――句集『子音』 田中葉月・著 発行所・ふらんす堂――
作者は現代俳句協会会員・九州俳句作家協会会員・「豈」同人で、この句集が第一句集となる。あとがきに「世界最短詩とも言われる俳句とは何だろう。私にとって俳句とは心をキャンパスにして描く絵のようなもの。まだまだ思うに任せないのが現実だが、なぜか大抵言葉が遅れてくるような気がする。その奇妙な時間のずれが不思議な感覚となって快い。」とあり、その時間のずれが新鮮な世界の表出となっている。
構成は春夏秋冬の原則に則っており、季節それぞれに洒落たカラー名が付与されている。
(SPRING BLUE)より
回転ドア春愁ぽとり産み落とす
春の日をあつめて痒しマンホール
回転ドアやマンホールに情意を託した手法である。しかも春愁を産み落とすという行為や、春の日に痒みを覚えるといった、シュールな皮膚感覚は女性ならではのものなのではないであろうか。
大陸のゆつくりうごく春のキリン
ゆっくりうごくのは大陸であり、春のキリンという二重構造の作品。そう言った意味から、前意からは壮大な大陸移動説といった時空間が、後意からは系統発生といった形態の進化の歴史も窺える。
ふらここの響くは子音ばかりなり
ふらここという言葉から子音から紫苑や師恩を思い浮かべた。紫苑からはかつての女学生時代の思い出などを、師恩からは子音と母音との関係から学窓への視線と受け取ったのだが。
(SUMMER ORANGE)より
夏の月梯子掛けても知らぬふり
とりあへずグッドデザイン大賞天道虫
両句共に無感覚の感動のような表情をしている。そして夏の月と梯子、グッドデザイン大賞と天道虫との取り合せは意表を突いており、ウイットのきいた句である。
虹生まるわが体内の自由席
この自由席は未来や希望を含んだ自由な生き方のベクトルを示しているのでは無いであろうか。まさに「虹」はその先にある憧れの対象のようにも思われる。
青い鳥そつと来て去るハンモック
誰しもにとって、青い鳥とは日常に於ける不在の象徴のようなものであろう。誰もいないハンモックが静かに揺れている様(さま)に何故か優しさと淋しさとが入り混じっている感覚が認められる。
(FALL GOLD)より
銃口は風の隙間に鶏頭花
半音のかすかにずれる鰯雲
鶏頭花も鰯雲も、その存在感は風の隙間や空のかすかなずれに脅かされているようだ。そして鶏頭花はその朱色が血に見まごう故に銃口に対峙されているのであろう。また、空の無音の中にもかすかな半音がずれの擦過音のごとく感じ取られたのでもあろう。
南瓜煮るふつつかものにございます
ポニーテール爽やかに影きりにけり
時にこのようなライトヴァース的な作品に出会い、微笑まれる。南瓜を煮る行為は単なる田舎的な謂いではなく、凡人としての優しさを示唆してもいる。そしてポニーテールが風では無く影をきる、という所作の潔さも爽快感を際立たせている。
(WINTER BLACK)より
この辺り鳥獣戯画のクリスマス
葱白し七つの大罪ほぼ犯し
イロニーな視点を持った句柄である。聖なるクリスマスが鳥獣戯画的な遊びとなってしまっている現代風俗への揶揄。そして葱という一般の人間を暗示する存在も元々は白い面を持っていたにも関わらず、誰しも七つの大罪を避けることが出来ないという現実への自悔など、人間苦のような表情を包含している作品である。
マスクしてみな美しき手術台
マスクや手術台に対してのこの様な感覚、視点は新鮮である。全てを委ねる相手・対象はみな美しく見える存在なのであろう。
風花す銀紙ほどのやさしさに
風花は雪片ゆえに儚い存在なのだが、そのキラキラした光景を「銀紙ほどの」と表現した現代感覚に魅入りる。そしてその箔の薄さがやさしさにも通じている。
素材という対象に新しさを求めるのではなく、感覚の世界に新しさを求めた句集であると感じた。
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