―坂口弘、大道寺将司、中川智正―
短歌と俳句を比較しつつ、こうした、一般的でない体験を踏まえて極限の作品―――短歌詠、俳句詠が生まれる。前回最後の、文化大革命詠などは滅多に体験できるものではない、異常な体験が人を突き動かして文学作品を生むことを確認したいと思ったのだ。今回は、さらに極限の極限と言うべき、短歌詠、俳句詠を確認したい。
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死刑囚歌人として有名な人物に島秋人がいる。島(筆名であり、秋人は囚人の意味だという)は昭和34年千葉県で農家に強盗に押し入り、家人を殺して死刑判決を受ける。収監中に短歌に目覚めるのだが、彼は窪田空穂の選歌する毎日歌壇に投稿をし、めきめき頭角を現し、「毎日歌壇賞」を受賞するのである。昭和42年34歳で死刑執行されるが、死後彼の歌集『遺愛集』(昭和43年東京美術)が刊行されている。また前坂和子編の書簡集『空と祈り』(平成9年年東京美術刊)も出されている。
あが罪に貧しく父は老いたまひ久しき文の切手さかさなる
妹の嫁ぎし事をよろこびつつわれに刑死の日は迫るなり
私は、島秋人をもって今回の私のテーマに叶う作家とは思っていない。ディテールはあるが、まだ想像を絶する作品とは思えないからだ(この点については末尾の参考で述べておきたい)。
我々はこのテーマにもっとふさわしい死刑囚歌人の名をあげることが出来る。坂口弘である。元連合赤軍中央委員会書記長であり連合赤軍事件(連合赤軍リンチ事件とあさま山荘事件)起こした人物で、平成五年に最高裁で死刑判決が確定している。この坂口は1990年代に「朝日歌壇」に投稿し、それらが『坂口弘 歌稿』(平成5年朝日新聞社刊)として刊行されている。さらに最近、死刑判決確定後の自選作品から選んだ『常しへの道 歌集』(平成19年角川書店刊)が刊行されている。
ドア破り銃突き出して押入れば美貌の婦人茫然と居き
自首してと母のマイクに揺らぎたるYに嫌味を吾は言いたり
窓壊し散弾銃を突き出でし写真の吾はわれにてありたり
総括は気絶したらば為し得ると撲りに撲る真摯な友を
リンチして縛りし友の吐き出でし異臭漂いわれら茫然
リンチへの彼の抗議に揺らぎつつ揺らぎを隠しさらに撲りぬ
床下に縛りし彼女も死にゆきぬ重石に拉(ひし)がれ吾声も出ず
女らしさの総括を問い問い詰めて死にたくないと叫ばしめたり
総括は友亡くなりて過酷化し死を思うさえ敗北となせり
兄の死に弟は叫ぶ「総括などしたって誰も助からなかったじゃないか」
不遜なる総括なりしだしぬけに序(ついで)のごとく彼を縛りぬ
逆海老に縛られし友を憐れみてお粥と白湯を君はやりおり
独り言止みて気付きぬ逆海老に緊縛されし彼も逝きたり
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六名の死にたる後も法則のごとく再びリンチ始まる
思い余り総括の意味を問いしとぞ惨殺さるる前夜に友は
突然に友の顔(かんばせ)歪みそめぬ股にナイフが刺されていたり
屍を車に乗せて息を詰め駐在所前を通り過ぎゆく
刺さざりし奴が居りぬと叫ぶ声吾のことかと立ち竦みおり
問いたれば「頑張ります」と理不尽な総括に堪える縛られし君は
縄を切り横たえて見れば凍傷の脚石のごとし長きリンチに
「闘いて死なん」と半死の彼はいう無惨なリンチの死をばいといて
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「亡き夫もリンチに荷担していますか」と夫人が迫りぬ真夏の面会
『坂口弘 歌稿』は連合赤軍事件の回想から一審、二審、上告の時期を詠んだもの、『常しへの道 歌集』は死刑判決が確定してからの作品が収められている。掲出したのは、『坂口弘 歌稿』から引いた。従って、彼の短歌から連合赤軍事件の生々しい事実が浮かび上がる。読者にすれば評すべき言葉もないと言うべきであろう。
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ところでそうした意味では、同じ状況にあり、死刑判決を受けて現在も俳句の活動を続けているのが大道寺将司である。東アジア反日武装戦線のメンバーで狼グループのリーダーであり、昭和50年丸の内の三菱重工爆破事件を起こし、昭和62年最高裁で死刑判決が確定している。第1句集『友へ』(平成13年ぱる出版刊)、第2句集『鴉の目』(平成19年海曜社刊)を刊行し、昨年、大道寺将司全句集『棺一基』(平成24年太田出版刊)を刊行している。ここでは、俳句雑誌「無曜muyou」に2007年6月から2012年12月現在まで毎号発表している作品から選んでみる。
棺一基四顧茫々と霞みけり(「無曜muyou」7号)
人知れず連れてゆかれぬ木下闇(同8号)
がちやがちやの声の途絶ゆる国家かな(同9号)
