政治教育は凄まじく、「ソ連共産党史」「唯物史観」を毎晩暗記した。不徹底な人は、強制労働に逆戻りすると信じられていたという。
 「政治教育・反動・吊し上げ」について中島さんの体験談から詳しく伺うことができなかったので、『シベリア抑留スターリン独裁下の「収容所群島」の実像』富田武著(P124~128)を引用する。
  
 日本人捕虜収容所における政治教育は、以下の手順で進められた。
①『日本新聞』が配布され、(1945年9月15日創刊)
②その読書会が「日本新聞友の会」として組織された。(46年5月25日号が呼びかけ)
③そこからアクチブが育成され、講習を受けて民主グループを各分所に創設し(47年春)、
④これを基盤に収容所ごとに反ファシスト委員会が選挙された(48年2‐3月)。(略)

「日本新聞」について、
 1945年9月ハバロフスクで、イワン・コワレンコ内務少佐の指導のもと『日本新聞』が発行された。欄外には「新聞は日本人捕虜のためにソ連で発行される」とロシア語で記され、(略)第1号には、スターリンの対日戦勝利を記念する9月2日の国民へのアピールが掲載された。しかし『日本新聞』は当初、反発した将校らの配布妨害もあってあまり読まれず、多くの回想記が伝えるように、マホルカ(巻きタバコ)の巻き紙や大便用チリ紙になっていた。
 転機は1945‐46年冬、大量の病者と死者を生んだ時期である。兵士が飢えと衰弱のなかで重労働に喘いでいたとき、将校が労働を免除され、給食もまた質量とも兵士以上だった。さらに、兵士を旧軍隊さながらに乱暴に扱っていたこともあり、不満が爆発したのである。(略)まもなく『日本新聞』5月25日に「日本新聞友の会」結成の呼びかけが掲載された。反軍闘争、民主運動を進める母体を輪読会という形で文書ごとに組織したのである。『日本新聞』は徐々に読まれるようになり、分所では壁新聞も作成、掲示された。(略)多くの初等教育の機会にさえ恵まれなかった農村出身兵士にとっては、初めての識字教育の場であり、学びの機会でもあった。(『シベリア抑留スターリン独裁下の「収容所群島」の実像』富田武著中公新書 2016年12月25日)

参考文献
『我が青春の軌跡 絵画集』〝陸軍航空兵科特別幹部候補生第1期生のシベリア抑留記“中島裕著(戦場体験放映保存の会収蔵)
 ※この本は、中島裕さんの手作りの本で、1冊は中島さんご本人が持ち、1冊は戦場体験放映保存の会収蔵である。

句集歌集逍遙 山田耕司句集『不純』高山れおな句集『冬の旅、夏の夢』/佐藤りえ

『不純』は山田耕司の第二句集。装幀は山口晃の挿画を画面いっぱいに使い、そこにピンクの箔文字で題名と著者名があしらわれている。浮世絵のタッチで現在の風俗に江戸~明治などの事物をまぜこぜにして描く、画家の真骨頂ともいえる構図が、この句集にぴたりとはまっている。

それにしても、これほど「裸」という文字が目にとびこんでくる句集は他にないのではないか。実際は「裸」という言葉そのものが詠み込まれた句は数句なのだが、あまりに濃厚なその気配が一集全体を桃色に染め上げている。

眼の球は濡れつつ裸ふきのたう
秋すだれまぶたは割れて目は濡れて

あまた詠み込まれた人体の部位。句に人体を詠み込むということは、人体を新たに参照している、ということでもある。古来より人は星々と人体の照応を試みてみたりなどしてきた。(印刷博物館で「天文学と印刷」を観覧して只今かぶれております)「からだ」を参照し、認識を更新する試みがここでもなされている。眼球はいつもむきだしであること、しかもまぶたという割れた(とじたりひらいたりする)場所からのぞいているということ、こうした事実を言葉でもって赤裸々にしてしまうこと。説明をすればするほどただいけないことを書いているような気がしてきた。

服を着て逢ふほかはなし宵桜

なぜ人は服を着なければならないのか、宗教的、衛生学、犯罪学、羞恥心、公共の概念などを抜きにして真面目に語り仰せるひとはなかなかいないだろう。仕方が無い、服を着ていこう。こんなによい宵桜だというのに。

このレヂと決め長ネギを立てなほす

「からだ関係」外で特に好きな一句。スーパーで会計を待っている景だろうか。どこも同じように混んでいるのだろう、とりあえずこの列に並び続けることを決めた。ネギを「立てなほす」というのが、泣かせる。ちいさな決意の塔として、剣としてそびえるのだ、長ネギは。

焚き火より手が出てをりぬ火に戻す

いわゆる「物の怪」のひとつになるだろうか。火から出ている手を火に戻す。残酷さとやさしさがないまぜになったような描写に思えるのは、簡潔さのせいだろうか。

卵黄は背泳ぎなりや春深空

生卵をなにか平らな場所(バットか、フライパンの中央か)に割り入れた景と思う。卵黄はたしかに中央に浮き上がっていて、卵白はその下と周囲を占めている。卵黄がその中を泳いでいるとは、なんたるあえかな見方だろう。おおっぴらには言わないが、あっちこっちの句からして、全裸を推奨しているとしか思えない、そんな著作のうちに、このような繊細な句がひそんでいることは、かえって不可逆的なことに思えて仕方がない。

