65. 柩舟やゆくもかへるも流れつつ
流れる句である。
『眞神』の彼の世この世を行きつつ戻りつ浮遊している敏雄の視点。それは俳句形式を模索しているような着地点のない世界を思う。行き場のない遺体を乗せた柩舟が彷徨う。敏雄自身が苦しんでいるようにも思える。
柩舟が何処へ行くのか、そして何処へ帰るのか。三途の河を誰しも想像するだろう。鎮魂の句としていると読める。
戦争で死んでいった多くの犠牲者の命のことを想う。
戦中派の世代を知るため敏雄よりも二つ若い小野田寛郎少尉がルバング島で発見され、全国からの見舞に対するお礼の手紙の文面を紹介する。
拝啓
御健勝の御事喜ばしく存じます。
私 帰還に際してはわざわざ御親切なお祝のお便りを頂き誠に有りがたく存じて居ります。今日、生きて日本に帰り得たことはひとえに亡くなられた戦友のお蔭と国民皆様の努力の賜で何とお礼を申し上げてよいものか言葉もなき次第でございます。
帰られぬ戦友、帰り得た私、その運命の非情さを考えれば帰還の喜びは一瞬に失せ、思いは再び戦場に還ってしまいます。全く相済まぬ事をいたしました。肉親の皆様方に深くお詫びいたしお叱りを受けて、そのお赦しを願わねばなりません。
肉親の皆様は終戦後の毎日をさぞおつらくお苦しく続けられたことでしょう。よくお耐え下さいました。
男一匹の私らとは比べものにならない年月をお送りなされたことでございましょう。よく生き貫いて下さいました。
今、御遺族の貴方様から御慰め頂きましたがこれは全く逆でございます。お慰め申し上げなければならぬのはこの私でございます。何と申し上げても申し上げきれないのはこの私でございます。本当に申し訳ございません。私の今日が祝福されればされる程、私はますます御詫び申し上げなければならないのです。お願いでございます。私の心をお察し下さってお赦し頂きとうございます。
お互いに死を誓って戦場に出たとは申せあくまでも死は死、生は生でございます。亡くなられた方は再び生きてかえらず、生き帰ったものは全く倖せなのです。戦争の悲劇、全く言い様のない気持です。今迄生き貫かれた貴方様、尚も強く生き通して下さい。それが私にとって最もうれしくお祝の言葉、お慰めの贈りものでございます。
私の社会復帰について御心配を頂きますがそんなことは第二第三の問題です。私の第一は遺族の皆様のお赦しを頂くことです。どうぞ御健康に御多幸に一日も早く遺族の苦しみ悲しみから抜け出して下さい。それで私は心から解放されるのでございます。右御詫びかたがた御礼まで。
昭和49年5月
海南市 小野田 寛郎
昭和四九年三月にルバング島から帰国し、その二か月後の心情が表れている。タラップを降りる小野田さんの姿に釘づけになり、正に、日本の戦後をリアルに見た瞬間だった。『眞神』の上梓は、同じ年、昭和四九年十月。日本は戦後景気になっていたが、解除命令を待っていた兵士がいたのである。
戦争という時代に流され、多くの御霊を見送り、生きていかなければならない敏雄の世代。生きて帰ってきたことに対するやるせなさを思う。
「柩舟」は、時代に流された敏雄世代の魂を乗せているように読めるのである。
66. 海ながれ流れて海のあめんぼう
流れる句二句目。ここでもリフレインである。
俳句が言葉遊びの詩歌であることを思う。
「流れて」の字面通りに流れるように読める。意味上では、上五「海ながれ」で切れているのだろう。「流れて海のあめんぼう」になった対象が意味上であると読める。「流れて海のあめんぼう」になったという図式。流されたのは人なのかと想像する。
アメンボ(水黽、水馬、飴坊)は、カメムシ目(半翅目)・カメムシ亜目(異翅亜目)に分類される昆虫のうち、長い脚を持ち、水上生活をするものの総称である。よって、練習船の事務局長として永く水上生活を送っていた敏雄本人のことかとも想像できる。
人は、時代、運命に流され、六本足で踏ん張っている、あめんぼうなのである。
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