編集後記というと「俳句研究」高柳重信の重厚な文章で読み応えがあります。『新撰』『超新撰』『俳コレ』発刊あたりの記事に引用、あるいはシンポジウムでリフレインされたような記憶があるのですが、その一節を下記に引いてみます。
俳壇の歴史を振り返ってみても俳句表現の新しい魅力は、新しい作家の登場によってもららされてきた。そして、その新しい魅力も、同じような作風が、五年十年と歳月を重ねるたびに、次第に古びてゆき、やがては、新しい何かを待たれるようになる。そこに、また、新しい作家が、新しい作風をもって登場してくる機会が生まれた。このような更新が、しごく自然に行われていれば、俳句形式は、いつまでも古びることはない。この点で、高浜虚子は、もっとも傑出した演出家であり、編集者でもあったような気がする。昭和四十五(1970)年7月号 (『俳句の海で 高柳重信』ワイズ出版)
上記からすでに43年の歳月が流れ、その間も俳句は作り続けられ、読者は常に新しい作風を期待してきました。新しい作風とは何なのか、それは俳句とは何かということが常に考えられてきたということに等しく、まさにそれらを読むことが「戦後俳句を読む」ことかと思います。
俳句作品(10句)を今号より【現代風狂帖】としてみました。(筑紫相談役案)
今号は、紺野ゆきえ氏と小林かんな氏の作品。
小林かんな氏作品が挙げられている、豈weeklyの記事(2009年11月19日号)をみつけました。
(豈weeklyは相当の文書量であり貴重な資料データベース的役割を果たしていると改めて思い、高山れおなさん、中村安伸さんを労いたいと思います。)
今後の作家ラインナップも揃ってきました。作品掲載もますます御期待ください。
筑紫磐井
○現在、「歳旦帖」「春興帖」に続き「花鳥篇」を企画している。多くの作家たちが、場を一にして競い合うのは日本的伝統に適ったものであるかもしれない。連歌、連句、歌合せ、句合せなどを踏まえて、伝統と前衛の饗宴を作りだしたい。
○福田葉子さんから、福田さんが参加した故高柳重信を中心とした句会報の一部を頂いている。様々な顔ぶれが登場する梁山泊的なおもむきの句会である。ある程度まとめて、いずれ論考として報告したいと思う。
○東京で攝津幸彦研究会が開かれる。昨年(9月8日)神戸文学館で豈同人により「1970-80年代の俳句ニューウェーブ〈攝津幸彦〉を読む」と題してシンポジウムが開かれたが、今回はこっそりと飲み屋の席で行われる。ただ、初めて攝津幸彦に触れる人たち(豈同人は一人もいない)だけに新鮮な内容となりそうだ。従来の人が誰も取り上げなかった句も俎上に上がっている。これらが材料となり、豈の次号(55号・56号)企画が組まれてゆく予定である。
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