北川美美
酒巻英一郎さん(豈・Lotus)のご配慮で加藤郁乎氏の『晩節』を手にすることができた。発刊時にプレミアムの値段がついており入手困難だったのである。私が俳句に目覚めたのは最近のことであるが、前衛的活動をする人ということで加藤郁乎の御名前だけは十代より知っていた。加藤郁乎氏の廻りにはとにかくカッコイイ人々でいつも賑っていて女学生の私には憧れの集団だった。前衛とはそういう危険な香りとともに洒脱で華やかでなければならないというイメージが先行したのである。麹町十三丁目初昔 加藤郁乎『晩節』
晩節やあゝべらばうの蝿叩
豈54号では「加藤郁乎は是か非か」という特集が組まれている。当ブログの中の【戦後俳句を読む】は鬼籍に入られた作家が対象である。是非、加藤郁乎の句について書き続けてくださる執筆者が出て来てくださることを期待している。
筑紫磐井
北川編集長が前回編集後記で触れた豈の句会で私が選をした句は大雪を鳥の昏さの少年来(く) 福田葉子
ちょっと類想がありそうな気もするが、しっかりとした読みぶりであり、好感が持てた。犬・猫の獣と違う不気味さを鳥はもっている、恐竜の遺伝子を引き継いでいるせいだろうか。ヒッチコックの「鳥」も鳥だからこそあの不気味さが生まれたのであって、「犬」ではB級ホラー映画、「猫」では鍋島猫騒動のようになってしまう。少年のもつちょっとした危険な要素を鳥の昏さというのは的確だろう。
福田さんは高柳重信の薫陶を受けたベテランであり、若々しい句を詠まれる。薫陶を受けたからこそ何時も若々しさが見えるのかも知れない。最近重信のゆかりの作家が活躍し、「ーBLOG俳句空間ー」でも吉村さんが中村苑子論を執筆するために参加していただけるなど、面白い動きが見え始めているような気がする。
本阿弥書店の新春懇談会に行ったら、前回の句集・俳誌渉猟1で取り上げた「絵空」の山崎祐子、茅根知子、土肥あき子、中田尚子の4人娘に会った。これだけ揃って会えるのは珍しいことだ。記事の中で先輩格の「星の木」(大木あまり・石田郷子・藺草慶子・山西雅子)」と書いたのだが、たしかに号数から言うと先輩だが、年齢的には大木あまりさんを除くと「星の木」の平均年齢の方が若いのだという。評論を書いて私がする一番多い間違いは、女性の年齢の未確認。気をつけなければならない。その後、市ヶ谷ルノアールで大井さんと豈55号の編集会議をしていると、隣にこの4人娘がやってきて「絵空」の編集会議を始めた。
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