以下、好きな句を挙げます。

座布団は全裸に狭しほととぎす
股をくぐれ花の萩野をゆくと思へ
人出づるこの毛皮より湯槽より
跳び箱よ虹は橋ではなかつたよ
春それは麦わらを挿す穴ではない
恋おとろへ柚子に湯舟の広きこと
まんなかに狼を吊る人の秋
冬の日やもの食ふときに箸は濡れ
榾は火を豪雨は街を得たりけり



『冬の旅、夏の夢』は高山れおなの第四句集。Ⅰ部は旅吟からなる。

これがまあコンスタンティノポリスの夕焼なる

コンスタンティノポリスは現在のイスタンブール、かつての東ローマ帝国の首都「コンスタンティノープル」のラテン語名。1453年、オスマン帝国による陥落を迎えるまで一千年以上の長きに渡り栄華を誇る、難攻不落の都市だった。掲句ではイスタンブールの地に立って、その東ローマ帝国の夕景を偲び、かつ一茶の「これがまあ終の住処か雪五尺」の感慨―陥落都市の寂寞と、華やかな江戸を去り、揉め事の待つ郷里に決着する失意―が重ね合わせられている。
このように、旅吟の其処此処に時間と空間を超えた感興が呼び覚まされ、詠み込まれ、眼前の景を借景として、重層的に参照されていくさまが愉しい。

エザーンに鷗(かまめ)たちたつ明易き
  ※イスラムの礼拝の呼びかけをアザーンと云ふ。
   トルコ語にてはエザーンとなる。

早朝の礼拝に鷗をみる図となるが、鳥と「明易き」の取り合わせから落語の「明烏」を彷彿とさせられる一句。支配者、言語、宗教も一様でなく、混濁を経たであろう地の「信じる人」の姿と「明烏」の主人公・時次郎を二重写しに見てしまうのは深読みであろうが、踏み込んでみたくなるものがある。

こうした詠みぶりが誓子の『黄旗』、青邨の『雪国』を参照している、とは著者自身が句集刊行の折に版元の句集紹介で明かしているところである。なるほど、

碧き眼の露西亞乗務員の眼に枯野  誓子『黄旗』
火酒は水かと澄めり氷る夜を
青高粱(あをきび)は夜を朝としぬ展望車  青邨『雪国』
樽前に日は落ちてゆく花野かな

「枯野」を季感としてのみでなく、「文化の挿入」のように呼び寄せる点、屈折しながら格助詞で終わる文体、「夜を朝としぬ」から「夏や春」のような急激に反転する展開の仕方など、照応を見たい点が散見する。
以下、旅吟から好きな句を挙げます。

毛皮着て王いき〳〵と醜けれ「ふらんす物語」
最高の無法の蝶を見しはうつゝ「富士山記」
〈あはれにすごげ〉須磨のガストといふ処「Family Vacation」
宇宙劇寒暮口あけ仰ぎしは「ローマにて」
寺々や殉教(マルチル)〳〵寒夕焼
孵りたる赤さに一の鳥居秋「はるひ、かすがを」
秋冷の起伏を呼べり飛火野と

Ⅱ章は日常詠。以下に好きな句を挙げます。

ルンバはたらく地球は冬で昼の雨
そのこゝろ歌に残りて実朝忌
唐津これ陽炎容るゝうつはもの
ひねもすの春愁のガムみどりいろ
はつなつの皿に映りて生き急ぐ
我が汗の月並臭を好(ハオ)と思ふ
秋のうみゝひらいて皆さまよへり


『不純』(左右社)2018年7月31日刊
『冬の旅、夏の夢』(朔出版)2018年12月7日刊

【「BLOG俳句新空間」100号記念】特集『俳句帖5句選』その11


辻村麻乃
走り梅雨何処かで妖狐に呼ばれたる
パードレのごとき男と夏の山
緊縛の観音転がる夏の果
十六夜の月を待ちたる調律師
冬霧の三ツ鳥居より蜃に会ふ


渡邉美保
野遊びの袋に鍵を探りをり
花冷えの手に渡さるる特急券
明易の蟇掛軸にもどりたる
望の月白鳥橋を渡りけり
燐寸より生まるる火影憂国忌


ふけとしこ
遠く見て睡蓮近づいて睡蓮 (5号)
初夢の肩肘張つて目覚めけり (6号)
囀りの散つてすみずみまで青空 (〃)
龍淵に潜むドローンの墜落す (9号)
夏の月くさかんむりを戦がせて (10号)

【佐藤りえ句集『景色』を読みたい】4 『景色』鑑賞  椿屋実椰

 佐藤りえさんは多才な方だ。豆本作家「文藝豆本ぽっぺん堂」として活躍されている傍ら、短歌もたしなみ、2003年に第一歌集『フラジャイル』を上梓。豆本では一流の仕事をし、歌集では高い評価を受けている。俳句や短歌、詩は10代から書き始めたという。1973年生まれだから現在45歳。俳句の世界では若手の部類に入る。句集『景色』は第一句集だ。

