吉村毬子の俳句にはたっぷりとした空間があって、そこには此の世彼の世の境を超えた時間がしずかに流れている。そのため読者は心をほどいて、一句、一句の中に、ゆっくりとたゆたうことができる。また、女性らしい視点の、衣服にまつわる句の多いことにも心惹かれた。好きな句を三句。
春月へ釦失くした女達釦は女の内と外とをへだてる要、心の拠りどころ、身の拠りどころである。それを失くした心もとなさに、頭を垂れた女達が、おぼろにかすむ春の月へと昇ってゆく。〈春月〉からは本集のテーマである〈毬〉が思い起こされ、「毬つけば男しづかに倒れけり」といった句の世界が重ねてイメージされる。大切なものほど、女の掌からこぼれて落ちてしまう。祖母も母もわたくしも、来世の娘たちも……。ものみな芽吹く春の宵、春月へと続く女達のつらなりははてしもない。
鈴針を打つ母冬の金魚のやう頭に鈴のついた待ち針、鈴針は、布が動くたびにちりちりと鳴って、なんともかわいらしい。洋裁用の短い待ち針ではない、和裁用の長い待ち針だ。ほどいては洗って縫い返すことで何度も生まれ変わる和服。その和服ならではの命を、一針一針縫いすすめ、つないでゆく母上の姿が、赤い鰭を金魚鉢の底にしずめてひっそりと息づく冬の金魚に見立てられた。母上は何を縫っておられるのだろう。鈴針と金魚から、女の子の赤々とした祝い着が思い浮かぶ。
魚透けて紐緩き日の祭りかな浴衣を着るときは、まず腰紐を締めて丈を決め、次に胸紐を締めてその上に帯を巻く。祭りの夜、胸紐の締り具合は、いつもよりゆるやかだ。胸乳と帯の間に一陣の海風が通り、ひととき女の身に魚が透けた。集中には「羅や水になる魚舎利の魚」の一句もある。いずれは細々とした、ひと柱のしら骨に還るこの身である。祭り囃子が、はるかな岸の向こうから近づいてくる。
【執筆者紹介】
- 大久保春乃(おおくぼ・はるの)
歌人。結社誌「熾」所属。現代歌人協会会員。
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