【九】津田清子の発見・〈靑田靑し父帰るかと瞠るとき〉など。
1)誓子選を通過すると、各号の遠星集に掲載される。この欄は、誓子の「獨斷」による選評を兼ねた、天狼俳句のフレームが展開されている。
曰く。
遠星集にたいする批評にはつとめて傾聴することにして、答えるべきは答えている。「緋衣」の批評は好意の感ぜられるで批評であったため/長い答を書いた。(天狼第二巻十一號山口誓子《選後獨斷》)
「マンネリズム」「これをもつて完成成熟度の証左と誇り・・」、という揶揄に対して、「天狼の根源探求の志向の一致がある」ので、似てくるのは止むを得ない、という。
「遠星集」の多くの作品は、完成作である、といえどもあまた羅列すれば退屈を感じさせるかもしれない。しかしこれはそう思う方が贅沢である。自分には、未完成品を入れる時の退屈の方が大きい、と。敢然と反論。「遠星集の一句一句は仔細に見れば、一歩づつ前進している。全体として目に見える前進はないが、一歩一歩が尊い」というところで、遠星集の弁護を果たし、この号の作品評に入る。
「靑田」「油虫」「泳ぐ」という季語の置き方読み方に重点をおいて、精緻な分析がなされている。さすが。さすが、と次第に納得させられる。同時に人によっては、「深読み」過ぎると思う人もいるかもしれない。
2)
☆この号の巻頭は、堀内小花の次の句。
父の語気激し靑田の勢いに
堀内小花氏―― 略) 父はこに向かって荒々しい言葉を子に放つた。その言葉は、激した父の体から出たものにはちがひなかったが、それは靑田の勢ひでもあつた。―こゝが説明を要するところである。また、説明しても通じ難いかもしれぬところである――。
(略)。靑田には激しい生動の気がひそんでいて、鬱々としてゐるのである。だから、靑田のはげしい生気は、人間が怒ったりしたときなど、その人間の身の内をくぐつてあらはれもする。「靑田の勢に」はそのことである。/靑田といふものも、唯眞靑とのみ見ずに、そこに潜在するものを見抜かねばならぬ。
☆さらに津田清子の句に触れる。
津田清子さんの「靑田靑し父帰るかと瞠るとき」も單に靑田を靑し」と見たのではなく、
凝視の裡に漲つてくる一種の生気を捉へたのである。そこまで行かねばならぬのである。
百姓の首まで浸る鹹き潮
同氏――百姓の海水浴ではないか、と簡單に片付けて貰つては困る。
百姓は水に入つて行つたが、さう深くもゆかぬうちに立ちどまり、まるで湯に浸りでもするかのやうにずつぷり身体を浸して、首だけ上を水面に殘した。百姓が水に首まで浸つたのは。水に浸ることをよろこぶ百姓のユーモアである。その水を最後にしほからい海の潮だと云つて言下に場処を限定したのは水のユーモアである。
海の潮なら海の潮でいゝではないかと云ふのは凡常に過ぎる。「鹹き潮」と云ふのは、單にリアルを追求したにとゞまらず、謂はば言葉の贅沢によつて、更に云へば言葉の遊びによつて、この句を緊張せしめたのである。学ぶべきところである。(39ページ。下線は堀本)
「靑田」という季語を表面的ではなく、見る人の生命感に移し変えること、を教えている。
また、線をひいたところの「ユーモア」の発見が独特。この句、誓子にこう読まれることで、通常の俳句鑑賞の視点を変えられる。
「海の潮」ではなく「鹹き潮」といい止めたことを「言葉の贅沢」、「言葉の遊びによって」、「この句を緊張せしめたのだ。」という。この、ユーモアを醸す直言が句の「緊張」に役立った、といういいかたも、パラドックスを含んだ認識である。初めて目にする。
清子の鑑賞で誓子が「学ぶべきところだ」、という表現を使っていることばは記憶しておきたい。これは、多分、清子の句にことよせた読者に向けての指導者としての発言であろうが、かりにも弟子である。しかも若い娘、弟子である橋本多佳子の弟子。誓子のこのような褒め方は、後代の私から見るとすこし不思議である。だが、清子のこの二句をはさみ師弟の感性のコレスポンダンスが生まれている。誓子自信が、津田清子という根源俳句精神の発現の例を見ている、とはとれないだろうか?
☆これに続いて、
晝酒に靑田傾くまで酔ひし 小山都址
には、「晝酒の酔ひ」を船酔いから類推して、自分の感じたことから推して作者の感じたことに入り込むという感応の仕方を語り、こういう形で他人の句を鑑賞できるはずだ、という。「人間にかゝる感応作用がなければ、作品鑑賞の成立し得ない場合がある。」(40ページ)
☆ 油虫細くかなしき日がさして
表高見氏――光線の「かなしさ」は油虫の「かなしさ」である。世上の混乱を愛し、粗雑をよしとする青年作家は、この句をその整へる純粋な表現のゆゑに青年らしくない句と主不かも知れぬ。さふ思ふ作家はこの句が青年の感傷(甘かるべくして甘からざる鑑賞)に發していることを見抜き得ぬのである。
どういう批判に対してこれを言ったか、わからないが。
☆ 人泳ぐ岐阜も颱風圏なるに 薄烏城
には、台風前の長良川に生じている泳ぐべからざる泳ぎに対して、「その現実の泳ぎを現実故に如何ともしがたい」と見ている、その「言葉の運びによくであらはれ」「感情の律動がよくあらはれている」。「岐阜が颱風圏に入ることは少ない、その意味で「岐阜」がよく効いていると思う。」
所与のものである「季語」、そこにあるから使われたはずの「地名」なども素材として生かしていることを褒め、人間の行為の奇妙さ、こういう偶然が生んでいる非現実の光景のリアル化、そう言う言葉の光景が出されたことに感興を示す。
3)
最後に また津田清子に返る。
吾下りて夕焼くる山誰もゐず
津田清子さん――(前略)
作者は山を下りて來た。山には何処にも人影がなかつた。作者が下りきつたときは、山は夕焼けてゐた。夕焼けに美しく染つたその山には、自分の下りた後には、綺麗さつぱり、誰もゐないと言へば本当に誰もゐないのである。誰もゐない山が夕焼けに美しく染ってゐる。(40ページ)
この、自分がいなくなった夕焼けの山を的確に掴んだ、この風景は、単純な写生ではない。「根源」に関する天狼同人たちの論術は、これらの号にはすでに盛んに現れていて、堀口小花(薫)、永田耕衣、波止影夫らの意見も目に付く。山口誓子自身も、遠星集の新人の句を材料にして、「根源俳句」というものの捉え方を探求している。いってはみたものの、だれも、明らかなかたちで俳句の「根源」なる姿を見たものはない。津田清子のさしだす俳句の中には、その片鱗がうかがわれると誓子はその選をもってしめしている。
清子の句の中に、誓子がまだ、具体的に具現していない「根源」なる姿があったのかもしれない、と、これは誤解かもしれないが、そういう熱意で、誓子は「津田清子」等の「俳句」を読んでいる。
(この稿 了)
0 件のコメント:
コメントを投稿