「他人に裏切られるよりも速いスピードで自分を裏切らなければ、人殺しひとつ、犯罪ひとつできやしない。薔薇色の連帯、それはまず裏切る自分を殺し、同士を殺していくスピード以上の冷徹な力が、相集まること。その自分だけの力を、相集まった力と同等に信じること。裏切る以上に強いことを知ること。そうすれば死ねる。」
『性賊/セックスジャック』(監督 若松孝二)若松孝二監督の訃報が入った(2012年10月12日没)。若松孝二は、終生、体制というものに反発するエネルギーをテーマに作品を世に送り出してきた。本人は至って冷静な眼で作品を作り上げていた。上掲句は、若松監督への追悼するにふさわしい句と思える。
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「撫で殺す」は、複合動詞の造語であると思うが、独特な敏雄の動詞使用は、恐らく、戦火想望俳句の一句中での動詞多用の発展形かと現在判断している。
噛みふくむ水は血よりも寂しけれ 『真神』『巡禮』
裂き捨つる靑蘆笛を平野かな 『鷓鴣』
飲みほぐす代代の眞水や夏くさし 〃
せせり食ひ餘すは海の針の骨 〃
踏み捨ての石も霰も武州の産 〃
行き伏しの顔もて撫でん春の海 〃
顔押し當つる枕の中も銀河かな 『巡禮』敏雄にしかできない錬金術を私たちは、新たに発展させていくことができるのだろうか。
そして句の佇まいには古俳句の趣がある。『眞神』の世界は、前句集の『まぼろしの鱶』に比べ俳句形式のスタート地点に戻っている句が多い。新興俳句が何故消滅したかを敏雄は海上生活を送りながら思いを巡らせていたのだと推測する。白泉の影響が多大にある。それは、敏雄の『青の中』後記に詳しい。
重ねて思へば、昭和十六年の西東三鬼は、全く筆を折つて沈黙してゐた。が、渡辺白泉はちがふ。なほ、俳句に強く執着する姿勢を崩さず、それまでの自己の表現方法を問ひ直しては、発表の当処ない作品を刻刻と書きとめてゐるのであつた。同時期の私が、その白泉や、後れて出会の機縁を浴びた、阿部青鞋氏等による、俳句古典に近附かうとする姿勢の影響下に、言はば出直しを計った経緯も、前記『太古』自序引用部に見られる通り、決して故なしとしない、之を言い換へると、私に於ける新興俳句の志向を一時的にも断念し、それ迄の私にとつては未知の、古典の表現力を、初心に帰つて身に附けたいと考へ初めた訳である。
俳句表現に在つて、新しい姿情は、新しいといふだけで、多少の価値を認めることも出来る。だが、古典の姿情に追随する限りでは、さうは行かぬ。先蹤の何れかに忽ち似通つてしまひ、徒に、古い表現様式の中に耽溺せざるを得なくなる。二箇年余の応召期間を一水兵として暮らし、敗戦後復員した私が、西東三鬼に再会した時、三鬼は、私の取り出す句稿を一瞥して、「まだオニツラをやつてるのか」と嘆いて下さった。
「まだオニツラをやつてるのか」というくだりは三鬼、敏雄の間柄を語る有名台詞となっている。鬼貫をカタカナ表記とした敏雄の真意が問われることがある。単に俳句を遅く始めコスモポリタンを自負する三鬼にとって鬼貫は逆にガイジンのような存在と推測できるが、鬼貫の俳壇との距離感を意識した表記なのではないかという読みもできる。鬼貫は「東の芭蕉、西の鬼貫」と呼ばれていたにも関わらず、俳壇における生計樹立は望まず、弟子を取ることもしなかった。敏雄の行く末に対する悲観・落胆をも意図するシニカルな三鬼を表現するとともに、師の歩む道とは異なることを敏雄は明確に打ち出している。『青の中』後記
敏雄が古俳句から何を学んだか。恐らく敏雄愛読者終生の課題である。
大津絵の筆のはじめは何仏 芭蕉(曲水宛書簡)芭蕉の「何仏」も敏雄の「何をはじめの」も対象を読者に想像させることにより句が成り立っている。原点と新しい型に挑んでいるのが『眞神』なのだろう。加えて、敏雄の上掲句は、「撫で殺す」「何を」「野分」のN音がリズムを奏でる。
『眞神』に傾倒するマニアック好みの読者が多いことも納得する。
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「野分」・・・一時の殺傷力のある愛と似ているのではないかと想える。
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