 本句集を読んで、筆者がまず感じたことは、りえさんは見たものすべてを俳句にできる人なのだな、ということだ。

 揚げ物にしてよしアラクニド・バグズ
 春雨や都庁の窓は暗すぎる
 わかつたと叫ぶ警部と探偵と
 乾電池銜へたやうな油照り
 灰皿に画鋲混ざつてゐる良夜

 
一句一句、掘り下げていきたい。

揚げ物にしてよしアラクニド・バグズ
 アラクニド・バグズとは昆虫型宇宙生物のことだそう。辞書で引くと、英語で、アラクニド=蜘蛛型類節足動物(の)。バグ=虫。『スターシップ・トゥルーパーズ』というSF映画に出てくるようだ。
 この句で、「蝗(いなご)捕り」を思い出した。蝗は農家にとっては害虫。大量発生するその蝗を捕獲するのが蝗捕り。その後、佃煮等にして食卓に出される。佃煮の甘い醤油味しかしないから、見た目グロテスクでも案外食べられる。海外でも蝗を素揚にして食べる国があるそう。蝗が食用としてオッケーなら蜘蛛に似ているアラクニドバグズ(昆虫型宇宙生物)も食べていいはず。見た目的には不自然でない。ユニークな感性がひかる句。

春雨や都庁の窓は暗すぎる
 春雨のしずかな休日。都庁も閉庁日で、明りもなく、窓は真っ暗。そんな何気ない情景をきっちり捉えている。休日でなくとも、春雨の日差しのない日には、ビル群に陽が入らず、窓が暗く見える。都庁は、バブル期に巨額の建築費を投入して建設された巨大なビルで、聖書の「バベルの塔」をもじって「バブルの塔」と揶揄されたこともあるようだ。1300万人もの都民を支える基幹となる組織。都庁で働く人々は十数万人もいるらしいが、中でいったいどんな仕事をしているのだろう。
 近年は、様々な問題が解決されないまま、オリンピックの開催に巨費を使うことに、首をかしげる人々も少なくない。
「都庁」を象徴的に考えると、そんな様々な薄ぼんやりした疑問も、この句から湧き上がってくる。

わかつたと叫ぶ警部と探偵と
 往年の角川映画の金田一幸助シリーズ。劇中、等々力警部役の俳優、加藤武が「よし、わかった!」と、十八番のように言うシーンが、ほぼ全シリーズに一回は出てくる。CMでもこのセリフはパロディで使われていたほど。季語がない句であるが、昭和の郷愁を誘う。映画ファンにはうれしい一句であることだろう。

乾電池銜へたやうな油照り
 「油照り」は、薄曇りで風すらなく、薄日がじっとり照り付けるような天気のこと。ぬめり気のある脂汗が肌にまとわりついて心地悪い。「乾電池銜へたやうな」で、そんな油照りの肌感覚を上手く喩えた。

灰皿に画鋲混ざつてゐる良夜
 なぜこんなものが? というような変なモノが灰皿に捨ててあることがある。画鋲というのはシュールだが、確かにありそうな光景。良夜と錆びかけた画鋲が詩的。

 上記のように、句の題材が幅広く、偏りがない。句のつくり一句一句をみても、変化に富んでいる。同じ季語や同じ言葉を何度も使っていないことからも、読み手に対する配慮を感じる。一句の完成度はもちろん、一冊の本、という全体でみても、飽きない。ここはやはり作者の豆本作家としての美意識がなせる業なのだろうか。

 豆本づくりはおそらく相当の繊細さが必要だと思う。小さな本をきれいに作るには、1ミリ単位の誤差が完成度に大きく影響する。りえさんのホームページの豆本作品を見ると、その細やかな仕事ぶりがうかがえる。星形のオブジェを閉じると一冊の豆本になる作品は、とても見事。ちゃんと中に文字も書いてあって、本として読めるようだ。豆本作家としてのそんなデリケートな感性が、下記の句にも現れている。

 ランドリータグにコートの替へ釦
 太陽でいつぱいだつた髪洗ふ
 しはぶいてあたまの穴のひろがりぬ
 火をつけるまへのまなこのさゆらぎよ

ランドリータグにコートの替へ釦
 日常的によく見かけているのに意識せず見逃している光景を、切り取っている。この替え釦は大きくて重たそう。この句で、釦の重さで千切れそうになっているコートのタグを思い浮かべた。細やかなところまで気を利かせていないと出来ない句であろう。

