【はじめに】
私は、初期の俳句鍛錬の場を経て俳句の武者修行のようなことをしていた。
さまざまな俳人たちの俳句の世界観に触れて、多大な俳句の刺激を感受した時期だ。
写真家であることもあって地域の風土や社会情勢などを俳句にしていくことも多かった。
それは、俳人としても写真家としても幸福なことなのかもしれない。
だが、これまでの私は「他者がどうあるべきか」ということに意識を向けすぎていた。
「さて。私は、どうあるべきか」ということと上手く向き合えていなかった気がする。
私は、首を傾げてしまう。
そんなことから最近の私は、自己に向き合うようになる。
それは、私自身の俳句の土台を耕したり、俳句の種を蒔いて心のアンテナを張り巡らして詩心の水やりなどをしながら私自身の俳句の開花に向き合うことでもあった。
それと対局のように思われるかもしれないが、他者との関わり、社会と繋がること無くして生きていけないというのも骨身に沁みる。
写真家・豊里友行として向き合っている激動の沖縄や日本社会、世界情勢にも向き合うことを私が、どう感じて行動しているかということにも繋がっている。
その豊里友行の俳句人生の開花と向き合う日々の中で中島敦の短編小説『山月記』の李徴の虎の独白にある自戒のように虎にならないようにしたい。
そのためにも他者の句集鑑賞を勉強することで他者の俳句の開花にも眼を向けられるようになりたい。
この場での句集鑑賞は、それぞれの俳句の開花をめぐる旅のようなものかもしれない。
今回の【豊里友行の俳句集の花めぐり】では、俳句論評というよりは俳人の開花を読み解くことを目的としたい。
どうか私の俳句鑑賞の鍛錬に俳句新空間の読者の皆様にお付き合いいただけると幸いです。
豊里友行
2024年1月16日
【第1回】岩淵喜代子句集「末枯れの賑ひ」(2023年刊、ふらんす堂)
末枯れの賑ひにあり雑木山
岩淵喜代子句集「末枯れの賑ひ」(2023年刊、ふらんす堂)の「あとがき」から引用された帯文を引いてみる。
末枯れが始まると、林はその空を少しずつ広げて、
いつの間にかどの樹も残らず裸木になってしまうのです。
毎年その経緯を眺めながら、林の根元に日差が行き渡るのを、
なぜかほっとしながら眺めています。
著者略歴によると岩淵喜代子さんは、1936年10月生まれとある。
90代のいただきは、どのように見えるかが、伺えるような句集のトップを飾る句だ。
四季折々を丁寧に生きること。
末枯れの雑木林が成す山でさえ梢は、指揮者のように賑わいを誘う。
牛たちに夏野の乳房四つづつ
牛の乳房(乳頭)は4つ。それだけなら事実を述べただけ。しかしこの俳句は、牛たちに夏野の乳房を見出すことで俳句の詩的表現の本質に迫る。
草木萌え出す夏野の乳房があり、そこに牛たちの乳房もおそろしいほど膨れ上がって4つずつ揺れている。
もちろん夏野の乳房は、命を育む母なる大地との融合を高らかに謳われているのだ。
かがみたる子にいちめんのいぬふぐり
しろつめくさからおきあがる女の子
草いきれ児は身体ごとぶつかり来
「いぬふぐり」「しろつめくさ」「草いきれ」に絶妙に活きる。
屈んだ子の一面に広がる犬ふぐり。白詰草の原っぱから飛び出すような女の子。身体ごとぶつかる児の勢いに成長を感じつつ草の匂い立つ。子らの輝ける未来の光に希望を燈したい。
電球の振れば樹氷林の音
花守の腰の鋏の黒光り
知らぬ間に鬼の加はる薬喰
魂を取り出せさうな青闇
夜ごと咲く月より白き烏瓜
鰡飛んで海の黒さを見せんとす
手秤で貰ふ鰍の五六匹
電球を振ることで樹氷林の音を見出す語感の絶え間なき練磨に脱帽。
花守の腰に鋏の光の存在感も圧巻の句だ。
薬喰(くすりぐい)は、体力をつけるために、寒中に滋養になる肉類を食べること。そこに獣のように鬼が加わるという生命力の暗示。
青葉闇から魂を取り出せそうだと感受する岩淵喜代子俳句の瑞々しい感性のきらめき。
夜ごと咲く烏瓜の美しさをどのように例えれるだろうか。月より。その慧眼に脱帽。
鰡(ぼら)が海面を飛び出し、海の黒さを流星のきらめきのように際立たせる。
市場などで見かけた手秤(手計り)は久しく見えなくなるが、此処では手の加減で重さを計ることを手秤としてみてはどうだろう。
その手分量の秤で貰う鰍(かじか)の五六匹の存在感には、まさに原石鼎の研究の第一人者でもある岩淵喜代子さんの頂きなのだろう。
たくさんある優れた俳句の中よりほんの僅かですが、下記にも共鳴句をいただきます。
足袋脱いでひとりの我に戻りたる
繭玉の揺るるや誰か帰るたび
若鮎のあるかなきかの虹の色
薔薇は薔薇ごとに坩堝を持つてゐる
虎杖の花に老人紛れけり
何もなき部屋に夕焼け満たしけり
川の名を一つ覚えて夏休
広島の六日のあとの星祭
白桃を水の重さと思ひをり
玫瑰(はまなす)の実にゆきついて引き返す
綿の実を握りて種にゆき当たる