2023年12月8日金曜日

【渡部有紀子句集『山羊の乳』を読みたい】⑯ 生き物への眼差し 笠原小百合

  渡部有紀子さんが第一句集『山羊の乳』を上梓された。

 有紀子さんとは俳人協会の若手句会、若手部の各句会(名称は似ているが全くの別句会である)でご一緒しており、その並外れた観察眼と鑑賞力にいつも感服しきっている。

 有紀子さんのその強い眼差しに、俳句の道を進む者の意志を感じていた。

 その眼差しは『山羊の乳』にも如実に表れているように思う。


朝焼や桶の底打つ山羊の乳

子と歩む名月見ゆるところまで


 一句目。力強い写生句である。「朝焼」の眩さ、神々しさの中、「桶の底」を弾けんとばかりに強く打つ「山羊の乳」を搾る手にも自然と力がこもる。まるで神聖なる儀式のようなワンシーンだ。写生に徹底することの底力を見せてくれる一句である。

 二句目。慈しみに満ちあふれた句である。何より先に湧き出る子を愛しむ気持を上五に置くという句の作りが秀逸だ。それも「名月」を求めてのことであれば、尚更愛しさは増す。十五夜に願いをこめて、お子さんとの大切な時間を切り取られている。


 筆者が興味を抱いたのは、俳人・渡部有紀子の詠む生き物の句だった。

 筆者自身が生き物、動物への思いを大切にしていることもあり、他の俳人の詠みぶりがどうしても気になってしまう。

 以下、「山羊の乳」より生き物を詠んだ4句を取り上げ、鑑賞していきたい。


つばめつばめ駅舎に海の色曳いて


 駅舎にすっと一瞬、つばめが通り過ぎる。その軌跡が「海の色曳いて」いたように見えたという句。つばめのちょっと澄ましたような表情が浮かぶ。

 海よりやって来たつばめが海の色を一緒に連れてきたという把握に相応しいのは、海の近くの駅舎か、遠く離れた駅舎か。けれどきっとそんなことは些末な問題でしかない。作者に馴染み深い鎌倉方面の駅とも読めるし、大都会の東京駅として読んでもまた味わい深い。読み手側によって世界の広がり方の変化する楽しさに「つばめつばめ」のリフレインも加わり、海の明るさに包まれる心地になる。


水鳥の身動ぎもせず弥撒の朝


 一句を貫く厳かな空気は、ひんやりとした朝の気配を思わせる。「身動ぎもせず」という措辞は何を示しているのか。写生だけでは収まりきらない感情がそこには見えるように思う。静寂にも様々な種類があり、掲句は厳粛で美しい静寂の景を描いているのだと感じた。「弥撒」という一語により、静寂がより引き立つ。


移されて金魚吐きたる泡一つ


 よくご覧になられているなと、うっとりとした溜息の漏れた句である。上五「移されて」が特に巧みで、省略が効いている。金魚がぽっと泡を一つ吐いただけで、こんなに豊かな気持になれる表現が出来る人がいるということに驚いた。金魚のその存在の優雅さも伝わってくる。凛と気高い、孤高すら感じる金魚は、一体何を思っているのだろう。


宮古馬高く嘶き稲光


 「宮古馬」は宮古島に生息している野生の馬のこと。「嘶き」「稲光」の韻の重厚感は、読み手にその土地への思いを馳せる手助けをしてくれる。宮古馬が高く嘶いて、それがきっかけとなり稲光が起こったように読めるが、そこに因果関係はない。たまたま高く嘶いたときに、稲光が見えたのだ。まるで俳句の神様からの天啓のような句だと感じた。

 以上の句を読んでいく中で、有紀子さんは生き物という対象を非常に客観的に捉えていると感じた。生き物との一線を越えない。それは生き物への敬意の表れ。むやみに近寄ろうとしない。生き物たちの領域へ勝手に侵入しない。ずかずかとつい乗り込んでしまう筆者にとって大いなる学びとなった。有紀子さんの他者を思いやる姿勢は、動物相手でも人間相手でも変わらない。



【執筆者プロフィール】
笠原小百合(かさはらさゆり)
1984年生まれ。栃木県出身。埼玉県在住。
2017年作句開始、田俳句会入会。水田光雄主宰に師事。2023年、第9回田賞受賞。俳人協会会員。