2014年8月8日金曜日

「俳句空間」№ 15 (1990.12 発行)〈特集・平成百人一句鑑賞〉に纏わるあれこれ(続・12、八木三日女「高野烏何でもああと待ちぼうけ」)大井恒行


八木三日女「高野烏何でもああと待ちぼうけ」
                                    

八木三日女(1924〈大13〉7.6~2014 〈平26 .2.19 〉の自信作5句は以下通り。

小槌から象の耳出て改元令         「現代俳句」平成元年4月号 
啄木鳥よ闇を叩けば火を噴くよ        「花」  96号  
飛行船わたしの五月病のせて         「俳句芸術」平成2年8月号  
黒牡丹昭和に女ざかり経て           〃    〃 
高野烏何でもああと待ちぼうけ        「現代俳句」平成元年10月号

一句鑑賞者は大沼正明。その一文には「三日女は幸か不幸かその初期において〈満開の森の陰部の鰓呼吸〉〈黄蝶ノ危機ノダム創ル鉄帽の黄〉と主情的に開き直り、それを他者に示すことで意志的にも自己を明らかにした。〈初釜や友孕みわれ涜れゐて〉〈たとふれば恥の赤色雛の段〉と心深く傷つき、それを活字とし公にすることでまた傷つかざるを得なかった。かかる行為の二重性の、その代償として三日女独自の前衛と美学はもたらされたのである」とある。さらに続けて「〈高野烏〉にのみ拘ってのみ述べよとの依頼であった。忠実にそれに従ううちに、すでに潰えたと思われたあの砦の方に一人の女性(にょしょう)の過(よ)ぎるのを垣間みた。その時代時代を濃く生きた証しを目尻に刻み、だが、気品は失せず、微笑のなかに、小悪魔的な面影すら偲ばれる。〈高野烏〉はそのトータルとしての所産なのか。ならばいささかの物足りなさとは愚かなる私の的外れな言いがかりなのか。因みにとここ数年の彼女の句に目を通したのち、それらと方法を異にせぬこの一句を振り返る。いましばらくこの一句につて考えてみようか。風に吹かれた樹のその根っこにころりころげぬようにどっかと座り、今宵、叢雲に隠れた名月の再び現れるのを待ちながら〉と述べる。

 八木三日女、本名は下山ミチ子。俳句は大阪女子高等医学専門学校(現・関西医科大学)在学中に「天狼」の平畑静塔、西東三鬼、橋本多佳子らに学んだ。同人誌「夜盗派」を渋谷道らと創刊、のちに「海程」同人。1964年には「花」を創刊、代表を務めた。句集に『紅茸』『赤い地図』『落葉期』『石柱の賦』『八木三日女全句集』など。眼科医で、東大俳句会の米元元作は息子だった。地元の堺では与謝野晶子の歌碑建立など顕彰に尽力した。享年89。


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