2023年12月23日土曜日

クリスマスを読む  佐藤りえ

 1.歳時記の「クリスマス」を読む

クリスマスは俳句においてどのように受容、詠まれてきたのか。とりあえずうちにある一番古い歳時記「俳諧歳時記」(改造社)冬の部を見る。分類は「宗教」。明治神宮祭宇賀祭出雲大社新嘗祭などと同じ分類になっている。ちなみに神の留守酉の市達磨忌柊挿すも「宗教」の部に入っている。昭和22年発行の本なので、すでに姿を消してしまった祭事もあるのかもしれないが、それにしても見たことも聞いたことも無い祭の名前が盛大に並ぶ。

たとえば「どやどや祭」。大阪四天王寺で1月14日に行われるのだそう。

空つ風に齒を喰ひしばりながら、締込み一貫の壮漢数百名が紅白に分かれスクラムを組んで壮烈な肉弾戦を演じ、六時禮講堂に飾られた午王の護符を奪ひ合うのである。(中略)この護符は穀物の害蟲除けといはれてゐる。(引用一部漢字は新字とした)

この祭りは現在も続いていて、一般的な呼称は「どやどや」になっているらしい。

ほかに「大原雑魚寝」は京都・大原の江文神社で昔あった行事で、古事にならって節分の夜、神社の拝殿に夜参籠通夜したこと、とか。防犯上の事情などもあり、現在は行われていない。

前置きが長くなった。クリスマスの例句は13、解説はその発祥と伝来の解釈、感想、といった趣だ。

(前略)キリストの生地パレスチナの十二月は雨季の最中で、羊が野外にある事はない筈であるから季節違ひであるけれども、五世紀の頃から異教の風習がとけ込んで、此の日をキリスト降誕節として守るやうになつたといふことである。

傍題は降誕祭・クリスマス・トリー・聖樹。引用文の後サンタクロースが聖ニコラウスを「なまり伝えた」と記す。末尾にそれぞれの例句を一句引く。

 雪かかり星かゞやける聖樹かな 青邨


虚子編「新歳時記 増訂版」(三省堂)は昭和26年の改訂とのことで、少し内容が進行(?)している。この集は月別の掲載で分類がない。掲載位置としては人事っぽい。例句は6句、傍題は降誕祭、聖誕節

(前略)クリスマス・ツリーが飾られ、又各百貨店等ではクリスマス贈答品を売り、家庭でも子供達へサンタ・クロースの伝説に因んだ贈物をしたりする。

宗教的な行事から家庭行事、社会行事へじわっと拡大移行しているのが感じられるような記述だ。

 雪道や降誕祭の窓明り 久女


合本俳句歳時記 新版」(角川書店)は昭和49年発行。分類は行事。傍題は降誕祭・聖誕節・聖樹・聖菓。例句は20句と大幅に増えている。三省堂の新歳時記はコンパクトなので勝手が違うとはいえ、この割合増は季語として人気が出ていたことの証左ともいえるのか。

前夜をクリスマス・イブ(または聖夜)といって、子供たちはサンタ・クロースの贈物を入れる靴下を、ベッドの脚につるして寝る。(中略)贈りものやクリスマス・カードの贈答、家庭ではクリスマス・ツリーを飾る。これを聖樹という。(中略)異教徒の日本人も、大騒ぎをし、デパートや商店、カフェ、キャバレーなども聖樹を飾る。

プレゼントを入れる靴下についての記述が見える。「大騒ぎ」の語句によってワイワイやることが普通なのだ、と実感される。クリスマスイブのことが特に解説されているのも特徴的だ。ツリーが装飾として本格的に商業化し、どこに飾ってあっても違和感がなくなりだしたのもこの頃だろうか。

 美容室せまくてクリスマスツリー 下田実花


カラー図説 日本大歳時記」(講談社)は昭和56年発行。分類は行事で、仲冬とされている。傍題はキリスト降誕祭・降誕祭・聖誕祭・聖樹・クリスマスイヴ・聖夜・聖夜劇・クリスマスカード・クリスマスキャロル・聖菓・御降誕節。例句は41。大歳時記なのでさすがに多い。

(前略)季語も定着しつつあるように、信者で無い人達の間にもその習慣は一般的となり、子供達にとっては、プレゼントを貰える日、クリスマスケーキが食べられる日と化してしまった感じがある。

この解説ではさらに出島ではオランダ冬至と呼ばれていた、などの記述もある。別個に聖胎節・待降節・聖ザビエルの日・聖ヨハネの日なども立項されている点も大歳時記ならでは。(ただし「御降誕節は、十二月二十五日から二月二日までの四十日間をいう」は四旬節のことではあるまいか。この時期を降誕節と呼ぶのだろうか。)

 聖夜餐スープ平らに運び来し 山口誓子


角川春樹編 現代俳句歳時記」(ハルキ文庫)は平成9年発行。宗教の分類がありそこに含まれる。傍題は降誕祭・聖誕節・聖夜・聖樹・聖歌・聖菓・クリスマス・イブ。例句は44(!)。この歳時記は例句の数に非常に偏りがあり、多いものは1ページ以上に及ぶのだが、クリスマスは「雪」の50句についで2番目ぐらいに多い(例句の数の基準がよくわからない。雑炊、猪鍋が18もあるのは何故なのか、等々)。

