2013年4月19日金曜日

俳句時評 第87回 ~テーマパークで夢を見る~ / 外山一機


今年初めに亡くなった福田基は、師である林田紀音夫が第二句集『幻燈』以後、無季作家からの「変身」を企図していたことを指摘していた(「林田紀音夫の俤 雑感風に」『俳句界』二〇〇八・六)。林田の無季俳句を時代が必要としなくなっていくのを、林田は自身の変化とともに誰よりも敏感に感じとっていたのであった。たとえば林田の無季俳句を時代の表現ではなくあくまでも個人の物語として享受し消費したがるのが僕たちのいる現在の風景なのであって、そのような風景のなかにこそ『豈』(二〇一三・一)のあとがきに記された「今は『幸せな者?が俳句を書く時代』なのかも知れない」という認識も現れてくるのであろう。

先頃、恩田侑布子が評論集『余白の祭』(深夜叢書社)を上梓した。恩田は俳句史を辿りつつ俳句を「身と環の文学」であるとする独自の見解を提示しているが、その評論家としての手際の良さが端的にあらわれているのは「桑原武夫「第二芸術論」に応う 極楽への十三階段」であろうか。恩田は桑原の「第二芸術―現代俳句について―」について次のようにいう。

俳人から評判が悪いこの論文が私は好きです。切って捨てる厳しい論調に、限りない
父性愛を感じるからです。ちょうど祖父の世代に当たるので、その厳しさが有り難くな
ります。(略)
 
折に触れて繙いてきた「第二芸術」ですが、今回ノートに論点を書き抜いてみるとお
もしろいことに気づきました。隠し階段が潜ませてあったのです。桑原は同時代の俳壇
を、みんな仲良く上っていく階段、「極楽」という衰弱死が控える十三階段に、すなわ
ち絞首台にこっそりと喩えていたのです。

「俳人から評判が悪いこの論文が私は好きです」という言葉からは表現者としての恩田の自負がうかがわれるが、恩田はこの十三階段を上りながら、第二芸術論をあるいは揶揄し、あるいは認め、あるいはその非を指摘する。そのなかで桑原のいう「いまの現実的人生は俳句には入りえない」という点については、近代以降の俳句史に「現実社会には目を塞ぎ」「身のまわりのきれいな自然にこだわ」る「屋上庭園派」と、「非日常なる詩的俳句を追求し」「他者不在の俳句の出現」をもたらした「自我肥大派」とを見出し、「一句が作者の全投影ではなくなり、まるごとの人間が俳句から消えてしまった」と述べている。

だが僕は、多分に否定的なニュアンスをこめて発せられたであろう次の言葉に違和感を覚えた。

まるごとの人間が消失した代わりに俳句を支えるのは意図と演出です。明るいひかりをわたり歩く扁平でクリーンなテーマパーク俳句。一枚コンクリートをめくればそこは埋
立地です。生き物の歴史がありません。

僕にはなぜいまの僕たちが「まるごとの人間」といったものを詠えるのかがわからない。だから僕には、この言葉はほとんどそのまま僕たちのいる俳句の現在を肯定する言葉にさえみえる。僕たちは初めから意図と演出によって俳句をつくってきたのではなかったのか。戦後派が老大家となり、戦後派以後を「戦後派以後」という名で呼ばざるをえないような状況を通過した現在にあって、僕たちのいる場所は扁平でクリーンな俳句で満ちている。恩田は「季語は俳句を作る人間にとっては、また味わう人間にとっては、本体でも本尊でもなく、はたらきなのだ」としているが(「おのれを拓く発光装置・季語」)、まさに季語が「本体でも本尊でも」あるような「クリーン」な俳句表現こそ僕たちのいる場所に流通していたのであった。けれども、それを批判することにどれほどの意味があるというのか。僕には古地図に描かれた東京湾よりもコンクリートによって上書きされたディズニーランドのマップのほうが愛おしく懐かしいのである。

