あの世と此の世を行き来する、妖艶な女流俳人として名を馳せた、苑子の五十年余りの俳句人生と作品を、今一度、検証してみたいと思う。古典、軽み、癒しの俳句とは対極にある凄絶な俳句が彼女の代名詞となってはいるが、初期時代は、「春燈」で有季定型の基礎を学び、晩年は、静かな達観、無常を詠いあげながら、{生前葬}という形をとり、俳句人生に幕を閉じた。その数奇な女流俳人の世界を、一人でも多くの方に堪能して頂きたいと思う。十年ではあるが、苑子に教えを受けた貴い時間を反芻しながら、書き進めたいと思っている。
苑子略歴
大正二年 (一九一三)静岡県伊豆に生まれる。昭和十九年 (一九四四)戦死した夫の遺品に句帳を見つける。
昭和二十二年(一九四七)幾つかの俳誌へ投句。「鶴」石橋秀野選に入選など。
昭和二十四年(一九四九)久保田万太郎の「春燈」に入会。
昭和三十三年(一九五八)高柳重信の要請に応じ、「春燈」を辞して「俳句評論」を創刊。自宅が発行所。
昭和四十七年(一九七二)尊敬する三橋鷹女没す。
昭和五十年 (一九七五)第一句集『水妖詞館』刊行。現代俳句協会賞受賞。
昭和五十一年(一九七六)第二句集『花狩』刊行。
昭和五十四年(一九七九)第三句集『中村苑子句集』刊行。集中の「四季物語」で現代俳句女流賞受賞。
昭和五十八年(一九八三)高柳重信急逝。「俳句評論」終刊を決意。
昭和六十一年(一九八六)富士霊園に苑子の墓「わが墓を止り木とせよ春の鳥」の隣に高柳重信の墓を建立。墓碑銘は「わが尽忠は俳句かな」
平成元年 (一九八九)福山市郊外に高柳重信の句碑建立。
平成五年 (一九九三)第四句集『吟遊』刊行。
平成六年 (一九九四)』吟遊』で詩歌文学館賞、蛇笏賞受賞。
平成八年 (一九九六)第五句集『花隠れ』刊行。
平成九年 (一九九七)「花隠れの会」を開催、俳壇からの引退を表明。
平成十三年 (二〇〇一)肝臓障害のため死去。
1. 喪をかかげいま生み落とす竜のおとし子
第一句集『水妖詞館』の第一句目である。竜とは、神話や民話に登場する実在しない生物である。日本では、十二支にも選ばれ、{竜の落とし子}という名の魚類までいる。しかし、掲句には水族館で見るあの愛らしさは感じられない。この句の「竜のおとし子」は、前者の、実在しないが、神話の対象として昔から日本人に馴染みの深い方であろう。
生み落とされた「竜のおとし子」は、「喪」を負っていると云う。生を与えられた瞬間から死へ向かうのは必然であるが、喪をかかげながら、竜は生み落とされたのだ・・・。即ち、此の世とあの世を行き来する女流俳人と、決定づけられた『水妖詞館』の句群を充分に意識して第一句目に置かれたのであろう。苑子自身の身体感覚に伴う詩への方向性、詩は生死であること、そして、生は死への始まりであること。まさしく、それを物語る一句であり、句集を開いた瞬間から苑子俳句に引き込まれる、妖しき予兆の一句でもあるのだ。 そして、「竜のおとし子」は、『水妖詞館』そのものであり、喪をかかげて、私は今、この句集を生み落とすのだと告げているのである。
- 吉村毬子略歴
1990年、中村苑子に師事。(2001年没まで)
1999年、「未定」同人
2004年、「LOTUS」創刊同人
2009年、「未定」辞退
現代俳句協会会員
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