太陽でいつぱいだつた髪洗ふ
 昼の夏の日ざしを燦々と浴びた髪を洗いながら、今日という一日を反芻。この日はきっと楽しかったのに違いない。

しはぶいてあたまの穴のひろがりぬ
 くしゃみをした後の、しばらく頭がしびれるような感覚。なかなかうまく言えない感覚を的確に言語化。

火をつけるまへのまなこのさゆらぎよ
 火をマッチやライターでつける前には、集中して手元を見るのではないだろうか。その時の黒目の揺らぎを自分でも感じている。あるいは、火をつければ炎が揺れることが経験でわかっているので、行動の前に炎の揺れを感覚で思い出しているのだろうか。いずれにせよ、とても繊細な句。目は不思議な器官で、光や運動の残像効果が起きたりする。脳と網膜の関係はどうなっているのだろう。「まなこのさゆらぎ」の表現が冴えている。
 
下記、好きな句をあげる。

盗賊A盗賊Bと風下へ
 映画や舞台などのワンシーンであろうか。悪党面の役者たちが目に見えるようだ。盗賊A、Bの記号の表記で実際の出来事ではないとわかる。

ロシア帽みたいな鬱をかむつてる
 ロシア帽、の比喩が簡明。ロシアの厳寒さ並みの鬱。この鬱は手ごわそう…。

去年より大きな熊手売つてない
 それは困った。一番小さいのからまた始めなくては!

ひよこ固まりぼうろのやうに揺れてゐる 
 子どもの頃によく食べた、たまごボーロというおやつ。丸くて小さいので、袋の中やお茶うけの中で転がる。ひよこのあたたかみのある丸さと、このおやつを合わせたのは凄い。この句を読む瞬間まで、このおやつの存在をすっかり忘れていた。心なしかかわいいひよこたちもおいしそうに見えてくる。

生存に許可が要る気がする五月
 五月の季感や本意を捉えて、素直に気持ちを詠った。

蛇衣を脱いで二重に整形す
 風刺のある句。新宿や渋谷の整形外科付近にはこういう句の人がよく歩いている…。

 どの句もユニークな感性が光っている。他にも取り上げたい句がたくさんあるが、わたしのつたない鑑賞文を読むよりは、ぜひ本句集を手に取って、実際にお読みいただいたほうが話が早いので、この辺で失礼させていただく。
最後に。装丁が大変綺麗である。カバーを見て、旅先のローカル線の窓に流れていく景色を見ているような感覚になった。素敵な句集だ。

2019年2月8日金曜日

第107号

※次回更新 2/22

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不純な旅の夢
2019/2/23 於:B&B(下北沢)
http://bookandbeer.com/event/20190223-2/



特集・大本義幸追悼「俳句新空間全句集」

筑紫磐井編        》読む

【100号記念】特集『俳句帖五句選』

その1(飯田冬眞・浅沼璞・内村恭子)》読む
その2(神谷波・五島高資・小沢麻結)》読む
その3(坂間恒子・岸本尚毅・加藤知子)》読む
その4(木村オサム・近江文代・曾根毅)》読む
その5(田中葉月・北川美美)》読む
その6(小野裕三・ 西村麒麟・ 田中葉月・ 渕上信子)》読む
その7(五島高資・ 水岩瞳・ 仙田洋子・ 松下カロ)》読む
その8(青木百舌鳥・花尻万博・椿屋実梛・真矢ひろみ)》読む
その9(下坂速穂・岬光世・依光正樹・依光陽子)》読む
その10(前北かおる・林雅樹・望月士郎・山本敏倖)》読む

■平成俳句帖(毎金曜日更新)  》読む

冬興帖
第四(2/1)望月士郎・前北かおる・小野裕三・仲寒蟬・田中葉月
第五(2/8)下坂速穂・岬光世・依光正樹・依光陽子・渕上信子

■連載

寒極光・虜囚の詠~シベリア抑留体験者の俳句を読む~⑤ のどか  》読む

葉月第1句集『子音』を読みたい 
4 田中葉月句集「子音(しおん)」/矢田わかな  》読む

麻乃第2句集『るん』を読みたい
インデックスページ    》読む
9 辻村麻乃句集『るん』の世界「星の王子さまなんていない」/市堀玉宗  》読む

佐藤りえ第1句集『景色』を読みたい 
3 ないものが見えたりする/嶋田さくらこ  》読む

大井恒行の日々彼是 随時更新中!  》読む

句集歌集逍遙  『兜太 TOTA』vol.1/佐藤りえ  》読む


■Recent entries

「兜太と未来俳句のための研究フォーラム」アルバム

※壇上全体・会場風景写真を追加しました(12/28)


【抜粋】〈「俳句四季」2月号〉
俳壇観測193  高齢は俳句でこそ生きる/筑紫磐井  》読む

眠兎第1句集『御意』を読みたい
インデックスページ    》読む

麒麟第2句集『鴨』を読みたい
インデックスページ    》読む
10.『鴨』――その付合的注釈   浅沼 璞  》読む

前衛から見た子規の覚書/筑紫磐井
インデックスページ    》読む

「WEP俳句通信」 抜粋記事  》見てみる

およそ日刊俳句新空間  》読む
…(今までの執筆者)竹岡一郎・青山茂根・今泉礼奈・佐藤りえ・依光陽子・黒岩徳将・仮屋賢一・北川美美・大塚凱・宮﨑莉々香・柳本々々・渡邉美保 …
1月の執筆者 (渡邉美保

