毒ニンジンとは聞き慣れぬ。マンドラゴラのことかと思って調べてみるとそれとは別に毒人参という種もあるようだ。広辞苑から引く。
セリ科の越年草。ヨーロッパの原産。地下に蕪状の根茎を有し、茎は管状で表面に紫色の斑点がある。葉は羽状複葉。夏、茎頂に白色の小花を開く。全草に猛毒を含み、ギリシア時代から毒薬として用いた。ソクラテスが飲んで死んだという。ヘムロック。コニウム。
もともと日本にはなかったようだが欧州から持ち込まれたものだろう。ただ兜子はそこまで種を特定して詠んだものかどうか。マンドラゴラも含めた毒のある根菜を想像して一句に仕立てただけかもしれない。
その毒人参が千切れて散乱している光景、そこは無人の寺院だと言う。この寺院は日本の、従って仏教の寺なのか、キリスト教や道教の寺院という見方もできようがそれらしい表現のないことから普通に日本の寺と解しておく。
「映し」は「はゆし」とも読むがこの場合は「うつし」だろう。ただどこに何が映されているのか。映される対象は無人寺院でいいとして単語の並びからすると毒人参が映していると取れる。しかし毒人参というものの実態からしてそれは考えにくい。ここはテレビや映画のような映像に毒人参が千切れて散乱している無人寺院の様子が映し出されていると取っておく。異様な光景ではあるが「それがどうした」という気もする。こういう光景を俳句にする作者の意図をいまひとつ掴み得ないのである。ただ、人参、無人、寺院と「ジン」の音が3度繰り返される、その音の上での面白さはあるが。
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