(2011年8月19日 詩客掲載の文章を校正、加筆。)
春のエロティシズム。極め付けが上掲句だろう。確実に読み手の心拍数が上がる。「肉」「舌」「はじまる」「晩春」・・・どれをとっても官能的である。
「肉」について考えてみる。
「肉」は動物の皮膚に覆われた内部でやわらかなもの、そして「霊」と対比された人間の物質的な部分である。キリスト教では人間そのものを意味する。肉に霊が宿るのである。
體溫を保てるわれら今日の月 『疊の上』
人閒も他の生物ぞ泣き泥鰌 『長濤』
肉體に依つて我在り天の川 『しだらでん』
短絡的ではあるが、舌と似た肉というと、生殖器が連想できる。
敏雄と交友上の接点は無いようだが、敏雄よりも10年若い吉岡康弘の『吉岡康弘写真集』(1961年)は人体、女性器が肉のオブジェとして石ころ同様に映っている。そして2011年にはイギリス人アーティストJamie McCartneyがThe Great Wall of Vaginaとして女性器の壁を展示した。また最近においては、「ろくでなし子」という名前で芸術活動を行う日本人女性が自身の女性器を3Dプリンターで復元できるデータをネット上で送付し逮捕された。(「ろくでなし子」の今後の活動が気になるところである。)性器も肉であるし、舌も肉である。霊の宿る肉体の一部である。
女は「する」ことにより、男は「みる」ことにより官能が刺激されるという説がある(『オール・アバウト・セックス』鹿島茂/文藝春秋2002年)。「女は無意識にエロスの句をつくる」と敏雄がよく言っていたそうだ(故・山本紫黄談)が、女性は出産という生殖の神秘が無意識に言葉に働き、男性は視覚、幻想、感覚に刺激を求めようとする傾向が言葉になるのだろうか。
人間の聖なる原点が肉体、肉である。敏雄は肉体をたましいの宿る物体として捕える。性器の視覚的表現(俗にいうならばアート)も聖なる物体である。上掲句は、その肉体、肉を突き放しているとも思える。作者の目線が霊として肉体を見ている、ということが伝わってくる。
かの『俳句研究』(昭和57年2月号)の三橋敏雄特集では、敏雄作品を通して、肉体とは何かを坪内稔典、澤好摩、高橋龍が論議をぶつけ合っているのだが、今もって私が参考となるのは、肉体と精神がどのような関係にあるのかを「われ」と「わが身」という言葉を駆使し「われ」と「わが身」を執拗に述べている高橋龍の文章である。それが『真神』の全貌を知る上では重要な文章、そして三橋敏雄の「詩性」について述べるに同意できる文章であることが今更ながら確信できる。
一文にすぎないが引用する。
(中略)「われ」は自立して本来の「われ」になっていく。(中略)しかしながら、すでに「わが身」すら「われ」とは無関係な寄宿先であることを自覚したとき、肉体は一瞬にして「われ」のさまよう流浪の地と化すのであろう。(からだの海ー三橋敏雄の昭和五十年代‐ /高橋龍)若干わかりにくい表現が当時の戦後の読書層である『俳句研究』の特徴のように思えるが、これは「肉体を突き放す」という視点と同様の視点ではないかと解釈できる。「肉体」を考えることはランボーの詩文(「神さながら愛からなり、女さながら肉からなる、と」太陽と肉体/鈴村和成訳)を想起するのだが、『真神』の詩性とはまさに「肉体」をどの視点でとらえるのかという哲学的要素が相当に含まれるのだ。
そして「はじまるか」の「か」の終助詞の使用がより句を多義にしていると思える。「か」の終助詞の意味には、疑問、問いかけ、反語、言い返し、詠嘆の用法がある。敏雄の句とはそのような人生経験値により読み幅がさらに広くなるといえる。そのときどきで解釈が異なってもよいのである。筆者自身は「か」の用法を<詠嘆>ど同時に<自問納得>として捉えたい。「そうだろう、そうなんだよ」というニュアンスがあり、女の意向など相容れない男の自問納得というように読み取れる。それも晩春の男、物思いにふける男。