俳句新空間を読む  》読む
…(主な執筆者)小野裕三・もてきまり・大塚凱・網野月を・前北かおる・東影喜子






豈61号 発売中!購入は邑書林まで

—筑紫磐井最新編著—
虚子は戦後俳句をどう読んだか
埋もれていた「玉藻」研究座談会
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ISBN 978-4-88032-447-0 ¥2700
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「兜太 TOTA」創刊号
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【麻乃第2句集『るん』を読みたい】9 辻村麻乃句集『るん』の世界 星の王子さまなんていない  市堀玉宗

 鰯雲何も赦されてはをらぬ 麻乃

 ここにある神との対話はいったい何者の眼差しであろうかと、気になる一句を
巻頭に事上げしたい。
 氏とはもっぱらこの数年来、フェースブック上で「いいね」のやり取りをしている仲である。お互いに生の実物にま見えたこともないのだが、今回の句集鑑賞に限っても、俳人は俳句でその人を知るのが正道であろうと高を括っている。「人」というより正確には「人柄、息遣い、誠」と言いたい。

 作者が詩人の父と俳人の母を持つ不思議な世界からやってきた少女の如きさながらであるという序文に指摘した筑紫氏の文脈は美しく興味をそそられるものではあるが、さて、それが作者自身にとって如何ほどの後押しになるかは誰も分からない。注目される舞台に否が応でも踊り続ける対象。それが麻乃氏の宿命なのかもしれないが、そのような人間へ興味本位の眼差しに終始するつもりなど私にはさらさらない。詩人の血が受け継がれていることもまた紛れもない事であろうし、そのような謂わばよくも悪しくも「選ばれたような存在」に対する関心がないこともない。それは殆ど「哀れさ」と双子のようなものでさえある。
 人は愛され過ぎても不安なものだし、本人のためにもならないことがある。いうまでもなく俳句作者は作品を通して作品自体も作者当人も評価されるべきで本物の俳人とはそれを望んでいると思いたい。

 気を付けの姿勢で金魚釣られけり 麻乃
 ナナフシの次に置く手に迷ひたり


 すでに第一句集にみられる氏の写生への傾斜。そこには父から受け継いだ詩人の叙情ではなく、何故か母性の芯に通うリアリストの眼差しが散見され、私にはそんな氏の幾分俯き加減なリアリストの眼差しの方が大いに気になる。どこで誰に学んだのか、写生力がある。写実への好奇心がある。なればこそ、ときに巻頭句のような作品に胸を打たれ、刮目されるのである。信頼できるのである。氏はありのままの自分を愛してほしいと言ってるかのようである。ありのままでいたいと言ってるかのようである。
 さて、ありのままとは何か。氏にはそれがまだ疑心暗鬼なのかもしれない。赦されていないと感じる人間の、誠実さ、批判精神がある。それこそが詩人の父から受け継いだ「光るもの」かもしれないと勝手に思ったりもする。

 人とゐて人と進みて初詣 麻乃

 さて、氏はロックの世界にも足を踏み入れ興味をそそられているようだが、内に秘めるロックなものとはなんだろうか。ロックの何たるかを知らないままに、外見から想像するのだが、それはコアなもの。飾らないもの。私的に言えば「ありのまま」への憧れではなかろうかと田舎のおじさんにして僧たる私は妄想したりする。

 そこにあるのはリアリストの衝動だろうか。そうではなかろう。あの芸術は爆発だみたいな表現の低意には、リアリストとは一見対照的なロマンチストの面目が躍如しているのではないのかと思ったりする。リアリストとロマンチスト。それは相反するものではない。いのちの表裏、正負、ダイナモみたいなものだ。人はだれもがそのようなナルシストではないかな。その矛盾力こそが生きて行く力、潤滑油そのものといっても過言ではなかろう。理屈では割り切れないものを内に秘めて人はこの世に生まれ落ち、生き、死んでいく。詩人とは言葉の向こうの光り、暗黒を覗こうとするもののことだ。謎解きに見せられたナルシスト。それは命懸けであるがゆえに、人には伺い知れない喜悦と不安を わが宿命としていかなければなるまい。太宰治は「選ばれてあることの恍惚と不安」と言ったが、「群衆の中にいることの恍惚と不安」というのが本当ではないかな。掲句にはそんな人間の慎ましさがあるじゃないか。

 花篝向かうの街で母が泣く 麻乃

 母は何故泣いているのだろう。詩人の父がいないからだろうか。氏もまた泣いているに違いない。星の王子様なんていないことは知っている。父はただ父であったのであり、その愛は無償という現実であったのであり、それを失くしたことへの不安、虚ろさからの響きがある。詩人への愛を母子で共有しているのだ。
リアリストにならざるを得ない夢のような現実。だからこそ星に憧れるといった衝動。それこそが氏の俳諧の誠ではないかな。ロックなるものではないかな。そうあってほしいな。

 さて、そんな表現の彼岸へ越える脚力が氏にあるかどうか。骨太な精神あるかどうか。一誌の主宰としての力量があることは言うまでもないが、リアリストにしてロマンを捨てきれない一定型詩人としての氏の大成を願って已まない。合掌。

