戦前の昭和16年の作であるが、圭之介が信州佐久に住む「層雲」同人の関口江畔・父草親子の居を訪れた時のものである。独活は山地に自生するウコギ科の多年草で、軟白の若芽は歯触りが良く芳香があり、生のまま酢の物や和え物にして食べる。信州の山家らしい初夏のもてなしであろう。流しに置かれた独活の白さが鮮明な印象を与える。その衒いのない快いもてなしと関口親子の人柄故にでもあろうか、圭之介は旅の途中に佐久の近くへ来れば必ず立ち寄ったようである。
(昭和9年12月・信州佐久に関口江畔老を訪ね三泊) 注①
雪からふき出る浅間の煙よやって来ました
では ホヤの底に灯をねじ入れて おやすみなさい
(昭和11年1月・再び関口居)
冬も全くわらじにひえる道となって追分です
鴉はカアとしか鳴けない七曲りを曲って行く
(昭和14年1月・三たび関口居)
塗箸そばをかく
浅間のふもと人の住む灯のみえて月の夜
(昭和16年5月・父草居)
家があって見えてきて逢いに行く
木が花をもち子供が花をもち
梨の花の暮れる時らんぷのホヤみがいている
門 おばあさんのランプの灯が揺れるともう一度さよなら
掲句と同じ訪問時の作品であり、関口一家のほのぼのとした雰囲気と当時の生活環境が感じ取れよう。佐久への来訪はまだまだ続く。
(昭和21年2月・父草居)
浅間のけむりを壁の向う らんぷ吊して
(昭和29年5月・父草居)
口に山独活のほろ苦さもよし佐久はよし
夏の朝起きて老人さて九十とは見えず (関口江畔老)
(昭和38年4月・父草居)
やや浅間に傾きおる月のこんや君の家
唐松の林余程みどりを増すとき通る
(昭和49年2月・父草居へ)
逢いたい 横がおに笛吹川くもる
いつ来てもここに坐ることのお久しぶり
(昭和49年6月・父草居)
佐久の郭公ここに君あれば我また来(きた)る
関口父草は江畔の三男で「層雲」の有力同人であり、その作品には次の様なものがある。
月夜のまがるところをまがり盲(めしい) 注②
重い荷を下した空がある
冬の夜おしかたまつていねて貧しさ言わず
一草一仏とおもう花の白さよ
また昭和11年には種田山頭火が佐久の関口江畔・父草居を訪れ、歓待されている。その日の山頭火の日記には次の様に記されている。
「江畔老の家庭はまた何といふなごやかさであろう。父草君が是非々々といって按摩して下さる、恐れ入りました」 注③此の時の事を父草も句に残している。
夜の雨おとのそれから肩をもみしな 父草 注④その信濃路で山頭火は名句を残していった。
あるけばかつこういそげばかつこう 山頭火 注③
注① 「ケイノスケ句抄」 層雲社 昭和61年刊
注② 「自由律俳句作品集」上田都史・永田龍太郎編 永田書房 昭和54年刊
注③ 「種田山頭火」 村上護 ミネルヴァ書房 平成18年刊
注④ 「父子草」 関口父草 層雲社 平成3年刊
(この句集の題名は、かつて信濃路に脚を踏み入れた山頭火が数日間この地に脚を休めたことから、関口江畔、父草親子に親しみを込めて付けた名に由来するものとか)
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