正午過ぎなほ鶯をきく男36句目の<正午過ぎなほ鶯をきく男>の李白のような男、そして「晩春」は人生の季節「晩節」の春(エロス)を静かに過ごしている男といえよう。自ずと死(タナトス)の到来を予感する寂寞とした生暖かい温度が伝わるのだ。
そして、またも、係助詞「は」の使用句である。
この「は」の使用は、「舌以外の部位からは肉ははじまらない」という断定でもある。
霊が宿る肉は舌からはじまる、というのだから人間が動物であること生き物であることを考えるやはり悩ましく哲学的な意味を考える。
さて前項にて紹介した敏雄の言葉「最初の読者である自分が読んで感動する」ことの源流と思える考えが、昭和49年「真神」刊行以前の昭和45年の高柳重信執筆による「「書き」つつ「見る」行為」である。
これは冗談ではなく、『蕗子』以後の僕は、まさに文字どおり、言葉を書くだけであり、そして、きわめて稀に、そこに書き並べられた書葉のなかに、何かを「見る」だけであった。したがって、現在の僕には、発想というほどのものもないし、その発想に先立っての何ものかに対する感動のようなものもない。僕にとって、感動とは、時に言葉のなかに何かを見た場合の感情である。要するに、僕は、ある時、一つの言葉に出会う。それは週刊誌の愚劣な実話小説の一行のなかに於いてでも、生物学の教科書の見出しのなかに於いてでも、あるいは、テレビの画面に流れるテロップの断片に於いてでも、何でも構わない。出会ったという思いは、その言葉が僕の眼に入った瞬間、その言葉が現に置かれてある前後の言葉と関係なく、その文脈とも無関係に、その言葉の独立した意志の働きのように、もう一つの言葉を浮かびあがらせてきたときに、たしかな手応えとして響いてくる。
そして、このあとは、ちょうど十七字の分量のコップのなかに、すでにある言葉が招いている言葉を次々と流しこむだけである。流しこまれた言葉は、次々と溢れ出し、そのコップのなかの言葉は、少しずつ微妙に変化する。こんな作業を、現実に紙の上に文字を書いてゆくというかたちで行なっていると、ふと、何かが見えたような気がする瞬間がある。僕が、その言葉を通して、何かを見たと信じ、それを見たことによって、なにがしかの感動めいた興奮が生まれたとき、それは僕の作品として書きとめられる。したがって、この作業に加わっているのは、俳句形式と、その形式に反応しながら自由に流れてゆく言葉と、それを書きとめてゆく僕の手である。普通、俳人たちが俳句形式に参加するために動員していると信じているような部分は、僕にあっては、ある一瞬、何かを見るためにだけ待機しているのである。あるいは、僕の場合は、俳句を「書く」というよりも「見る」というべきかもしれない。そして、この「見る」行為だけが、僕の制作の根幹であり、併せて、僕以外の人たちの作品に対する僕の批評と鑑賞の原点になっていると考えていいのかもしれない。『俳句』昭和四五年六月:『高柳重信全集Ⅲ』所収
敏雄が「自分が読んで感動する」とは何かを朋友である重信は書き綴っている。まさしく「見る」行為により官能が刺激されるということを重信が述べていることも不思議である。男はまさに「見る」ことにより刺激されると重信も述べている、男性の生理はやはり似ているのだ。
「見ること、それは眼を閉じること」とは、アンフォルメル(不定形)の画家ヴォルス(Wols, 1913年5月27日 - 1951年9月1日)の言葉だ。1920年生まれの敏雄、1923年生まれの重信、そしてヴォルス・・・と同時代を生きた人の言葉に共通点がある。その芸術の尺度が言語に創造を広げた時代性を感じる。
敏雄は近代を超えたのか、ということを先の「俳句研究」では論議されているが、敏雄の作品、ひいては俳句とは、見えていないものがリアルに感じられる言語芸術のことをいうのではないかということが敏雄句から理解できるのである。
0 件のコメント:
コメントを投稿