【葉月第1句集『子音』を読みたい】4 田中葉月句集「子音(しおん)」  矢田わかな


 「子音」がふらんす堂第一句集シリーズ/1として出版された。一ページ四句のペーパーバックと手軽ながら裏表紙には顔写真がしっかりと入って、センスのよさが光る装丁。
 序文で秦夕美氏が句集名「子音」について、掘り下げた考察をされている。
 ところで、田中葉月さんと私は俳句のはじめの一歩から今日まで、同じ年月を経てきた間柄だ。ある生涯学習センターのサテライト組織でいくつかの自主講座作りをすすめていた時、面識もさしてない秦氏に「俳句講座」を打診した。「句歴は長いが人に教えたことも、教える気もない」とのことだったけれど、幸いにも俳句の一歩からの句会を引き受けてくださり六年ほど続いた。葉月さんは当初から俳句への情熱が際立っていた。その後私どもは別の句会に移り、改めて一歩からの九州俳句作家協会会員に、続いて葉月さんは「豈」同人となり現代俳句の王道を足早に進んでいる。

 さつきですめいですおたまじゃくしです
 真珠色の声のころがる花はちす
 南瓜煮るふつつかものにございます


 葉月さんの俳句は明るい。自身が営々と築きあげた、幸せな家庭環境からにじみ出る明晰な底力。諦観や抒情を詠んでも明るい方へ落ち着くのは多分無意識なのだろう。

 もう一度だつこしてパパ桜貝
 とりあへずグッドデザイン賞天道虫
 この辺り鳥獣戯画のクリスマス
 草紅葉甘えのベクトル持て余し
 ゴスペルや水底の冬浮いてくる


 225句のうち57句にカタカナ表記がある。カナ文字の風通しの良さ、発音から連想する異国への憧憬、読む者は二つの言語の意味あいに遊ぶ。句集名にもこれが活用されており、秦氏は序文でそれを、「しおん」と詠めば、シオンはエルサレムそのものでありまた聖地、ノートルダム寺院の地などいくつもの地名につながると解説している。

 葱白し七つの大罪ほぼ犯し
 鍵穴を無数の蝶の飛び立ちぬ
 ひそひそと夜ごと鞄に月明かり


 言葉からことばへのリンクが多方面でそこから詩を結実させる感性。飛ばし方は遠く近く融通無碍である。理屈より感性を信じて句作の拠りどころとしている。

 啓蟄やゆるり起き出す兵馬俑


 八千体といわれる兵馬俑が中国の大地を一斉に行進。AIの世界、動く世界遺産。

 銃口は風の隙間に鶏頭花

 人間は残虐さを奥深く閉じ込めている生き物なのだろう。戦場ではその重い扉を開ける。鶏頭花は訓練に丁度良いターゲットか。

 その風に抱かれてみたい仏手柑

 仏手柑の幹には棘があり果実の下端は裂けているらしい。近寄りがたい形相の故に仏の手。ならば誰もが抱かれてみたい。

 八月をぽろぽろ零す缶ドロップ

野坂昭如原作、高畠勲監督の「火垂るの墓」を彩る缶入りドロップ。幾ばくの経験もしないままに命が消える幼子のまっすぐな瞳が甦り平和の尊さをまたかみしめる。

【佐藤りえ句集『景色』を読みたい】3 ないものが見えたりする  嶋田さくらこ

 わたしはどの本に出会っても、必ず後ろから読む。「後ろ」は「あとがき」だったり、「解説」だったりする。佐藤りえさんの句集『景色』も例に漏れず「あとがき」から読んだ。そしてびっくりした。この句集には2003年以降の作品が納められていると書いてある。わたしにとって佐藤りえさんは「歌人」だったのに、いつのまに俳句を?!という気持ち…調べたらりえさんの歌集『フラジャイル』は2003年に刊行されている。りえさんは歌集を出した後俳句に心変わりしちゃったのか…なんて思って次のページをめくると、作者紹介のところには十代から独学で俳句を始められたとか…じゃあ短歌が後からだったんだ!とまた驚いて、やっとりえさんの句を読む準備が整った。俳句の読み方も何もあったもんじゃないんだけど、好きな句をあげて何か言いたい。

  かぎろひに拾ふ人魚の瓦版  「犬を渡す」
  溶けてきて飲み物となるくらげかな  「七人の妹たちへ」
  バスに乗るイソギンチャクのよい睡り  「バスに乗る」

 夜明けは海の底にいるみたいに感じるし、ガラスのコップの中の液体はふいにとろんとして漂いはじめ、バスの揺れはゆったりとした海流のように心地いい…もしかするとりえさんは海の生き物の生まれ変わりなんじゃないか。だから、日常の中に突然こういう感じが見えてしまう。

