これは沖の俳句コンクールに応募したものだが、選者の能村登四郎、林翔の1位となった。
女狐に賜はる位・扇かな
みちのくに戀ゆへ細る瀧もがなちょうど句集をまとめる時期に来ていたので、この調子で書き下ろしのように何篇か書き、1冊の句集とした。
面白いエピソードとして、このような作品群を富士見書房の「俳句研究」の賞に応募して見たのだが、本選では通らなかった。ところが本選が終わり受賞者が決まった後、突然角川春樹が今年こんな作品があったと私の句を取り上げ実に嘆かわしいと延々と批判し始めた。選者たちも、少し面白いと思ったが最終的にはこれはだめであるということを口々に言い始めた。これは角川氏への迎合であったろうか。最終的には、入選作よりよほど頁数を割いて筑紫磐井批判が行われたわけである。こんな経緯で生まれたのが、『野干』である。異色の名が立った。
七月の諒闇(りょうあん)といふ静けさよ
風薫る伊勢へまゐれとみことのり
こうした句集をまとめてしまうと以後、尋常な句は詠めない。時代を広げて、古代~終戦の日までを詠んで『婆伽梵』とした。
蛍放生容貌(かほ)よかりしは不幸(ふしあはせ)
八月は日干しの兵のよくならぶ
また戦後のT家の雅な生活を、滅びゆく家族の生活を描いた小津安二郎の映画の筆致に倣い『花鳥諷詠』として出版した。これは小さな賞を受賞した。
もりソバのおつゆが足りぬ髙濱家
俳諧はほとんどことばすこし虚子
和をもつて文學といふ座談會
来たことも見たこともなき宇都宮
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創造の天地あかつきかへる雁 暮六つ時のぼろんじの夢
アンドロメダの渦巻いてゐる 遠い 遠い きさらぎの火の速さ
草うらの影絵の世界 匂ふべき夜叉のおごりもあさつきの色
安曇野のまひるの罪よ 生きとし生けるものは草焼きの匂ひ
この七月を生きた者のかなしみはただに青きよ 水の調律
東方に花一片の知恵もなし 青くたぎれる薔薇の原人
地獄門 血の一滴に火を放てり 幻想と恋の白羊宮かな
当時一つの手帖に俳句と短歌を書いていたが、57577にまとまれば「詩歌」に、77ができず575で止まってしまえば「沖」に投稿していた。手帳には次第に57577まで届かない断片が溜まり、俳句として通用するようになった。
俳句形式に現代詩を投げ込むと前衛俳句となるといわれていたが、俳句形式に短歌を投げ込んだものが私の俳句であった。その意味では私の頭の中には詩と俳句ではなく、短歌と俳句が常に渦巻いている。
やがてこうした手帳の中で短歌から俳句が分離独立し、自然な短歌との別れが生じ、一つの方向に独立した俳句が残ったのである。
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