2021年4月9日金曜日

【篠崎央子第一句集『火の貌』を読みたい 】11 「湯島句会」から『火の貌』へ ~~篠崎央子さんの句に触れて 片山一行

  神田神保町に「銀漢亭」という〝俳句酒場〟があった。店主は「銀漢」主宰の伊藤伊那男先生。お客の大半は句歴はともかく俳人である。「え、こんな人が!」という著名な俳人も訪れることがあった。

 10年少し前、知人に「一行さんは詩を書いているんだから、面白い店があるよ」と銀漢亭に連れて行かれた。周囲の皆さんから「俳句、おもしろいよ~~。本格的にやってみれば」と誘われるまま、歳時記を買って俳句を始めることになった。

 篠崎央子さんの句に初めて出会ったのは2012年の初めだと思う。場所はこの銀漢亭。『火の貌』の話をする前に、まずこの銀漢亭の話をしておきたい。おそらく央子さんはここで大きく飛躍したはずだから。

 寒林や昔男は笛を吹き 央子

  たぶん、央子さんの句のなかで最初に触れた句である。

 銀漢亭で「湯島句会」という伝説の巨大超結社句会が開かれていた。最初は初心者数人で始めた句会だが、来店される俳人に片っ端から「選だけでも」とお願いして、著名な俳人の選がズラリと並ぶ豪華な句会になっていった。

 人が人を呼ぶように句会は膨れあがり、4年目を超えた頃には出句者は100人近くになっていた。句会当日は狭い店内に、それこそ立錐の余地もなく数十人が集まる。参加結社は延べにして30になった。

 央子さんとお会いしたのは第49回あたり。すでに未来図の同人で、お若いのに「巧いなあ」という堅実な句を詠まれた。何よりも堅実で生活に根ざした句だった。

 歌ふこと鯉にもありぬ花盛り

 舟はいま翼を得たり秋の虹

 声あげて水動きをり薄氷

 これは当時の湯島句会での句。いずれも美しい。

 央子さんは毎回点を集める。当然、披講のときに「篠崎央子!」と名乗ることも多い。すっかり記憶に刷り込まれていった。特選にいただいたこともあった。

 湯島句会は120名を越す投句者にまでなると、運営も大変になる。2013年の夏、第66回で惜しまれながら閉会になった。銀漢亭も、伊那男先生が俳句と居酒屋経営の「二足の草鞋」が厳しくなり、そこへコロナで2020年5月に閉店になった。

 俳人にとってはオアシスのようなところでもあり、道場でもあった。いまは「神保町に銀漢亭かあったころ」というリレーエッセイがネットで連載されている。

「セクト・ポクリット」https://sectpoclit.com/

 私はこの湯島句会と銀漢亭に育てられたと思っている。この店に行けば、誰かしら俳人と出会う。そして俳句に関する話に花が咲く。いまでも閉店を惜しむ人は多い。

 湯島句会からは、多くの若手俳人が輩出された。月野ぽぽなさん、西村麒麟さん、堀切克洋さん……等々。おそらく央子さんもここで鍛えられたはずだ。超結社だけに普段、所属している結社内での句会とはまったく違う句柄の俳句がどんどん出てくる。当然刺激になる。

 選もかなりばらつく。

       *

 7年前に私は故郷の愛媛県松前町に移住した。いまは、湯島句会をモデルに「松前(まさき)ネット句会」というものの世話人のようなことをやっている。まだ30名だが、各結社の同人や編集長クラスがズラリと揃う、超結社のハイレベルな句会だ。

 央子さんともフェイスブックを通じて数年ぶりに連絡が取れるようになり、この句会にお誘いした。興味のある方は以下のアドレスへ。

  ikko_k@nifty.com

(片山一行アドレス)

 湯島句会の最大の特長は、「誰が選んだか分かる句会報」である。普通、5人の選が入れば「5」と点盛りされるが、湯島句会の場合は、例えば私なら「片」、央子さんが選んだのであれば「央」と点盛りされる。いま世話人をしているネット句会でも、このやり方を引き継いでいる。

       *

 さて前置きが長くなった。篠崎央子さんの第一句集『火の貌』である。これまでの実績からすれば遅すぎるぐらいだが、引き込まれた。いきなり最初のページで、

 ぜんまいの開く背中を鳴らしつつ

「ぜんまい」という春の雑草が、詩語として何気なくしかし見事に斡旋される。さらにページをめくると――。

 朧夜の笛の余熱をしまひけり

 砂を食む鳩の目赤き啄木忌

 ペンギンの腹から進む立夏かな

 堅実な客観写生でありながら、読者を唸らせる視点がある。当たり前そうで当たり前ではない句群である。そして、美しい。韻律も爽やかで無意味な破調はない。

 花あやめ髪は水気を吸うてをり

 とくにむずかしい言葉を使っているわけでもない。気を衒ったような表現もない。なのに「当たり前ではない句」に仕上がる。「髪は水気を吸うて」など、その極地の措辞だろう。

