季語の大御所、「秋の暮」である。
『眞神』上梓昭和49年の敏雄の年齢は54歳。「違いの解る・・・」ネスカフェゴールドブレンドのCMコピーが思い浮かぶ。賭けに出るには相応しい年齢である。粋も甘いも経験し、無口で凛とした知的で骨太、香りたつような男が鏡のような時代だったのかと振り返る。(なかなか現代に於いてはそういう男が生き難い時代でもある。)因みにこの昭和49年のネスカフェゴールドブレンドCMには北杜夫が出演している。
一連の敏雄の「秋の暮」。
木の下に下駄脱いである秋の暮 『青の中』
縄と縄つなぎ持ち去る秋の暮 『まぼろしの鱶』
秋の暮柱時計の内部まで
石塀を三たび曲がれば秋の暮 『眞神』
先人みな近隣に存す秋の暮 『疊の上』
あやまちはくりかへします秋の暮 『疊の上』
連れて行つてくれた先輩秋の暮 『しだらでん』
一日の果ては百年秋の暮
敏雄の「秋の暮」は古俳句の趣を外さない。そして一瞬にして過去なのか現在なのかの時制の位置がずれるような不思議な感覚である。
石塀を三度曲って秋の暮であった。もちろんここでは、秋の三夕の名歌を思描く「三」と思うが、三度曲がって元の位置に戻ることも考えられ、異界への扉があるようにさえ思える。石塀の中には故人がいるような気がしてくる。過去と現在の境が石塀であり、閉鎖された頑丈な境界線の外を歩いているようである。
「秋の暮」作句を一連でみていると、過去と現在という不思議な時空を行き来する敏雄の構想が順を追ってみえてくる。『眞神』46句目「油屋にむかしの油買ひにゆく」の「昔」を買いに行く行為と似ている。
「秋の暮」を「過去」という大まかな時制に置き換えてみるとそれがわかってくる。例えば、青年期の『青の中』では過去という次元の異なる世界に突然タイムスリップしているように下駄が脱いである。『まぼろしの鱶』では過去と過去をつなぎ合わせている縄を消してしまうかのように持ち去る。そして「柱時計」という時を刻み続けている象徴の内部までタイムスリップしていく。『疊の上』では過去の先人と共存する。とうとう過去のあやまちを「くりかへします」と途切れることなく未来へとつながっていく。タイムスリップする秋の暮は、深く、そして壮大な言葉として存在する。
「曲れば」の「ば」が場所を示すと思える。「秋の暮」という時空という場所である。
三たび曲がって『眞神』の頃の敏雄に出会いたいと思う。
(テーマ「秋」についての過去掲載分参照)
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