僕たちのいるクリーンな場所の周旋者の一人に長谷川櫂がいるが、本書にはこの長谷川にかんする評論も収録されている。恩田は長谷川の第一句集『古志』について「俳句の可能性が満ちあふれている」、あるいは「俳句史上の黄金の釘であることを私は疑わない」とする一方で、「自分を古典とことばに、すなわち自分の信じる「場」なるものに、ややかたくなに早々と明けわたしすぎた」として近年の長谷川の作品をやや批判的に論じている。たとえば『果実』『蓬莱』『虚空』の数句を挙げたうえで、次のように述べる。

現実よりも、十七音という額縁的な「場」のなかで、季語が力を発揮する季のハイパ
ー空間が現れる。季物が手に取るように浮かびあがる。季物のコーディネイトの達人と
いう意味で、すぐれた茶人の感性をさえ思わせる。櫂自身のことばを耤りれば、「季語
をホログラムとしてつかいこな」した句群である。
 
しかし、どれにも発想の契機に混沌がない。すなわち櫂自身のいう、切れという「黒々
とした深淵」がない。作者の関心はことばの木の根っこの部分ではなく、すきとおる若
葉の部分に集中している。

長谷川へのこうした批判が、ときにむなしいものに感じられるのは僕だけであろうか。このような言葉が僕に強く印象付けるのは、長谷川の俳句表現の至らなさよりも、むしろ、このような批評の言葉が、長谷川自身には何も響かないであろうということ―そして、それは長谷川の傲慢さや表現者としての無自覚さから生ずる落ち度などではなくて、恩田の批評の落ち度を示唆するものではないかということであった。

そもそも、長谷川の「俳人」としての「見事な」歩みを思い起こせば、この程度の言葉によって揺らぐ長谷川ではないし、「黒々とした深淵」のない俳句の隆盛もまた喝破しえたとはと思えないが、僕にとってはむしろこのような長谷川の表現者としてのありようや、「季のハイパー空間」の形成に熱心な者が生み出される場所のありようこそが興味深いのである。たとえそれが無意識的な行為であったとしても、自らの表現から「黒々とした深淵」を追いやってしまうような「俳人」の登場は、起こるべくして起こった事象であるに違いない。いま、俳句に「黒々とした深淵」などというものを求める者がどれだけいるというのだろう。だから、長谷川櫂にまで「黒々とした深淵」を求める心性は、僕には懐古趣味にみえる。なぜそのようなものを表現しなければならないのか。そのようなものを表現することは、いまもなお僕たちの切実な行為たりうるのだろうか。本当のことをいえば、表現するということのもっていた切実さというものにさえ、僕はときどき違和感を覚えるのだ。表現をするということを、今でも本当に僕たちは希求しているのか。

恩田は第二芸術論に対して次のようにも書いていた。

わたしたちは、そしてわたしたちは、楽しい十三階段、上りかけた十三階段を下りようと思います。(略)
わたしたちはパレードの見学者であったり、アトラクションで時間をつぶす決まりきった消極的な句作にさようならを言います。テーマパークで遊ぶのをやめ、時代の曠野に出ます。時代の流れるごつごつした溪や川原を歩きます。目だけの人間であったり、密室で空想する脳だけの人間であったりするのをやめます。

恩田は「テーマパーク」との訣別を宣言する。でも僕には「テーマパーク」と恩田のいう「溪や川原」の違いがわからない。僕がわかっているのはせいぜい「溪や川原」のような「テーマパーク」を歩いているということだけである。そして少なくとも僕にとって表現行為とは、「溪や川原」を歩くことを断念することから始まっている。僕はあまりに「テーマパーク」で遊びすぎたのだろうか。しかし本当は、「テーマパーク」で遊ぶことをもって「僕」であったような気がするのだ。「アトラクションで時間をつぶす」ことは「消極的な句作」だろうか。だが僕は「アトラクションで時間をつぶす」ことをむしろ積極的なそれとしてみなすことで、この空虚な営為の果てに夢を見ようとしているのだ。


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