黄土眠兎の次のような句は、現代を颯爽と生きる快活な作者像を想像させ、読者に心地よい読後感を与える。
香辛料多き俎始かな
啓蟄や叩いてたたむ段ボール
大陸のにほひの紙幣鳥渡る
大陸横断鉄道渾身の星月夜
コンビニのおでん水道水を足す
ほかに、小川軽舟氏も集中十句として帯文にあげる「あつぱれや古道具屋の熊の皮」や、いささか理屈めいた句だが「結論は先に書くべし冬木の芽」「つきあつてやる食卓のばんぺいゆ」など、思い切りの良い文体は作者の美質のひとつ。それが現代的な生活実感と結びついたり、狭い日本を飛び出して「大陸」の風景に触れたりするとき、既知の季語大系からはみ出した世界が広がる。
ところでこの作者、「立春の会費袋を回しゆく」「両替の紙幣に輪ゴム囀れり」など繰り返し金銭に言及する。計算にまつわる「ご破算に整ふ指や夕月夜」などもあって、経理関係に目配りする、細心な性格にみえる。しかし同時にややおおざっぱなところも感じられる。
より正確には、おおざっぱな句のほうに魅力があるのではないか、と感じるのだ。上掲の句のほかに「丸洗ひされ猫の子は家猫に」も「たつぷりと落ち葉踏みたる影法師」も、細かな写生描写というより作者の実感とダイレクトに季節感をとりあわせ、その展開に魅力がある。突き詰めた緊張感より、つきぬけた開放感につながる句がいい。
一方で「髪洗ふ今日は根つから楽天家」は季語の含意にとどまるし、「不老死の水に蓋あり青き踏む」の略語のように、やや雑な言葉遣いも目につく。言葉感覚には案外おおざっぱなところがあって、開放感と表裏の関係にあるのかとも想像する。
おそらく句集タイトルにもとられた
アマリリス御意とメールを返しおく
にただようちょっと気取ったユーモア(で一句をものしてしまう茶目気と洒落気)も、多少のおおざっぱさを含んだ開放的な魅力の一部なのだろう。
その感覚とつながっているのか、作者には
雪原に掘らんか忘れられし影
わが影に西瓜の種を吐き捨てぬ
のようなぼんやりとした対象をとらえた不思議な句が散見される。
実は、私が集中もっとも印象的だったのは
むささびの領に入りけりかの詐欺師
である。
「むささびの領」というおおざっぱな空間把握から、現代的というか現実的というか「詐欺師」に結実させる意外性。私が読み取れなかっただけで案外単純な文脈があるのかもしれないが、上句で民話的な世界観を期待させられただけに、予想外のオチがついたという気がした。このあたりの抜け感、この作者の魅力ではないだろうか。
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