80.父はひとり麓の水に湯をうめる
この句の「水に湯をうめる」の「に」の用法に馴染みがなく、解せなかった。この句の行為が二通りになる可能性を孕む「に」である。
A 湯の入っている容器に水を加え湯をうめる
B 麓の水(例えば川のような流れる水)に湯を運び、湯をまさしく埋める(埋め込む)
Aは手段としての「に」。Aは全うだが、Bは、無意味ともいえる行為だ。しかし『眞神』の世界観ともいえる彼の世とこの世の間を流れる視点を考えるならば、Bの水に湯を埋め込むという行為がふさわしいように思えるのだ。
Bは場所、作用の目的としての「に」。
実は敏雄の『眞神』『鷓鴣』の辺りにはこの助詞の「に」の使用が多数ある。『眞神』で以下の30句である。梅に鶯、にーにー(沖縄方言のお兄さん)がいっぱいというところである。この「に」をどう解するかで読みに混乱が起こることを見据えているように思える。
家枯れて北へ傾ぐを如何にせむ
雪国に雪よみがへり急ぎ降る
玉霰ふたつならびにふゆるなり
蒼白き蝉の子を掘りあてにける
草刈に杉苗刈られ薫るなり
蛇捕の脇みちに入る頭かな
己が尾を見てもどる鯉寒に入る
日にいちど入る日は沈み信天翁
行雁や港港に天地ありき
共色の青山草に放(ひ)る子種
夕より白き捨蚕を飼ひにける
あまたたび絹繭あまた死にゆけり
さかしまにとまる蝉なし天動く
油屋にむかしの油買ひにゆく
水待ちの村のつぶては村に落ち
朝ぐもり昔は家に火種ひとつ
身のうちに水飯濁る旱かな
裏山に秋の黄の繭かかりそむ
みなかみに夜増しの氷そばだてる
半月(はにわり)や産み怺へ死に怺へつつ
父はひとり麓の水に湯をうめる
目かくしの木にまつさをな春の鳥
天地や揚羽に乗つていま荒男
山は雪手足をつかぬみどり児に
めし椀のふち嶮しけれ野辺にいくつ
ははそはの母に歯はなく桃の花
さし湯して永久(とは)に父なる肉醤
とこしへにあたまやさしく流るる子たち
少年老い諸手ざはりに夜の父
野に蒼き痺草あり擦りゆけり
喉長き夏や褌をともになし
霞まねば水に穴あく鯉の口
鈴に入る玉こそよけれ春のくれ
横浜の方に在る日や黄水仙
手を筒にして寂しければ海のほとり
水の江に催す水子逆映り
孤つ家に入るながむしのうしろすがた
さらに、「父はひとり」の「は」を用いることで話が展開する。
腿高きグレコは女白き雷
グレコを強調した「は」と同様で「父は」と用いることで、父を強調しているのである。「おじいさんは山へ芝刈に、おばあさんは川へ洗濯に行きました。」をなぞれば、父はひとりだが、母はひとりではなかったように読める。
全うなAの読みであったとしても、この父は何をするために湯をうめているのか。例えば、風呂、体を浄めるための湯が考えられる。風呂に入ってリラックスするのではなく、誰かのために湯をうめている。例えば、人の身体を拭くためのものかもしれない。産湯だろうか。
産湯としての湯にしては、希望に満ちた父ではなく、この父の存在は途方に暮れるほど心細い。どこかそれは敏雄自身を映しているような孤独で悲しい姿であるとともに何かに執着している姿とも思える。
Bの読みが『眞神』の世界観であり、三途の川に湯を埋め込む行為としても、川は温くはならない。温くしたいという気持ちだけの無意味な行為、途方に暮れる行為なのである。
六句目の「晩鴉撒きちらす父なる杭ひとつ」の父の姿と間違いなく重複する。父であろう杭が、大地の男根そのもの、あるいは人柱のように打込まれている。
上掲句のこの途方に暮れてる父の姿は、『方丈記』の鴨長明の人物像とも重なる。
いづれの所をしめて、いかなるわざをしてか、しばしもこの身をやどし、たまゆらも心をやすむべき。
(結局、この世には、心休まるところはどこにもない。どんな仕事をして、どのように生きても、ほんの一瞬も、この社会では心安らかに暮らすことができない。 小林一彦訳)
鴨長明の『方丈記』が「つぶやき」「ぼやき」の「自分史」ととらえる見方もあるように、もしかしたら『眞神』も敏雄の「つぶやき」「ぼやき」の「自分史」であるかのようにみえてくる。そのように見せかけているのが『眞神』の罠なのだ。
芸術的感覚とともに熟練度も達せられ、高度成長期の日本がどこか無常の世にみえたこと、書くのであれば今しかない、というモチベーションがこの『眞神』(そして同時期の『鷓鴣』ともに)が生まれたということには間違いないだろう。
そして鴨長明が歌への執着を捨てなかったのと同じく、敏雄の描く父の執着は実は、敏雄自身の俳句への執着、家族との別離というようにも読める。ひとり無意味と思える行動をとることこそが人であることの証であることを詠んでいるように思えるのである。
81.冬日づたひ産れ髪して丘づたひ
前句の湯をうめる行為が産湯の可能性を秘めていることを想った。ここに「産れ髪」が出て来る。「産れ髪して」という身体感覚表現が、産髪(うぶがみ)のようなやわらかい感触を想像し、生まれたままの産(うぶ)な心を言いあらわしているようにとれる。しかし「して」とあるその対象が、作者自身なのか、作者とは別の例えば胎児のことなのかが微妙なところである。
土は土に隠れて深し冬日向 『しだらでん』冬日の捉え方は、どこか神を想像するようなありがたい光であることを想う。冬の日を光の線として考えれば、そのひかりの道筋に導かれて生きているような気になる。冬日とは、いい言葉だと思う。
それに対しての「丘」というのは、現実世界のことのようにも思える。彼の世とこの世を産ぶ髪を持つ例えば胎児が見えない臍の緒で結ばれているような感覚を覚える。
冬の一日は短い。赤ん坊が丘づたいに登って行くには時間がかかり過ぎる。しかし、冬日を伝っていけば、いつかは春灯に繋がるという考えもある。ライフサイクルを青春・朱夏・白秋・玄冬とするならば、玄冬は、新たな四季、人生の巡りの準備をする季節という考えもある。ややこしく想像を巡らせるばかりなり。
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