○第81号更新。 連載コンテンツの多い今号、というか当ブログは継続執筆により支えられています・・・。お礼申し上げます。戦後作家鑑賞を休稿されている方も是非再開をお待ちしております。
作品は、小津さん24句、竹岡さん30句と驚異的な作品数です。 大井顧問の日々彼是のブログを拝見していると、牧羊社の『現代俳句の精鋭Ⅰ~Ⅲ』のシリーズに大井顧問も100句書下ろし!という驚異的句数を成し遂げたのです。
平成もすでに26年。『平成俳句の精鋭Ⅰ~Ⅲ』(仮称)が当ブログにて掲載ということも今後起こるという予感さえします。 (平成に入ってからは俳句四季出版が2000年~2010年に「現代俳句精鋭選集1~10」を刊行。摂津幸彦賞正賞の花尻万博さんはその2000年の『現代俳句精鋭選集1』に収録されています。)
○前号あとがきに筑紫相談役が記した通り、西村麒麟『鶉』句集がふらんす堂通信114号に全句掲載となりました。「ふらんす堂通信」はふらんす堂友の会の会員誌で電子版もあるようです。詳しくはふらんす堂のサイトへ。
○本日からこもろ日盛俳句祭が開催!。(8月1日、2日、3日)
もろもろイベントの多い8月。お出かけの方はどうぞ充分体調管理、そして暑さ対策を万全に整え臨んでください。
○当ブログにて<中村苑子論>を執筆中の吉村毬子さんが第一句集『手毬唄』を7月24日上梓されました。 おめでとうございます。
日輪へ孵す水語を恣
睡蓮のしずかに白き志
烏瓜鬼を産む女生まぬ女
鬼やらひ闇呑み込みて鬼とゐる
石の中蝶の摩擦の鳴りやまず
寒椿老婆唄へば山へ散る
落款の無き漢より花曇り
毬つけば男しづかに倒れけり
発行所:文學の森
筑紫磐井
○個人的なことだが、「玉藻」の1000号記念に星野高士論を執筆した。依頼があったのが高士の第5句集『残響』の出る直前だったので、『破魔矢』『谷戸』『無尽蔵』『顔』の4冊を材料に書いてみたものだ。1か月たってどんな反応があったかと思っていたら、「週刊俳句」で上田信治が取り上げてくれていた。
http://weekly-haiku.blogspot.jp/2014/07/88-etc-2-4.html
種明かしをすると、高士の最新句集『残響』については、「俳句四季」7月号で鑑賞している。だから、この2編を読んでもらえれば、現在のところの私の「星野高士の世界」は理解してもらえると思う。
戦後世代作家論は、私としては今回、星野高士で初めて書いたことになる。それまで、ほとんど戦後世代作家論を書く機会がなかったといってよい。依頼がなかったせいもある。今回二つを組み合わせて初めて出来上がったのだから、これも正式な依頼ではない。考えてみると、商業誌や結社誌をはじめそういう機会や発想がほとんどなくなっているのは平成俳壇の特徴であるかもしれない。
もう一つは書かれることを嫌がる作家側の立場もあるだろう。包括的な作家論は、当然にその中で作家に対する毀誉褒貶が様々に書かれる。しかしそうした非難を嫌がるのが平成俳壇のシャイな作家たちなのではなかろうか。
現在、「戦後俳句を読む」で能村登四郎論を連載しているが、これの元になったのが、いまから30年余前、私が「沖」で連載して書いた能村登四郎論なのだが、掲載しているとき、編集長(渡辺昭氏であったと思う)があの連載はどうですかと登四郎に問うと、「昔の細かいことばかり書いていて、嫌だねえ」と答えたという(それはそうだろう、せっかく能村登四郎が伝説として残した「一句十年」は、作られた伝説であって事実ではない、と言ったりしたのだから)。戦後生まれ作家に限らず、こうしたことは好まれないことなのかもしれない。
私の書いた戦後世代作家論は星野高士が初めてだと述べたが、もちろん、攝津幸彦論は何回か書いている。それはすでに攝津幸彦が物故者であるから安心して書けるということもあろう(これは、田中裕明についても言えることだ)。今回、竹岡一郎が攝津幸彦論で現代俳句協会評論賞を受賞したが、生存作家についてこれくらいはっきり書くのは難しいことに違いない。
近く竹岡の新しい連載作家論が本BLOGで始まると聞いている。〈現代俳句協会評論賞受賞第一作〉となるであろう評論を楽しみにしている。
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