「去年今年貫く棒の如きもの」答えた人が多いのではないだろうか。そういえば、Yahooの知恵袋か、何かに、中国人の友達に「貫く棒」って何?と聞かれたがこれはどういう意味か?という質問を見たことがある。何なんだろう、「貫く棒」って。
まずこんな風に思った。貫く棒。それは真っ直ぐに貫き刺さっている棒。
破魔矢さす活断層のど真ん中 羽村美和子
セーターを脱いでしまわぬ射的かな 岡村知昭
ああ、こんなところに刺さっていた、棒。棒というより矢。地震大国の日本の鎮めるように刺された破魔矢。その活断層のおかげか、温泉だらけの日本。温泉地で愉しむ射的。この射的、もちろん銃型のやつでもいいのだが、昔ながらの弓矢の射的を思い浮かべた。
これは多分、この前、「テルマエ•ロマエ」という映画を見たから。主人公がバナナを盗んだ猿に射的屋の矢を向けるシーンがあった。古代ローマのお風呂技師の話なんですけど。日本人がローマ人をやっている。ええ、日本人にも濃い顔がいて、例えば、砲丸投げの室伏広治とか。
室伏が振り回してもS字型 北村虻曳
貫くどころか、棒になり損ねてしまった。棒になることは難しいよう。あれ?そもそもそも棒ってどんな棒なんだろう。先ほどは「矢」とは違う棒もあるはず。そうそう。「矢」とは限らない。ではどんな棒があるのか。
死刑ある国に生まれて雑煮餅 仲寒蝉
おしぼりが正位置にある福寿草 上田信治
死刑があるということは、その刑が施行されるのを待つ人がいる。その人はたくさんの棒に囲まれた部屋にいる。その部屋で餅を食べるのだろうか。その一方で、料亭で食べる食事。新年の料理は、それは贅沢の極みだろう。だから最初は畏まっているのですが、段々酒が入ると、ふざけが入る。その中で、またにおしぼりをある形にして愉しむ者が出てくる。まあ、何の形かは言わないが、これも所謂、棒。
福寿草宦官の沓滑らかに 飯田冬眞
ああ、ここに棒を失くした方が。棒を失くすと、何だか艶めかしくなるのだとか。この沓の滑らかさもそこからきているのだろう。男性の頭脳に、女性の仕草。
黒松や箒に雌も雄もなく 山田耕司しまった。変な方向に話が進んだ。棒は棒。雌も雄もない。箒のように。「婦」という字を思い浮かべれば、女性的な感じもするが、ああ、これをまた掘り下げると、深みはまりそうだ。よし、そんな時は
車線変更して新年に入りにけり 池田澄子
閑話休題。となったが、棒どころか、貫くこともやめてしまった。すいすい進む方に行くわ、とばかりに。私の道は私が決めるわ、とばかりに。なるほど。貫く棒には、人生観もある。
嫌はれず好かれず舌を出し新年 野口る理
本人には喜怒哀楽があるだろうが、総まとめすると、あっけらかんとした生き方。幸せ。昔「嫌われ松子の一生」という映画があったが、その主人公のよう。主人公の松子はとにかく、愛されることを望み、それを貫く。ああ、貫く人生。一見して不幸なんだが、何か惹かれる。
炬燵寝の母や身体をねじりつつ 松本てふこ惹かれる生き方でいえば、このような生き方もある。ねじってはいるが、炬燵を貫く母さんの身体はまさしく棒だ。この人はどんな生き方して来たんだろう。なんて、自分の母なのに思う。
何だかんだ貫く棒を追ってきたが、さてはて、何だったのだろう。思わせぶりなこの棒をもう少し追うことにしよう。
【執筆者紹介】
- 中山奈々(なかやま・なな)
※収録句については下記”ラベル”の「平成二十五年歳旦帖」をクリックしてください。
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