篠崎央子句集『火の貌』との出会いは、「未来図」同人の永田満徳氏が管理者である、フェースブックの「俳句大学」というサークルがきっかけです。
俳句交流の「場」として、ポスト「結社の時代」を担う俳句界のフロンティアを理念に集い、インターネットで毎日三句の投句を行っているこのサークルの「俳句大学投句欄」の講師として、篠崎央子さんが選評を担当されています。(2021年5月より)
このサークルが縁で、第44回俳人協新人賞受賞となり、入手困難となっていた、『火の貌』を寄贈していただきました。改めて御礼を申し上げます。
ばい独楽の弾けて恋の始まりぬ
恋とは、新しい言葉との出会いである。
あとがきで、著者が書いている。
俳句を通じて、どのような出会いがあったのか読み解きたいと思いました。
ばい独楽は、巻き貝の一種、バイで作ったこまを回すとことです。江戸時代のこまは、無性独楽(むしょうごま)といわれ、貝をむちやひもでたたいて回すものでした。江戸時代にはかけ事が盛んになりすぎて禁止されたほどであったという。
恋の始まりはこのように夢中になってしまうものなのでしょう。思いあたる方は多いでしょう。
キャベツ刻む独身といふ空白に
キャベツを包丁で千切りするには、キャベツを大きく4等分に切り、それを端から細く切っていく方法と、芯を取った葉を数枚重ね、端から細かく切っていく方法があるようですが、空白から連想するに、4等分にして、芯の部分を空白と感じているように思いました。
作者はこれまでの、独身というキャベツの芯のように手応えのなかった時間を空白と捉えたのかもしれません。
当然、いままでの空白を埋めるべく夫のことが頭にあったのでしょう。
エプロンは女の鎧北颪
わずかな火加減で、旨さ、味付けの勝敗が分かれることもある料理はまさに戦い。ここではもう、妻として、家事を仕切っているように思います。一家の料理人の“戦場”であるキッチンへ足を踏み入れるには、エプロンは鎧。北颪などには負けない、着るだけで気持ちが引き締まるのでしょう。
図形めくおでんを囲み文学者
おでんのルーツは室町時代に流行した「豆腐田楽」だという。江戸庶民には、屋台で手軽に食され、やがて煮込みおでんへと進化し、家庭で食べる料理へと変化。おでんは現代の定番料理となったという、いわば食の文化。
あとがきから推測するに、これは万葉集の研究の著者、古事記の研究の夫とおでん鍋を囲んでの食卓の景でしょう。
花ミモザ夫ていねいに皿洗ふ
おや、いつの間にか旦那様を台所の手伝いに使うようにまでなったようですね。
花ミモザの花言葉は「真実の愛」
愛情に溢れているようです。
竜となるまで素麺をすすりけり
「竜」は、古くから信仰の対象だった「蛇」が由来で土の神さまなのだそうです。昔の人は、不幸を蛇に例えたという。「竜」は、その不幸を乗り越えた象徴になっているのだそうです。
そうめんの起源には、飢饉と疫病に苦しむ民の救済を祈願したところ、神の啓示を得て、肥沃な三輪の里に小麦を撒き、その実りを水車の石臼で粉に挽き、癒しの湧き水でこね延ばして糸状にしたものと伝えられているそうです。
苦しみを乗り越える竜、家庭内の苦労などからも乗り越えようとしているとみるのは、深読みでしょうか。
太股も胡瓜も太る介護かな
ギネスブックには何とキュウリが「世界一栄養がない果実」として堂々1位に挙げられているようです。
現在我々が食している緑色のきゅうりは実は肥大途中の未熟果で、江戸時代末期まではあまり人気のある野菜ではなかったようです。水戸黄門こと徳川光圀は「毒多くして能なし。植えるべからず」とまで言っていたそうです。幕末にきゅうりの品種改良が行われ、成長が早く歯ごたえや味の良いきゅうりが出てきて、人気の野菜となったようです。
今、私の父が脳梗塞で、母の介護がかかせません。現代社会の一面をみるようです。
二世帯暮らし雑炊に噛む魚の骨
雑炊の文字は、野菜、魚貝類などを米や穀類に加えて混ぜ合わせ、炊き上げるものの意で寒いときには体を芯から温めてくれる。二世帯暮らしに垣間見るぬくもり、魚の骨からはその反対に冷たさも感じられます。
ごまめみな笑ひ転げて曲がるなり
正月のおせち料理、祝い肴として欠かせないものの一つであるが、好んで食べることもないようなごまめ。手造でしょうね。弱火で炒ったカタクチイワシの曲がった形に思わず笑みが。明るいお正月となったようです。
相続の灰汁掬ひつつ蕗を煮る
避けては通れぬ相続の事もさらりと一句に。
灰汁を使って食品自体がもつ強くてクセのある味を処理したことから、そのような嫌な味やクセそのものも「あく」と呼ぶようになったという。一つ一つ解決して、上品な蕗の味付けとなったことでしょう。
恋の芽生えから、結婚、夫婦の新しき暮し、二世帯暮らし、夫の親の介護、俳句と共に歩んでいる姿をみたように思います。
食に注目して、共感した句を付け加えておきます。
第一章 血族の村
ビアガーデンとばされさうなピザの来る
ハンカチを出すたび何かこぼれゆく
洗面器の底に西瓜の種一つ
失敗の多き一日とろろ飯
黄落や乾ききつたるパンを食ふ
漬物の茄子さびてをり神渡し
極月の地球の果ての魚を食ふ
牛乳を一息御慶述べにゆく
第二章 石のこゑ
土筆煮て化粧の仕方忘れたる
桜より淡し魚のソーセージ
きのこみな宙から降つてきたやうな
生ゴミと魚と目の合ふ夜寒かな
天孫の古墳と信じ大根干す
討ち入りの日なり醤油の黒光り
年の瀬や目つきの悪しき魚を提げ
魚屋より潮の匂ひ日脚伸ぶ
第三章 氷菓の痛み
石臼は農婦のまろさ遠蛙
浅蜊汁星の触れ合ふ音立てて
短夜の隙間だらけのクロワッサン
父に似るじやがいも抜かりなく洗ふ
おでん煮る部屋に膨らむ本の嵩
信長の骨はいづこに闇汁会
焼芋を食み考へる人となる
伊勢海老の謀叛を起こしさうな髭
第四章 巻貝の虹
伊達巻きの焦げ目艶めく寒の明
遅き日の団扇にしたき魚を干す
チョコレート舌に溶かしぬ春の闇
魚河岸は赤き肉売る苺売る
ステーキを端より攻めて梅雨に入る
無防備な海に囲まれ冷奴
生命の棲まぬ星あり栗を剥く
ミサイルにまたがれし島いなご食む
珈琲の暗さの質屋漱石忌
密偵の眼して塩鮭届きたる
身の洞へ牡蠣を滑らせ明日は鬱
火の貌のにはとりの鳴く淑気かな
本句集の出来上がりを楽しみにしておられた鍵和田秞子主宰は、刊行を待たずに急逝されたことがあとがきにあります。天上から見守ってくれていることでしょう。
プロフィール
野島 正則(のじま まさのり)
昭和三十三年 東京都中野区生まれ
昭和六十二年 句作を始める
平成 二年 「沖」入会を経て
平成 二十年 「青垣」入会
平成二十七年 「俳句大学」参加
平成三十一年 第2回俳句大学五島高資特別賞受賞
令和 三年 「平」参加
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