基底部と干渉部
川本皓嗣氏の切字論は、『俳諧の詩学』によってはじめて切字論が登場することになる。もちろん、共著の『芭蕉解体新書』(1997)におさめた「切字論」、『俳句教養講座第2巻〈俳句の詩学・美学〉』の「切字の詩学」に既に言及されているが、川本氏が初めて俳句を論じた単行本の『日本詩歌の伝統』には切字論も切れ論も含まれていなかった。ただ私はどうした錯覚か、『日本詩歌の伝統』に含まれていたように思っていた。その理由は、この著書のかなりの部分が「基底部と干渉部」を論じていたからである。
内容の定義は後から考えることにして、具体的な例句で見れば、
山里は万歳遅し梅の花
の「山里は万歳遅し」が基底部、「梅の花」が干渉部となるのである。そしてこの本のあと、復本一郎氏の「首部と飛躍切部」を知った。「首部と飛躍切部」では首部と飛躍切部の間に切れが存在すると主張されるのであるから、基底部と干渉部も同じ効果をもち、切れを主張しているのだろうと思っていた。
しかしこの二つの説の違いはいまいちわからなかった。折角だから座談会での高山れおなの発言を引用すれば、「誇張や矛盾で和歌的な美学を異化するのが基底部、それに読み取りの方向を与えるのが干渉部」ということになり、復本氏の首部と飛躍切部のように切れを前提しているわけではないことになる。川本氏は、俳句、特に芭蕉の句の構造を分析しているのであって、切れが発生するかどうかはまだ言及されていない。
高山れおなは、芭蕉以後には基底部と干渉部の構造が当てはまるものは多くなく、特に現代俳句ではそれが主調となっていると言う。
しかし面白いのは、もしそうだとすれば、芭蕉の句と現代俳句、我々の読む俳句のどこが異なるかを基底部と干渉部を使って説明できるのではないかと思われることである。発句と平句よりは、あるいは切れの有無よりは芭蕉との差異が浮かび上がりそうなのである。
川本氏の原文に戻って眺めてみよう。
「俳句の興味の中心を占めるのは、強力な文体特徴で読み手を引きっけながら、それだけでは全体の意義への方向づけをもたない(あるいはその手がかりがあいまいな)「ひとへ」の部分、行きっぱなしの語句である。これを「基底部」と呼ぼう。一方、さきの句の「梅の花」のように、その基底部に働きかけて、ともどもに一句の意義を力向づけ、示唆する部分を、「干渉部」と呼ぶことにしよう。」(『日本詩歌の伝統』)
こうした理解に立つと基底部は次の(〈〉)ようになる。
〈白露もこぼさぬ〉萩のうねりかな
〈草の戸もすみ替る代ぞ〉雛の家
秋風や〈藪も畠も不破の関〉
行く春や〈鳥啼き魚の目は泪〉
基底部と干渉部は切字と必ずしも不即不離となるわけではない。むしろ、切字と切り離された当今の切れ論に論拠を与えるように思われる。しかし眺めてもわかるように、これは芭蕉のような強烈な基底部を持つが故の特異な例と思われる。だからこの場合、干渉部はあまり表現の特異さを持っているわけではない。
もちろんすべての俳句がこうした例が成り立つわけではない。座談会で、
鎌倉右大臣実朝の忌なりけり 迷堂
のような例を挙げたわけであるが、切れの始末に困る事では切れ説も同様である。
何を言いたいかといえば、切れなどと言う言葉を用いずとも、基底部と干渉部といった方がはるかに切れ論者の言いたい気分が伝わるのではないかということである(もちろん気分であって、切れ論者の論理は「基底部と干渉部」説に比べてはるかに非論理的である)。
川本氏の基底部と干渉部を復本氏の首部と飛躍切部に言い換えても良いであろうが、それは芭蕉の俳句の構造分析であって、現代俳句にそのまま通用するものではないだろうと言うことである。あらゆる俳句に切れを探る徒労を重ねるよりは(切れが見つかったからと言ってそれが特段の意味を持たないのなら何のための探索かわからない)、基底部の文体の特徴を探ってみることの方が生産的であるように思う。
ところで川本氏は言う、
「俳句のリアリズムは小説のそれと比べても、はるかに表現の斬新さ、「耳新しさ」に依存する度合いが大きい」
これは現在の伝統俳句には耳の痛いことであろう。表現の斬新さ、「耳新しさ」に耳をふさいでいたのが伝統俳句だからである。これが成り立つのは芭蕉と金子兜太ぐらいしかいないのではなかろうか。
0 件のコメント:
コメントを投稿