  踵から脳を漏らしてひるさがり  「バスに乗る」

 これはね、これはすごいものが見えてる…脳が足元から漏れてくるなんて…たいへん!!でもこののんびりした感じ。「あ、漏れてるわ―」ってじーっと地面を見ている。
 わたしは短歌をよく作るので俳句を読むとどうしても短歌と比べてしまうんだけど、極端に言うと、短歌は妄想、俳句は錯覚、短歌には思う長さがあり、俳句には感じる短さしかない。「感じる」という瞬発力が重要で、その時その一瞬でりえさんが確かに「見えた」ものを言語化する時、その景色が現実から遠ざかっていようと読者にはそこにある真実として届けられる。

 食べ物が出てくる句に好きなものが多かった。

 コッペパンになづむ一日や春の雪  「地球惑星」
 アイシングクッキー天竺までの地図  「地球惑星」
 ミルクティーミルクプリンに混ぜて夏  「怪雨」
 ひとりだけ餅食べてゐるクリスマス  「雲を飼ふやうに」
 洗はれるチーズの気持ちになつてみる  「団栗交換日記」
 エクレアをよつてたかつて割る話  「麝香」

 食べ物をどう扱うかって、その人の美学やかわいさがすごくよく出ると思っていて、りえさんにかかると、あの茶色いずんぐりむっくりのコッペパンはこんなにも美しく輝く食べ物になってしまう。「天竺」ってあれですよ、孫悟空が三蔵法師と目指すユートピアですよ。アイシングクッキーに地図が!?そうそう、お餅好きはケーキよりお餅。ひとりでもお餅。みんなケーキを食べている世界にいて、ひとりだけ餅を食べる自分。おのれを貫くということはこういうことだ。

 句集の最後の連作の、

 愛情に圏外あつて花筏  「ハッピー・エヴァー・アフター」
 その後の幸福という花疲れ  「ハッピー・エヴァー・アフター」

 この二句を読んで、りえさんの歌集『フラジャイル』の有名な短歌を思い出した。

 キラキラに撃たれてやばい 終電で美しが丘に帰れなくなる  『フラジャイル』

『フラジャイル』の刊行から15年たって、「キラキラに撃たれ」た後の物語を思う。「愛情に圏外」があると知るまでの、その時間の流れを思う。「幸福」が永遠でないことを、人は学んでいく。

 俳句と短歌は作るのに使う筋肉が違う、ってうまいこと言っていた人がいたけれど、りえさんは二つの筋肉をこんなにも使いこなしておられる。実はわたしも短歌を始めたころに同時に俳句も作っていた。でも全然うまくいかなくてやめてしまった。りえさんの短歌が好きだったので、第二歌集が読める方がうれしいと思っていたのに、『景色』を読み終えるとそんな気持ちは一切なくなった。この句集が読めて本当にうれしい。
 わたしにとって、りえさんのもう一つの顔は、とても小さくて美しい本や小箱を作る作家さん。そして異様に紙に詳しい。この句集の装幀もきっとマニアックに凝っているに違いない。詳しいのはお仕事の関係なのかな?と推測したりしているんだけど、本当のところはいつかご本人にゆっくりお話を聞いてみたい。

寒極光・虜囚の詠~シベリア抑留体験者の俳句を読む~⑤ のどか


Ⅲシベリア抑留語り部の体験談(2)

(6)極寒 
  中島さんの体験では、マイナス40~45度になると、水分のあるものはみ
な凍り、呼吸による水分で眉毛や口髭が凍り、さらに寒くなると顎が凍って話ができなくなる。
 素手で金属に触ると瞬間接着剤のようにとれなくなり、無理に剥すと皮膚が剥がれてしまうので、火で温めてゆっくり剥さなければならなかった。
 「戦争体験放映保存の会」主催の“戦争体験者と出会える茶話会”の中島さんのパネル資料「7」より補足する。

 マイナス40度までは、作業に駆り出された。焚火をしても冷たい空気を吸い上げるだけでなかなか暖かくならない。帽子のひさしから氷柱が下がり、口を覆った手拭いや眉毛や髭面には、氷が張って顔が真っ白になり、栄養失調で明日をも知れぬ体は、今にも根気が尽きそうで、「頑張れ。日本に帰るまでは」

 抑留生活を悩ませたことの一つに、冬の便所があった。便所は、穴を掘ってその上に板を二本渡したものである。冬には尿はすぐに凍り、氷柱となり危険なので、身体検査で三級になった者が、足掛けの板を全部剥し、十字鍬とシャベルで掘り返し外にモッコで捨てに行く。氷の破片が服に飛び散り、後で溶けると猛烈に臭った。

(7)食事と飢え
 シベリア抑留の三重苦は、「極寒」・「飢え」・「重労働」であると言われる。
『シベリア抑留‐スターリン独裁下「収容所群島」の実像』富田武著の「劣悪な食事と食料対策」P.112∼113によると、

