2013年4月5日金曜日

俳句時評 第86回 将棋・電王戦と文化における「場」/湊圭史

現在、「電王戦」と題して、プロ棋士とコンピュータ将棋プログラムとの5対5の団体戦が進行中です。ニコニコ動画で配信されているので、ふだん将棋に興味のない方も観られたかもしれません。プロ棋士の側は、呼びかけに対して立候補された中から選抜した5人。コンピュータ側は、毎年行われている「世界コンピュータ将棋選手権」2012年度の上位5番までのソフトが登場。3月23日に行われた第一戦は、阿部光瑠四段(先手)VS「習甦」(後手)。結果は阿部四段の圧勝。途中まで別のコンピュータ・ソフト(「ボンクラーズ」)が後手の「習甦」がリードしていると判断していましたが、解説・検討室のプロ棋士ではずっと阿部四段が優勢と見られていたようです。ソフトは1秒にウン万、ウン億手読む、ということですが、それでも棋士の形勢判断が勝ったということらしい。3月30日の第二戦では、ソフト「ponanza」VS佐藤慎一四段。こちらはコンピュータの勝利。人間から見ても序盤~中盤にかけて佐藤四段のほうが押され気味だったようですが、それから盛り返し、勝勢になるかも、というところで人間らしいミスが出たようです(個人的には、佐藤四段の敗北を見て、あらためて、先週に勝った阿部四段の強さ、絶対に負けない差し回しが印象に残った感じです)。

この第二戦での敗北が公式の場でプロがコンピュータに負けた最初の例になってしまった。佐藤四段にはキツい体験になってしまいましたが、実際は非公開の場でプロがソフトに負けていたり、プロに勝つような高段アマが先に負けていたりしましたので、それなりに興味をもってみている者にとってはさほど驚きはない結果でした(もっと興味があり、将棋に入れ込んでいる方は別の意味でショックかもしれませんが・・・)。数年前に「ボンクラーズ」に公開の場で勝利した渡辺明竜王(羽生善治三冠と並ぶ現在のトップ2といってよい棋士)のブログを見ても、プロ棋士のあいだでも「あり得た結果」と見られていることがわかります。プロ棋士側の5人の選び方を見ても、四段(プロ棋士の一番下の段)の若手たちから、最後に登場するトップ棋士の一人・三浦弘行八段までバランスよく並べて、コンピュータと人間プロとの現在の力関係を測ろうとしていると思われ、日本将棋連盟(プロ組織)が「全勝を確実に狙いにゆく」という姿勢でないのがわかります(A級棋士で名人にも挑戦経験のある三浦九段が敗北すれば、かなりのショックでしょうが)。ともあれ、今年の電王戦5番勝負に勝ち越したとして、コンピュータのスペックの向上とプログラマーの方々の工夫が続いてゆけば(当然そうなりますが)、数年のうちにプロでもコンピュータ・ソフトに勝つのがかなり難しい事態になるだろうというのが一般の予想ではないかと思います。

ネット上では、「コンピュータに負けるようなプロならいらない」といった極論も散見されますが、プロ同士の試合の魅力は別にあると思いますので、プロの存亡といった流れにはならないでしょう。そもそも全幅検索を基本として虱つぶしに手を読んでゆくコンピュータと、直観をもとに考え読みを補助とする人間ではシステム自体が違いますし、冷静に考えれば、自動車にランナーが勝てないのと一緒、というのは言い過ぎですが、それに近いかたちで、もともと勝負をつけることに意味がないとも言えるでしょう。現在は、たまたま両者のバランスがとれた状態なので、ニコニコ動画がとびつくようなコンテンツになっているわけです。

ですが(とここからが本題)、プロ棋士が存続するとしても、今のような形とは変わってくるかな、という気もしています。ニコニコ動画を観られた方は気づかれたかと思いますが、いまの将棋中継の面白さはゲーム自体の緊張感だけではなくて、解説として加えられる別の棋士による検討というのが大きなウェイトを占めている。ニコニコ動画だけでなく、テレビやネットの中継でも、ファンとしてはそうした解説をのぞきながら、あれこれ考えるのが楽しいのです(自分ですべて検討するというコアなファンもいるかもしれませんが、ごくごく例外でしょう)。さて、コンピュータ・ソフトの判断がプロ棋士のそれより正確さにおいて勝ってしまった場合、そうした楽しみは成立するのか。現在でも、ニコニコのコメントなどで、「うちのソフトでは~」と書く無粋な方々も見受けられますが、そうしたコメントがプロ棋士の検討より本当に正しいとなれば、解説を見るのもシラけてしまう。また、プロ棋士の先生方が検討室などで和気あいあいとああでもない、こうでもないと言い合っている光景も、横で新聞記者が走らせたソフトに先を越されるようではバカらしくなってしまうかも知れません。

上で書いたようなことをまとめると、「(プロ)将棋」という楽しみ・文化は、将棋のゲームそれだけで成り立っているわけでない、それはコンピュータが人間より強いということになると維持できるのだろうか、ということになります。棋士同士の戦いを楽しむ、ということはこれからも続くとは思いますが、プロ棋士を中心としたコアな集団がそれをとりまくかたちで存在し、それを通してファンが楽しむというかたちはどうなってゆくのか。家庭用コンピュータで走らせたプログラムで、棋士の手の良し悪しが100%とは言えないものの、それに近い率で分かるようになったら・・・。また、棋士たちの研究の結論がコンピュータであっさり出るようになってしまったら、どうか。コンピュータに見えない「奇跡の手」をトッププロが指すことを期待するとしても、それはずいぶん狭い可能性になってしまいそうです。現在、日本のプロ棋士(ここでは男性に限りますが)は全員が日本将棋連盟所属で、ほとんどが奨励会という育成組織を経て、四段に至ることでプロとして認められた人たちで、一種クローズドな形態なわけですが、上のような事態になった時に、今までのようなかたちでは必要とされなくなるのではないか。チェスと同じように、個々人が(アマとプロの境界を外して)直接大会に参加し勝つことで収入を得る、という形のほうがよい、ということにならないか。いずれにせよ、将棋という文化の「場」は少なからず影響を受けることになるのではと思われます。

と、「俳句時評」に将棋のことばかり書いてきましたが、コアな集団、「場」がどうなってゆくのか、というのは、短詩型においても重要な論点ではないかと思います。コンピュータが作る俳句というのは今までのところたいしたものは見たことがない(これまで見たのはコンピュータじゃなくて、カードか何かに書いても出来るんじゃないってレベルのものだけで・・・)ですし、言語というものの性質上、かなり困難なものでしょうが、「文化」というものがうまく成立するバランスのあり方について、将棋「電王戦」は示唆的なのではないかと思うのです。情報共有と情報処理が進んでくると、コアな集団がなくなるか、その形態を変えてゆく、というのは、言語芸術についてもいえるところでは、と(句会をしながら、iPadもった奴に「その句はデータベースに類句がある」とか言われると興ざめですね~)。

電王戦第三戦は、今週土曜日、4月6日、船江恒平五段VSソフト「ツツカナ」。ニコニコ動画で9時半から終局まで放映です。

2 件のコメント:

  1. 湊です。
    三浦弘行さんは八段ですね。失礼いたしました。

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  2. 三浦弘行八段に訂正しました。

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