シネマ光ノエマ 小津夜景
映画を見ると、たまにさう思ふ。
最近もう一度観たいと思つてゐる映画は、九十一歳のリリアン・ギッシュがとある小島の夏の別荘で、少女の頃見た鯨を待ちつづけるといふ話。
台詞が良い。
人生を長過ぎると思つたことは?
ありませんね。一度も。死ぬまでが寿命ですから。
1
八月のくぢらを愛す老嬢よ
銀の蝿過ぎにしみづの影絵かな
杯翳る指紋は歳をとらずして
箱庭の時とは俘虜のこゑなるか
ひぐらしの今し風化をいふ伽藍
青嵐もの問ふために戸を開ける
来たりしよ肩重りかに蝉しぐれ
百年を醒む十薬の香を曵いて
2
すだれほど青き午睡を返されむ
古日傘ほのめき勇魚いづこかや
ならはしのごと中庭に麦酒注ぐ
喉ごしの水母を夢むシャンデリア
さぼてんは酢ゆき魚に添はせたも
ほろほろとはらわた崩ゆる夏の月
頤を形見とおもふ枇杷に寄す
こときれむ火を惜しまざる蛍かな
3
今朝ぞ呼ぶ老嬢を卯の花として
水盤やほんのりぬくき髪を梳く
紫陽花を嗅ぐたびしんと死喩の旅
籐まくら遠くて近きもの思ふ
閑古鳥いまも来よやと啼くらしも
日の泡は更へし衣のうつほにぞ
かつてこの入江に虹といふ軋み
青岬いさなを永久に枕くといふ
【作者略歴】
- 小津夜景(おづ・やけい)
1973生れ。無所属。
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