筑紫磐井先生にお会いしたことをきっかけに、私の父のソ連(シベリア)抑留をたどる旅をまとめた『極限状況を刻む俳句~ソ連抑留者・満洲引揚げ者の証言に学ぶ』を令和5年6月6日に上梓することが出来ました。昭和1945(昭和20)年8月6日、広島に原子爆弾が投下され、8月8日にはソ連が日本に宣戦布告し、8月9には長崎にも原子爆弾が投下、そしてソ連が満州に侵攻した日で、8月は正に祈りの月です。
さて、この度は拙著に託した私の思いについて、またこの本の作成にご協力いただいた、ご遺族や俳人の方の中でご了承の得られた感想をご紹介させていただきます。
父の体験したソ連抑留をたどる旅で、新宿にある平和祈念資料館での語り部の体験談を伺いに通う一方で、拙著のもととなるソ連抑留・満州引揚げ俳句を読んで参りました。これらの作品について、浅薄な私の知識では「なぜ日本は、日清・日露戦争他を経、日中戦争から太平洋戦争へ突き進まなければならなかったのか」「なぜ、大日本帝国は大陸(現在の中国北東部)に満州国を建国したのか」「なぜ、ソ連は日ソ中立条約の締結期間を残し破棄したのか」「なぜ、当時155万人もの日僑俘虜をうむほど多くの日本人が満州に渡ったのか」「なぜ、57万5千人のソ連抑留が可能だったのか」など分らないことがありました。そこで、戦争に至る歴史背景・ソ連抑留の体験談・ソ連抑留俳句・満州引揚げ俳句をリンクしその実相に近づくことにより、父母が戦争を体験した世代や戦争を知らないその子の世代にこれらのことを伝えたいと思いました。何の肩書もない私の言葉に、ソ連抑留や満州引揚げの体験者やご遺族の皆様は、耳を傾けてくださいました。多くの方々との出会いがあってこそ、この本は生まれることができましたことを、私は深く感謝しております。拙著では、「極限状況における俳句の果たした働きや句座の力」を主題とし、次の世代に語り継ぐ証言として、また、将来あってはならない戦争について投げかけを試みるという3層構造をなしています。ですから体験談や俳句による証言の凄惨な内容に心を奪われず、平和な未来を保つための今ここを考えて、お読みいただければ幸いです。
上梓後6月10日に、関係者の皆様に謹呈の本が発送されました。令和5年6月13日、高木一郎氏のご遺族の高木哲郎氏から、電話を頂きました。
《あなたから本が届き、名前に見覚えがあった。父の句集にあなたからの葉書を挟んでおいたのを思い出し、手紙を書くより早く気持ちを伝えたかったので、葉書の番号に電話を掛けました。父の作品をこんなに丁寧に取り上げてくれてありがとう。この本を手に取る人は、一握りの人かもしれないが、その人を通じて次の世代に伝わってゆく貴重な一冊だと思います。私には兄弟姉妹が他に4人います。4人にもこの本を持たせ、当時満州国建国や満州移民政策などの歴史を読んで、私たちが体験した、戦争について再認識したいと思います》
と、お話くださいました。 これから、歩き出して行く拙著にとてもありがたいご感想を頂くことができたことを嬉しく感じた日でありました。
(つづく)