 ソ連の食料事情は、大戦による破壊、1946-47年冬の欧州部を中心とする飢饉のために非常に悪く、配給制が大戦時から1947年まで継続していた。捕虜に対する給食は、捕虜受け入れ態勢未整理のため、将兵が携行した食料、戦利品として満州から搬入した食料に頼らざるを得なかった。
 「日本人捕虜に対する食料給付基準」(1945年9月)によれば、一級(重労働向き)にランクされる捕虜は、一日にパン300グラム、米300グラム、肉50グラム、魚100グラム、野菜600グラム、味噌30グラムと定められた。(略)しかし、米や味噌は将兵が携行した食料と戦利品として満州から搬入した食料にしかなく、短時間で消費され、大多数の捕虜は、その後、味噌はむろん米を口にすることはなかった。(『シベリア抑留‐スターリン独裁下「収容所群島」の実像』富田武著 中公新書 2016年12月25日)

    
 中島さんの体験では1日に、一個当たり3キログラムの黒パンを20人で分配するので、一人当たり150グラム(はがきの縦半分)と飯盒の蓋八分目の塩スープで、まだ熟さない青く小さなトマトが入っていたという。
筆者が計量した6枚切り食パン一枚は、約65グラム。黒パンとは質量が違うが、重さは現代の6枚切り食パンで2枚強に相当する。
 食事の配給量について、『シベリア抑留‐未完の悲劇』栗原俊雄著の抑留者の食事についてP.48~49を参照してみる。

 1945年初冬。軽野相之助(かるのあいのすけ)(1925年生まれ・京都市)は、極東ロシア、コムソモリスク・ナ・アレーム(以下「コムソモリスク」)の造船所で働かされていた。零下30度もの寒さである。本来なら体の内部でエネルギーを燃やさなければならない。しかし収容所で1日に支給されるのは、こぶしより小さい黒パン一個と、のぞき込んだ目玉が映るほど薄いスープのみ。カエルをつかまえ、ドックに浮かぶ死んだ魚をすくって食べた。残飯をあさっていた猫をつかまえて食べたこともある。
   (『シベリア抑留‐未完の悲劇』栗原俊雄著 岩波新書 2016年2月5日)


 食料は、ノルマによる労働の階級で分けられるグループが多い中、中島さんのグループでは、炊事場から受け取った黒パンを人数分に切り分ける。正確に切ったつもりでも多少の大小が喧嘩のもとになる。分配係は、宿舎全員の監視の中、欠片やパン屑を乗せて調整し、全員が後ろを向いて、指名された者の指定したパンを始めとして、順番に平等に分けられた。
 中島さんは、厳冬期にはもっぱら松の皮のガサガサを剥いで、中の芯と皮の間の薄皮を、夏は雑草を煮て食べる。特に茸の生える時期には、毒茸の知識はないが構わず何でも煮て食べた。
 昭和21年の1月頃から死者が毎日のように出るようになった。中島さんの隣に座り飯盒を抱え食事をしていた仲間が、突然声もなく動きを止めた。声をかけたが返事がなく肩に手をかけ揺さぶると倒れた。死因は栄養失調。同じ物を食い同じ仕事をしていたという。

(8)身体検査と労働等級
 中島さんの「我が青春の軌跡 絵画集」によると、

 身体検査 2、3か月に一度、ラーゲリ内の医務室においてソ連軍医が行った。(女軍医)尻の肉を握りこぶしの人差し指と中指で摘み引っ張りひねる。健常者は離すと直ぐに戻り平らになるが、栄養失調者はなかなか戻らない。戻り具合で1級から全く戻らない6級まで等級をつけ,1~2級は重労働、3級は野外軽作業、4級はオカと言いラーゲリ内の軽作業、5~6級は病人として病院へ送られる。
『我が青春の軌跡 絵画集』中島裕著(戦場体験放映保存の会収蔵)


 中島さんは、検査の度に2級~4級のオカ間を繰り返したので、伐採・自動車積載・医務室勤務・衛兵宿舎当番・軽便鉄道の資材運搬・煉瓦工場・コルホーズの事務・便所当番・死者の埋葬等を体験したという。

参考文献
『我が青春の軌跡 絵画集』“陸軍航空兵科特別幹部候補生第1期生のシベリア抑留記
中島裕著(戦場体験放映保存の会収蔵)

 ※この本は、中島裕さんの手作りの本で、1冊は中島さんご本人が持ち、1冊は戦場体験放映保存の会収蔵である。

【「BLOG俳句新空間」100号記念】特集『俳句帖5句選』その10


望月士郎
風船もってみんな並んで面影へ
花過のひと日卵を割る仕事
髪洗う闇に潜水艦浮上
はんざきの半分貰ってくれという
銀漢や少女回転体となる


山本敏倖
昼寝は甘酢甘酢らしくする
十一月の手品師はさばんな
一片の春の雪にもある重さ
水中花事実の本籍見ています
紙飛行機の年末はうしろからピカソ


林雅樹
憧れの俳人宅や輪飾盗る
雪解の原に童貞処女乱舞
夢遊病者新樹に呼ばれ木戸を出づ
柵はみ出て揺るゝ一葉や紅葉せる
枯園の見えて鉄扉の半開き


前北かおる(夏潮)
雲の影取り払はれて夏野かな
草の青俄かに濃ゆし犬ふぐり
一堂に再び会し卒業す
朝蟬やよろしくぬるき露天風呂
遠足や空を仰ぐに芝に寝て