侮れば狼の身を過てり(同10号)
横たはる屍も起きよ春疾風(同11号)
絶対に蛞蝓であり無言電話(同12号)
腸(はらわた)の抜かれか黒き焼秋刀魚(同13号)
数知らぬ人に生かされ悴かめり(同14号)
百年の朧を形の国家かな(同15号)
げぢげぢや無実の罪で裁かれし(同16号)
まなぶたに危めし人や稲光り(同17号)
身を捨つる論理貧しく着膨れぬ(同18号)
解けやすき病衣の紐や冴返る(同19号)
梅雨じめり薬臭部屋に籠めにけり(同20号)
風車幸多き世を生ましめよ(同23号)
めまとひは纏い付かれて喜びぬ(同24号)
猛し海いま上善の如く澄む(同25号)
鯨跳ぶ四囲のとどろに惑ひつつ(同26号)
ふるふると影を振り撒く桜かな(同27号)
螻蛄よりも無為に存へゐたるかな(同28号)
ゆくすえは土塊(つちくれ)ひとつ穴惑(同29号)
もう一人、死刑判決を受けた後俳句を詠み続けているのが中川智正である。オウム真理教の幹部であり、麻原彰晃の主導により松本サリン事件、地下鉄サリン事件に関与し、2011年12月死刑判決が確定した。中川は、俳人江里昭彦と同人雑誌「ジャムセッション」で作品を発表している。発表数はまだ34句であるがその一部を掲げよう。
金網の殻見事なり蝉生きよ(創刊号)
獄の虫コンクリートに棲みて鳴く
翳る房のラジオに冬至教えらる
蜘蛛枯れて血のごと細き糸遺す
春一番吹かず十七年目の忌
船虫が我とり囲み会議せり(第2号)
残飯の容器のかたちで夢見る猫
消えて光る素粒子のごとくあればよし
永き夜は深海となり鼓動開く
これら死刑判決を受けた者たちの活動を見ていると、いくつかの疑問に突き当たる。第一に、彼らはなぜ、自由詩ではなく、俳句や短歌のような伝統的な定型詩を選んだのであろうか。独房の中で壁に向いながら内面の思いを述べる時、そうした独白の文学に定型詩は向いているのであろうか。
第二は、坂口の短歌は、彼が犯した事件の詳細を細かに叙述しており、これらの歌を並べ替えるとまだに事件の事実記録となる、さながら供述書のような歌なのだ。ところが大道寺の俳句には、こうした詳細な事実は浮かび上がって来ず、彼の現在の心象風景が浮かび上がる。死刑囚が詠む定型詩ではあっても、短歌と俳句ではやはり違うようなのである。数は少ないが中川の俳句にも、事実の記録となる描写は少なく、身辺の描写を行いつつ自らの心象を描いているように見える。これは短歌と俳句の二つの文学の本質にかかわることなのだ。彼らの句を異質な短歌、俳句と言うのでなく、むしろ短歌とは何なのか、俳句とは何なのかを問い直すためにも考えてみたいことである。
(参考)
島の作品が今回の私のテーマに沿っていないという理由は、島の犯罪が(個人にとっては重大であるが、一般的な日本人にとっては原則、記憶もなく、ジャーナリズムの報道さえなかったかも知れない)個人的犯罪であるのに対し、坂口、大道寺、中川の犯罪が(日本人の誰もが想起せずにはいられない)社会的な犯罪と言うことに起因するかも知れない。お互い、自分の犯した罪に対する贖罪や反省はあったとしても、坂口・大道寺・中川らの意識の底には社会に対する批判的な眼差しは相変わらず残っているように思えるからである(以下の大道寺の句は東日本大震災の時の作品である)。クレンザーを使いすぎると注意されお茶で食器を洗いいるなり 坂口弘
白むころ夜勤に倦みし看守らの戯るる声聞え来るかも
加害者となる被曝地の凍返る 大道寺将司
無主物を凍てし山河に撒き散らす
シャトル飛ぶ下界の江戸で雛の餅 中川智正
島の短歌に近いものに、北山河・北さとり編『処刑前夜』に掲載された句がある。俳句雑誌「大樹」を主宰していた北山河が大阪拘置所の死刑囚に俳句を指導することを提案し、昭和24年より句会を開催し、その句会の記録、死刑囚の俳句作品のほか山河や「大樹」関係者の記録のみならず受刑者の執筆記録まで含めて刊行された。当然のことながら、編年で作品が紹介される一方で、それらの作者たちの死刑が執行されていく記事が挿入されている。無辜の人々が経験する可能性もないまま過ぎ去る死刑執行前夜の有様が詳細に記録されている。もちろんそれに相応する犯罪が行われており、殺された被害者は存在するわけである。ただ、これらの句の作者は匿名であり、その罰に相当する犯罪はうかがい知れない。その意味でも、坂口、大道寺、中川とは全く異なる作品であった(島秋人もペンネームであり、本名は分からない、不思議な偶然で生存中に作品が注目されたという点を除けば『処刑前夜』の死刑囚俳人と変わらないかも知れない)。
夜寒さの故なき怒り鳩を絞む 瑞穂
死の影を拒み仰ぎし月おぼろ 不光
夕立打たれてみたし柵ゆする 瓜山
桐一葉見せる如くに舞いにけり 三溪
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