2013年5月31日金曜日
3・11東日本大震災と地貌季語 / 筑紫磐井
「岳」の35周年記念大会が5月25日に軽井沢で開かれ、記念講演とパネルディスカッションが行われた。記念講演は柳田邦男氏による「言葉と生きなおす力」、パネルディスカッションは柳田邦男、宇多喜代子、小島ゆかり(歌人)、いせひでこ(絵本作家)、宮坂静生氏による「3・11以後」というテーマで行われた。
「岳」は地貌季語を唱えている運動でよく知られている。地貌季語とは地域の生活の中に根ざしている、まだ季語として登録されていない言葉といえばよいであろうか。「木の根あく」とか「桜隠し」とかが見出された地貌季語といえばよいであろうか。「木の根あく」等はそろそろ一般化しつつある。地貌季語という名称を用いないでも、地域の時代が叫ばれている今日、中央志向ではない季語を発掘しようという試みは無駄ではないだろう。
従って、今回のパネルディスカッションではそうした方向へ向ってゆくのかと思っていたが、3・11東日本大震災から始まり、各パネラーの生と死にかかわる体験の話になっていった。それは重い話で傾聴に値する話題ではあったが、私が漠然と期待した地震と季語との話には到らなかった。
帰路こんなことを考えてみた。今から、68年前に広島、長崎に投下された原爆の落下直前の町並み図を復元しようとする運動というものを聞いたことがある。被爆者の冥福を祈るだけでなく、どこに誰が住んでいたか、そこにどのような生活があったかを知ることは今生きている者たちが出来る死者たちへのせめてもの供養かも知れない。生きていた証拠を死者たちはもう残せないのだから生きている者たちが復元すべきなのだ。
ところで3・11東日本大震災に際して、被災地いわき市に実家を持つ民俗研究家の山崎祐子さん(歳旦帖等の常連作家)が被災地の喪失した家々での生活・風習の聞き取りをしていると聞いたことがある。単なる民俗学の研究だけではなくて、そこに暮らしていた生活を復元出来るのは今だという思いなのではないかと思われる。
そうしたことを考えると地貌季語、地方季語も、被災地にあっては特別な意味を持つことに気付かされる。季語は普通自然の景物であるから震災の復旧が終った後には、また春や夏がめぐって来るように、不易の営みを見せるように思うかも知れない。しかし、地貌季語を見てみると、必ずしもそうした季語ばかりでなく、共同体の中で培われてきた行事などもある、それらは共同体が離散・崩壊することにより二度と復元することは出来ないかも知れないのだ。そういう危惧も含めて、地貌季語に関心を持っている人たちには東北の季語の収集に関心を持ってもらってもよいかも知れない。
確かに季語とは民俗学に近いところもある。それは事実の世界ではなく、伝承の世界であるからだ。蚯蚓が鳴くのは事実ではなくて伝承の中でこそ可能なのだ。それを、蚯蚓は鳴かないと事実で押し切ってもしょうがない。気象協会が新しい二十四節気を提案しようとしたのは、二十四節気を事実の世界と思い誤ってしまったせいなのであろう。
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