「こもろ・日盛俳句祭」も早いもので、今年五年目の節目を迎えます。「日盛会」は今から百年以上前の明治四十一年八月、高濱虚子が周囲の数名を誘って、まるまる一ヶ月、毎日催した「俳句会」にその淵源があります。「日盛」の名が示すように、暑い盛りの毎日ですが、そんな暑さをも「楽しもう」という、いかにも俳人らしい企画です。
私はいつも仲間達に言うのですが、俳句に「生憎の日和」は有りません。「花」が爛漫と咲き広ごるのも、「月」が隈無く照らすのも結構ですが、轟きわたる「虎落笛」の夜も、田畑と道の区別のつかなくなる「出水」の朝も、我々にとっては絶好の「俳句日和」です。ましてや高原の町小諸の「日盛り」が楽しくない筈はありません。
八月二日から四日まで開催される「日盛俳句祭」には盛りだくさんの企画があります。
まず大切なのは「俳句会」。これはあちこちで開かれる俳句イベントが、どれも事前に俳句を募集して、しかるべき選者が選句をし、それを発表・表彰するだけという形であるのと、大いに趣を異にしています。
小諸の「俳句会」は、当日集まった参加者が経験の長短や俳壇的な知名度とは関係なく、平等に楽しむもので、一会場二十名ほどの全員が未発表句を五句づつ出句し、それぞれ五句だけ選句するものです。また披講に先立って、各自が特選に選んだ一句を句評するもの楽しいものです。そんな会場が市内に五六カ所同時に開かれます。また、それぞれの会場には、二、三名の「スタッフ俳人(現俳壇で活躍中の若手中堅俳人がボランティア参加)」も混じって進行のお世話をします。
最近、「俳句会」には出たことが無いという俳句愛好家もおられるようですが、近代俳句が「俳句会」によって育まれて来たことは周知の事実です。「俳句会」こそ俳句の醍醐味そのものであると私は確信しています。
私は未発表の作品が「俳句会」に投ぜられる瞬間を、「生きた魚」が生け簀に放流された時のように感じています。作者自身にも、まだ作品の善し悪しの定めきれていない「生きた魚」。それが、他の作者によって放たれた「魚たち」と、入り交じって泳ぎ回る姿は壮観です。それぞれの「魚たち」の泳ぎぶりを見ながら、皆が、より元気な「生きた魚」を選び取るのが「選句」という作業です。仲間が放流した「魚」に価値を与える喜び、或いはそんな現場に立ち会える喜びは掛け替えのないもの。「俳句会」で初めて泳ぎ回っている「生きた魚」の新鮮さに比べたら、雑誌に載った作品や、句集に収められた作品は、どこか勢いの弱まった、干物か甘露煮のようなものかも知れません。
「俳句会」は懐古園の中の老舗旅館を会場にしたり、標高二千メートルの高峰高原のホテル、特別ダイヤを組んだ高原列車(小海線)の中でも開かれます。どうぞ、お好きな会場にいらして下さい。また、実行委員会がチャーターしたマイクロバスやタクシーが市内の名所に、皆さんを無料で運んでくれます。布引観音や信楽寺の泉、ワイナリーなどは絶好の吟行スポットと言えましょう。
各会場での「俳句会」が終わると、参加者全員が一同に会して「講演会(一日目)」、「シンポジウム(二日目)」が開かれます。今年の一日目の講演は茨木和生氏です。茨木先生独特の不思議な「季語」の話がうかがえるでしょう。二日目のシンポジウムでは「スタッフ俳人」を中心に「季題・季語」についての議論が戦わされます。
さらに 講演会・シンポジウムが終わった夕刻、一時間程ですが簡単なビヤパーティーが開かれます。「俳句会」や「講演会」での疑問や感想をジョッキ片手に語り合うのも有意義なことでしょう。
パーティー終了後、気のあった同士で、再び乾杯したり、食事をしたり、中にはまたまた「俳句会」をするグループも見かけます。ともかく「俳句三昧」の一日をお楽しみ下さい。高原の町小諸で味わう「夏の日」は、どこか昔の「林間学校」にも似た心の高鳴りを思い出させてくれることでしょう。
一人でも多くの皆様のご参加をお待ちしています。
なお詳細に関しては、小諸高濱虚子記念館内「第五回こもろ・日盛会実行委員会事務局」、電話0267-26-3010 までお問い合わせ下さい。
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