 ハンカチを出すたび何かこぼれゆく

 極月の地球の果ての魚を食ふ

 海鼠腸やどろりとうねる海のあり

 血統の細くなりゆく手鞠唄

 こうしてあげていくと切りがないのだが、物語性のある句、平明だが考えさせられる句が多い。そして深い。またニヤッとしてしまうような面白い句も混じっている。

 洗面器の底に西瓜の種ひとつ

この句など、とりたてて何も言っていない。最近は俳句甲子園などの影響もあるのか、ワケの分からない取り合わせの句が目立つが、央子さんの句は取り合わせであっても「ワケが分かる」のだ。意地悪に見れば飛躍がないという人もいるかもしれない。しかし俳句は読者がいる。読者を置き去りにするような飛躍は、なるべくなら避けるべきだと思う。

 その点、央子さんの句は常に読者に寄り添っている。しかも、かすかなユーモアもある。私は俳諧味を出すのが苦手だけに、さりげなく日常を切り取った多くの句は、うらやましくもあった。このユーモアと生活感が、甘くなりがちな抒情性を〝芯〟のあるものにしていると思う。生活感のある抒情性、とでも言えるだろうか。

 だからいずれも、地に足がついた堅実さがある。

 秋暑し黄身の染み出す割れ卵

 秋の蚊の淡きかゆみを古筆展

 黄落や乾ききつたるパンを食ふ

 名刀のかすかなる反り十三夜

 肩触るる距離落椿踏まぬやう

 銀蠅や早送りするラブシーン

 森に入るやうに本屋へ雪催(これは湯島句会で出句された句のはず)

 蛍狩つなぐてのひら濡れ手をり

 緋鯉ゆく恋の勝者とならむため

 ラムネ飲む人魚のゐない水族館

 共通しているのは、対象へのさりげない優しさではないだろうか。きりきりと痛むような句は、まずない。平明で、俳句に対峙する姿勢がまっすぐなのだ。

 ある人に言わせると俳句の神髄は「忠実な客観写生+刺激的だが自然な措辞」だという。まさに央子さんの句が、それである。さらに季語へのリスペクトがある。

    *

 このままだとあと何十行も書いてしまいそうなので(笑)、最後に私なりに10句ほどを選んでみた。

 寒牡丹鬼となるまで生き抜かむ

 溶岩の緻密なる影蠅生る

 通りやんせ蛍袋に夜の来たる

 かはほりや鎖骨に闇の落ちてくる

 空つぽになるまで秋の蟬鳴けり

 しんちぢり人魚の卵かもしれず

 夏至の夜の半熱の闇吸ひ眠る

 露草は足元の草踏まぬ草

 透明になれぬ街なり聖樹の灯

 涼しさよ骨砕かれて収められる

 さざなみや凍つる絵の具を絞り出す

 そして句集のタイトルにもなった一句。

 火の貌のにはとりの鳴く淑気かな

 「あとがき」でも書かれているように、火の形相をして鳴く「にはとり」。それを「淑気」と取り合わせる見事さ。先にも書いたが、驚くような取り合わせではないのだが、当たり前すぎる取り合わせでもない。このギリギリのところに央子さんの句はある。

 蛇足になるかもしれないが……。

 芋の秋ひげ濃き人を愛しけり

 これは夫君の飯田冬眞さんのことだろう。冬眞さんとも湯島句会でよくお会いした。お二人とも未来図の同人だが、湯島句会あるいは銀漢亭がお二人をさらに結びつけたのかもしれないのであれば、こんなに嬉しいことはない。そして連れ合いのことを大らかに「愛しけり」と詠める央子さんを心から羨ましく思った。

――――

プロフィール

片山一行(かたやまいっこう)

1953年 愛媛県宇和島市生まれ 現在同県・松前町在住 職業:出版企画編集

    松前ネット句会世話人

    「銀漢」「麦」同人

2019年「麦」新人賞

2020年 NHK全国俳句大会・飯田龍太賞選者(宇多喜代子)賞

2021年 NHK全国俳句大会・自由詠 特選(対馬康子)

俳人協会会員、現代俳人協会会員、日本詩人クラブ会員。

著書

『職業としての編集者』(H&I)

『おそらく、海からの風―第一詩集』(早稲田出版)

『あるいは、透明な海へ―第二詩集』(創風社出版)

『たとえば、海峡の向こう―第三詩集』(創風社出版)

0 件のコメント:

コメントを投稿