(前略)今日では聖樹を飾り、ケーキを食べ、子供たちに人気のサンタクロースが登場し、プレゼントを交換する歓楽的風習が一般化した。

分類上は宗教だが、もはや「たのしい行事」として一般化した、ということがはっきり記されている。プレゼント交換は子供のクリスマス会などのことを指すのだろうけど、筆者も大人になってからやったことがある。もうサンタから靴下に入れられていなくても、その日に渡し渡されるのがクリスマスプレゼントなのだ、という同意があると見なされている。

 雪を来し靴と踊りぬクリスマス 山口波津女


ほんの5冊の歳時記を比較しただけとはいえ、解説が由来・意味合いから社会的動向・行動のディテールへと変化しているのが明らかであった。宗教行事であることは押さえつつ、一般には宴を催す契機として扱われ、俳句で詠まれる内容、情景も大勢は後者である。傍題の数がわりあい短期間に増加しているのは、付帯した名詞・別称が加えられているからで、新季語についてまわる議論に反して、この鷹揚さは実は特殊なことなのではないか、と感じた。


2.クリスマスの佳句を読む

 クリスマス妻のかなしみいつしか持ち 桂信子

複数の歳時記で例句として採用されている。クリスマスを飲んで帰らぬ夫を待つ妻の句か、と読むとザ・昭和な句に見えてしまう。句集「月光」収録の、戦前、思いがけず早くに夫を亡くす以前に書かれた句であることを知ると、この句の「妻のかなしみ」は平均的な詠嘆を表層的にすくったものではない、ごく短い幸せに含まれていたのかもしれないことが思われ、ツーンとなる。句意は変わらず、待ちぼうけ、あるいは忙殺され、楽しんでる余裕なんざない、ということであるけれど、その「かなしみ」は甘味の中に1%含まれた塩味だったのかもしれない。


 おでん喰ふ聖樹に遠き檻の中 角川春樹

作者にしか書けない句。来歴は調べてみればすぐにわかると思うので割愛する。「檻の中」が誇張やなにかの喩ではないことがはっきり活きていて、「おでん」「聖樹」の季重なりをうっかり見過ごしてしまいそうになる。


 へろへろとワンタンすするクリスマス 秋元不死男

筆者は自句に「ひとりだけ餅食べてゐるクリスマス」というのを以前作ったが、こちらはワンタンをすすっている。「へろへろ」はワンタンの質感にもかかっているが、酔漢となった作者のさまかもしれず、ますます好感が感ぜられる。作者には他に「飛ぶさまで止る聖夜の赤木馬」という句もある。こちらはメリーゴーランドの木馬か、オーナメントを見たのだろうか。「不死男の句は漢方薬の入った飴のような味わいがある」とは中井英夫の言である、まったく同意する。


 チルチルもミチルも帰れクリスマス 竹久夢二

メーテルリンクの童話劇「青い鳥」の主人公、チルチルとミチルに「帰れ」と告げている。クリスマスだから家に帰りなさい、と言っているように読めるのだが、「どこ」から家に帰るのか。

初見の頃、チルチルとミチルが夢の中で出会った老婆に頼まれて巡る国々の途上で、もういいから、お家へ帰りなさい、と諭しているのだろうかと思った。今は、話の続き、ふたりが夢から覚めた後、お隣の病気の娘に青い鳥を与える場面なのではないかと思っている。

その理由は、この句が、夢二が結核を患い、富士見高原療養所に入院した時期に書かれたものだから。作者晩年の一句である。

夢から覚めた兄妹は世界が幸せに見えて、お隣の娘にもその幸せを分け与えよう、と鳥を連れて訪ねていった。夢二は自分のもとに現れた幻の兄妹に「帰れ」と言っているのではないか。夢想的に過ぎる読み方かもしれないが、この切ない後味が残る句に境涯を見ることは、いけないことではないと思う。


 いくたびも刃が通る聖菓の中心 津田清子

クリスマスケーキを切り分けている景か。丸いケーキを切るには、中心をはずれぬよう、対角線状に何度もナイフを入れる。そのいたましさにふと気づいてしまった。「いたましさ」と書くとちょっと仰々しい。もっとドライに、あるいは酷に景を切り取っている、句そのものも句材をスパッと切っているのか。


 天に星地に反吐クリスマス前夜 西島麦南

クリスマスだから、という理由を得る以前に、年末は忘年会の類いがある。酔っ払いは12月24日以前も以後もあらわれる。ゆえにこの句の「反吐」は直接クリスマスとは関係ないのかもしれぬ。クリスマス・イブの深更、冬晴れの星空を眺めつつ、足元にも気をつけて歩かないとね…という、なんだか身に覚えのある景だ。対句の小気味よいリズムと句跨がりのせいか、今しも大書してそのへんに貼っておきたい一句である。